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気づけば、宴もそろそろお開きの流れになっており、残る人もまばらになっていた。
「そろそろ戻ろうか」
と、イチコが言った。時計がないので、具体的な時間は知りようもないが、少なくともずいぶんと長い間、ふたりでおしゃべりをしていたようだ。
「うん。私は、どこで泊まればいいのかな」
「私とマオさまが使ってる家があるから、そこを使えばいいよ。今日はマオさまは祈祷場から帰ってこないし、明日以降も多分そのままそこで住めると思う」
「そう。ありがとう」
「えへへ」
イチコは屈託のない笑顔を浮かべた。
トモエとイチコは並んで歩きだした。マオとイチコの住み家は、祈祷場の近くにあるそうだ。とはいえ、1日の大部分を祈祷場で過ごすふたりにとって、家はほとんど、寝る時ぐらいにしか使わないという。
突然、ズドン、という音が、遠くから聞こえてきた。
「えっ?」
「何? 何があったの?」
トモエとイチコは音の方を振り返った。もと来た道の方から聞こえてきたようだ。
「戻ってみよう」
「うん」
ふたりは急いで、もと来た道を引き返した。道中、向こうからイチコと同じぐらいの年代の少女が、血相を変えて走ってきた。
「ああ、イチコ!」
「ミノカ、どうしたの?」
ミノカというらしき少女は、よほど急いできたのか、その場で膝に手をついて、ぜえぜえと荒い呼吸をついた。少し落ち着いてから、再びイチコたちの方を向き直る。
「大変だよ、ムラに邪獣が出た!」
「えっ?」
イチコは驚いた声をあげた。
「“ヤジュウ”って――?」
トモエは訊いた。
「森のけものたちが、人たちの憤怒や敵意といった、負の情念に感化されて凶暴化した姿。戦が終わった後にたまに出るの。それでも、ムラにまで襲ってくることは、滅多になかったのに――」
イチコはトモエに答えてから、再びミノカの方を見た。
「ムラのみんなは?」
ミノカは首を横に振った。
「邪獣にどんどん襲われてる。私も命からがら逃げてきたの」
ミノカの顔は青ざめていた。よっぽど怖い思いをしたのだろうと想像できる。
「落ち着いて。私たちすぐに戻るよ。ミノカはすぐにマオさまを呼んできて。できる?」
「分かった。気をつけてね」
ミノカは祈祷場の方へ向かって走っていった。
「私たちも急ごう」
「分かった」
トモエとイチコはより急いで、もと来た道を引き返した。
トモエとイチコはその光景に目を疑った。
その場面の様子をひとことで表すならば、「惨状」だった。辺りには、阿鼻叫喚といった感じの人々の悲鳴と、けものの雄たけびが響き、家屋をはじめとした建物はことごとく破壊され、集落を仕切る塀には大きな穴が空いている。巨大なけものが逃げまどう人々にことごとく襲いかかっていた。人々はなすすべもなく、けものに押しつぶされたり、その鋭い牙で肉をひきさかれている。あのけものが邪獣と呼ばれる化物なのだろう。
邪獣は大きな唸り声をあげながら、人々を襲い、建物を倒壊させてゆく。まるで、人々に対しての怒りを如実にぶつけているようにも見えた。
「貴様ら、何を突っ立っている! とっとと逃げろ!」
怒声が聞こえた。やって来たのは、銃を手に持ったイゾウだった。イゾウは邪獣に向けて、ズドンと一発、弾丸を放った。弾は邪獣のこめかみに命中した。邪獣は一瞬動きを止めたと思ったが、しかし、何ともないような様子で、今度はこちらへと向き直った。
(ヤバい!)
トモエは思った。しかし、邪獣はもうこちらをロックオンしてしまっている。襲いかかられること必至だ。逃げようにも、すぐに追いつかれてしまうのがオチだろう。
ならば、闘う以外に道はない――トモエは思った。
邪獣は雄叫びをあげ、トモエたちに向かって突進してきた。
「いやああああああ!」
イチコが悲鳴をあげた。イゾウも、肝を冷やしたように、冷汗を流したまま、すっかり微動だにしない。
トモエは気を解放した。
ガキッ――!
