第四十話 何処に?
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――森の中から無数の輝く目が僕を見ている。暗闇の中から向けられる視線には明らかな殺気が籠もっており、それを向けられる事に本能的な恐怖を感じる。でも震えている場合じゃないよね。まずはどれだけのコボルトがそこにいるのか確かめなきゃ。
「天光」
短縮詠唱の法術を前方の森に向けて放つ。霊体を浄化する法力なのでコボルト達には直接効力は無いけれど、眩い光が辺りを照らし闇に隠れていたコボルトの姿を浮かび上がらせる。よかった、数は多いけど普通のコボルトだ。これならいきなり殺されるようなことにはならなさそう。
とりあえず光に怯んだコボルト達に攻撃をしたいところだけど、流石にこの数相手に先制攻撃をしたところで”聖女”の僕が太刀打ち出来るとは思えない。ここは別の行動を取るべきだろう。
「光で怯んでいる間に逃げられないかな?」
……あ、駄目だ。もう既にこっちを見てる。あれか、犬顔だから耳とか鼻がいいのかも知れない、あまり光で怯んだ様子がないや。うーん、これは少しまずいかも……とりあえず先にマウス君だけ逃して、出来る限り時間を稼ぐとしようかな?
「マウス君、君だけでも逃げて」
「チチチッ!!」
言葉は理解していそうなので、先に逃げるように促してからマウス君を地面に下ろす。しかし、マウス君は逃げるどころか僕の前に二本足で立ち上がると、勇ましい熊のポーズを取ってコボルトを威嚇し始めた。
「違うよマウス君!? 立ち向かうんじゃなくて逃げるの!」
「チチチッ!!」
なんでこんな時だけ言葉が通じないんだい君は!? て言うか、この森に来てからやたら好戦的になってない? 君そんなに戦いたがりだったっけ?
そうこうしている内に、コボルト達に動きがあった。彼らは低い唸り声を上げながらジリジリと僕らとの距離を詰めていく。どうやら取り囲んでから一斉に襲ってくるつもりらしい。
「逃してくれる感じではないね。仕方ない。
汝が旅路の終焉、刻まれしその疲労は鉛の如く鉛足!」
とりあえず眼前の数匹を巻き込む範囲で展開した”鈍足”で時間を稼ぐ。法術の発動と同時に動き出したコボルト達だったが、最前列が鈍足の影響で出遅れた為に何匹かを巻き込みながら転倒。その間に僕は次の鈍足の詠唱を終える。
「汝が旅路の終焉、刻まれしその疲労は鉛の如く鉛足」
後から倒れたコボルトたちにも鈍足をかけることが出来た。これで手前に倒れるコボルトたちの機動力は大分奪えた筈。彼らが隠れていた茂みは鬱蒼と茂る雑草や蔦が溢れているため、動きを鈍くされた前衛に詰まって奥に控えるコボルトも上手く此方に向かうことが出来ずに藻掻いている。まずは狙い通りだ。
「よし、これならゆっくり詠唱できるね」
右手に持ったアメちゃんに魔力を込め、先日見た、グレコ隊のホーストさんの詠唱を思い出しながら唱える。
「汝が肩を並べしは、果たして真に友なりや? 狂乱!」
練習をした魔術ではないので消費魔力の効率が非常に悪い。きちんと頭で構成できていない部分を無理やり魔力でつなぐ感じの作業。ゴッソリと力が抜ける感覚に襲われたけど、なんとか術は発動したらしい。最前列の数匹のコボルトが、のしかかった後続に齧りついていく。仲間割れ成功。これで時間を稼げるかな?
