115 貴族派の陰謀 ①
「ああ、まだ生徒側には伝えられていないが、そういう予定になっているらしいな。あの王太子さんは、いまだに暗部には懐疑的らしくてセラたちは護衛に就けねぇ。まぁ、その代わりに騎士団が護衛をするから大きな問題はないと思うが、お前は最低限、王族の安全だけを気にすればいいんじゃないか?」
錬金焼却炉の裏手で、用務員に扮したヴィーロから『騎士団演習の視察』に関する詳細と追加情報を貰う。さすがはヴィーロ。当たり前のように知っていた。
エルヴァンは、あのダンドールでのエレーナの静養で彼女が攫われ掛けたのを、未だに気にしているらしい。あれも、グレイブが意図的に警備を緩めたせいで起きたのだと王家側も理解してくれたが、エルヴァンは、そんな危険人物をエレーナの護衛に就けていたことも糾弾したそうだ。
実際にその通りだが、現在はその被害者であるエレーナが、変わらずに暗部に護衛を任せていることで王太子側も引いている。それでもエルヴァンは、未だに自分の周りに暗部を配置することを拒んでいた。
少し考えれば、多少問題があったとしても、暗部以上に信頼できる組織がないのだから、現状は頼るしかないと理解できるはずだが、王族という立場にいながら彼はそれを理解していなかった。
人なのだから感情に流されるのも仕方ないとは思うが、エルヴァンやアモルを見ていると、同じ王族でありながら七歳の時のエレーナのほうが、まだ理知的だったと思えてしまう。
「王族の安全? 婚約者であるカルラを含めて?」
ダンジョンでは王太子の婚約者ということで、彼女たちは王族に近い扱いと責任を与えられていた。でも、クララならともかくあのカルラに護衛が必要なのだろうか?
私の言いたいことに気づいて、一度殺されかけたヴィーロは少しだけ眉間に皺を寄せた。
「あの怖ぇ嬢ちゃんのことじゃねぇ。子どもの見学だと言っても、上級貴族の子弟がいるんじゃ、中級貴族の末席にいるような教師じゃ、抑えられないことが起きるかもしれねぇだろ? だからその監督役として王太子が出ることになっている。アモル殿下が行くという話もあったそうだが、あの人も面倒な立場なんで、今回は王太子に任せることになったそうだ」
「あの人が? 王弟がどうして関係のない学園に?」
「ああ……まだ未確定情報だったな。なんでもあの殿下さんは、この学園の教師になる予定になってるんだとよ。ひょっとしてお前のせいか?」
「…………」
エレーナに歪んだ庇護欲を抱いていた王弟が、この学園の教師になる?
確かに私を警戒していたアモルは、私が【鉄の薔薇】を見せたことでさらに警戒を強めていたみたいだけど……さらに面倒なことになりそうだ。
「まぁ、お前を護衛に選んだのは王女殿下の希望だ。発言を無視はできないが、王族の立場的には王女殿下の方が上だから問題はねぇよ。こう言っちゃなんだが、今の王弟殿下は、早世した前の王弟殿下と違って、王の臣下となる教育しか受けてこなかった方だから、英才教育を受けた王女殿下と比べたりすんなよ」
「……考慮する」
そんな説明をしてくれるヴィーロの言葉に、私も無意識に、そういう風に見ていたのかもしれないと気づいて深く頷いた。
これも“斥候職”の授業の一つなのだろう。頷く私を見てヴィーロは満足げに頷くと、腰のポーチから取り出した金属製の小さな水筒を開けて、舐めるように口を湿らせてから美味そうに煙管を吹かす。
「……ヴィーロ。さすがに仕事中に酒はダメじゃない?」
「ばっ、ばか、お前、こんなの、“うらぶれた用務員”の演技に使う小道具に決まってるだろ?」
「……あ、そう」
「本当だぞっ?」
普段のヴィーロとどこが違うのか分からない。
*
聞いただけの話なら、この視察やら見学やらは毎年行っているので、特に珍しい行事でもないみたい。
その情報が生徒まで伝わっていないのは、上級貴族の子弟が動くことからその内容をギリギリまで伏せているからだと教えられた。
「その話ならわたくしも、入学式の後にお兄様から聞かされました。正式な日程も場所も決まってないけど、わたくしの護衛は、その演習を行う第二騎士団の部隊がするそうよ。でも……叔父様が教師になる話は知らなかったわ」
その夜、学園内のエレーナの屋敷で、テラスでお茶を飲みながら情報の摺り合わせを行なっていると、アモルの件を聞いたエレーナが頭痛がしたように眉間を指で押さえた。
「まだ教師でないのなら、下手な横やりを入れてくることはないと思いますけど、アリアも気をつけて。“個人的な感情”という馬鹿げた判断基準で、わたくしからあなたを排除しようとするかもしれません」
「王命を覆せるの? あの人が?」
「その場合は、人質などの弱みを握ったり、力尽くで……」
エレーナはそこまで口に出してから、あらためて侍女服姿の私を見て苦笑するように息を吐く。
「あなたには、どちらも無駄なことね」
