第二十一話 教皇猊下
毎週難産で困ります……
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「お初にお目にかかります。私、教会聖騎士団団長、リーデル・ガヴリエーレと申します。以後お見知りおきを」
「お出迎えご苦労さまです、わたくし王都より参りました、”聖女”ナツメ・キヨカワと申します」
僕はお城で仕込まれた淑女モード全開のカーテシーで赤髪の隊長さんに挨拶をする。おわぁ、何故かリーデルさんの眉間に深々とお皺が……それ消えなくなりませんか? 凄い目で睨んでくるけど取り敢えず僕は聖女スマイルでこれを受け流す事にした。受け流している間に葵先輩も自己紹介をしてるんだけど、聞いてるのかな、この人?
「あらあら、そんな顔をなさるものではないわ、リーデル様」
そんな睨み合いをしばらく続けていると、赤毛団長の後ろからおっとりとした優しい声が聞こえた。
「始めまして、小さな可愛らしい聖女様。わたくし、ここ聖都で貴女と同じ聖女をしております、アグノス・エフィアルティスと申します」
おぉ、凄い柔らかな微笑みに、聞いているだけで穏やかな気持になってしまいそうな綺麗な声。この人が、この世界の聖女様。本物の聖女様かー。流石長年聖女様をやられている本物の方。凄く落ち着いた雰囲気の美人さんだ。それに……胸部装甲が厚い、これが本物の迫力なのか、ぐぬぬ。
「お初にお目にかかります聖女アグノス様。まだ聖女になって間もない未熟者ではございますが、宜しくお願……むぐぅっ!?」
挨拶を言い終わる前に僕の視界が暗転し、突然呼吸が出来なくなった。ムニニ、何か凄い柔らかいものに顔面を圧迫されて息が……何か既視感あるぞこれぇ!!
「きゃぁぁぁん、可愛いぃぃ!!」
「むぐぐっ!!」
やっぱりこれ思いっきり抱きしめられてるよね!? しかも意外と力がつよい……
「もう、もうもう! 噂には聞いていたけれど。本当に可愛らしい聖女様なのね。持って帰ってしまいたい! ん~」
「ぷはっ!? うひゃぁっ!」
少し隙間が出来たので呼吸をすると、今度は怒涛の頬ずり攻撃。前言撤回、この人全然落ち着いた女性なんかじゃないや! うぅ、苦しい。でも、女の人に暴力振るうわけにはいかないから、無理やり剥がすことも出来ないし、どうしよう……
「……オホンッ。聖女アグノス。公の場です。ご自重なさい」
流石に見かねたのか、カローナ殿下がやんわりと聖女様を諌めてくれた。
「ハッ!わたくしとした事が!……聖女であるわたくしを、ここまで狂わせるなんて。ナツメ様は恐ろしい娘ね!」
「僕が悪いことになってる!?」
やっと一息つけた開放感と、あまりにも酷い言いがかりに思わず素でツッコミを入れてしまった。
……どうやら周りにいる信者さん達はそれなりの距離があるので聞こえてはいない様だ。よかったよかった。
「――聖女アグノス、聖女ナツメ様も、本日はお役目が御座いますので、お戯れは程々に」
「あ、あらあら、オホホ。リーデル様お顔が怖いですわよぉ~」
どうやら聖女様は割とお茶目(?)な方らしい。どうにもこの世界の偉人というのは少々フランク過ぎる気がする。ただ、リーデルさんみたいにおっかない人ばかりよりは気が楽なのだけど……
ちょっと後ろを振り返ると、目の合ったカローナ殿下が苦笑いを浮かべていた。どうやら聖女様は何時もこういう人であるらしい。グレコ隊長とコルテーゼさんはこの状況でも全く表情に変化なし、さすがのプロだね。
「それでは皆様、教皇猊下の元へご案内します。どうぞこちらへ」
「あ、はい……ありがとうございます」
「くれぐれも逸れておかしな場所に迷い込まれぬようお気をつけ下さい。特に聖女ナツメ様」
「ア、ハイ……」
うぉーん、すっごい睨まれてるよ。だ、大丈夫だよ、流石に公の場でバカな事はしないよ僕は。
「うーん、棗君はすぐ迷子になるから手を繋ごうか?」
「い・り・ま・せ・ん!!」
先輩の悪ふざけは放置して、リーデルさんの後を静静とついて行く。正面の巨大な両開きの扉が開かれると、そこには息を呑むような美しい光景が広がっていた。
