107 ダンジョン攻略 ⑥
戦闘力の調整をしました。
私は気が付くと、真っ白な空間にいた。
見渡しても果てがなく、まるで真っ白なクリームの中にでも居るような錯覚に陥りそうになるほど、何もない真っ白な世界。
気分は落ち着いている。不気味なほどに気分が晴れやかだ。
私はつい数秒前まで朱牛と戦っていたはず。それなのに、祭壇から放たれた光に包まれた瞬間にここにいて、戦いの熱も高めた魔力も霧散して身体中の傷や減っていた魔力も徐々に癒されはじめていた。
「…………」
……危険だな。無意識にナイフを鞘に仕舞おうとする自分の手を止める。強制的に平静状態にされるのも、戦いに水を差されるのも気に入らない。
戦いはどうなった? みんなは無事か? 私はすぐに戻らないといけないと思い出して、あらためて武器を握り直して周囲を警戒すると突然頭の中に声が響いた。
『――久方ぶりに見えた。よくぞ参った、【月の薔薇】の子よ――』
男とも女とも年寄りとも判別の付かないその声に警戒して身構える私に、再び頭に声が聞こえる。
『――警戒心が強いな、【月の薔薇】の子よ。ここには其方を傷つける者は居らぬ。時を圧縮しているゆえ外とは時の流れも違う。安心するがよい――』
「……メルローズの子?」
どうやらここは、身体強化で思考が加速されたような状態の空間らしく、楽観はできないけど少しだけ安堵した。
それとメルローズとは、確か錬金術の講義で、満月の月夜にのみ咲く医薬にも毒薬にも使える花だと、師匠から聞いたことがある。その子とはどういう意味か? 私がその名を呟くと“声”が疑問に答えるようにまた言葉を紡ぐ。
『――この世界の季節が数百ほど巡る以前、ここに来た人の娘に、我がその“名”を贈った。其方のその“髪色”がその娘の血を引く証明となる。その無粋な“灰”を解いて、我に“薔薇”を見せておくれ――』
「――ッ」
私が自分の髪に施していた“灰”の幻術が強制的に解除された。その瞬間、この空間の強い魔素の影響を受けて、私の桃色の髪が鮮やかにきらめいた。
『――あらためてよくぞ参った、我が愛した薔薇と同じ“色”を持つ“生きた薔薇”よ。其方は我に何を望む?――』
「……お前は何者だ」
ここまで来れば“答え”は一つしかない。それでも情報を確定させるために私はあえて尋ねると、今まで感じられなかったその気配が目前に出現しようとしていた。
『――ならば直に答えよう。其方ならば耐えられようぞ――』
「くっ!」
目の前で出現した気配が、見る間に豪華な民族衣装のようなものを纏った妙齢の女性の姿となり、そのあまりの存在感に一瞬気が遠くなる。
『――我は、其方らが“迷宮の精霊”と呼ぶモノだ――』
私が知っている精霊とはまるで違う。その存在感も、格も、在り方でさえも。
その存在を目にして、師匠から聞いた講義の一つが頭に浮かぶ。この世界では、精神性生命体が死した英雄などの強い思念を受けた場合、その存在が変質して“土地神”のようにその地に留まる場合があるそうだ。
ならばこの存在も、このダンジョンで死んでいった数多の王族や英雄の思念と融合した、『英霊』や『聖霊』といったものかもしれない。
私は腹に力を込めて、真正面から精霊と対峙する。
「……加護を与える精霊か」
『――左様。この千年あまり、汝ら人の子はこの暗く深き迷宮に挑み、見事我の許へ辿り着いた者には、その褒美としてこの場に招き、我の加護を与えた。だが全ての者ではない。ここ数百年ほどは“不正”をしておるようだからな――』
やはりお見通しか……
「ではどうして私をここへ呼んだ?」
『――招いたのは其方だけではない。ここへ招いた者は四人居る――』
「……4人?」
私の他には誰も見えない。見えないようにされているのか、それとも“立ち位置”が違うのか。この存在なら同時に違う場所で4人を相手にもできるだろう。
『――選ぶ数は気まぐれに過ぎぬ。一人も呼ばぬ時もある。三人は力を求める在り方が愛おしく思えたゆえ。もう一人は魂の在り方が面白く思えたからだ――』
強さを求める……その言葉に数人の顔が浮かぶ。だが、魂の在り方とは何の意味だろうか? その答えが思い浮かぶ前に精霊が一歩前に踏み出した。
『――“人”とは愛おしい存在だ。我を形作る人の想いがそう思わせるのか。さあ、其方の望みを言うがよい。我が【加護】を贈ろう――』
人間が愛おしいから加護を与えると精霊は言った。私以外の三人……その人たちが私が思い描いた人と同じ人物かわからないが、その人たちは加護を得たのだろうか?