「それでも、アリアさんの見た目は、このように可憐なので勘違いなさる方もおられるやもしれませんな」
その横から執事のお爺さんが、そう言いながら軽めの茶菓子をテーブルに乗せ、もう一人の侍女がお茶を煎れ直す。
「エレーナ様、おそらくその件だと思いますが、先ほど届いた追加情報がございます」
「何かしら、爺や」
「今回の視察は、王都から離れた場所での演習ということで、ほとんどのご令嬢が辞退なされると思われます。その場合、姫殿下はお一人、または学園側が推奨する男子学生と一緒の組になりますが、そこに一人の少年がねじ込まれました」
「……どなた?」
暗部の一人でありエレーナが産まれた時から仕えている執事さんの言葉に、エレーナが凄みさえ感じる優雅な笑みを浮かべた。
「王都聖教会、法衣男爵位を持つ神殿長様のお孫さんで、ナサニタル様です。推薦人は王弟殿下にございます」
「まあ……」
男爵位を持つ聖教会の神殿長。それはどの程度の地位となるか私の“知識”にはないけれど、エレーナの表情を見るに、普通に考える男爵位よりも一つか二つは上に見たほうがいいだろう。
「その方とは、幼い頃、聖教会の神殿に出向いた時、遊んでいただいた記憶がありますわ。最初はどこぞかのご令嬢かと思うほど可愛らしい方で、頭に花飾りを付けてさしあげたら、泣かれてしまいましたわ。それにしても……叔父様が敬虔な信徒であることは知っていますが、何を考えているのでしょう?」
エレーナの呟きは疑問形になっているけど、そのうんざりとした表情からある程度の察しはついているのだろう。
私が思うに、俗世の諍いからエレーナを隔離するために彼女を神殿に入れるのか、そのために、もし想像通り実質伯爵位ほどの地位で見られるのなら、降嫁さえ視野に入れている可能性もある。
しかも、短期の女王となることを覚悟しているエレーナと王陛下の思惑を無視した、アモルの独断でだ。
「とりあえず警戒はいたしましょう。本当に感情で動く方々の考えは、行動が読めなくて困りますわ」
エレーナのその言葉に、私と執事さんともう一人居る暗部の侍女が無言で頷く。
エレーナが心を許せる味方は本当に少ない。生まれた時から世話をしているこの二人と、あとはダンジョンでも従者として連れていたセラくらいだろう。
私のような怪しい人間を側に置くのも、そのせいかもしれない。両親や兄さえも心から頼りにできないエレーナのために、私は彼女の心だけは護ろうとそう思った。
*
この学園でのクラス分けは、あくまで集団行動をするための人数の区切りと、担任という担当者を割り振って管理するだけのものだ。
一学年時は基礎教育となっているので、その人数ごとに教室に分けられて授業を受けることになるが、二学年以降は希望学科のみを受けることになるので、担任がいるという以外にあまり意味はなくなる。
エレーナの護衛である私はもちろん、学園の配慮で同じクラスになっていた。
カルラは別のクラスで、あの入学式で見た奇妙な少女も別のクラスだった。神殿長の孫という少年もまた別のクラスらしいので、学園側は問題がありそうな生徒をできるだけばらけさせたかったのかもしれない。
クラス内では、エレーナは中級貴族の女生徒たちに囲まれて穏やかそうな笑顔を浮かべているが、彼女は“外向けの仮面”を外そうとはしなかった。
それ以上踏み込むことはご令嬢たちでも躊躇するようで、私とエレーナが二人で話をしていると、邪魔にならない程度の距離を空けてジッと見つめられている時があった。
そうして私たちも(特に)カルラも問題もなく一ヶ月ほどが過ぎて、仄かに春の気配が感じられるようになった頃、中級貴族以上を対象に騎士団の演習を視察することが告知された。
演習は王都がある中央王家直轄地とワンカール侯爵領の間にある、どこの領地でもない草原地帯で行われる。遮る物がない海風のせいで、人が住むには不向きな場所だが、その分演習するにはどこからも文句が出ない。
やはりと言うべきか、馬車でも三日も掛かるような宿屋もない場所に行きたがる女生徒は皆無で、全体でも数人しかいなかった。
ならば少ない女生徒だけでも纏まって…と学園から言われたが、カルラが参加するというだけでその話はなくなったそうだ。
*
その当日、エレーナと私とその他に二人の女生徒、そして神殿長の孫というナサニタルという少年で同じ馬車に乗るために集まると、そのナサニタルは、私よりも背が低いエレーナよりもさらに少し小さい、本当に女性のような顔立ちをした少年で、私たちの背が高いと知って少しだけ不機嫌そうにしていた。
「あなたがアリア嬢で間違いありませんか? 道中の件で少々お話をしたいのですが、よろしいですか?」
「……わかりました」
集合場所で出発の準備をしていると、一人の騎士に声を掛けられた。何故私に? 私が護衛であることは公になっていないはずだが、どこから聞いたのだろうか?
