第二十三話 腐敗
今回はちょっと長め
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夕刻になりそろそろお暇しようという段になって、僕の下腹部を……その、生理現象と申しますか、美味しい紅茶をいっぱい飲んでしまった事による、そのー、あの、僕の口からは言い辛いのですが、のっぴきならないソレが襲ってきてまして。
部屋に通されてすぐにトイレの位置は説明を受けていたので、僕は皆さんにソレを悟られぬ様に、そっと席を立つと皆に分からないように部屋を出ようとしたんです。しかし、事情を察したグレコ隊長がすぐに気が付き、添いでついて来てくれてしまい妙に気恥ずかしい思いをするはめに。
「まったく。ナツメ様は目を離すとすぐにどこかへ行ってしまわれるのですから、目が離せませんね」
「えぇ……僕の印象ってそんななんですか? 子供じゃないんですからトイレくらいで迷子にはなりませんよ」
「先日牢に入られた方の言葉ではありませんね」
「うぅ……」
「ふふ、冗談で御座います。しかし、ナツメ様はもっとご自分のお立場をご理解下さいませ。貴方様に何かが御座いましたら悲しむものが大勢いることをお忘れなく。短いお付き合いではございますが、わたくしもその一人で御座います」
「は、はい……」
こう言われてしまっては、恥ずかしいから一人で行きたいなんて言えないね。大人しくグレコ隊長のお世話になるとしよう。何時も一人で行動して色々迷惑かけちゃってるのも事実だしね。
「さ、お手をどうぞ」
「……え?」
「逸れてしまっては大変でございますので」
「そ、そこまでしなくても大丈夫ですよ!?」
「いいえ。ナツメ様の事です、少し目を離した隙に蝶々などにつられてフラフラどこかへ行ってしまわれるに決まっています」
「どんだけ信用無いの僕!?」
あまりの認識に悲しい気持ちになりながらグレコ隊長を見た。いくら冗談でもこんなの酷いよ? ……って、まっすぐ僕の目を見つめる翡翠色の目は、真剣に僕を見つめており、どうやら彼女が大真面目に僕を困ったちゃん認定しているという悲しい現実が解ってしまった。
「……うぅ」
どうやら僕が御手々を繋がないことには、グレコ隊長は一歩もここから動かない気がする。仕方がないので隊長の手を握ると、漸く彼女は笑みを浮かべてくれた。
グレコ隊長の風貌からは繊細で折れてしまいそうな華奢な指を想像していたけれど、流石騎士様、その手はとても硬く、鍛え抜かれた剣士の手をしていた。
「……申し訳ありませんナツメ様。ご不快かもしれませんがどうかご容赦下さいませ」
「ん?」
「私の手はゴワついていて、触れるのも汚らわしいかもしれませんが、どうかナツメ様のご安全のためと割り切っていただければと思います」
「そ、そんな事はないです! グレコ隊長の手は、一生懸命修行をしてきた実直な騎士様の手だと思います。この手を頼もしく思うことはあっても、不快に思うことなんてありえません!!」
「……ナツメ様」
「グレコ隊長は女性だから気にされているのかもしれませんが、僕はこのグレコ隊長の実直な性格を表したような、この鍛え抜かれた手がとても頼もしくて大好きだと思います」
「あ、あの、あの、ナツメ様!?」
ん? グレコ隊長があたふたしてる?
