128 ダンスの約束
少し長めです。
「……まだ視えない」
王都と同様の広さがあるという王立魔術学園敷地内には王族用の屋敷があり、同様に寄付金の額に応じて、上級貴族家も学園内に屋敷を所持することが許されていた。
その一つ、ダンドール辺境伯の屋敷では、王太子の筆頭婚約者となったクララが、ダンジョンの精霊より与えられた【加護】を使い、この国の未来ではなく自分と王太子エルヴァンの未来を占っていた。
クララの与えられた【加護】は『予見』だ。乙女ゲーム『銀の翼に恋をする』と酷似したこの世界で、現在知りうる情報と転生者であるクララ自身のゲーム攻略の情報を併せて脳内で演算し、脳に大きな負荷を掛けながら確率の高い未来を“予見”する。
でもそれは確定された未来ではない。ゲームではなく、その元となった現実の世界では、物語通り進行していても生きている人間の行動で少しずつ未来は変わっていく。
知り得た情報を基に未来を予見し、この先のゲームイベントを熟知しているクララを以てしても、彼女の瞳には『幸せな未来』が視えなかった。
それは、本来の乙女ゲームとは違う、三つの不確定要素があったからだ。
一つは、乙女ゲームの“ヒロイン”、アーリシア。
彼女が辿った道筋は、多少の時期的誤差はあるが、クララの知っているヒロインの動向とほぼ変わらない。けれどクララは、“ヒロイン”を知っているからこそアーリシアとその行動に違和感を覚えていた。
まず、見た目がクララの知っているゲームのヒロインとは違う。顔立ちもそうだが、彼女はヒロインの特徴である桃色の髪ではなかった。
赤みがかったダークブロンドの髪は、メルローズ家の赤みがかった髪の中に混ざってもさほど違和感は無いが、ゲームを知っているクララからすれば、どうしても彼女がヒロインとは思えなかった。
けれど彼女の外見は正にヒロインと言われるほどに可愛らしく、彼女は自分の異性に対する魅力を知っていて、それを前面に押し出すような行動をしているようにクララには見えて、そんなヒロインの行動に違和感を覚えたのだ。
その魅力は凄まじく、攻略対象者が内に抱える闇に斬り込んでいくことで、まだゲーム序盤にも拘わらず、王太子であるエルヴァンを惹き付け、聞いた話によれば王弟であるアモルや、王都の聖教会神殿長の孫であるナサニタルも、彼女の所へ足繁く通う姿が見られるという。
恐るべき“ヒロイン”の魅力。……ただ、本来では一人に絞られるべき攻略の対象が複数に及んでいることにもクララは違和感を覚える。
もしかして彼女は自分と同じ、地球からの転生者なのでは、と疑いを持ったが、観察しても彼女の精神はただの子供と変わらず、ただ自分の思うがままに動いているような印象が、彼女の存在を尚更不気味に見せていた。
二つ目は、“悪役令嬢”カルラ・レスター。
どのルートを進んでも最後にヒロインの前に立ち塞がる、最凶の悪役令嬢。
彼女は自分の人生を狂わせたこの国を恨んでおり、この国を滅ぼすために魔族さえ国内に招き入れ、内戦一歩手前でヒロインに阻まれる事件は、王太子エルヴァン攻略中に発生する乙女ゲームの中でも最大のイベントで、ヒロインが“光属性の覚醒”に失敗していればその場でゲームオーバーとなる、難易度の高いものだった。
だけど、今にして思えば、カルラの行動は途中から“ヒロイン”に意識が向いていたように思える。
イベントを通じて、カルラとアーリシアの間に何か通じるものがあったのだろうか、カルラは本気でアーリシアの邪魔をして命を狙いながらも、ヒロインとの諍いを愉しんでいたような印象があった。
でも、今のカルラはゲームのカルラとは何かが違う。
ゲームの彼女は、精霊の【加護】を持ってはいなかった。
ゲームの彼女は、あそこまで自分の強さに拘っていなかった。
今のカルラの強さはゲームを遙かに超えている。そして一番の違和感は、カルラは今のアーリシアに欠片ほどの興味も示していないことだ。
それ故にあれほどゲームの中で存在感を放っていたカルラが、今は悪役令嬢の役目を放棄したように動きを見せなくなっていた。
そして最後……三つ目の不確定要素、王女の護衛であるアリア。
冒険者に拾われた浮浪児の少女。ゲームのヒロインと同じ桃色の髪で、その凛とした美しさは攻略対象者だけでなく、悪役令嬢である王女エレーナさえも変えてしまった、異様な雰囲気を持つ正体不明の少女だ。
だけど彼女は“ヒロイン”ではない。ヒロインであるはずがない。
その性は苛烈で冷酷。格上の魔物相手に一歩も退くことなく立ち向かい、敵ならば誰であろうと容赦なく殺していくその精神と『灰かぶり姫』の二つ名は、闇社会をよく知るダンドール家の密偵さえも怯えさせた。
けれど、最も恐るべきは彼女の“影響力”だろう。
