125 桃色髪の少女の日常 その1
あけましておめでとうございます。皆さまにとって幸多き年でありますように。
今年もよろしくお願いいたします。
日常編です。
王立魔術学園、入学式後に新入生が行う王国施設の視察。
今回行われるはずだった騎士団の演習は、王家派と対立する貴族派の陰謀により、王女エレーナの誘拐と王太子エルヴァンの暗殺計画が同時に行われ、結果的にどちらも未遂に終わったことで表側の事件は決着した。
新入生の演習視察はもちろん中止となった。学生たちにはその理由は告げられていない。学園内の学生にも王家派と貴族派がいて、真実を知れば学生同士の争いの元になる恐れがあったことと、国内の不和を国外に知らせるべきではないと考えたからだ。
クレイデール王国は大陸南部で最大の国家でありながら、国内外の情勢により、徐々にその勢力を失いはじめていた。
現在は捕らえた貴族派の騎士爵と司法取引を行い、ダンドール総騎士団長の下で今回関わった騎士団の貴族派粛清が行われている。
それと同時に、王家によって今回関わった子爵家以下の貴族家のお取り潰しと、彼らをトカゲの尻尾として切り捨てた、貴族派上級貴族の調査が進められていた。
その一つ、その貴族家の城に、今回の貴族家の計画を防いだ冒険者――“虹色の剣”のアリアの“敵”がいる。
「また無茶をして……。わたくしがお願いしたことなので申し訳ないのですが、例の男の調査はわたくしに任せて、あなたはもう少し、ご自愛なさい」
学園内にある王女の屋敷で、その主であるエレーナは自分の護衛である少女に小言を言うと、テラスで同じテーブルに着いていたアリアは、こくりと小さく頷く。
(……本当に分かっているのかしら?)
そんなことを思いながらエレーナはアリアを軽く睨め付ける。
普段なら護衛兼侍女であるアリアが、エレーナと同席することはあまりない。だが、今回の戦闘ではよほど無理をしたらしく、【治癒】を使ってもまだ脚が完全に治ってはいなかった。
治癒師に見てもらったところ神経に魔力的な影響が出たらしく、薬品を使って無理に治療するよりも数日経てば元通りになるので、そのまま養生することになった。
今は準男爵家の令嬢となっているが、平民出身のアリアは自分の命を軽く扱う傾向がある。奪わなければ奪われる。そんな考えが染みついているのか、彼女は自分に厳しく敵には一切容赦をしない。
そんなアリアだからこそエレーナも救われ、共感する部分もあるのだが、毎回のように命を懸けた戦いをするアリアを見ていると、心が苦しくなる時がある。
私たちは友達になれない。
そんな言葉を以前、エレーナは使った。
貴族と平民。王女と冒険者。生まれ育った環境の差はあまりにも大きく、アリアと共に居るためには彼女を縛るしかないと気づいて、互いに袂を分かった。
アリアが貴族となっても、同じ場所に居るためには、結局彼女を縛るしかなかった。それでもアリアはエレーナとの“誓い”のために側にいてくれる。
エレーナが守りたかったのは自分の命ではない。貴族として……人としての誇りだ。今まで一度も口にしたことのないその“想い”を、この世でただ一人、アリアだけが分かってくれた。
アリアも他の誰かではない一人の人間として生きるため、誇りを抱いて生きている。だからこそエレーナはどんな状況からも一度だけ彼女を守ると誓い、アリアもエレーナの誇りを守るために、彼女の敵を誰であろうと一人だけ殺すと誓った。
その“誇り”に懸けて。たとえ自分の命が尽きようとも。
「…………」
そんな、他人には理解しにくい関係の二人だったが、一緒に居るとエレーナにも気付かなかった部分が見えてくるようになった。
命のやり取りでは苛烈と言うべき戦い方を見せるアリアだが、普段の彼女はどこか抜けている部分がある。