しかしコボルトたちは、戸惑う事もなく狂乱状態になった仲間に対して深々と武器を突き立てていく。どうやら彼らの仲間意識というのは随分と希薄なものらしい。狂乱状態のコボルトは理性がないので、ここまで冷静に対処されてはあっという間に駆逐されてしまう。
「うーん、凄く燃費が悪いのにあまり時間稼ぎになってない。狂乱を使う作戦はあまり良くないかも知れないね。でもそうなると、この群れを相手に時間稼ぎ出来る手段があまり無いんだよなあ、どうしよう」
「――いえ、時間稼ぎはもう十分ですよ、聖女様」
「あ、アベルさん!」
良かった、どうやら思ったより早く応援が駆けつけてくれたみたい。昼間一緒に戦った時僕の護衛をしてくれていたアベルさんだ。一人しかいないみたいだけど、騎士様がいてくれるなら戦略の幅がぐんと広がる。
「アベルさん、他の人達が駆けつけるまで前衛をお願いしてもいいですか?」
「いえ、流石にこの数相手に二人で戦うのは危険でしょう、一旦下がります。ついて来てください!」
「え、あ、はい!」
あれ、僕とアベルさんなら普通のコボルト相手ならこの数でも何とかなると思ったのに。でもまぁ、確かにここはテントの近くだし助けを呼んだほうが早いって事なのかな? 考えている間にアベルさんは僕の手を引いて走り出していた。うーん、まあ良いか。
……暫く手を引かれて走っていたけど、僕は違和感に気がついた。迷わず走っているようだけど、だんだんキャンプから離れて行ってない? 確かにコボルトとは逆の方に逃げているようだけど、こっちに逃げてもテントは無いはず。ひょっとして方向を間違えてるのかな?
「……あ、あの、アベルさん! 逃げる方向こっちじゃないと思うんですけど?」
「いえ、こちらであってますよ」
振り向きもせずに答えるアベルさん。その声は穏やかに聞こえるけど、何か雰囲気が日中の彼とは違う気がする。何が違うんだろう、なんだか思考がまとまらない。
引かれる手の感触だけを妙に強く感じる。なんだかまぶたが重くて音が遠くに聞こえてきた。アベルさんが何かを振り払うような動きをしているけど何が起こっているのかが理解できない。可怪しい、こんな急に意識が朦朧とするなんて。毒? いや、僕のローブは毒に対しては絶対の耐性を持っているはず。じゃあこれは……魔術による攻撃? どこから?
「ふぅ、やっと効いてくれましたか。食事に混ぜた睡眠薬は完全にレジストされていたので、いただき物の魔道具を使ってみましたが、こちらはちゃんと作用してくれたみたいですね。流石、使い捨てのくせに家一軒買える値段するだけの事はありますね」
アベルさんが何かを言っている。よくわからない。
「アベルさ……なにをいっ……うぅっ」
意識が朦朧としてきて周りがよくわからない、そうだ、マウス君。マウス君はちゃんとついて来てる?
「……マウス君、どこ?」
「マウス……? ああ、あの鼠ですか。あれは何か魔力を感じたので、念の為コボルトの群れに投げつけておきましたよ」
「……なん、だと?」
今なんて言った? マウス君を魔物の群れに投げつけただと?
「驚きましたね、魔道具の効果が現れているのにまだそんな目ができるんですか」
もうコイツが何を言っているのかあまり理解できないけどマウス君を助けに行かなきゃ! 離せ!
「暴れないでくださいよ、ただでさえ走りにくいんですから」
「うる……さい……僕を離せ。マウス君を助けるんだ……」
怒りに任せて無理やりアメちゃんを振るったが、アベルは面倒臭そうにそれを剣で弾く。くそ、力が入らない……。
「いい加減にしてもらえませんかね? あの勇者に感づかれたらどうしてくれるんですか。仕方ないですね、本当にもったいないですがもう一個発動させておきますか。どうせ私のお金で買ったものではないですしね」
く……そ……もうコイツが何言ってるのか解らない、ワカラナ……。
「おやすみなさい聖女様、起きたら天国を味わえますのでご安心なさい」
動けない……たす……けて……秀……。
――――…… Side キース
晩飯も食ってウトウトし始めた時、良く通る女の声が聞こえた。ギミングこと聖女ナツメの声だ。何でまたあいつはこんな時間に外にいるのかね? どうにもトラブルの臭いがしやがるな! 見張りの順番でもなかった俺は鎧を脱いでしまっていたが、とりあえず槍を持つと声にした方へ駆けた。
もたもた準備してたせいで、あのちょっとヌケた相棒が怪我でもしたら夢見が悪ぃからな。
「確かこっちの方から聞こえたと思うんだが……」
そこはキャンプから少しだけ外れた場所だった。テントを張っている場所程ではないが、それなりに開けた場所だ。奥の茂みからは確かにコボルト共の目が爛々と輝いている。
「おーい、ギミーング! 無事かー!?」
返事は……ないな。数匹のコボルトが向かって来ただけだ。
俺は向かってきた数匹のコボルトを槍で迎え撃ちつつ、慎重に辺りを見回した。夜目が効くってほどじゃねえが、俺も騎士やって長いからな。夜戦での目の慣らし方とかには慣れている。あれだけ白いやつなら視界に入ればすぐ分かるはず。
……おいおいおい、冗談じゃねえぞ? いくらアイツが小柄だからって姿が見えねえのはどういう事だ? まさかアイツ一人で茂みの中に突貫したんじゃねえだろうな!? 少し焦りを覚えながら茂みに入ると、コボルト共が足元に向かって何かをしているのが見えた。まさか……。
「ギミング! そこか!? 無事なら声あげろ!!」
「チッチゥ……!」
返ってきたのは鼠の声? 何でこんな所に?