彼女の孤高の生き様は、孤独に戦っていたエレーナと共感し、この国を守るために、王太子の日陰として生きようとした王女の生き方さえも変えてしまった。
悪役令嬢カルラが“ヒロイン”に興味を示さないのも、ヒロイン以上にアリアに興味を持ってしまったせいだ。今のカルラは悪役令嬢としての枠組みさえも超えて、純粋にアリアと戦うために生きていると言っても過言ではない。
攻略対象者であるダンドール家のロークウェルとメルローズ家のミハイルが、今のヒロインから距離を置こうとしているのも、アリアの影響が強いと思われる。
彼女は“ヒロイン”ではない。ヒロインであるはずがない。
でも、その人の生き方さえも変えてしまう“影響力”は“ヒロイン”を彷彿とさせ、クララはアリアを警戒した。
「クララ……」
「エルヴァン様……」
部屋の中に閉じこもり、寿命を磨り減らしながら未来を占うクララに、エルヴァンがそっと声を掛ける。
エルヴァンは筆頭婚約者となり弱さを見せるようになったクララを案じて、定期的に来訪して顔を見せてくれる。けれどそれは、未来の王妃として国の未来を占っていると思っているからこそ、“婚約者”として案じてくれているだけで、クララを愛しているわけではない。
「エルヴァン様……あのアーリシアという娘に近づかないでくださいっ。彼女はあまり良くない存在ですっ!」
「……確かに叔父上やその他にも懇意にしている者がいると聞くが、それは彼女なりに貴族社会に溶け込もうとしているからだろう。他の令嬢もしていることだ。それだけで悪く言うなんて、君らしくないよ……」
エルヴァンの言っていることは正論に聞こえるが、訴えるように縋り付くクララの瞳から思わず視線を外したのは、彼自身に後ろめたい気持ちがあるからだろう。
「エルヴァンさま……」
女の勘でそれを感じて、クララがエルヴァンの胸からわずかに身を引いた。
(許さない……っ)
自分に優しくしておきながら裏切ろうとするエルヴァンも、自分から彼を奪おうとするヒロインも、ゲームと違う生き方を見つけて離れようとするエレーナやカルラも、クララは全てを許せなかった。
今のヒロインは光属性に目覚めていない。ならば、自分が魔族を引き込んででも邪魔するものを排除しようとクララは決意する。
(だったら、私が本物の悪役令嬢になってやるっ)
***
「――1・2・3、…1・2・3――」
夜も更けた王女エレーナの屋敷にて、月明かりに照らされた二人の少女が、軽やかにダンスのステップを踏む。
音楽はない。観客もいない。聞こえるのは韻を踏むエレーナの声と床を鳴らすヒールの音だけで、相手役を務めるもう一人の少女からは、その息づかいも足音さえも聞こえることはなかった。
タンッ――
「随分上手になりましたわね、アリア」
足を止めて軽く息を継ぐエレーナが、頭半分ほど高い桃色髪の少女を上目遣いに見上げると、相手役を務めていたアリアは、息を乱すこともなく少しだけその口元をほころばせた。
「エレーナ様の教え方が上手だから」
「……今は“エレーナ”でいいわ。この屋敷でまで“王女”でいることもないでしょう? それよりも、アリアはわたくしの練習相手ばかりしているせいで、男性パートばかり上手になってしまいましたわね」
金の髪を揺らすように唇に指を添えてクスクスと笑うエレーナに、アリアは表情を崩すことなく軽く息を吐く。
「どうせ踊らないから同じことだ」
「あなたを誘いたいと思っている殿方もいると思いますけど……」
中止となった視察の替わり……というわけではないが、学園では夏期に予定されていた舞踏会が前倒しで行われることになっていた。
本格的なパーティーとは違うが、学園に入学した時点で社交界に出る資格を得られるため、学園ではその練習として生徒だけの舞踏会が定期的に行われている。
毎年のことなら学年に関係なく行われるのだが、まだ時期が早くダンスに不慣れな生徒が多いので、今回は一年生だけで行われることになっている。
そのためにエレーナが不慣れなアリアに教えていたのだが、身長の関係からどうしてもアリアが男役をすることが多く、アリア自身も女性パートよりも男性パートのほうが性にあっていたようで、そちらばかりが上達していた。
「本当にあなたが行きますの?」
「もう決めたことだ」
息を整えたエレーナが不意にそう尋ねると、アリアはその決意を示すようにそっと彼女から身を離す。
貴族派による王太子の暗殺未遂と王女の誘拐未遂事件。すでに主犯格である子爵家と男爵家はお取り潰しとなったが、所詮彼らは上級貴族から切られた尻尾に過ぎない。
だが、アリアとエレーナが捕らえて司法取引をした者たちから、貴族派である上級貴族家の関与が発覚した。
