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 なぜこんなに早くここまでたどり着けたのか――と一瞬疑問に思ったが、考えてみれば自然なことだった。

 イゾウらは、トモエたちと同じく、はじめからたどり着く目標があった。まだ見ぬ安住の地を目指して、道なき道を進んでいたマオたちより進みが早いのは当然のことなのだ。

 トモエたちは、崖の上からイゾウの率いる男たち一派を見下ろした。

 イゾウが崖上を睨み叫んだ。


「イッキよ! 貴様よくも、マオさまをさらってくれたな。今こそ、貴様の息の根を止め、マオさまを取り戻してくれる」


「違う!」


 マオが叫んだ。


「一緒にムラを出ようと誘ったのはわらわの方じゃ。イッキは悪くない。すべて、わらわが決めたことじゃ」


「マオさま、そやつにたぶらかされてはなりません。そやつはきっと、己の私利私欲のため、マオさまを利用しているだけなのです。騙されてはなりません。……あと貴様ら!」


 イゾウはトモエとイチコを向いて叫んだ。


「おかしいと思ったが、お前らが裏で糸を引いていたんだな。イッキと一緒に貴様らも血祭りにあげてやる。覚悟しておけ!」


 思い切り敵対宣言をされたトモエは呆れたように呟いた。


「なんて勝手な思い込み……」


「話が通じる相手なら、今頃こんなことにはなってないよ」


 イチコが言う。確かに、この世界に来た時、イゾウは有無を言わさずトモエを敵のスパイだと決めつけ処刑しようとした。イゾウはそんな独善的な男なのだった。

 そこへ、どこからともなく矢が続けざまに何本も飛んできた。そのうちの一本が、マオめがけて迫ってくる。


「危ない!」


 イッキが叫んだ。


「馬鹿、誰が矢を放てと言った! マオさまに当たったらどうする!?」


 イゾウが自分の味方らに叫ぶ。幸いマオは無事だった。しかし、代わりに胸元を真っ赤にして倒れているのはイッキだった。身を呈してマオを守り、流れ矢に当たったのだ。


「イッキ!」


 マオは叫び、イッキを抱きかかえた。


「マ…マオさま……ど、どうか……ご無事…で…………」


 イッキはがくりと果てた。


「イッキ!!」


 マオは悲痛な叫びをあげたが、イッキが目を開けることはなかった。


「イ、イッキ……なんということよ」


 マオは悲しみに肩を震わせた。そして憎しみをこめた目で、イゾウたちを見た。


「あやつら、許さん……!」


 マオの周囲から、紫色のもやが立ち込め、空中へと昇っていく。それはマオの情念だった。これまでに誰もが感じたことがないくらいの、圧倒的に強く暑苦しい想いだった――。


「マオさま、いけません。このままでは……!」


 イチコはマオを制止しようとする。


「分かっておる……分かっておるが…………もう止まらん!」


 ほとばしる怒りが、マオにも制御できないのだ。

 ぎゃああああああ! というマオの叫びとともに、空へと立ち昇る怒りの情念が山へと散った。しばらく後、激しい地鳴りの音が地響きを伴ってやってきた。


「な、何が起こったの?」


「トモエ、あれを見て!」


 イチコが向こうの山道を指差した。見れば、山じゅうの動物が、群れをなして走っているのが見えた。向こうの山道だけではない。方々でけものの大群が尋常じゃないほどの興奮した様子ありありで山を下っていく。

 見ているうちに、崖下のイゾウら男たちは、迫りくる動物たちになすすべもなく蹴散らされた。そして、さらにその先を目指すように、みな同じ方角に向かって走ってゆく。


「あの動物たち、私たちのムラに向かってる!?」


 トモエとイチコは身を震わせた。動物たちが走る方向の延長線上には、暮らしていたムラがある。あれだけの大群がいっせいにムラに入り込めば一体どうなるか、考えてみるまでもなかった。

 一体何が起こったのか、トモエにもなんとなく分かった。要はこういうことだ。マオは祈祷師として、ムラの人々の悲しみや憎しみを一手に引き受け続けてきた。マオの内側に溜まりにたまった負の情念は、イッキが殺された怒りとともに爆発、山じゅうへと散り動物たちを邪獣へと変えた。そして、邪獣たちは報復へと向かっているのだ。本来、その悪しき情念を持っていた人間たちへ。


「なんということよ。わらわも邪悪な人間のひとりじゃったというわけか」


 マオはがっくりと肩を落とし、自虐的に笑った。


「マオのせいじゃないよ」


 トモエは言った。言ってしまえば、ムラの人間たちがもたらした結果なのだ。しかも、自分たちの醜い心を、マオに押しつけてもきた。


「いや、彼らの情念を自分の中で処理できず、負の遺産にしてしまったのは、わらわの責任じゃ。わらわも他の者たちと同じ、罪深い人間じゃったというコトじゃよ。証拠に、こうなってしまったことに対して、どこか胸のすくような気持ちを抱いてしまっている自分がおる。人の不幸を喜ぶなぞ、神に仕える者として最低じゃ」


