第四十一話 聖女の危機
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ようこそ聖女様。そう言いながら笑う目の前の老人、シュットアプラー=デブラッツ大司教。その濁りきった目で僕を見つめながらニタニタと笑う姿は、とても大司教と呼ばれる人間とは思えない。初対面の印象そのままの姿を見て確信した。やっぱりこの人は最初に感じた通りの人物なのだと。
「ふぉふぉ、しょんな可愛らしい顔で睨まれても何も怖くはないのう」
大司教はいやらしい笑みを浮かべながら僕の方へと近づいてくる。
「……ッ! 近づかないで!」
「ふぉっ、状況が解っておらんのかな? この状況で儂が近しゅかない理由はなかろうよ?」
言われて僕は改めて自分の状況を確認する。攫われた時、僕は女神様から貰ったローブと仮面、それにアメちゃんを装備していた筈だった。しかし、今僕が身に纏っているのは透けそうなほど薄い生地の服のみ。下着は一応着用しているけど、これも僕が着ていた物とは違う。くそう、勝手に着替えさせられたのか。
ここで普通の女の子なら羞恥で縮こまる所なんだろうけど、僕はこの程度には動じない。こんな爺さんに見られた所でなんとも思わないからね。それよりも、装備を何処かに隠されてしまった事の方が問題だ。あれらは女神様に預けておけばいつでも呼び出せるけど、こちらから送っていない場合は流石に呼び出したりは出来ないからね。部屋を見渡してもそれらしいものはない、どうやら大司教達に奪われてしまったらしい。僕にしか装備できないだろうから悪用はされないだろうけど、僕の身を守ってくれる装備はないことになる。
……あ、アメちゃんは部屋の隅に立て掛けてある。けど鎖で繋がれているせいで取れそうにはないな。うぅ、なんとかアメちゃんだけでも取り戻せないかな?
「どれどれ、まだ女として熟れきっておらぬようしゃが、これほど可憐な少女を熟す前に食すというのも乙なものかの? ……ひょっ?」
いやらしい手つきで僕を触ろうとしてきたので、僕は思いっきり股間を目掛けて潰す勢いの蹴りをお見舞いしてやった。だけどその反撃はは成功せず、防がれてしまった。
不完全な体勢から放たれた上に、僕が女の子になっちゃっているから、蹴りの威力があまりなかったせいもあるかもしれない。けど、このお爺さん見た目より動きが良い。大司教っていうのはこの世界では魔物退治とかも行っているのかも知れない。
「ひゃひゃ、剣呑、剣呑、危ないお嬢ちゃんしゃのう。しゃが、そういう反応は見慣れたものしゃよ。いきなり股間を蹴り潰そうとした娘は少なかったがのぅ」
「近づいたらまた蹴り上げるし、もし変なことするなら噛みちぎるからね?」
僕はいーっと歯を見せて精一杯の威嚇をする。時間さえ稼げれば、皆が気がついてくれるかも知れないからね。なるべく抵抗はさせてもらうよ。
「見た目によらず、随分活発なお嬢さんしゃなぁ。しゃが、今までにもそういう娘は沢山おった。そんな娘達がどういう目にあってきたか聖女様には分かるかの? 最初はどれだけ気丈でもの、最後には儂にしがみついてもっともっとと鳴きながらせがむようになるんしゃよぉ、あひゃひゃぁ」
「……」
なんて醜悪な男なんだろう。見た目だけではなく心も醜い。今までどれだけ多くの人がこの男の毒牙にかかったのか。しかし、それだけの事をやっていながら今まで証拠が残った事はないとリーデルさんが言っていた。流石にあの堅物がこんな計画に加担しているわけはないから、きっと何か理由がるのだろう。
「……ふむ、全く恐怖せぬのう。もしや何をしゃれるのかも分からぬおぼこかの? それはそれでそそるがの。しょれとも頭が弱いのかの?」
「し、失礼なこと言うな! お前が何をしたいかなんて解ってるよ」
そのくらいわかってらい! こちとら中身は男なんだからな!
「だけどね、お前に何かされて、僕がどれだけ汚されたとしても心は折れない。僕はお前なんかに負けてなんかやらない!」
凄く嫌だけど、体をどうこうされたとしても僕の心は折れない。そこだけは譲ってやるもんか。それに僕の好きな人達はそんな事ぐらいで僕を蔑んだりはしないだろうからね。気持ち悪いのだけ我慢してしまえば何という事はないよ!