だけど、私の答えは最初から決まっている。
「断る」
『――何故だ? 【月の薔薇】の子よ。“人”とは、短い人生の中で何かを成し遂げたいのだろう? 力のない人間は簡単に死ぬぞ。力を得て寿命が五十年減ったとしても、魂が傷ついても、来世に羽虫からやり直す程度のことだろう――』
やはり人間と精霊とでは時間や寿命に対して認識に大きな隔たりがある。人を愛していると口にしても、昆虫の寿命さえ知らずに“大事に飼っている”子どものような印象を受けた。
それに思っていたよりも加護の対価が大きい。事実を知ってしまえば歴史書で習った過去の英雄や優秀な王族が短命なのも理解できる。
でもそうじゃない。私が加護を拒否するのは――
「私は、“私”の力で欲しいものを手に入れる。他者から与えられた力だけで、何かを成し遂げるつもりはない」
“誰か”から与えられた力は、“誰か”の気まぐれで簡単に消えてしまう。
エレーナも王族という地位を親から与えられたが、彼女だってそれに相応しい力がないと分かれば、簡単に切り捨てられてしまうだろう。だから、エレーナもカルラも必死に足掻いて“自分”の力を求めている。
拒絶したことで精霊は気分を害するかと思ったが、私の言葉をジッと聞いていた精霊の瞳が、まるで人のように懐かしげに細められた。
『――我が【月の薔薇】の名を与えた娘も、加護のような過ぎた力はいらぬと言った。だからこそ我はその存在を愛おしく思い、娘に愛する薔薇の名を贈ったのだ。故に其方にも我から“名”を贈ろう――』
「別に必要ない。そもそもそのメルローズとはなんだ? どうして人に名を贈る?」
『――メルローズとは妖精界にあったただの薔薇だ。悪戯者の気まぐれで持ち出され、わずかながらに物質界の地に根付いた。其方の髪の色は、我に名を贈られた“証”で、この地に現れた妖精は、その薔薇と同じ“色”に懐かしさを覚える。其方も妖精に悪戯をされて病に冒されることもなかったであろう? その程度でしかないが、一族繁栄を願ったあの娘には丁度良い贈り物であった――』
「…………」
この桃色の髪にはそんな意味があったのか……。確かに小さな頃から風邪はひいたこともないし、真冬の森でも平気で寝られた。
『――我は元々、人に近い場所にいる精霊だった。人が戦うために技を編みだし、それに我や他の精霊が名付けることで、その技は【戦技】となった。我が名を与えるのは、ある意味、加護を贈るよりも自然なことだ――』
単音節の無属性魔法である【戦技】は、精霊がその技を認識したから使えるようになったと言われている。私はそれを少し不自然に感じたが、この精霊のように人を愛した精霊が過去からいたということか。
『――我は其方のことも、この迷宮に入った時から観ていた。我がここで名付けた戦技を使い、完成していない技で必死に足掻く【月の薔薇】の子を。
だから其方にも“名”を贈らせておくれ。あの娘は闇夜を照らす“月”のようだった。其方もそうだ。だからこそ我は娘に“月の薔薇”の名を贈った。けれど、あの娘と違い戦う其方は、“鉄”のような心の強さを持っている。
贈る名は、其方だけを顕す銘であると同時に、其方が扱う“技”を【戦技】とする名でもある――』
妙齢の美女の姿をした精霊は滑るように近づいてくると、両手の白い指先で愛でるように私の頬に触れる。
『――さあ、其方の戦場に戻るがよい。人がここに来られるのは一生に一度。再び見えることは叶わぬであろう。願わくは、その【月の薔薇】の髪を“灰”で汚すのは、もう止めておくれ。その代わりに其方だけの“色”を、其方に贈る名に与えよう。我が其方に贈るその“名”は――――』