よく見るとコボルト共は足元にいる鼠に向かって攻撃を加えているところだった。よかった、足元に血まみれのギミングとか倒れてたら暫く悪夢見続けるところだったぜ。
鼠は何とかコボルトどもの攻撃を躱し、果敢に体当たりで反撃を繰り返している。すげえな、体当たりされたコボルトの骨が折れる音がしてるぞ? って、あの鼠……。
「お前、ギミングが連れてた鼠か!!」
「チゥッ!!」
んぉ!? 返事をした? マジかよ、ていうかこいつコボルト数匹相手に普通に渡り合ってやがるのな!? どうなってんだ?
「って、見てる場合じゃねえや。今助ける!」
慌てて槍を突き出しコボルトたちを仕留めていく。それを見た鼠はこちらへと走り寄って来た。どうやら敵味方の区別がついているらしいな。
「おぅ、細かい怪我はしてるけど元気そうだな? それで、お前のご主人はどこ行った?」
「チッチゥチウチュウゥゥ!」
必死に何かを訴えてくる鼠。
うーむまったく解らない……
暫く、何とか意思疎通が出来ないものかとコミュニケーションを取っていたが、突然風をきり何かが俺の方へ飛んできた為、それは中断された。俺の頭上を巨大な物が通り過ぎていく。
「チィウッ!!」
うぉー!? すげえ音立てて吹っ飛んだけど、なんだこれ、木か? 何かでっけえ木が飛んできたのか。いったい何処のどいつがこんな剣呑な物を放りやがったんだ!?
「……て、マジかよ」
木の飛んできた方角、そっちを見た瞬間俺の背筋に嫌な汗が吹き出した。あの金色の輝きはよく覚えている。なんせ昼間に見たばっかりだもんな……
「コボルトチャンピオン……なんで二匹もいやがるんだよ」
通常の異常繁殖なら見かけることも珍しい上位種、それがまさかの二匹目……昼間の個体が異常繁殖のボスなのかと思っていたが、別にそういう訳ではなかったらしい。これは不味い誤算だ。
「くっそ、ギミーング、どこで寝てやがる!! さっさと返事しろや!! 置いてくぞ!」
この鼠がここにいるって事は、あのバカはこの辺にいるって事だよな? 返事が帰ってこねぇから嫌な予感がしやがる。ていうか、早く逃げねえとこんな軽装でチャンピオンの相手とか笑えねえぞ!
「ッ~~~畜生、なんで逃げねえんだ俺は! クソがぁ! 早く返事しろよ、このバカ聖女!」
木を投げてきたって事はアイツは俺に気がついているんだよなあ。今すぐ逃げねえとヤベぇんだよ。逃げろ、逃げろって俺ぇ!!
……解ってるよ、相棒見捨てて逃げるわけには行かねえもんなあ。無事かどうか判んねえけど俺と戦っていれば、あのデカブツがギミングの方に行く事は無ぇだろ?
よし、腹括ったぜ、他の奴ら来るまで俺に釘付けになりやがれデカブツ! でも、死んだら恨むからな?
