130 死者の森 中編
申し訳ありません。また収まりきらずに中編となります。
吸血鬼の存在を確認した。しかも山間にある小村が襲われている。
一般的に吸血鬼の脅威はその強さよりも増殖力だと認識されているが、その認識は正解でもあるし不正解でもある。
不死者は生前“魔石”持ちだった人間だ。私の推論どおりに吸血鬼化するのも魔石持ちだとしたら、村人全員が血を吸われても人口の1%程度しか吸血鬼化しないはずだ。
私が助けて私を襲ってきたあの女性も、魔石持ち……魔術が使えたから、あそこまで逃げることができたのだろう。戦闘技能もないただの村人なら、魔物に襲われた時点で逃げられはしないから。
でも……たとえ吸血鬼にならなくても、その犠牲者には更なる過酷な運命が待っていた。
霞むような月明かりに照らされた暗い森を駆け抜けていた私は、微かに漂ってきた血の臭いに足を止める。
村が近くなっているのか、この辺りから森の中に切り株が多くなり、一部拓けた森のほうへ目を向けると数人の人影が倒れているのが見えた。おそらくは力尽きた村人だと思うけど、その身体からはもう闇の魔素しか感じられなかった。
生物が纏う魔素は大部分が無属性だが、生きている限りはわずかだが全属性の魔素を内包していた。火の魔素は体温を調整し、水は血の流れ、風は呼吸、土は骨と肉、光の魔素は生命力で、闇の魔素は精神に作用する。
彼らはもう死んでいる。死体に闇の魔素が残りやすいのは、想いが一番最後まで残りやすく、死者にも馴染みやすいからだ。
「……ぅ…あ…」
その中の一人が呻くようにして息を吐き、もぞもぞと動き出した。成人したてかまだ十代後半らしきその男が、うつ伏せに倒れたまま救いを求めるように手を伸ばす。
「…………」
私はそれを無言のままジッと見つめる。私の“眼”で視れば、わずかながらに闇以外の魔素も感じられたので、まだ瀕死のような状態だろう。
動かずとも私の気配を察したのか、男がこちらへ手を伸ばし、その顔を上げてその瞳を見せた瞬間、私が腿から抜き放ったナイフが男の眉間に突き刺さった。
「ぐぁああっ」
男が飛び上がるように立ち上がる。私へ向ける獣のようなその瞳に、私が更に放ったナイフが男の眼球を貫き、斬撃型のペンデュラムの刃が咽を水平に斬り裂くと、ようやく自分の死を理解した男がゆっくりと崩れ落ちた。
「“出来損ない”にも容赦がないのね、アリア」
背後から掛けられた揶揄するようなカルラの声に私は一瞬だけ視線を向ける。もう追いついてきたのか……。
カルラが言った“出来損ない”とは、文字通り吸血鬼の出来損ないだ。
魔術を習得して魔石を得ていなくても魔力の大きな者はいる。たとえば、複数の生活魔法を会得した者や、無属性魔法を習得した戦士などだ。
彼らは死んでも不死者化することはないが、低級霊の取り憑いた魔物とは呼べないような“動く死体”になる場合はある。それと同じで、吸血鬼に襲われた犠牲者の中でも魔力が大きな者は、吸血鬼にはならなくてもその魂が穢され、見た目は人間のまま吸血鬼の下僕に成り下がる。
出来損ないは血を求めるが、血を吸われても犠牲者は吸血鬼にならない。
出来損ないは陽の光の下でも動けるが、吸血鬼ほどの不死身性はない。
彼らはもう人間ではない。生きた人間のように体温があり呼吸をするが、もう生前の理性も知性もなく、上位種である吸血鬼に従うだけの奴隷人形でしかなかった。
「まだ生きていたかもしれなくてよ?」
「生きるために抗っていないものを“生き物”と呼ぶのか?」
自らの意思で生きるのではなく、生者への憎しみと血の渇望だけで動いている物体を生き物と呼べるのか?
