114 少女たち
「そういうお前は何者だ。以前も王太子殿下と一緒にいたな?」
仰向けに倒れたその少年の胸を膝で押さえ、眉間に暗器の刃を突きつけながら軽く威圧すると、少年はわずかに目を細めて覚悟を決めたように落ち着きを見せた。
「やはり、君は王都で会った冒険者の子だね……。その君が何故王女殿下の側仕えなどしている? 殿下の護衛か?」
「質問をしているのは私だ」
王太子の側にいる人間が、王家側の貴族とは限らない。味方だとしても突然“襲撃”とも取られかねない行動をした理由はなんなのか?
それを人伝いではなく自分で判断するためにさらに視線に殺気を込めると、彼は歯を食いしばるようにそれに耐えて、強い視線で私と目を合わせた。
「私は、クレイデール王国暗部を統括する、メルローズ辺境伯家のミハイル・メルローズだ。それを知って、それでも君は私に刃を向けるか?」
「……いいだろう」
メルローズ家……。精霊が私の血族だと言っていたその名がここで出てくるか。しかも暗部を統括する辺境伯家ということは、ダンドールと同等の大貴族ということだ。
ミハイルは私のことをただの冒険者としてしか知らなかったが、メルローズ家にはセラを通じて私の情報が流れていた可能性もあった。
欲しい答えとは違ったけど、今は“まだ”敵に回すのは危険だな。少し調べてみる必要もあるが、暗部側の人間だというのなら現状は味方ということになる。
音もなく彼から離れて乱れたスカートの裾を直しながら立ち上がり、倒れているミハイルに手を差し伸べると、そんな私の様子をジッと見つめていた彼は、一瞬伸ばし掛けた手を戻して赤い顔で横を向く。
「一人で立てる。……くっ」
立ち上がろうとしたミハイルの顔が苦悶に歪む。何処かの骨に罅でも入っているのかもしれない。私は頭の中で魔法を構成するとミハイルに向けて手を向けた。
「――【高回復】――」
放たれた光が彼の身体を癒し、驚いた顔で私を見たミハイルは立ち上がって身体に異常がないことを確認してから、溜まったものを吐き出すように息を吐いた。
「一応……感謝する。その力……やはり君は殿下の護衛なのか? 冒険者から暗部に入ったのか?」
「依頼は暗部経由だが、雇用主はエレーナ様個人だ。私はあなたの部下である“暗部”の人間じゃない。それ以上の情報が知りたいのなら彼女に直接聞いて」
私の口から“依頼”という言葉を聞いたミハイルの目が少しだけ見開いた。
「王女殿下が“虹色の剣”に依頼を出したと聞いたが……、まさか君のことか?」
「質問は無しだ。あなたが“メルローズ”なら情報は手に入るでしょ? それから押し倒したことの謝罪はするが、これからはいきなり他人の身体に触れようとしないことをお薦めする」
「それは…っ、すまなかった」
貴族の世界ではどうなのか知らないけど、裏社会でいきなりそんなことをすれば、敵対するのと同義だ。
ミハイルには理由があったのかもしれないけど、彼は赤い顔で素直に頭を下げた。私の言葉のどこに赤面する部分があったのか分からないが、私の行動も多少いきすぎた部分もあったので、この話題はもう流したほうがいいのだろう。
「では、またね。いずれ“仕事”面で関わることもあるでしょう」
「待ってくれっ」
背を向けて立ち去ろうとする私を呼び止めるミハイルの声に少しだけ振り返ると、何故か緊張したような面持ちの彼が、意を決したように口を開いた。
「名前……教えてくれないか?」
「……アリア」
「そう…か。アリアか」
そう呟いて少しだけ微笑んだ彼の顔に、少しだけ“お母さん”の面影が垣間見えた気がした。性別も年齢も違うのにどうしてそう見えたのだろう……。
これが“血”なのだろうか? 彼も同じなのか、その瞳は私を映していながらその向こう側を見ているような、そんな感じがした。