「さーて、教会騎士団第一分隊”ひら”騎士キース、参る!」
先に攻撃を受ける訳にはいかない。奴の爪を一発でも貰ったらアウトだからな。俺は槍を鋭く前に突き出すとチャンピオンの手前に突き刺し、棒高跳びの要領で奴の頭上を取る。獣ってのは基本上からの攻撃は埒外ってのがお決まりってもんだ。
「殺った!!」
…………嘘だろこいつ。頭上の俺とガッツリ目があってるんですけどぉ!?
頭上を見上げたチャンピオンは、その鋭い爪を俺に向けて振りかぶった。……あ、俺死んだわこれ。ギミング、絶対化けて出てやるからな~~~。
「――流石に身動きできない空中にいきなり飛ぶのは駄目だろう騎士君よ」
「うぉ!?」
眼前に迫るチャンピオンの爪に死を覚悟したが、突如現れた人物にお姫様抱っこで救われた。脇腹に凶悪に柔らかいものが当たってる、これは!?
「ふむ、助けた体勢のせいで仕方ないのは分かるんだけどね、女性の胸を凝視するのはよした方がいいと思うよ?」
「うぉ、す、すいません!!」
俺の耳のすぐ近くから凛とした声で注意される。見上げると金色の絹のような髪と燃えるような赤い双眸が飛び込んできた。
ゆ、ゆゆゆゆ、勇者さまじゃねえか!!
「まぁ、棗君の為に体張ってくれていたみたいだから、その位は別に良いのだけどね? それで、肝心の棗君はどこだい?」
俺を地面に降ろした瞬間勇者様の空気が変わった。ギミングがいない事に気がついたんだ。気温が一気に下がったみたいに感じる。
「棗君の臭いは……しないね、この辺にはいないのかな? でも微かに感じるような気もする」
臭いって……どこまで真面目に言ってるんだこの人? ……って、チャンピオンがこっちに向かってきてるじゃねえか、槍、俺の槍はどこだ!? 慌てて探すも俺の槍は見つからない。しかし、焦る俺の眼前で金色の髪が揺れる。
「うるさいよ、犬。今はお前に構っていられないんだ」
勇者さまはそう冷たく言い放つと、何もない空間から二本の手斧を取り出しチャンピオンの方へ歩を進める。あまりにも無造作に近づくので呆気に取られていた俺の眼前で信じられない光景が繰り広げられていく。
昼間、俺たちが数人がかりで何とか仕留めたコボルトチャンピオン。その攻撃を正面から尽く斧で弾く金色の風。魔物と人との戦いなんて見飽きた筈の俺が唖然と立ち尽くした。
「うそだろ……?」
これが勇者様か、なるほどとんでもねえな……
――――……
――ひんやりとした風を頬に感じて僕は目を覚ました。目の前には見覚えのない天井が見える。随分豪華な造りだな。背中には随分とフカフカとした上質な寝具の感触を感じる。
「ここは……ッッ!?」
そうだ、思い出した。僕はあのアベルって男に眠らされて……あれからどれだけ時間が過ぎたんだ? この部屋には窓がないから時間がわからない。それにマウス君、早く森へ戻って助けてあげなきゃ!
「……フォ、フォ、目を覚ましましたかの」
一人きりだと思っていた所に突然声をかけられ、僕の心臓が跳ねる。このネットリとした嗄れ声には覚えがあった。
「――あ、貴方は!」
声のした方を向き体を動かすと、ジャラリと金属のような音が聞こえた。これは鎖?
僕の首には首輪がつけられ、壁に向けて鎖が繋がれている。頑丈そうなそれは、僕の力ではどうにもできそうにない。
僕が首輪の存在に気がつくと声の主は愉快そうに肩を震わせる。
「フォフォッ、まあ聖女様に何が出来るとも思わないんしゃが、念の為鎖で繋がせてもらっているよ。気分はどうかね?」
「……シュットアプラー=デブラッツ大司教」
「ファファファ、ようこそ聖女様、やっと二人きりになれてうれしいのう」
にごりきった瞳をした老人は、心の底から嬉しそうに笑っていた……
4000文字以上描き直すという難産でした。
こんな引きですが、エロ表現のチキンレースとかはしないので安心してくださいませ。