まだ二人とも十二歳……数ヶ月もすれば十三歳になる。魔力で身体が成長している二人は、平民からすれば成人したばかりの年齢に見えるだけでなく、アリアはその大人びた口調と立ち居振る舞いから、その容姿と共に、すれ違った男性の何人かが振り返るほどの魅力を感じさせた。
いや、男性だけではない。学園では、女性にしては背が高く凛とした雰囲気を持つアリアを、目で追っている女生徒が一定数存在していた。
学園ではエレーナの側にいる以外は孤立しているように見えるアリアだが、それは彼女が人を寄せ付けない雰囲気を纏っているからだけでなく、確実に見惚れている者たちがいたからだ。
(そんな人たちが、彼女の隠れた一面を見たら、なんて思うかしら……)
アリアは口数が多くない。それは口下手だとか語彙が少ないのではなく、無駄なことを省いているからだろう。
まるで幼児から少女時代を飛び越えて大人になったようなアリアだが、奇妙な部分で幼い顔を見せる時がある。
それに気付いている者は少ないが、先ほどのような返事をする時も、言葉が短すぎて『うん』で済まされる時があり、その時、幼子のように小さく頷くせいか、そんな時だけ実年齢よりも幼く見えて、そんな様子がひどく愛らしいのだ。
王女の護衛侍女をする準男爵令嬢として、養母であるセラに厳しく躾けられたアリアは、本人の資質もあり、身だしなみも所作もエレーナから見て平均的な貴族令嬢の水準に達している。
だが、彼女の桃色の髪は元から癖も無く、魔力のおかげか艶もあるその髪は、碌な手入れをしなくても綺麗に纏まり、くせ毛のエレーナからすれば羨ましい髪質の持ち主だが、そのせいかアリアは自分の髪に無頓着な面があり、鍛錬後など偶に後ろ髪が乱れている時があるのだ。
そんな時、もう一人の護衛侍女が嬉々とした表情で、まるで幼い妹の髪を弄るようにアリアの髪を梳かしてあげていた。彼女は他人に髪を触られることをなんとも思っていないらしく、そんな時は本当に母親に髪を弄られる幼い娘のような顔を見せた。
そんなアリアを見ていると、エレーナの指が何かを求めるように動く時がある。
愛らしい顔を見せるアリアの綺麗な髪を弄ってみたい。だが王女という立場で侍女の髪を梳かしたいと言えるほど、エレーナは異母兄のように自由に育てられてなく、二人の“友人ではない”間柄が、気安い行動に出ることを阻んだ。
(だけど今日なら…ッ)
アリアは脚を怪我してまともに歩けない。彼女はほとんどの傷を跡形もなく自分で治癒する実力があるため、こんな機会は滅多にないとエレーナは幼い頃より鍛え上げた情報精査能力で判断した。
エレーナは二つの魔術を準備する。魔素を視るという、魔術系の暗殺を容易く防いできたアリアの目は、並大抵の魔術構成では誤魔化せない。
課題は、魔術の発動を悟られないこと。周囲の大気の魔素に紛れるほど小さいこと。
エレーナは自分が死に掛けた時すら超える集中力で魔術を構成し、テラスを吹き抜けるそよ風に紛れ込ますようにして、アリアの髪をわずかに乱すことに成功する。
だがエレーナには、もう一つ乗り越えなければいけない障害があった。
「あら?」
エレーナに幼い頃より仕えてきた護衛侍女が、瞬時にアリアの髪の乱れに気づいてポケットから櫛を取り出した。二十代後半の彼女はアリアのような戦闘系ではないが、その目敏さは、さすがは暗部の切れ者と言わざるを得ない。
だがエレーナにも策はある。構成して同時に放っていた魔術が時間差で発動し、花瓶に生けてあった花を一輪散らした。
「まぁ……」
護衛侍女が櫛をサイドテーブルに置いて花瓶のほうへ動いた瞬間、エレーナも同時に音もなく立ち上がる。
「まあ、みんな忙しいのね。アリアも動けないみたいですから、仕方ないので、今日だけは私が梳かしてあげますわ」
「うん」
エレーナが櫛を手に取りながらそう言って、特に拘りのないアリアが素直に頷き、その向こうで護衛侍女が愕然とした顔で拾いかけていた花びらを手から落とした。
***
「なんで俺なんだ?」