「アリア……少しだけ情報を渡す。この学園では入学してすぐに、男爵家以上の貴族の子弟は郊外まで騎士団の演習を見学することになる。女性は希望者のみになるが王女殿下はおそらく参加なされるだろう。暗部でも護衛はつけたいところだが今回は騎士団が護衛に就くので、暗部は裏方だ。……気をつけろ」
「……わかった」
騎士団、暗部、この国を表と裏から護る、国家と王家の剣であり盾である存在。だけどもし、王太子とエレーナが反目することになった場合、彼らは“どちら”につくのだろうか。
***
「……ハァ…ハァ…」
レースのカーテンを閉め切った部屋の中で、一人の少女が組んでいた手を離して荒い息を吐く。
窓を覆っているのは、科学の代わりに魔術と錬金術が発達したこの世界でも珍しい玻璃製だ。微かに歪んだ玻璃硝子の小さな板でも金貨一枚にもなるので、壁の半分ほどの窓がつく部屋になると、かなりの大貴族の屋敷になるだろう。
広い室内から侍女さえも閉め出し、息を整えていた少女は羽根ペンにインクを染みこませると、散らかった紙の1枚に殴り書きのように文字を書き連ねていった。
コンコン……
「――クララお嬢様。王太子殿下がお見舞いにいらっしゃっておられますが、いかがなされますか?」
「……お通ししてください」
部屋の外から窺うような侍女の声に、クララは一瞬間を置いてそう答える。
その数分後、婚約者の“見舞い”ということで一人だけ通されたエルヴァンは、白い石のテーブルが黒く汚れるほど書き物を続けるクララを見て、慌てて側に寄る。
「クララっ、ダメじゃないか、大人しくしてないと」
「エルヴァン様、やはり演習の見学はお止めになってくださいませんか? 何度演算しても“危険”だと出るんです」
「クララ……また【加護】を使ったんだね」
クララが精霊から得た加護は、『予見』と呼ばれている。
その能力はこれから起きる未来の出来事を高確率で予見するが、これは一般的に想像する『予知』とは少し異なる。
クララの能力の本質は、クララが知る現在の状況情報を演算精査して確率の高い情報を選び出し、その情報をさらに演算して導き出した可能性の高い『予測』でしかない。
この能力の有効な部分は、クララ自身に情報の正否が分からなくても、状況から確率の高い情報を選び出すところだろう。クララはそれを、前世の知識や本来知り得るはずのない『乙女ゲームイベント』の情報と組み合わせて、かなり精度の高い予見を行なっている。
けれど、『明日の天気』や『夕飯のメニュー』程度なら問題はないが、行動予測が難しい人間が関わる数週間後の出来事となると、数万から数千万の演算を脳内で行うため、使う度にクララは少なくないダメージを精神に受けていた。
「あまりその能力を使ってはいけないよ。それにクララも未来は常に変動するって言ってたよね。クララの『予見』で騎士団にも精鋭の護衛を依頼したから、大丈夫だよ」
「でも……」
ゲームでも王太子自身の危険は少なかった。エルヴァンが危険になるのは『ヒロインと関わった』時だけだ。
ゲームイベントとしては、魔物化した熊に襲われた生徒を治療するために、ヒロインが光属性に目覚め、再び襲ってきた熊からヒロインを庇ってエルヴァンが怪我をする。
その後にすぐ、騎士団長子息であるロークウェルや護衛騎士によって熊は倒されたので、護衛を増やしておけば危険は少なくなるが、クララも『ヒロインとのイベントを回避したい』ためとは言えなかった。
そんなクララを見て、エルヴァンは彼女の頭を軽く胸に抱き寄せる。
「エルヴァン…さま?」
「そんなに不安にならないで。僕はね、変な言い方だけど、前みたいに完璧な令嬢だったクララよりも、今の一生懸命な君のほうが好きだよ。だから、君のためにちゃんと戻ってくるから」
「……はい」
“完璧な悪役令嬢”だったクララが前世を思い出したことで弱くなり、以前よりもその距離は縮まっていたが、不安定になったクララはエルヴァンの体温を感じて安心するどころか、さらに焦燥感を募らせた。
エレーナの護衛として再び現れた、異様な戦闘力を持つ“桃色髪”の少女は、本当にヒロインではないのか?