「あの、その様に両手で握られますと、私としましてはその、多少照れてしまいます……」
「……あ」
しまった、ついつい熱弁してしまって気が付かなかったけど、気がつけば無神経にも両手で手を握った上にめちゃくちゃ顔を近づけてしまっていた。
「ご、ご免なさい!とんだ失礼を」
「い、いえ。謝罪などとんでもない事で御座います。私などの事をあの様に言っていただき、大変光栄で御座います」
「僕はこういう頑張った人の手が大好きなので、つい。えへへ……」
「あう……」
「それでは行きましょう」
こんな歳になって手をつないでトイレに向かうなんて、初めは凄く照れくさかった。けど、なんとなくグレコ隊長の事を少しだけ解ったような気持ちになり、僕は上機嫌でニコニコしながら通路を進んだ。
「うぅ、噂に聞いてはおりましたが。ナツメ様は本当にタラシであられるのですね……」
「……ん?」
うつむき気味なグレコ隊長が何かを呟いていたような気がするけど、声が小さすぎて聞き取れなかった。何か不名誉な響きが聞こえたような気がするけど気の所為だろうか……
――程なくして、僕は無事”ミッション”を終えることが出来た。
物のついでと言うことでグレコ隊長もいま絶賛お花を摘んでおられます。ええ、女性は○○○などしないので御座います。
と、いうわけで。僕は今大人しくグレコ隊長のお花摘みが終わるのを待っているんだけど、何やら通路の向こうから謎の一団がこちらに向かってくるのが見えた。4人の騎士に囲まれた随分と豪奢な服を着ているお爺さん。騎士の皆さんの態度から見るに多分お偉い人なのかな?
僕が軽く会釈をした後、壁際に寄って道を譲ろうとすると、騎士に囲まれたお爺さんがピタリと足を止めて僕の方を向いた。
「……ご、ごきげんよう?」
一応ご挨拶をしてみるも、お爺さんは何も言わず僕の顔を凝視した後、ゆっくりと全身を舐めるように眺めていった。なんともネットリとした視線で居心地は悪かったけれど、この手の視線には慣れているからどうってこと無い。取り敢えず偉そうな人なので失礼がないように黙って視線に耐えていると、不意に僕の目を見ながらニチャリと音がしそうな気持ちの悪い笑みを浮かべた。失礼だとは思うのだけど、僕の背筋をゾクゾクと悪寒が走る。
「……ふむ、見ない顔しゃな、綺麗な顔をしぇおる。体は少し幼いぁ、まあたまにはソレもよかろぅぇ」
聞き取りにくい、小声な上に歯が少ないのか、何かくぐもった上に空気が抜けるような発音でよく聞き取れない。でもなんとなく嫌な感じがする。グレコさん早くお花摘み終わらないかなぁ。
「おまへ達、このお嬢さんをわしの部屋へお連れなしゃい」
「……は、しかしシュットアプラー大司教、この女性の服装、見た事はありませんが一般の信者ではないようにお見受けしますが?」
「…………あ?」
騎士が大司教と呼ぶこのお爺さんに意見をした瞬間、先程までの締まりのない表情は一瞬で変化した。彼は恐ろしく低い声で凄むと、突然騎士の胴を、持っていた杖で強打した。騎士は金属製の鎧に身を包まれていたから痛みはなさそうだったけど、物凄く大きな音がしたので、かなり強く叩いたのが分かる。そして叩かれた騎士は、お爺さんに叩かれた事ですっかり萎縮してしまった。恐らくこのお爺さんは相当に位階が高い人なのだろう。
「儂がよいと言うのらから、全ては許されるのしゃ。仮にこの娘が貴族であったとして、いや、王族であったとして、この聖都におる限り何の問題にもならん。一体おまへは誰に口を聞いておるのしゃ?」
「は、はい! 失礼いたしました。……そこのお嬢さん」
「はい?」
「光栄に思いなさい、本日貴女にシュットアプラー大司教が直々に祝福を下さるそうです。これは大変に光栄な事ですので、喜んで受けなさい。さぁ、こちらへ」
そう言うと騎士は僕の腕をやや乱暴に掴もうとした。
……何だか良く分からないけど、この人達はロクでもない人達なのでは? なんで大聖堂にこんな無法者みたいな人たちが居るのか分からないけれど、悪い人たちなら腕を掴んだ瞬間投げちゃっても良いかな?
でもなぁ、僕最近皆に迷惑かけまくってるからな。どうしよう、このまま大人しくついて行ったほうが良いのかな? いざとなったらアメちゃんと仮面で何とか逃げられると思うし……
「貴様ら何をしている!?」
僕が騎士に腕を掴まれながら、投げ飛ばそうかどうしようか迷っていると、背後から凛とした綺麗な声が響いた。良かった、お花摘みが終わったんだね!!