「誰かに付き添ってもらえと言われた」
学園内まで迎えに来たその男は、淡々と話すその少女に少しだけ溜息をつきたい気分になった。
男の名前はフェルドと言う。その身長は190センチ近くもあり、大柄な筋肉質なので上質な普段着を着ていても学園内では異様に目立つ。
対して目の前の少女はこの学園の学生で、身長160センチと成人女性としては平均的だが、細身のため実際よりも小さく見えた。
二人が並べば、まるで大人と子どものように見えるだろう。それもそのはず、この少女――アリアは、成人したての大人のような容姿ながら、実際にはまだ十二歳の子どもなのだ。
「……まぁ、いいけど」
アリアはフェルドの仲間で、冒険者パーティー・虹色の剣の一人だ。
アリアとその師匠と自称するヴィーロは王家から依頼を受けており、王女殿下の学園内での護衛任務をしている。
その任務で脚を負傷して安静を言い渡されたアリアだが、防具の手入れと受け取りをする必要があり、誰かに付き添ってもらうようにと学園の治療師に言われて、フェルドに連絡をしたそうだ。
無表情で孤高を体現したようなこの少女に、まともな友人がいるとは思えない。頼めば承諾する者は多いだろうが、下心のない者はほとんど居ないだろう。
(……だから俺か)
フェルドも急な仕事があるわけではないが暇でもない。時間がある時は鍛錬をするのが日課だが、最近は戦闘訓練に特に比重を置いていた。
その原因が目の前にいるアリアだ。精霊に髪色を気に入られて、自己流の不安定な技を【戦技】としてもらった彼女は、その力を使えばランク5でも倒してしまうはずだ。
戦って自分が負けるとはまだ思っていないが、アリアが成長して力を増し、その力を制御すれば、いずれリーダーのドルトンさえ超えてしまい、この大陸でも最強の一角へと至るだろう。
その時に彼女に守られる自分を想像して、そうならないように鍛錬をするのは男としての意地だった。
「それじゃゲルフの店だな。行くぞ」
「うん」
最初の彼女の答えはフェルドの求めたものではなかったが、アリアだから仕方ないと考え、そう言ってフェルドが背を向けた瞬間、アリアがひょいっとその肩に自分の上半身を乗せる。
「……おい」
「脚を怪我している」
「……そうだったな」
気配も感じさせず肩に乗れるのなら動けるだろう、とか、そもそも馬車を使えば良いとか頭を過ぎるが、今更言っても仕方ないのでフェルドはアリアの好きにさせることにした。
アリアを肩に乗せるのは嫌ではないが複雑な気分になる。それはフェルドにも複雑な事情があるからだ。
フェルドは平民の出身ではない。王都より南東側に向かった最東端にある貴族家の出身である。
その家は以前は武門として知られていたが今はその影もなく、文官寄りな者ばかりの中で、フェルドだけが武術剣術において非凡な才能を発揮した。
すでに領地は兄が継ぐことに決まっていたが、昔を懐かしむ老人たちからフェルドを推す声が聞こえ、フェルドは成人前に自分の意思で父親と懇意にしていた冒険者ドルトンに預けられることになった。
成人前の段階ですでにランク4に達していたフェルドは、他者から見てあきらかに異様だった。
虹色の剣の仲間たちはフェルド以上の実力者ばかりだったが、それは長い時間をかけた鍛錬と実戦の結果だ。フェルドのように十代で兵士たちさえ蹴散らすような力を持つ者は居らず、フェルドはずっと奇異と嫉妬と羨望の視線の中で生きてきた。
そんな時に出会ったのがアリアだ。最初は男装をしていてまだ子供だったが、二度目に会った時は、そんな昔の忘れかけていた印象すら吹き飛ばすほどの衝撃をフェルドに与えた。
平民の14~15歳ほどの外見をした、ランク4の力を持つ、綺麗で危険な香りがする女の子。ようやく見つけた強い力を持った自分の同類。
だが、まさかその少女が、まだ十歳前後の子どもだと誰が思うだろうか?