……
一瞬だけ、誰かの顔が過ぎって胸が痛くなった。だけど、僕は頭を振って気持ちを切り替えた。こんなヤツ相手に泣いたり怖がったりしてたまるもんか。
「ふ、ふぁふぁ! あひゃひゃひゃひゃ!」
だけど、僕の一生懸命絞り出した小さな勇気は予想外のリアクションで返された。
「ハッタリだとでも思ってるの? 僕は体をどんなに汚されても人間の心は、尊厳は奪えないと言っているんだよ!」
「あ、あ、あひゃひゃ、ひゃぁ……」
大司教はのけぞるように笑うと、ギョロリと目玉だけは僕に向ける。声が止まっても歪んだままの笑顔に僕の背筋が凍る。
「尊厳? 尊厳のぅ……聖女様は今まで儂の毒牙にかかった娘たちは皆心が弱かったとでも思っているのかの? 甘い甘い、儂の目に叶う娘しゃからな、みなそれはもう真面目で清楚で心も強かったぞぇ……えひゃひゃ」
そういいながら大司教は机の上に置かれた風呂敷のようなものを外し始める。
「そも、可怪しいとは思わんかぇ? 聖女殿が考えるような悪行をしておるのに、なぜ儂の悪事は露見しぇぬのか……」
包の中から出てきたものは……壺? ……いや、違う。壺にしてはなんだかスカスカに穴が開いてる。黒く光るそれを見ていると、魔物を見た時の様な不快感を感じた。
「簡単じゃよ、かの娘らはもう儂なしでは生きて行けぬ。一晩で身も心も儂のものになったんしゃよ……」
そう言いながら大司教は壺(?)の中に火を入れる。すると中から紫色の煙が立ち上り、独特の甘ったるい香りが部屋を満たしていった。
「人の尊厳? そんな物はのう、快楽の前では簡単に蕩け落ちるもんしゃな。そういう意味ではこれは人の尊厳を消し去る道具といえる」
「なに……それ」
「陰獣の香炉、女にしか効かぬ強力な媚薬しゃよ。魔界産のなぁ……」
まずい、この煙を吸っちゃいけない。でも僕の法術で煙を防ぐ法術なんて無い……!
「や、やだ、やだぁ!」
やだ、体を弄られるくらいなら我慢できる。痛いのだって僕は我慢してみせる自信がある。でも、心が変わってしまうなんて嫌だ。僕はどうなってしまうかわからない未知の責めに初めて恐怖を感じた。自分がどうなってしまうのか解らなければ、心を強くも保つ事も難しいからだ。
「ひゃひゃ、やっと良い表情になったのう。安心せい、一吸いするだけでそんな感情は消し飛ぶし、数時間はただただ天国にいるような気分になれるぞぇ……」
徐々に充満する煙から逃げるように下がるけど鎖のせいで遠くに行けない。息を止めてもそんなに長く止めていられるわけもない。このままじゃ……うぅ、甘い匂いが強くなっていく。
「やだぁ、助けて、秀ぇ……」
悔しくて自然と涙が出る、こんなヤツに僕は心まで染められてしまうのか……
「ふむ、ヒデ? 何しゃなそれは。お前の”昔”の男の名かえ? 忘れろ忘れろ。もう二度とそんな男なんぞ思い出す事もなくなるからの。……それにしても意外と抵抗が長いのう。多少焦れるくらいならええスパイスしゃが、そろそろ飽きたわい……ほれ!」
「うげぇっ!?」
大司教は立て掛けてあったアメちゃんを掴むと、無表情で僕の鳩尾を思い切り突いてきた。突然与えられた衝撃に、肺から無理やり空気が抜かれ、反動で息を大きく吸ってしまう。肺の中に勢いよく甘ったるい煙が深く入っていくのを感じる。
……あぁ、吸ってしまった。
「これでやぁっとワシの物しゃな……」
大司教はローブを脱ぎながら僕に近づいてきた……。
「ぅう、誰か助けて……」
だけど僕の声に答える人はこの部屋には一人もいなかった……
……―――― Side キース
「……すっげえ」
本気になった勇者様はそれはもう凄かった。
両手の爪で勇者様に襲いかかったチャンピオンだったが、突然勇者様の両手に握られていた片手斧で腕を弾かれ、両腕をバンザイのように上方にカチ上げられた。次の瞬間、両手に握られていたはずの片手斧は姿を消し、代わりに背中に背負っていた両手斧で正面からチャンピオンの頭部を叩き割る。俺たちがダメージ与えるのに散々苦労したチャンピオンが、たったの一撃で瀕死になっているのが傍から見ていてもよく判った。
しかし、両手斧の衝撃で頭から地面に倒れ込むかに見えたチャンピオンだったが、その勢いを利用して勇者様を噛み殺そうとした。あれだけの一撃でも即死していないのは流石と言える。……なんて言ってる場合じゃねえ!?
「危……ッ!」
思わず声を漏らしてしまったが、全くの杞憂だった。勇者様は両手斧を手放すと、再び片手斧を何処からか取り出し、チャンピオンの顎を横薙ぎに斬り裂き、その顎を顔から切り離した。激痛で下がろうとしたチャンピオンだったが、一瞬で両手斧に持ち替えていた勇者様の一撃を頭に叩き込まれ、今度こそ地面に伏してピクリとも動かなくなった。
「……すげぇ」
昼間俺たちがあれほど苦戦した上級の魔物がなすすべもない。あまりにも異次元過ぎて俺の語彙力が吹っ飛んだ。
しかし、勇者様はそんな勝利には微塵も興味がないらしく、倒れたチャンピオンには一瞥もくれずに足元の鼠を拾い上げた。
「――鼠君、棗君が何処に行ったか、君は知っているかい?」
「チッチゥッ!」
いくらギミングのペットだからって、言葉が通じるわけはないと思うんだがなぁ……え、なんだ、この鼠、言葉が通じているのか? 自分に付いてこ来いとばかりにこちらを見ながら走っていくぞ? 暫く進んで俺たちの行動を見ている。まさか付いて来るのを待っているのか?