 マオがすすり泣く声が聞こえた。涙に喉をつまらせながら、マオは続けた。


「トモエにイチコよ、わらわはこれから一体、どうすればいい。愛する人も亡くし、祈祷師の資格もなく、生きる意味があるのか。いっそこの場で死んでしまいたい」


「マオさま、いい加減にしてください」


 イチコが怒りを込めた声で言った。トモエもマオも驚いた目で彼女を見た。イチコがマオに対して、こんなに強い口調になるのははじめてだった。


「罪深い? 人間がそういう存在だなんて、そんなのマオさまが一番よく知っているはずじゃないですか。マオさま自身もそうだったからって、何だっていうんですか? それに、マオさまが死んだら、あなたを身をもって守ったイッキさんや、あなたを慕ってきた私やトモエは一体どうなるんですか。罪だって、反省しながら少しずつ償っていけばいいじゃないですか。自分の罪を認めたくないから死ぬなんて、そんなの卑怯です。お願いですから生きてください」


「……イチコの言う通りじゃな。わらわが間違っておった。迷いながらも悔い改めていくのが、わらわにできる精一杯の償いかも知れぬ」


「マオさま……」


 マオは崖を背に立ち上がり、トモエとイチコに言った。


「許してくれ。そして、トモエにイチコよ、できたらわらわの生きる手助けをしてくれんかの」


「もちろん」


「もちろんです」


 ふたりははっきりとした口調で応えた。マオは嬉しそうにほほ笑んだ。

 その瞬間、刃がマオの胸を貫いた。


「…………がっ!?」


 マオは口から血を吐いた。

 マオの背後に、血まみれのイゾウがいた。崖をのぼって自らの剣でマオを突き刺したのだ。


「マオ、貴様もムラに災厄を及ぼす魔だったのだな。今ここで成敗してくれるわ!!」


 イゾウはがははは、としゃがれた声で笑ってみせた。マオは振り返り、イゾウを睨んだ。その時、マオの力のせいなのか、突き刺さる刃が彼女の身体からするりと抜け、支えを失ったイゾウは足を踏み外し、崖の下へとまっさかさまに落ちていった。

 マオはがくりと膝をつき、その場に倒れた。


「マオ!」


「マオさま!」


 トモエはマオを抱きかかえた。マオは胸を真っ赤に染め荒い息をつきながら言った。


「やはりわらわは、ここまでのようじゃ」


「マオさま、死なないで」


 イチコは涙ながらに言った。


「イチコよ…すまぬ……。祈祷師の役目……代わりに頼む。ムラにも、生き残った者が……おるじゃろう。導いてやってくれ」


 マオはイチコに頬に手を当てた。手のひらも真っ赤に染まっていたが、イチコにはその血でさえも愛おしく思えた。


「はい!」


 イチコはマオの手を自分の両手で押さえながら力強く応えた。


「あと、トモエ……。手を出してくれ」


「うん」


 トモエは手を出した。マオはイチコに触れている方とは逆の手を、トモエに差し出した。

 手のひらに手のひらをかざした時、その隙間からまばゆいばかりの緑色の光が出た。猛烈なエネルギーとあたたかさを備えもったその光は、やがてひとつに収束し、トモエの手にころりと転がった。

 見ればそれは、緑色の光をもった石の玉だった。


「――これは?」


「わらわの……“浄化の力”じゃ。わらわが生み出した悪しきものを……葬り去ってくれ。あと、そなたの住む世界にも、悪しき情念に……苦しめられている者はおるじゃろう。その者と闘い……そして救ってくれ」


「分かった。ありがとう……」


 トモエはその石を大事に握った。


「そなたたち、わらわの遺志を……どうか、継いでくれ」


 トモエもイチコも声がつまって、言葉が出ず、代わりにただ頷いた。


「ありがとう。あと、もうひとつ頼みじゃ。死んだ後も……わらわをイッキのそばに居させてくれ……頼む」


 そう言い残して、マオはがくりと果てた。


「マオさま……マオさま!」


 イチコは何度もマオの名を呼び、大声で泣いた。トモエは、今の状況にただ呆然となりながらも、ひとりでに目から大粒の涙が流れてくるのを感じていた。

 頭の中で、ただマオとの思い出が、繰り返し流れていた。






「――トモエ」


 ふと、名を呼ばれ、はっとイチコの方を見る。イチコはいつしか泣きやんで立ち上がり、腫れぼったい目でトモエを見下ろしていた。


「マオさまとイッキさんを埋葬してあげよう」


「――分かった」


 ふたりは土に穴を掘り、そこへマオとイッキの亡骸を並べて入れた。手をつながせ、土をかぶせる前に顔を覗き込むと、ふたりは幸せそうにほほ笑んでいた。






 マオの供養が終わっても、やるべきことは残っている。今回の事態の後始末だ。それは、マオが自身の祈祷師の使命として、最後にトモエとイチコに託したことでもあった。




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