仲間であるヴィーロから見たアリアは、見目の良い“幼い娘”だが、フェルドから見たアリアは、見目の良い“若い娘”だった。
魔力で急成長しない平民なら印象通りなのだが、実年齢を聞いても最初の印象が強すぎて、アリアを完全に子どもとして扱うことができなかった。
頼りになる仲間で、見た目は綺麗な女の子。だが戦い以外の日常では実年齢以上に幼さが残る部分があり、そのギャップに困惑する。
実際は子どもなのだからそう接しようとしたが、アリアは師であるヴィーロの前では気を抜かなくても、フェルドの前では無防備な少女の顔で、彼の懐に容易く踏み込んでくる。
その理由が『父親のようで安心するから』と聞いて、フェルドは安堵すると同時に、さらにフェルドの中に踏み込んでくるアリアに、これまで以上の複雑な気分を味わう羽目になってしまった。
***
「あぁら、いらっしゃいアリアちゃん、また綺麗になったわね。フェルドちゃんも、いつにも増して素敵な筋肉しているわぁ」
「お、おう」
私とフェルドが店に着いて早々、全身にフィットする艶あり革ドレスを纏ったドワーフのゲルフが現れ、フェルドが気圧されるように挨拶を返す。
「例のタイツがかなり血を吸ったので手入れをしたい。それと国から報奨金が出たので予備も注文する。それと頼んでおいたブーツはできている?」
「……あなたは本当に、我が道を行く子ね」
何故か子どもに無視された道化師のような顔をしたゲルフは、私から透けるような薄手の白いタイツを受け取ると、職人の顔になって吟味を始めた。
「あなた、また無茶をしたのね? ミスリルの銀糸でも血を吸いすぎると再生した時に黒ずみが残るから注意してね、強度が落ちるから。学園指定のブーツは、ちゃんと魔鋼の鉄板を仕込んで、踵と爪先に仕込み刃を付けたわ。でも、前使っていたブーツよりも強度は落ちるから、使う敵は選びなさい。それとタイツの予備は……」
ゲルフがそこで言葉を切って少しだけ考えると、ポンと手を打った。
「ああ、予備はあるわよ。試作品のミスリルの銀糸に魔鋼の黒糸を混ぜ込んだものになるけど、魔法耐性は少し落ちるけど物理防御力は少し上がっているわ。それと合わせて胴のインナーもあるけど、サイズが合うか奥で試着してみて。それと……色が黒だから下着もそれに合わせてみて。黒なら絹の未使用品があるから」
「わかった」
店の商品を物色しているフェルドを置いて私とゲルフは店の奥に入る。
そこで装備のサイズを調整するために服を脱いでいくと、装備を持ってきたゲルフが唖然としたように頭を抱えた。
「アリアちゃん……そろそろ恥じらっても良いのよ?」
「?」
大人になったら服を着るという常識の話だろうか。もちろん知っているけど、私はあまり気にしたことがない。
「あら、それまだ持っているのね。フェルドちゃんに貰った物でしょ?」
私が隠していた、フェルドに最初に貰ったナイフを見つけて、ゲルフがニンマリと笑う。
「あの子もいい加減鈍いわねぇ。まだそのナイフをあげた子どもが、あなただって気づいてないんでしょ?」
「別にいい。感謝するのは私の勝手だし、彼とは対等の関係でいたいから」
「ふぅ~ん?」
ゲルフが分かったような分からないような顔をして、私はゲルフの用意した装備を身に付ける。
黒いタイツにそれを固定する黒いベルト。ビスチェという名称を教えてもらった黒い胴装備を試着して、黒い絹下着を身につけてから、着用具合を確認していたゲルフに感想を告げる。
「腰回りが少し緩い。もう少しキツいほうが動きやすいかも」
「……それミラちゃんの前では言っちゃダメよ? あの子に試着させた時は、結構キツかったんだから」
「ん? わかった」
「本当に分かっている!?」
口を噤むだけなら問題はない。何故か疲れたような顔をしたゲルフは突然ニンマリと笑って店のほうを指さした。
「その装備、フェルドにも見せてきたらぁ? きっと喜んでくれるわよ」
「うん、わかった」
「……え、ちょ、まっ、」
私が素直にそのまま店のほうへ歩き出すと、何故か突然ゲルフの言語が通じる言葉でなくなった。ドワーフの言語かな?
「フェルド」
着替えたそのままの格好で店に入ると、声をかけられて振り返ったフェルドが、持っていた商品の手甲をポトリと床に落とした。
「ふ、服を着ろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
フェルドもまだ大変ですな。
次回、日常編、学園の授業風景。