飛びかかったはずの邪獣が、空中で奇妙な止まり方をした。口元には、ギラリと銀色に光る横に長い物体が、牙に噛ませるように存在感を放っていた。
そして、邪獣の目の前――そこに立ちはだかっていたのは、魔法少女の姿に変身したトモエだった。彼女は、自らの剣で邪獣の猛攻を食い止めたのだ。
押し戻すと、邪獣は後ろに跳ね、着地した。グルル――とうめきながら、トモエをまっすぐに睨みつけてくる。
「来なよ、怪物」
トモエは剣を構えた。彼女自身、手や足が震えているのが分かった。内心、怖くて逃げだしたい衝動にも駆られる。けれど、逃げたところでもうどうにもならない。助かるためには、立ち向かうしかないのだ。彼女は戦うと覚悟を決めた。
邪獣が後脚に反動をつけ、トモエに突進した。トモエもほぼ同時に動いた。邪獣に向かって剣を突き立てる。邪獣は跳び、反対側へと着地した。すかさずトモエは邪獣へと飛びかかった。邪獣は前足をなぎ払う。
「――!!」
トモエは咄嗟に、刀身でわが身をかばったが、その勢いに押され、吹き飛ばされて地面に転がった。急いで体勢を立て直す。邪獣は間髪入れず、トモエへと突進してきた。その牙がトモエの喉笛をとらえようという瞬間――トモエは飛び上った。
「やああああああああああ!」
トモエは剣をなぎ払う。夜の闇に、下向きの光の弧が描かれた。
ほんの一瞬の静寂の後、邪獣の首が胴体から離れ、地面へと落ちる。そして、続くようにその胴が横向きに倒れ、ズシンと地響きがした。
(やった――?)
トモエは肩で息をしながら、邪獣の首をじっと見つめていた。刹那、ぴくり、とその首が動いた気がした。
「……えっ?」
気のせいか――とも思ったが、そんなことはなかった。邪獣は首だけでぐるり180度回転し、憎しみがこもった鋭い目つきをトモエに向けていた。
ウガアアアアアアッ!!
そして首だけで、トモエに襲いかかった。
「うわあっ!?」
トモエは刀身で牙を食い止めたが、勢いに押されその場に倒れてしまった。
(どうして? 何でコイツ、首だけで動くんだよ!?)
そう思っている間にも、ググググ……と邪獣は刀身ごとトモエに迫ってくる。首だけだというのに、すごい力だ。トモエの力では押しのけられそうにもない。牙はもうほとんどトモエの首元をとらえていた。まさに絶体絶命だ。
(どうしよう……このままじゃやられる!)
そう思いながら、何気にふっ、と視線を横にそらした時、そう遠くない距離に、大幣をもってたたずむマオの姿が見えた。
「マオ……!? 何してるの、逃げて! 殺されるよ!!」
トモエは叫んだ。邪獣もマオの存在にすでに気づいているようで、視線を彼女の方に向けている。けれども、マオは落ち着いた様子で、大幣の先端をさっ、と邪獣の方へと向けた。刹那、マオの身体を緑色のオーラがまとった。それは炎のようにめらめらと揺れながら、徐々に大幣の方へと集中してゆく。
「はっ!」
マオが叫んだ瞬間、緑色の光が大幣の先端から放たれ、邪獣の首を包みこんだ。邪獣はグオオオオオ! と苦しそうなうめき声をあげたが、やがてその声は小さくなってゆき、目はとろんとなって、ズシンと地面に落ちた。
マオは大幣を縦に構え直し、目を閉じて祈るように言った。
「浄化完了。邪悪なものに侵されし哀れな者よ。せめてその魂は、安らかに眠りたまえ」
トモエは起き上がり、邪獣の首を眺めた。その目は、さっきまでのように憎しみや怒りに満ちたものではなく、どこか安心したように落ち着いていた。
「トモエ、大事はないか」
マオはトモエに向かい、優しげに語りかけた。
「うん、大丈夫――。それよりマオ、何をしたの?」
トモエには不思議だった。あれだけ凶暴で首を落としても、首だけで襲いかかってきた邪獣が、マオの放った光線でいともあっさりと倒れてしまったことが。
「“浄化の力”じゃよ」
マオは答えた。
「浄化の、力――?」
「そうじゃ。負の情念に侵された者を倒すためには、ただ力で対抗するだけではダメなのじゃ。むろん、それも不必要とは言わんが――しかし、それよりも大切なのは、その情念をその者から浄化し、取り除いてやることなのじゃ。敵意をもって相手を打ち負かそうとするよりも、慈愛や憐れみをもって相手を救う――この心こそが必要なのじゃよ」
「そっか……」
確かに、それはトモエの頭の中にはなかったものだ。そして、マオの言葉が真実だとするならば、敵意で相手を葬り去ろうとしたトモエには、邪獣を鎮めることはできなかったに違いない。
「しかし、トモエもよくやってくれたぞ。わらわひとりでは、邪獣を救ってやることは不可能じゃったろう。邪獣を抑え込むのに、浄化の力だけで事足りるわけではないのじゃ。わらわが、あのけものを救えたのは、トモエが戦ってくれたおかげじゃ。礼を言うぞ。さて、わらわは戻って、祈祷の続きを行うとしよう。神に祈りを捧げなければならない者が増えたようじゃ。このけものに殺されたムラの者たち。それから、このけものも、戦の犠牲者なのじゃからな――」
マオはそう言って、祈祷場へと戻っていった。
残されたトモエは、魔法少女として自分に足りないものをはっきりと自覚した。マオはトモエをよくやったと褒めたが、マオがいなければ、自分はやられていたに違いない。
敵意ではなく慈愛――、マオの言葉がやけにトモエの耳に残った。