ケンドラス侯爵家。北西の国境沿いに位置してコンド鉱山の利権を握る、権力的にも財政的にも王国の重鎮である大貴族だ。他国と利権を争うコンド鉱山の採掘権を手中に収めながらも、王都から遠いケンドラス侯爵家は、しばらく王家と血を混ぜ合わせることがなく、王国に対する発言力が希薄だった。
それ故の貴族派であったが、王家としてはコンド鉱山の利権を持つ貴族家が、王族よりも他国を優先して、王族を害する事態を看過することができず、ケンドラス侯爵家の処罰を決定した。
だが、ケンドラス侯爵家の力を削ぐことは、微妙なバランスで成り立っているコンド鉱山の利権を他国に奪われる可能性も生じる。故に今のケンドラス侯爵を引退させ、その血筋である王家派の貴族に代替わりをさせることになったが、貴族派にそれを示すために他国と通じている証拠を押さえる必要があった。
そのための強制捜査を行うために、王家は宰相を務めるメルローズ家に白羽の矢を立て、メルローズ家は暗部の精鋭百名と冒険者“虹色の剣”に強制捜査の依頼をした。
そして暗部の騎士による事前調査の結果、その地で暗部の裏切り者であるグレイブの所在が明らかとなった。
彼がいるということは、暗部が大掛かりに動けばその動きを察知されて証拠を処分される恐れがある。彼の性格的にそこまで貴族派に肩入れするとは思えないが、不確定要素を潰すために、先行して再度“虹色の剣”による討伐が決行されることになったのだ。
「でも、それでは遅い。目立つドルトンやフェルドが動けば、グレイブは姿を消すはずだ。だけど私だけなら、アイツは必ず私と戦うことを選ぶ」
「それはっ、……分かりますけど」
「エレーナ」
それでもアリアの身を案じるエレーナに、アリアは王女と護衛ではなく“同志”として彼女の名を呼び、エレーナはアリアの翡翠色の瞳をまっすぐに見つめる。
「お前が選んだ“私”を信じろ」
「……わかりましたわ。でも、舞踏会までには戻ってらして。……約束よ」
***
エレーナと新たな“約束”をして、早朝に制服ではなく久々に冒険者の装備をした私は屋敷から静かに外に出る。
最初に戦った時、私はグレイブの足下にも及ばなかった。二度目に戦った時でも、結果的にグレイブは撤退したが私が実力で勝ったわけじゃない。
あの時より私も強くなったが、アレもあの時のままではないだろう。おそらく、これまでにない死闘になる。でも今度は確実にケリを付ける。アイツを倒すことが私にとっても一つのケジメとなるからだ。
屋敷から離れて私は走りながら森へ向かう。
この学園からケンドラス侯爵領まで、馬車を使っても片道で三週間程度は掛かると思う。街道を通らずに私が森の中を突っ切ればもっと早く到着できるとは思うが、それでもエレーナとの約束を思えば、あまり時間を掛けたくもない。
でも今の私には時間を短縮できる手段に当てがある。
「ネロ」
私が森の中で呟くと、突然森の魔素が濃くなり、暗闇から滲み出るように現れた幻獣クァールが、風のように動いて私に寄り添い、頬を軽く舐めてきた。
幻獣クァールのネロは、私の側に居ると決めたらしく、今は学園の森をその住処としていた。稀に学園で目撃情報が噂となることもあるが、学生程度では森に潜むネロを発見することすらできないだろう。
ネロがどうして私の側に居るのか、いまだに理解できない部分もあるけれど、ネロが側に居たいと思ってくれるのなら私はそれを拒もうとは思わない。
「ネロ、戦いだ」
『グルルゥ』
電気による思念波で私の意志と“敵”を読み取ったネロが笑うように唸る。
ネロに乗せてもらえば通常の移動でもかなり時間の短縮になる。移動速度の違いもあるけど、一番の違いは幻獣クァールに絡んでくるような魔物がいないことだ。
ネロの毛皮を撫でて、その背に乗せてもらおうとしたその時、ネロの鞭のような触角が警戒するように電気の火花を散らし、その瞬間、私も腿に括り付けたナイフを背後に向けて投擲した。
誰何はしない。背後に立った時点で“敵”でも“味方”でも自業自得だ。
『ガァッ!!』
ネロが触角を鞭のように振るい、それを掴んだ私を背後に飛ばす。
投げたナイフが魔術のようなものに阻まれて弾かれる。
その瞬間に飛んできた【火矢】を私も【魔盾】で撃ち落とし、踵を打ち鳴らして出した刃で闇に潜む“敵”を蹴りつけると、そいつはフワリと舞いながら私の蹴りを躱してみせた。
「……何のつもり?」
私がそう問うと、彼女は一瞬で殺気を消し、豊かな黒髪を靡かせながら、隈の浮かんだ病的で朗らかな笑みを私に向ける。
「来ちゃった♪」
……来ちゃいましたか。
彼女の存在が作戦にどんな影響を及ぼすのか?
次回、ケンドラス侯爵領へ。
今回なんか属性モリモリでした(笑)