「さて、申し訳ないが、私はこの鼠君と戦線を離れる事にするよ。たしか、キース君だったかな? 君はどうする?」
……ぬう、ギミングに何かがあったのなら助けに行ってやりてえが、流石にこの状況で勝手なことは出来ねえな。
「お、おれは……」
「行って来い、キース」
「だ、団長!?」
「話は聞いていた。聖女殿に何かあったのだろう。お前は勇者様と協力して聖女ナツメを捜索しろ。チャンピオンが倒されたんだ。此方にはもうそれほど危険なコボルトは居ないだろうからな」
団長の顔にも焦りがある。当たり前だ、もし聖女に何かあったら王都との軋轢は免れねえ。
「わ、私も連れて行ってください!」
おお、緑髪のハーフエルフ騎士、あのサミィ=グレコか。そう言えばこの人ギミングの護衛だったんだっけか。走竜を数匹連れて来てる。流石だ、行動が早い。
「それでは直ぐに鼠君を追うよ。どうにも嫌な予感がするからね」
「お、おう」
おお、何だか凄え怖えぇ。この人昼間とは別人みてえだ。とりあえず俺とグレコ隊長も勇者様の後についていく。日中は走竜が嫌がってあまり騎竜が上手くなかった勇者様だったけど、今はまっすぐ進んでる。どうやら騎竜も殺気立った勇者様に逆らう勇気はないらしい。
……ギミング、これだけ皆に心配かけさせやがって、無事でいろよ?
――――……
結局、鼠の後を付いていった俺達は、夜が開ける頃に聖都にたどり着いた。途中までは順調に進んでいた俺達だったけど、流石に時間が経ってしまった為に、匂いによる追跡が難しくなっていたからだ。それでも鼠と勇者様がなんとなくこっちだと言う感じでここまで来たのだから、この人達の感覚はよくわからない。信用していいんだよな?
――そしてたどり着いたのはシュットアプラー=デブラッツ大司教の邸宅。嫌な予感が止まらねえ。
「時間が掛かり過ぎた。直ぐに突入するよ」
「お、おい!?」
確かにここに運び込まれたなら一刻の猶予もないのは分かるが、流石に無理やり押し通るのは問題がないか? 案の定門番が勇者様の前に立ちはだかる。そりゃそうだ。しかし門番たちは僅かな問答の後に腰が抜けるように座り込み、怯えたように後ずさりはじめた。
「邪魔をしないでくれてありがとう。私も殺人者には極力なりたくないから……ねッ!」
無造作に両手斧が投擲され、鉄製の柵状の扉が吹き飛び、そのまま勢いを殺さず邸宅の扉にまで突き刺さり木製の扉を四散させた。なんて威力だよ……。
おいおい、リアクションとかなしか!? すでに勇者様は破壊した扉から中に入っていくのが見える。何か確信があるんだろうか? 動きに迷いがない。俺も後から付いて行くと勇者様と鼠は迷うこと無く邸宅の床を破壊、そこから地下に伸びる階段を降りていく。
やがて長い階段を降りていくと大きな扉に行き着いた。隠し階段の先にある地下室なんて碌なものじゃないだろう、嫌な予感が止まらねえ……くっそ、ギミング無事でいろよ。
頑丈そうな扉だったが、勇者様の蹴りであっさり吹き飛ばされ部屋の中の様子が眼前にひろがった。
相当分厚い扉だったようで、扉が吹き飛んだ瞬間から室内から獣のような鳴き声が聞こえてきた。
いや違う、これは人間の声か? それに何かむせ返るような臭い、これは体臭だろうか? 汗とかなんかそんな感じの臭いが充満している。
何事かと部屋を見渡す。そこには服を乱しながら焦点の合わない瞳を潤ませ、口からは涎を垂らし、普段の雰囲気からは想像できないほどに乱れ、獣のように喘ぐ……
シュットアプラー=デブラッツ大司教がのたくっていた……
「……何だこの地獄絵図」
「あ、葵先輩、キース! それにグレコさんも! あ、グレコさんと先輩は念の為それ以上入ってこないでね? 多分大丈夫だけど、まだ残っているかも知れないから」
奥にはやや扇情的な服を着て杖を持ったギミングの野郎(?)が仁王立ちしていた。
……どういう状況だよこれ。
お前、何したらこんな地獄絵図を作り出せるんだよ。どうやら俺達の心配を他所にこのバカは自力で窮地を脱していたらしい。
……よし、後でこのバカ一回ぶっ叩こう。
横にいる二人からも俺と似たような雰囲気を感じた。
お色気回




