118 貴族派の陰謀 ④
「き、君は、人の命をなんだと思っているんだっ!」
「そんなことは生き残ってから考えろ」
「そんなことって……」
バッサリ切り捨てるような私の返しに、ナサニタルはまさか反論されると思っていなかったらしく、愕然として続けようとした言葉に詰まる。
ほとんどの“敵”は死んでいる。生き残ったわずかな騎士もランク4のルドガーが死んだことで武器を下げて、戦闘を続ける意志は感じられない。
それでも、その瞳は死んでいなかった。そこが信念を持った人間の厄介なところだ。彼らは自分たちの理念を残す可能性に賭けて剣を下げているだけで、心が折れて降伏しているわけではないのだ。
「…………」
私がエレーナに一瞬だけ視線を向けると、その顔に逡巡する表情が微かに浮かぶ。
本来の彼女なら無闇に命を奪わず、生かして証人とする道も考慮したはずだ。でも、王太子が暗殺者に狙われていると分かった今、即座に動くためには彼らの存在が邪魔になる。
でも、そのために“私”がいる。私がナイフとダガーを構えて騎士たちのほうへ近づいていくと、騎士たちだけでなくエレーナやナサニタルの顔色が変わる中、私は遠くから近づいてくる微かな物音に顔をそちらの方角へ向けた。
「殿下はご無事かっ!」
数分後、騎馬で駆けつけてきたのは、エレーナの屋敷を警護する近衛騎士たちの分隊だった。その分隊長は以前ダンジョン攻略の際に最初に関わったあの騎士で、その騎士マッシュの顔を見つけて手を振ると、私とエレーナが無事でいることに気づいた近衛騎士たちがわずかに安堵の表情で近づいてくる。
よくこの場所が分かったな……と思っていると、その最後尾に馬に乗ったヴィーロの姿が見えた。伝言を受け取った執事さんが、思惑どおりに騎士だけでなくヴィーロにも伝えてくれたのだろう。それでも、来る途中に木々に付けたナイフの痕をこれほど早く追ってこれたのは、ヴィーロの経験故だと感じた。
すでに空気を読んだネロは彼らが来る前に姿を消していた。近衛騎士たちが武器を下げた第二騎士団を警戒して馬を下り、マッシュがエレーナの所まで駆け寄ってくる。
「殿下、よくご無事で……」
「アリアが来てくれました。その騎士たちの捕縛をお願いします。それと、女生徒二人が何処かに連れていかれましたが……」
「そちらは途中で確保して、騎士を一名護衛に残してあります。彼女たちもアリア嬢に救われたと申しておりました。ですが……裏切り者は第二騎士団ですか」
マッシュの言葉と侮蔑の視線に、第二騎士団の生き残りの顔色が変わる。
彼らなりの信念を裏切り者呼ばわりされたこともそうだが、おそらく彼らは、私たちが王太子の救援に向かう足枷となる意味もあって、最悪処刑される覚悟もして武器を下げたのだ。そこに近衛騎士が現れたのなら、その覚悟も無駄になりかねないと気づいたのだろう。
「第二騎士団の全員が貴族派ではありません。そちらの件は総団長であるダンドール伯にお任せしましょう。それよりも王太子殿下のほうにも危機が迫っています。至急、知らせと救援を送りたいのですが……」
マッシュに説明をしていたエレーナが私に視線を向ける。
「アリアとヴィーロ。虹色の剣のお二人に、王太子殿下の支援を依頼します。救援しろとは申しません。城から出す騎士団が到着するまで、最悪でも王太子殿下の身柄と無事だけは確保願います」
「他の坊ちゃんたちや生徒もいますが、どうします?」
馬から下りてきたヴィーロがエレーナに答えにくい問いを投げかける。だが、それは重要な部分だ。その答えによって依頼の難易度だけでなく、エレーナ自身の資質も試されることになり、私もジッと彼女を見つめながらその答えを待つ。
「わたくしは最悪でも王太子殿下の無事だけを確保できれば、その他は必要な犠牲として処理いたします。お二人には、そのようにお願いします」
「……了解だ」
エレーナの言葉にヴィーロが移動の準備を始めて彼女から離れると、それを聞いていたナサニタルが目を丸くして彼女に詰め寄った。
「王女殿下っ! それはいくらなんでも非道いですっ!」
「……わたくしは王族としての覚悟を申しました。わたくしの命も含めて、国に仕えるということはそういうことだと、王太子殿下の側近も理解しているはずです」
形の良い眉をわずかに歪ませ、溜息を吐きながらエレーナが説明しても、ナサニタルは理解できずにさらに詰め寄ろうとする。
「ですがっ!」
「それ以上、エレーナ様に近づくな」
エレーナに伸ばそうとしていた腕を掴み、私はナサニタルを止める。
法衣男爵であろうと、中級貴族の彼がこれ以上許しもなく王女に直訴しようというのなら、安全面を考慮して彼を“処分”しなければいけなくなる。そんな理由もあって少しだけ威圧をして動きを止めると、ナサニタルは歯を食いしばるようにして私を睨む。
「僕は君を認めないっ、この世界の命は神様が――」
「うおおおおおおおおおっ!!」
全員の意識がナサニタルに向いた瞬間、捕縛しようとした近衛騎士を弾き飛ばすようにして、第二騎士団の一人が雄叫びをあげて飛び出した。
「そいつを止めろっ!!」
彼らはエレーナを傷つけてでも王太子への救援を遅らせたいのだろう。その騎士の手に隠し持っていた小さなナイフが光り、その足は真っ直ぐエレーナに向いていた。