「グレコ隊長!」
「申し訳ありませんでしたナツメ様、私が目を離したばかりに」
即座に僕と騎士の間に割り込んだグレコ隊長が、僕をかばうように後ろに隠してくれた。あのネットリとした視線から逃れる事が出来て、華奢なはずのグレコ隊長の背中がとても大きく頼もしいものに見える。
「ふぬ、なんしゃお前は? 見た所教会聖騎士団ではないようしゃな?」
「貴公らこそ何者だ、この方がどなたか知った上での蛮行か?」
「――ふぅむ、どうやらその娘、中々に位の高い者のようしゃなぁ……」
「この御方は、此度の魔王討伐の為、女神マディスより直々に遣わされた、聖女ナツメ=キヨカワ様であられるぞ。貴公らが如何なる位階の者かは知らぬが、この方に狼藉を働くのであれば覚悟をしてもらおう」
「ふぬ、只者ではなかろうとは思ったが聖女様でありましゅたか。ふ、ふひっ、聖女様はその美しい顔で、どのような声をあげられるのか。女神様の遣わされた神聖なソレの味……想像しただけでもいきり立ちますのう」
「下衆め、己が何を言っているのか解っているのか!?」
「うるしゃいのう。儂が何をしようが、今ここには儂等しかおらぬ、何を言ぅたとしても何ということはない。それに、よく見ればおまへもなかなかの器量しゃなぁ? よし、興が乗ったそぇ。おいお前たち、その二人を儂の部屋にご招待なしゃい」
「はっ!」
「この下衆共が! この方に指一本でも触れてみろ。一人残らず三枚におろして八つ裂きにしてくれるぞ!」
グレコ隊長が吠え、その手が剣の柄にかかる。僕は信じられない心境でそれを眺めていた。なぜ、この大聖堂内でこんな事に? 相手は複数名の騎士、いくらグレコ隊長が強いと言っても分が悪い。僕も戦う覚悟をし、守護のローブと隠者の仮面を装備して、アメちゃんを構えた。しかし……。
「……何をされているのですか? シュットアプラー大司教」
「……ふむ、これはこれは、リーデル騎士団長殿」
正に一触即発、今にも戦いが始まりそうだったその場に現れたのは、赤い燃えるような髪をした騎士団長だった。その瞳は燃えるような髪とは対極的に氷のように冷たい光をたたえ、何の表情もなく僕らを睥睨している。
うぅ、更に怖い人が増えた……。
「その方は教皇猊下のお客人なのですが、何か問題でも起こされましたか?」
「ほ、別に何もありはしまへんよ、騎士団長ろの。儂の悪い癖しゃな。こちらのお嬢しゃんがあまりにも可憐であったので少ぉしからかった所、こちらの騎士殿の怒りを買ってしまっへのう」
「……ほう? それではこの剣呑な空気は、大司教のご冗談が原因であったと?」
「そうしゃな」
先ほどと打って変わって人の良さそうな笑みを浮かべる大司教。ほんとうに同一人物だったのか、目の前に居た僕ですら信じられない。
「貴様、そのような言い逃れを!」
「いや、すまんのう、儂はどうにも冗談が下手くそでしてな。思わぬ不興を買ってしまうことがしばしばありますのしゃ。不愉快な思いをさせてすまなかったのう。老い先短い爺の言うたこと、どうか許していただだきたい。さてさて、それではリーデル団長殿、こちらのお嬢様方のご案内をお願いしましゅよ。儂らはこれで……」
「貴様ら……」
「グレコ殿!!」
突然の大声に僕もグレコ隊長も動きが止まる。
「申し訳ありませんがここは抑えていただけませんか? 大聖堂内で抜剣されては、貴女を捕らえなくてはならなくなる」
「何を言う! たった今奴等はナツメ様を辱めようとしたのだぞ!?」
「それでも、彼らは抜剣していない。いま剣を抜けば、この場において罪人は貴女だけという事になる」
「貴様、何を言って「それが!」ッ!?」
「規則であり法です、私は教会聖騎士団騎士団長として、法に則りそれを遂行するのみです」
「外道をのさばらせてなにが法か!」
「それ以上はおっしゃらないで頂きたい。あの御方はシュットアプラー=デブラッツ大司教。教皇猊下や聖女様に次ぐ位階をお持ちの御方です。あのお方に対しての暴言は、たとえ王都からの使者殿といえど看過できかねます」
