112 王立魔術学園
29話に一部加筆をいたしました。
レイトーン準男爵家の養女として、王立魔術学園への入学まで後一ヶ月に迫ったその日、私は一人で王都の街に出掛けていた。
準男爵夫人で、王妃宮の警護担当をする暗部の騎士であるセラは、役職柄、城への出入りに馬車を使用するけれど、貴族令嬢でも下級貴族の娘となった私は、街に出るためにいちいち馬車を使ったり伴をつけたりする必要はない。
季節は冬となったが、大陸の南にあるクレイデール王国では雪が降るほど寒くなることはなく、私もワンピースの上に薄手のコートを羽織っただけの姿で、辿り着いたその店の扉をゆるりと押し開けた。
「ゲルフ、いる?」
私が誰もいない店の奥に声を掛けると、その奥から蹄鉄のような音を立てるハイヒールを履いた、赤いマーメイドドレスを着た妙齢の男性ドワーフが現れる。
「あ~ら、アリアちゃんじゃないっ。お嬢様生活には慣れたのかしら?」
「問題ない。頼んでおいた物はできている?」
「……相変わらず反応が薄い子ね。物はできているわよん。デザインはダンドールから来た最新のものを私なりにアレンジさせてもらったわ。着方も教えるから奥へ来てちょうだい」
「わかった」
1センチもありそうな睫毛で片目を瞑るゲルフに、私は静かに頷く。
ゲルフは鍛冶が得意な岩ドワーフでありながら、自分が着たいと願う綺麗な防具を作る異色ではあるが一流の職人だ。何故かドルトンは、腕は認めても絶対に立ち寄ろうとはしないけど。
私はゲルフにダンジョンで得た素材で防具の強化と、制服の下に着ることができる、薄手の防具の製作を頼んでいた。
それに私も12歳になって、魔力で成長した身体も14歳くらいになり、師匠から譲られた防具サイズの手直しも必要になっていたのもある。
「これを着てみてちょうだい。予備も作ってあるわ」
「うん」
渡されたそれは珍しい形の防具だった。その形状は一度だけ見たことがあるセラが着けていたコルセットに似ている。ただ違うのは、素材が布ではなく白金色の細い金属糸で編まれていて、向こうが透けるほど薄いことと、胸元まで覆われていることだ。
「金属糸の鎖帷子?」
「無粋な呼び方ねぇ……ミスリル銀製よ? 防御力も装着感も段違いなんだから」
形状はまるで女性下着のようだが、通常の鎖帷子より防御力があるらしい。手入れも毎回【浄化】を掛けて魔力を流せば、ある程度の自己修復までするそうだ。
その他には同じ素材で作られた白金色のタイツがあった。これも透けるほどに薄くて脚にピッタリ装着する。腿の半ばあたりまでしかないけど、腰に着けたベルトで吊して維持すると言っていた。その形状を見ていると、あの女の“知識”にあったガーターベルトというものを思い出す。
「ミスリル製って…高くないの?」
「糸状にしてあるから、思ったよりも使っていないのよ。材料費よりも加工費のほうが高く付いたくらいね。ちゃんと預かった予算内で収まってるわよ」
今回の装備強化に際して、ガルバスとゲルフには合わせて大金貨15枚を渡している。ミスリルなんて使われると足りなそうな気もするけど、ゲルフは『趣味だから』の一言でそれ以上受け取ってはもらえなかった。
その下着のような装備を着けると、次にいつもの装備となる。ほとんどがサイズの手直しで済んでいるけど、その色合いは元の漆黒の色に、若干赤みがかった光沢が加わっていた。
「例のミノタウルス・マーダーの角の芯部分を溶剤に加工して、表面にコーティングしてあるわ。耐魔術性能がかなり上がっているはずよ。それと……」
ゲルフが自分の防具よりも誇らしげに取り出したのは、マーダーの角が包まれていた革包みだった。
「ガルバスから届いているわよ。お兄様ったら随分と気合いを入れたみたいね」
革の包みを開くと、その中にはガルバスに預けてきた黒いナイフと黒いダガーが収められていた。私がそっと手に取って鞘から抜き放つと、二つの漆黒の刀身が仄かに赤い輝きを放つ。
「……凄いね」
ガルバスは高位のミノタウルスの角は、稀少金属になっていると言っていた。それをどう加工したのかわからないが、これなら高位の魔物でも斬り裂ける。
「ありがと……これでちゃんと戦える」
「うん、いいわね。今のアリアちゃんなら使いこなしてくれると信じてるわ。それとこれは、私からの入学祝いよ」
「うん?」
最後の最後に、ゲルフから紙袋に包まれた物を渡される。
「女も度胸よっ! “勝負”の時には、それを身に着けてねっ!」
「…………」
その中には何故か、ダンドールから流行ったという、真っ白なシルク製の、両側を紐で縛る最先端の下着が十枚も入っていた。
*
どうして“勝負”の時に絹製の下着が必要なのか分からないが、防具の専門家であるゲルフが言うからには、強敵と戦う時に必要な物なのだろう。
ならば気を引き締めるためにも、学園にいる間は身に着けておいたほうがいいかもしれない。
時間は過ぎて新年となり、魔術学園に入学する一週間前になって、私はようやく王宮に入ることをセラから許された。
エレーナの側仕えとして入学準備を手伝うことが表向きの理由だが、背景としてはその日より王太子であるエルヴァンが学園に戻っていることだけでなく、王妃教育で王宮に詰めていたクララやカルラも城から離れていたからだ。
「学園には地方から来る子のために寮があるのよ。とは言っても、使うのは下級貴族や王都に屋敷のない中級貴族の半数ほどだけど、私たち王族は一人ずつ与えられた、学園内にある屋敷に住むことになるわ。王家の者が学園を統治するため…というのが名目らしいけど」