だが、その途中には、驚愕して硬直してしまったナサニタルがいる。
「どけっ!」
「ひぃいいっ!?」
血走った目と殺気を向けられたナサニタルが悲鳴をあげる。退かなければ殺される。騎士のナイフが突き出されたその一瞬にナサニタルの襟首を掴んで引いた私は、彼と位置を入れ替えるようにして半身になってナイフを避けながら、その騎士の顎下から延髄まで黒いダガーを貫通するまで突き立てた。
「ひっ……」
ナイフの切っ先がナサニタルの目の前数センチで止まり、ダガーを引き抜いて崩れ落ちる騎士から噴き出した血が彼の顔に降りかかる。
「勝手にしろ。だが、彼らもその行動に命を懸けている。生きることは戦いだ。その命を“神様”などという“他人”の言葉で語るな」
「…………」
蒼白になった顔で、ナサニタルは腰を抜かしたように崩れ落ちた。私は何故か大人しくなった騎士たちを一瞥してからエレーナの近くへ戻り、彼女の援護に戻りかけていたヴィーロに声をかける。
「ヴィーロ、私たちのやるべきことは王女殿下の警護だ。ヴィーロは彼女を護って。王太子殿下の救援には、私が向かう」
「おいおい、一人で行くつもりか?」
私の言葉にヴィーロが呆れたような顔をした。確かに王太子の救援に向かうのなら、場数を踏んだヴィーロがいればかなり有利に進められるだろう。
だけど、今言ったように、エレーナはまだ完全に安全とは言えない状況だ。王太子を救えても彼女が害されるのなら意味はない。
「私一人なら、山道を使って馬を使うよりも時間の短縮ができる。私のほうがヴィーロよりも速いから」
「このお師匠様に言うじゃねぇか、生意気弟子が。よし分かった。お前はこれを持っていけ」
歯を剥き出すようにして笑ったヴィーロが、準備のために持ってきたポーションを私へ投げ渡す。
「魔力回復ポーション? 私もあるけど?」
「お前のは自分で作った中級品だろ? こいつは銀貨八枚もする上級品だ。お前のあの技は、ポーション使用中は使えないらしいが、移動中ならなんとか使えるだろ?」
持続回復する魔力回復ポーションを使うと、【鉄の薔薇】の制御が難しくなるので、戦闘中は使えない。
ヴィーロは新しい【戦技】という【鉄の薔薇】を会得できるか試していたみたいだけど、魔素が見えない彼では会得することはできなかった。それでも彼なりにその特性を研究していたのだろう。
斥候の師匠であるヴィーロからの心遣いをありがたく受け取ると、そこにエレーナが近づいて、私の頬に付いていた返り血をハンカチで拭ってくれた。
「あなた一人を危険な目に遭わせてごめんなさい。でも、わたくしは、アリアを一番信頼しています」
「任せて」
エレーナの言葉に頷くと、私は移動するのに、矢を払って穴だらけになったスカートを右脚の辺りで縦に深く切り裂いた。
動きやすくなった透けるほど薄いタイツに包まれた脚を動かしていると、何故か騎士たちが揃って視線を逸らす。
「予備の制服を数着お願い」
「わかったわ」
そんな私の要望に、エレーナが困った妹でも見るような笑みを漏らした。
「では出発する」
私の言葉にエレーナが無言で頷き、ヴィーロが親指を立てて見送ってくれた。
魔力回復ポーションを一気に飲み干して、まずは減った魔力が回復するまで通常の身体強化で森の中を駆け抜ける。
王太子がいるのは第二騎士団が演習を行う海沿いの草原だ。だけど、暗殺者が何者か知らないが、騎士が大勢いる場所で襲撃したりはしないだろう。
襲うならそこに向かう途中の街道の何処かだ。馬車の移動距離と道中の経路からある程度の場所は計算で割り出せるが、それは暗殺者も同じだ。だから私は、私が一番襲いやすいと思う地点へ直接向かうことにした。
でも、その場所まで直線距離で100kmほど。王太子がそこを通るまで間に合うか微妙だと感じた。
道なき森の中を木から木へ、岩から岩へ飛ぶように移動していると、いつの間にか私の横を併走する黒い獣に気がついた。
「ネロ……」
『ガァ』
ネロが鞭のように細い触角を触手のように自在に使って、自分の背を指し示す。
「乗せてくれるの?」
――是――
伸ばされた触角を掴んでその背に飛び乗ると、私が単独で移動するよりも速く森を駆け抜ける。それでも【鉄の薔薇】を使うよりも遅いと感じた私は、手綱代わりに掴んでいたネロの触角に魔力を流す。
『ガアッ!』
「我慢して」
理論上はできるはず。魔力を流されて不満を漏らすネロの首筋を軽く撫でて落ち着かせ、ペンデュラムに魔力を流す感覚でネロに魔力を送り込みながら、ネロの身体強化に魔力の流れを合わせた瞬間、私は小さく呟いた。
「――【鉄の薔薇】――」
『ガァアアアアアアアアッ!!』
流れ込んでくる暴走する魔力にネロが咆吼をあげ、灰鉄色に髪を染めた私が触角を引いて木にぶつかりそうになる体勢を立て直す。そうしているうちに徐々に魔力に慣れてきたネロは、倍加した身体能力が気に入ったのか、さらに森の中で速度を上げた。
「さあ、行こう」
『ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』
王太子エルヴァンの救援に向かうアリアとネロ。
その頃、王太子側では、もう一人の“ヒロイン”が動き出していた。
次回、無垢のヒロインの暴走。