犠牲者は悪ではない。でも、吸血が終了した時点で犠牲者を救う道は限られている。よほど体力値が高い人間でないかぎり、こんな辺境で血液の半分を失った犠牲者の魂を救う手段は“死”しか残されていないのだから。
「アリアの生き方は“厳しい”わ。でも、その冷徹な瞳は好きよ……もし、つらいのなら、わたくしが代わりに殺して差し上げてもよろしくてよ?」
険しい顔で殺した“犠牲者”を見ていた私の頬を、カルラの白い指先がそっと撫で、私はその細い手首を強く掴む。
「カルラ、お前は何を知っている?」
この旅に同行したいと言ったカルラに理由を尋ねたとき、彼女ははぐらかすように小さな村が消えていると答えた。
暗部でさえ知らない“何か”をカルラは知っている。それを問う私に、カルラは薄く微笑んで村があると思われる方角へ視線を向ける。
「それなら村に向かいましょう。ここで話すよりも、実際に見てもらったほうが分かりやすいと思いますわ」
「……わかった」
私とカルラは並ぶようにして暗い森を進む。彼女の独自魔術だろうか、カルラの身体がわずかに地から浮いているように見えて、私の速度についてきた。
そして数分後……村を囲う柵のような物が見えてそれを飛び越えてさらに進むと、強い血の臭いがして、視界の隅でカルラが微かに笑う。
進むごとに点々と人の亡骸が目に映る。大きな物音が聞こえないので、もう終わった後かもしれないが、それにしては死体の数が少ないように思えた。
地図にない山間の村でも数百人程度はいるだろう。住むだけなら数世帯でも問題ないが、数がいなければ魔物の脅威に対抗できない。でも、今まで見つけた死体は百人にも満たず、生きているとしても死んでいるとしても何処かに残りの村人がいるはずだ。
「向こうに灯りが見えますわ」
「うん」
さらに進むと村の中央らしき場所に、篝火のような光が見えた。
そちらに走り出し、そこで私たちが見たものは、大量の死体に囲まれたまだ生き残って怯えている数十人の村人たちと、それを取り囲む不死者と出来損ないの姿だった。
まだ生きている人がいる。それ以上に死んでいる人がいる。村の広場で一纏めにされて死を待つばかりの村人を救う手段を模索していると、不意に鈴音のような声が夜に響いた。
「ダレ……?」
村人の方を向いていた真っ黒な人影が、奇妙な発音の言葉遣いで誰何した。
その人物は、隠密スキルのないカルラがいたとしても、闇に紛れていた私たちを容易く発見した。そんなことができるのは村を襲った吸血鬼か? それとも別の存在か? その人影がゆっくりと振り返り、その横顔が篝火のわずかな灯りに浮かびあがる。
磨かれた黒曜石のような艶やかな黒い肌。銀色の髪から出た長い耳。赤みがかった金色の瞳に私たちを映す、その人物の正体は――
「……闇エルフ?」
「“魔族”」
その少女は、師匠と同じ闇エルフだった。そしてこの大陸では、人族・森エルフ・ドワーフ・獣人族と敵対する『魔族』と呼ばれている存在だ。
師匠以外で闇エルフを見るのは初めてだが、魔族とも言われる存在がどうしてこの国にいるのか? 魔族との戦争はここ数十年行われてない。師匠のように魔族の国から逃げてきた……とも違う。
この状況からしてこの闇エルフの少女は、この国の人間に対してあきらかに害意を持っていた。
「た、助けてくれっ!」
「お願い、助けてっ!」
夜に現れた若い女の二人連れに、生き残って集められていた村人から切羽詰まったような悲痛な声があがると、闇エルフの少女はそんな人たちの懇願する様子に露骨に顔を顰める。
「煩い」
止める間もなく少女の右手が振るわれ、その手に握られていた黒鉄の鎖が最初に叫んだ男性の頭部を吹き飛ばした。
【――――】【種族:闇エルフ♀】【ランク4】
【魔力値:243/285】【体力値:265/265】
【総合戦闘力:940】
血と肉片を浴びた周囲の村人たちから悲鳴があがる。それを見た私が飛び出そうとすると、闇エルフの少女が再び鎖を振るって村人たちがいる地面を打ち、村人たちの悲鳴と私の動きを止めた。
「ダレ? キミたち、強いね」
「……お前こそ、闇エルフがどうしてここにいる?」
「ふしぎ?」
闇エルフの少女は拙い言葉で首を傾げる。寿命が長いエルフ種なので見た目どおりの年齢ではないだろうが、何故かそれ以上にどこか浮世離れした印象を受けた。
「ワタシたち、人族コロス、当たり前デショ?」
「そうか」
ザスッ!!
そう呟くと同時に私が抜き撃ちした、黒く塗った投擲ナイフが少女の金の右目を貫いた。ランク4程度の力はあるようだが、こいつは隙だらけだ。
ザッ!