***
「アリアッ!!」
フェルドの私を呼ぶ声が聞こえる。一瞬霞んでいた視界が戻ると私はダンジョン最下層の闘技場に戻されていた。
戦況はまだ変わっていない。フェルドもドルトンもミラもヴィーロも生きている。それでもフェルドが私の名を呼んだのは、私がその場から数秒間消えていたからだろう。
まだ続く絶望的な状況――でも、間に合った。
『ブォオオオオオオオオオオオオッ!!!』
私を見失っていたらしい“朱牛”が、私を見つけると怒りの咆吼をあげ、ハルバードを構えて矢のように飛び出した。
私は何も変わっていない。ただ、灰の幻覚で汚していた髪が桃色がかった金髪に戻っただけだ。
体力と魔力が少しだけ回復していたが、それは戦っていた序盤と変わらない。
でも心は落ち着いていた。怒りも憎しみもなく、ただ湖面のように凪いでいた心の底から沸騰するように“闘志”が湧いていた。
風を切るように唸りをあげて迫り来るハルバードの刃が、私の身体を斜めに斬り裂くように振り下ろされた瞬間、私は精霊から贈られた“私”の名と同じ、その【戦技】を発動する。
「――【鉄の薔薇】――」
ガキィンッ!!
『ブモォッ!?』
ハルバードが激しく石床を叩き、一瞬で目の前から消え去った私を朱牛が捜す。
『ガァッ!?』
その瞬間、私の黒いナイフが朱牛の首筋を斬り裂いた。即座に反応して朱牛が繰り出したハルバードは私がいた空間で空を切る。
高速機動で朱牛の攻撃を躱し、地を蹴り、即座に移動した逆側の脚に斬りつけた。
『ブォオオオオオオオオオオオオオッ!!』
興奮状態でデタラメに振り回されるハルバードを目で見て躱し、高速で移動を繰り返しながら、朱牛の腕や脚を斬りつける。
私の髪の色が、桃色から灼けた灰のような“鉄”色に変わる。
鉄色の髪から飛び散る光の残滓が帚星のように後を引き、高速で朱牛の正面に回った私は繰り出されたハルバードの刃を踏み台にして飛び越えた。
空に舞う鉄色の帚星。光の残滓がまるで銀の翼のように飛び散り、一瞬怯えた顔をした朱牛の瞳に映る、冷徹な目をした私の画ごと斬り裂くように、朱牛の右目を真正面から断ち割った。
【アリア(アーリシア)】【ランク4】
【魔力値:124/270】【体力値:159/210】
【総合戦闘力:916(特殊身体強化中:1769)】
【戦技:鉄の薔薇 /Limit 124 Second】
新たな自分だけの戦技を身に付けたアリアの反撃が始まる。
これでプロット段階のアリアの技が全て揃いました。長かった……
この力は【加護】ではなく【戦技】なので、アリア以外の人間にも使えます。ただ魔素を視て不純物を抜き出せることができるのは、現状アリアのみとなります。
時間制限付きの持続型戦技です。
次回、第一部ラスト
次は明日の12時予定です。よろしくお願いいたします。
補足:
月の薔薇―メルローズの証である桃色の髪の効果は、ウイルス系疾病に掛かりにくくなるということです。
この世界では風邪などは妖精の悪戯とされており、魔素があり身体が強化される世界では病気にもあまりなりませんが、実際に妖精が体内にある魔素のバランスを崩すことで病気になります。
それでも不摂生を繰り返せば妖精に関係なく病気になりますし、全てが妖精のせいではありませんが、この効果があるだけで出生率はかなり上がったはずです。