「ふぁっ!」
「これは……流石に私もビックリだね」
開かれた扉の奥には埃一つ無い赤絨毯が伸び、奥には窓に嵌められた見事な造りのステンドグラスが輝き、聖堂内を温かい光が包み込んでいる。祭壇の横には壁に埋め込まれた巨大なパイプオルガンのような楽器が厳かな空気を纏いそびえ立ち、その荘厳な雰囲気は、まさにマディス教の中枢と呼ぶに相応しい美しさを誇っていた。
僕たちはそのまま真っすぐ礼拝堂を抜け祭壇の横の扉を通り、一般的には公開されていないであろう大聖堂の中を進んで行く。一般の信者が入らない場所とは言え、壁や柱は細部にまで拘られた意匠が施されており、絢爛豪華というわけではないが荘厳な美しさに僕たちは圧倒されっぱなしだった。なるほどこれは、案内の人が居ないと本当に迷子になってしまいそうだ。
やがて通路をいくつか曲がり、階段を登り、また降り、更にいくつもの通路を超えた先に、他の部屋とは大きく異なる雰囲気の扉が現れた。
「教皇猊下。カローナ殿下、勇者様、聖女様方がご到着で御座います」
「案内ご苦労さまです、リーデル騎士団長。どうぞお入り下さい、猊下がお待ちです」
リーデルさんが声をあげると、内側から、おそらく教皇猊下の侍従であろう少年が扉を開いてくれた。
開かれた扉の先はそれほど大きな部屋ではなかったが、しっかりとした造りの机と小さな祭壇があり、質素ながら神聖な雰囲気の部屋だった。そしてその中央、祭壇の前に祈りを捧げる人影があった。彼は僕たちが着たことに気がつくと祈りを止め、こちらに振り返る。赤い法衣に身を包み、絹のように白いヒゲを伸ばしたご老人。
この人が、マディス教の最高位、教皇ツァールト=バーブスト・モナルカ猊下。この聖都で一番偉い人なのか。失礼な事しないように気をつけないと、下手したら都市間の争いの火種になってしまうかもしれない。
僕が少し緊張しつつその顔を見つめていると、教皇猊下はその皺だらけの顔に温和な笑みを浮かべ、ゆっくりと僕らに近づいて来た。
「ようこそセントマディス大聖堂へ。お会いできる日をお待ちしておりましたよ、聖女ナツメ様。それにお供の方々もご苦労様でした。特に勇者アオイ様におかれましては、お会いできて光栄でございます」
見た目からは想像もつかないほど凛とした張りのある、それでいて優しい声。決して大きな声ではないのに、ものすごい存在感のある声だった。ただの挨拶なのに、心に直接染み込んでくるような安心感を覚える
。
「お初にお目にかかります教皇猊下、本日はお招きいただきありがとうございます。わたくし、女神マディスより勇者の称号を授かりました、アオイ・タケハラと申します」
――はっ、呆けてる場合じゃない、僕も自己紹介しないと。
「同じく、女神マディスより聖女の称号を授かりました、ナツメ・キヨカワと申します。本日は教皇猊下に拝謁出来ました事、心より嬉しく思います」
「ほほ、そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ、勇者様、聖女様。女神マディスより直接遣わされた貴方がたは、私などより神に親しい御方で御座います。私に謙る必要は御座いません」
それに、と、猊下は続ける。
「私自身、あまり堅苦しいことは嫌いなのですよ。こんな立場ですから滅多に人と合う機会すらありませんしな」
そう言いながら優しく微笑む教皇猊下は、大きな教団の偉い人という雰囲気ではまるで無く、凄く優しいお爺ちゃんという感じだった。
「――お久しぶりで御座います猊下。ますますご健勝のようで何よりで御座います」
「ほ、これはカローナ殿下。あまりにご精悍なお姿になっておられたので、すぐには分かりませんでしたぞ。大きくなられましたな」
カローナ殿下と教皇猊下は面識があるらしく、そのまま昔の思い出などを話しながら談笑していた。どうやらセシルが言うように、聖都の状況がどうあれ教皇猊下は素晴らしい方のようだ。でもそうなると、この聖都がギスギスしているのはやっぱり教会聖騎士団が原因なのかな? 猊下はその事を知っておられるのかな?