だが、一瞬崩れ落ちそうになった少女が足で踏ん張り、残った瞳で私を睨め付けながら突き刺さったナイフを引き抜くと、その傷が見る間に再生していった。
「……お前が吸血鬼か」
「そう」
私の呟きに、少女が血塗れのナイフを放り捨てながら肯定する。
ただの魔族ではなく、この少女がこの村を襲った大元の吸血鬼だ。この少女が私とカルラの戦闘力を鑑定してまだ余裕があったのは、強者故の傲慢さからだと察した。
浮世離れしたその印象も余裕も、少女エルフの見た目以上に永い時を生きているからだろう。
通常の吸血鬼なら、冒険者ギルドでは脅威度ランクは3になるが、百年以上存在した吸血鬼は大吸血鬼と呼ばれて、脅威度ランクは6になる。感じられる雰囲気からそこまでではないにしても、上級の吸血鬼なら戦闘力は視えている値の二倍になると考えたほうがいい。
戦闘力が2000前後の吸血鬼。しかも魔族はどんな隠し球を持っているか分からない。
「サララの吸血氏族の長、手下増やす言った。お前たち手下にスル。長、喜ぶ」
パンッ、と少女――サララが手を鳴らすと、吸血鬼になった村人が4人と、出来損ないになった村人十数名が血走った獣の目で動きはじめた。
吸血氏族……おそらくは、魔族国には吸血鬼だけの氏族が存在するのだろう。そんな連中がこの国にいるのは……たぶん、カルラの目的がこの連中だと考え一瞬だけ視線を向けると、カルラはそれを肯定するようにニコリと笑った。
すかさず私もナイフを握り直して両手に構える。四人の吸血鬼は倒すのが面倒だが、出来損ないどもは死ににくいだけで不死身ではなく、自分が死んだことに気づけないだけで、殺せば死んでくれる。
でもそこに、生き残りの村人の中から幼い声があがる。
「父ちゃーんっ! やめてぇ、父ちゃんを殺さないでっ!!」
七~八歳の男の子が涙を浮かべながらそう叫び、慌てて母親らしき女性に抱きかかえられて口を塞がれた。
「………」
この吸血鬼か出来損ないの中に男の子の父親がいるのだろう。出来損ないの姿は人間と変わらない。だが、吸血鬼の下僕は魔物と同じだ。大人ならそれを理性で納得はできても、親を失う子どもは絶対に納得しないだろう。
吸血鬼と出来損ないが襲いかかってくる。それを見つめる男の子の瞳が、一瞬だけ私の脳裏に優しかったお父さんとお母さんの姿を思い出させた。
その瞬間――
ゴォオオオオオオオオオオオオッ!!!
夜を斬り裂くような炎の柱が、突っ込んできた二体の吸血鬼を燃やし、焼け残った下半身だけが一~二歩だけ歩いて前に倒れる。
知人の姿をした者を焼き殺された村人たちから悲鳴が上がり、本能で危険を察した吸血鬼と出来損ないどもが蹈鞴を踏み、サララがその威力に目を見開いた。
「その子のために殺されてあげるの? わたくしが代わりに屠しましょうか? ふふ」
両手に炎と膨大な魔力を燃やし、カルラが愉しげに前に出る。不死者が相手なら炎を操るカルラのほうが私よりも有利に戦えるはずだ。……でも、
「カルラ……」
カルラなりの奇妙な気遣いに軽く手を振り、私は深く息を吐く。
私の中にまだ弱さがあった。心で強くなる、技量や力で及ばずとも心では負けないと決めておきながら、私にはまだ甘さがあった。
私の敵は、まだ“先”にいる。
その全てと決着をつけるまで、私は立ち止まることはない。
その一つであるカルラに瞳を向け、私は子どものような甘さを断ち斬るようにナイフを横に振る。
「こいつらの相手は、私が一人でする」
クレイデール王国の闇で暗躍する魔族の存在。
アリアとカルラの関係は、友人以上宿敵未満、といった感じでしょうか?
カルラは全てを壊して最後はアリアに殺されることを夢見ています。そしてアリアもそれに応えようと思っています。
だからこそ他者から見れば異様な関係に見えるのだと思います。
次回、今度こそ後編です。
魔族国は闇エルフの種族ですが、吸血鬼や人狼のような一般的に魔物と呼ばれる存在でも忠誠を誓うのなら氏族として認めています。ただし国として認めているだけで、一般市民との諍いで殺されることも多く、その数は決して多くありません。
現在の魔族国には、魔族の王はいますが、魔王級のバケモノは存在していません。なので、魔王級に呼応して現れる真の勇者も存在しませんが、自称勇者はどこにでもいます。