まずい、グレコ隊長は頭に血が上ってしまって正常な判断が出来ていない、このままでは良くない気がする。
「グレコ隊長、落ち着いて下さい」
僕はグレコ隊長の手を握り、彼女の目を見つめた。
「グレコ隊長、わたくしの為にお怒りいただきありがとうございます。しかし、私は貴女が捕縛される姿など見たくはありません。どうかお気を鎮めて下さいませ」
「しかし、あの男は貴方様を汚そうとしたのですよ?」
「ですが、貴女のお陰で私は汚されてはおりません。確かに質の悪いお言葉を受けましたが、あれが冗談であったと言うのであれば、きっとそうなのでしょう」
「ナツメ様!」
「騎士サミィ=グレコ!」
「は、はい」
「分かって下さい、何の証拠も被害もない今、リーデル騎士団長の判断はきっと正しい」
「……はい」
「優しく正しい貴女に、このような事を強いるのは、わたくしもとても心苦しいです。が、どうか分かって下さい」
「……はい、申し訳ありませんでした」
良かった、流石グレコ隊長。正義感が強すぎて怒りに染まってしまったけど、元々彼女は非常に聡明な人だ。ちゃんと頭を冷やして全てを飲み込んでくれた。凄く申し訳ないけど、多分あのお爺さんとは関わっちゃいけない。きっとこっちが正しくても良くないことになる気がする……。
「ふむ、見た目だけ美しい問題児かと思っていたが。中々に聖女なのだな、貴女も」
「……おい?」
折角気を静めてくれたグレコ隊長の目に、再び剣呑な光が宿る。ちょっとちょっと何しやがるんですかリーデル騎士団長殿ぉ!?
「いや、今のは失言だった。申し訳ない。私と聖女様は出会いが出会いだっただけについ……謝罪を受け取ってほしい」
驚いた。何時も怖い印象しかなかったリーデル騎士団長が僕らに頭を下げている。そうか、この人はただ職務に忠実なんだな。なんか何時も怒ってるのは……あ、僕が悪いのか! 心当たりがありすぎる。
「いえ、わたくしも度々問題を起こしていましたから。リーデル騎士団長によろしくない印象を持たれるのも仕方ないことでしょう。どうか頭をお上げ下さい」
「ナツメ様の寛大な心に感謝する事ですねリーデル殿。もし再びこの御方を侮辱なさる事があれば、次は私の首が飛ぶ事になろうとも、この剣を抜く事を躊躇いはしません」
「……心得た、謝罪を受けていただき感謝いたします、聖女ナツメ様」
おお、何だか意外な展開だけど、これを期にリーデル騎士団長とも仲良くなれたりするかな? うーん、やっぱりちょっと怖いかも?
「それと、これは身内の恥になるのであまり話たくは無いのですが、この大聖堂内を移動する際は必ず私に声をかけていただきたい。大聖堂は神聖な場所であるので、危険は無いと言いたい所ではあるのですが、恥ずかしながらそうとは言い切れない事情があるのです」
「それを正すのが貴方の仕事ではないのですか?」
うわ、グレコ隊長めっちゃトゲトゲしい。さてはまだちょっと怒ってるね?
「それに関しては、我々も努力をしているとしか言う事は出来ません」
「ふむ、まあ良いでしょう。私もナツメ様から目を離したのは失態でしたから。これからはより気を引き締めるとしましょう。ナツメ様? 失礼ながら次は一緒の個室で……」
「ソレはやりすぎですよ!?」
その後は気まずい空気のまま教皇猊下のお部屋に戻った。アグノスさんは僕たちの空気から何があったのか察していたようだけど、深くは聞いてこなかった。教皇猊下は僕らの元気が無いことを気にされて色々お話をしてくださったけど、正直ちょっと上の空で聞いてしまっていた。悲しい顔をさせてしまってご免なさい。
セシルが言っていた教会の腐敗。思っていたより酷い状況なのかもしれない。僕に何か出来ることは無いんだろうか?
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