ヒロインよりも積極的に行動しているらしい“ヒロイン”の外見とは似つかない少女は、本当にヒロインなのか?
(何か手を打たないと……。誰にも彼は渡さない)
***
「うふふ」
入学式を終えたその少女は、学園寮の割り当てられた個室のベッドで、転がるようにしてほくそ笑む。
「エルヴァン様、素敵だったわ。お喋りはできなかったけど、ロークウェル様やミハイル様も素敵だった。ふふ、もちろんセオ君も可愛いけど」
女子寮には男性の執事といえども入室できないので、寮の外にある側仕え専用の屋敷で生活する。故に彼女にも侍女は一人付けられていたのだが、女性を信用していない彼女はその侍女と必要最低限の接触しか許していなかった。
「……女の人は嫌いよ。私が可愛いから、意地悪ばっかりするんだもん。でも、あなたは別よ。私に色々教えてくれるから」
少女は胸から下げたお守り袋から出した、半分欠けた魔石を目の前に掲げる。
七歳の時、孤児院の奉仕活動にやったドブさらいで見つけた宝物。その欠けた部分で指を傷つけた時、魔石は少女に輝かしい未来を見せてくれた。
お金もなく、護ってくれる人もなく、その美貌でできるだけ良いご主人様に買われることだけを祈る未来から、魔石は素敵な『お姫様へと至る道』を示してくれた。
自分の本当の名前なんてもう忘れた。
消えてしまった“ヒロイン”になりきるため、魔石から得たヒロインの仕草や喋り方や表情まで完璧に模倣して、今では元の自分がどんな性格だったかも忘れて、少女は完璧に“アーリシア”に成り代わっていた。
魔石の中から、過去に生きた女の怨念じみた情報が伝わってくる。でも、それをどう使い、どれを選ぶかは自分が決める。
魔石の女は、王太子に選ばれて幸せな人生を送ることを望んでいた。
「煩いな……」
王太子を推そうとする魔石をベッドの縁に叩きつけて角を少し削ると、情念が薄まり純粋な情報だけが新しくできた傷から流れ込んでくる。
「それでいいのよ……選ぶのは“私”だから」
死と隣り合わせで、何も持っていなかった孤児の少女。
その時の恐怖と絶望の想いが、貴族の養女となって幸せになったとしても、その果てしない“飢え”を満たしてはくれなかった。
頼れるものは、この魔石の知識と、自分の美貌だけ。埋まらない飢えを満たすことは少女にとって命よりも大事なことだった。
少女は傷ついた手で魔石を大事そうに包み込み、そっと祈りを捧げる。
「私は沢山の男性に愛されたいの。でも大丈夫よ……私も心から愛してあげるから」
***
学園内にあるエレーナの屋敷に戻り、彼女の護衛を近衛騎士たちに任せて、私は仲間たちと繋ぎを取るために、学園内のある場所へ向かった。
この魔術学園は外界から切り離された綺麗な部分だけでなく、上級貴族家ならある程度の人員は紛れ込ませている。
エレーナも例に漏れず、私の他に情報収集を目的としてもう一人潜入させていた。
目的の場所に近づくと、煙を出さない錬金焼却炉の傍らで、ゴミを出しに来た二十代の若いメイドさんに声を掛け、冷たくあしらわれながらも気にした様子も見せずに、地面にしゃがみ込んで煙管を吹かしている、用務員の青い作業服を着た中年男の姿が目に映る。
「……ヴィーロ」
「アリア……お前、見てたのか」
「うん」
どうしてこの男は、こういう役回りがこんなによく似合うんだろう……。
クララも偽ヒロインも、なかなかヤバい感じです。
でも個人的にヤバいと思うのが、ダメな大人がよく似合う男ですね(笑)
感想欄でいただいた内容を一部反映させております。
次回、大きく歪んだ最初のイベント