王宮にある月が見える夜のテラスで、エレーナの少し砕けた口調の説明に私は無言で頷きながら、彼女のために甘い香りのお茶を煎れる。
私はセラの屋敷で貴族令嬢と王宮侍女教育を終え、これからは『側仕え』兼『護衛』兼『同級生』として、エレーナの側にいることになった。
エレーナの学園での従者はセラではない。セラは王妃宮の警備も担当しているので王宮を長い間離れるわけにはいかず、その部下で暗部の女性騎士である女性がその任に就くことになっている。
私も念のために寮ではなく同じ屋敷に住むことになるが、屋敷では近衛騎士が警護に就くので私の主な仕事は学園内になる。
「私の身体が癒えたことは陛下しかご存じないわ。それでも、王族は学園内である程度の実力を示さなければいけないので、私の身体のことは遠からず皆が気づくことになるでしょう。そうなれば、今は大人しくしている貴族派も再び私を擁立しようと画策しはじめる可能性がある……」
エレーナは湯気を立てるカップを両手で包み、少しだけ唇を湿らせる。
「次の王はお兄様よ。そうでなければ、この国の内政は、子爵令嬢が正妃となったあの時と同じように、また荒れることになる」
「……では、なぜ?」
残酷な言い方だが、身体が弱いままのほうが、エレーナの都合に良かったのではないのか? 確かにエレーナの身体が癒えたことは喜ばしいが、彼女が自分のことだけを考えるような人には見えなかった。
私の短い問いかけに、フッと苦笑するようにエレーナは笑う。
「簡単な話です。わたくしは、あの優しすぎたお父様と同様に、お兄様のことも信じていないからよ」
自分の気持ちを偽れず、恋した子爵令嬢を正妃にした陛下は、未だに内政問題に苦しんでいる。そしてその正妃に育てられた王太子も、似たような内面の問題を抱えているのだとエレーナは考えている。
「最悪の場合は、わたくしが国を纏めます。けれど貴族派も、すぐに自分たちが思うような政にならないと気づくでしょう。そして今は味方である王家派にも狙われることになる。……ねぇ、アリア。学園でわたくしを護ってくれるのでしょ?」
少しだけ悪戯な笑みを浮かべて問う言葉に、私は表情を変えずに一瞬だけ瞳に彼女を映す。
「それが仕事だ」
「相変わらず冷たいのね」
そう言いながらもエレーナの笑みは少しだけ深くなっていた。
*
「では、参ります。ついてきなさい、アリア」
「はい、エレーナ様」
そして今日、前日から学園内に居を移しているエレーナの屋敷から、私たちは入学式に向かう。
エレーナの服装は、第二種制服と呼ばれるもので、上級貴族の令嬢によく見られるものだ。この日のためにあつらえたドレスの上に、マントのような形状の臙脂色のローブを羽織っている。
その彼女に付き従う私は、一般的な女生徒が着る第一種制服と呼ばれる、首元まで肌を隠し、足首まで覆う臙脂色の細身のワンピースを纏っていた。
この学園では上級貴族は二人、中級貴族は一人まで従者を連れ歩くことが許されている。もちろん、それを無視して多くの従者や護衛を誇示目的で連れ歩く者もいるが、どちらにしろ校舎の中にまで連れていくことはできないし、皆の模範となるべき王族であるエレーナがそれをすることはない。
だからこそ多くの上級貴族は、寄子の中から歳が近い子を側近として学園に入学させるようにしている。
去年の王太子エルヴァンの場合は、一学年上の上級貴族二人と、同学年と今年の新入生に一人ずつ側近を迎えたと聞いているが、しがらみの多いエレーナが連れている側近は、側仕えを兼ねた下級貴族である私だけだ。
エレーナと私、それと従者である暗部の侍女と執事を乗せた馬車が入学式の会場に到着し、私と侍女が先に降りて周囲を警戒する中、壮年の執事に手を取られたエレーナが馬車から降りると、周囲の学生から感嘆の溜息が漏れた。
彼女を見つめる、ただ憧れの視線を向ける下級貴族や、取り入ろうと画策する中級貴族らの中を先へと進み、途中からエスコート役が執事から私へ変わる。
ざわり…と、周囲の生徒たちからざわめきが漏れた。
一定以上の貴族の子女ならその容姿も知られているが、私が誰か分からなかったからだろう。
入学する王女にたった一人付き従う女子生徒。それを見て牽制しあっていた数人の生徒が一歩踏み出し、軽く“威”を乗せた私の視線で縫い止められたように足を止める様子に、エレーナが口元を隠すようにクスッと笑う。
「あなたを選んで良かったわ。見てみなさい、アリア。彼らはあなたを畏れているのではなくて、見惚れているのよ」
「…………」
生徒たちに遠巻きにされながら会場へと私たちが歩いていると、周囲を警戒していた私の目に顔見知りの少年が映る。その視線に気づいてエレーナが視線を向けると、彼ではなくその隣を歩く令嬢を見て少しだけ眉を顰めた。
その小麦色の肌をしたクルス人の執事――セオの腕を抱え込むようにして引きずっていた赤みがかったダークブロンド髪の少女は、膝まで裾を上げた制服で貴族令嬢にあるまじき白い脹脛を晒しながら、唖然とする周囲に邪気のなさ過ぎる満面の笑みを振りまいていた。
「わぁ、素敵です。今日からこの学園が、私の“舞台”になるんですねっ!」
ついに“偽ヒロイン”とアリアが邂逅しました。
なかなか私好みのドロドロとした乙女ゲームの“舞台”になりそうです(笑)
次回、乙女ゲームのヒロイン。