第二騎士団の王女の護衛担当である第一中隊の分隊長を名乗る青年は、私と部下と思われる数名の騎士をつれて、学園内にある騎士の詰め所のような建物に辿り着く。
「出発間際なので、あまり時間はないのですが?」
「それほど手間は取らせません。王女殿下が乗る馬車の準備も、第二騎士団の者が手伝っておりますので、大丈夫だと思いますよ」
詰め所にある応接間のような場所で、青年と私は向かい合う。
「お茶を煎れさせましょう。カルファーン帝国産の良い茶葉が手に入ったので、現地で飲まれているように砂糖と一緒に煮だしてみましょう。クセはありますが、慣れると美味しいですよ」
「道中の話をするのでは?」
私が感情も見せずにそう言うと、そんな態度に彼は少しだけ苦笑した。
「茶を愉しむくらいの余裕は、王女殿下もお許しくださるでしょう? それと名乗らずに失礼した。私の名はジョーイと申します。私としても、高名な“虹色の剣”に、最年少で加入した冒険者の話を、是非とも聞いてみたいと思いましてね」
「……それをどこで?」
口調も変えず威圧もせず、静かに尋ねる私に何を見たのか、ジョーイと名乗った青年が一瞬言葉に詰まる。
「……王弟殿下ですよ。あなたがランク4にもなる、凄腕の斥候だと教えていただきました」
「そうですか」
あの男か……情報の漏洩とは、下手に地位と暇があるだけに厄介だな。
その後にジョーイの部下がクセのある香りがする茶を持ってきて、勧められたカップの縁を舐めてから、そっとテーブルの上に戻して私は目を細める。
「お話はまだでしょうか?」
「まだお茶も飲んだばかりでしょう? それとも軽くお腹に入れるものでも用意させましょうか?」
「そうやって、私の足止めをするように言われたの?」
「なにを……」
私のその言葉に、冗談を言われたような笑顔を見せながら、ジョーイの中にわずかな殺気が生まれ、部屋の外から微かなざわめきが聞こえた。私はそれを意に介さず指先でカップを軽く弾く。
「この程度の“睡眠薬”なんて効かないよ」
その言葉に、バンッ、と扉を開けてジョーイの部下たちが室内になだれこんでくる。
ジョーイも剣を抜いて部下たちの前に立つと、立ち上がった私へその切っ先を向けてニタリと笑った。
「毒耐性持ちか……。王女殿下の関係者はできるだけ殺すなと言われている。いくらランク4でも、この狭い空間で騎士相手では、斥候ではどうしようもないだろう? 大人しくしてもらおうか」
同じランクでも戦士系や魔術師と比べて、斥候職は戦闘面で下だと思われている。実際に戦士と斥候が真正面から戦えば、高確率で戦士が勝つはずだ。
「狙いは王女か?」
「我々は貴族派の騎士だ。王女殿下には新たな盟主として立ち上がっていただくため、“説得の場”が設けられている。君もよく気づいたと言いたいところだが、もう我らの仲間が護衛として出発している頃――」
「邪魔だ」
その言葉途中で一歩踏み出した私は、そのまま【影収納】から出した暗器でジョーイの咽を貫き、彼は未だ状況を把握できずにお喋りの続きを血で吐きながら、右の脹ら脛から抜き放った黒いナイフを流れるように心臓に突き立てた私を、理解できないまま床に崩れ落ちた。
貴族派はまだエレーナを諦めていなかったようです。
次回、貴族派の騎士を裏から操る貴族の存在に、アリアの刃が唸る。
いよいよ戦闘です。
アリアに加勢する存在も……