そう思いながら、ふと横を見ると不機嫌そうな赤い髪の騎士様が……
ひぇっ、おっかない!
……うーん。でもこの人確かにおっかないけど、悪い人って感じはしないんだよね。でもおじさん達を容赦なく逮捕してたしなあ。この都市の法律は厳しすぎる気もするし? やっぱり騎士団の……
「……何ですか? 私になにか言いたい事でも?」
「ひぇっ! 何でもありません!!」
いけないいけない、ずっと見てたらまた怒らせてしまった。眉間のシワが凄いことになってるよ!
「これこれ、リーデルや。か弱い女性、それも聖女様に何という態度ですか」
「――はっ。失礼いたしました、教皇猊下!」
「お前の良い所はその実直なところですが、それも過ぎれば欠点となりえます。ゆめ忘れぬよう。仕事に対してもそうです。慈悲無き統治は民を不幸にしてしまいかねませんからね」
「有り難いお言葉、痛み入ります」
「……それが硬いのだと言うに」
硬すぎるリーデル騎士団長の言葉に、困りながらも微笑む猊下。
……リーデルさんは堅物イメージはあるしおっかない人だと思うけど、今のやり取り見ても悪い人ではなさそうだね。うん、セシルはいろいろ心配してくれていたけど、この人達は信用できる気がする。
「猊下、リーデル様の事はその辺になさって下さいまし。聖女様方が困ってらっしゃいますよ」
「ん? おぉ、すまなかったすまなかった。こちらから呼び出したのに失礼を致しました」
「あ、いえ、お気になさらず。ただ、この度はどういったご用件でわたくしをお呼びになられたのか、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「うむ、うむ。それはそうなのですが、その前に一つよろしいですかな?」
「はい、なんで御座いましょう?」
「先程も申した通り、女神マディスに直接神託を授かったナツメ様とアオイ様は、マディス教に於いて私などより立場が上の方であらせられます。ですのでどうか敬語はお止め下さい」
なるほど、やっぱり女神様に会うって事は宗教に於いて凄い事なんだね。うーん、でも敬語をやめるって言われてもどうすれば良いのか。
「困った顔をされてますな。ではこうしましょう、最初は私の敬称を外して名前で呼んでいただくというのはいかがでしょうかな?」
むむ、すっごい笑顔でお願いされちゃったけど、これって逆に難易度が高いような? あぅ、リーデルさんが今にも僕を視線で殺せそうな殺気を込めて睨んで来ている気がするよ!? これは呼び捨てにしたら即刻無礼討ちの流れもあり得るのでは……どうしよう。
「ささ、遠慮為さらず呼び捨てにしてください」
「う、うーん、それじゃあ、そうだ!……ツァールトおじいちゃん?」
「ッッはぅあ!?」
僕が猊下をおじいちゃんと呼んだ瞬間、目を見開いた猊下が胸を抑えて蹲った。
「えっ、えっ!?」
「なっ!? 聖女ナツメ! 貴様猊下に何をした!!」
「ッッリーデル! お待ちなさい、私は大丈夫です!!」
今にも僕に斬りかからんとしたリーデルさんを制したのは、胸を抑え蹲った猊下その人だった。一体どういう事!? 意味がわからず狼狽える僕と、未だ僕を睨みつけながら剣を握るリーデルさん。よく見ると葵先輩も僕の半歩前に出て斧を召喚している。
「猊下、一体どうなさったのですか!?」
猊下のもとに駆け寄り、治癒法術を猊下に施すアグノスさんが悲鳴に近い声を上げる。
「……ふぅ、お前でも解りませんかアグノス」
「わ、解りません、一体猊下に何が?」
「それはな……」
皆が猊下の言葉に耳を傾け、辺りに静寂が訪れ。
そして……
「お孫力じゃよ……」
どこかで聞いた謎の言葉が紡がれた。
何とか頑張っていきます……
お孫力は老人を殺す。




