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祈祷場の屋敷の前に大幣をもったマオが立っていた。
「マオさま……」
イチコは息を切らしていた。ムラ人たちの住む集落から、ここまで走ってきたのだ。呼吸を整えるのが早いか、イチコは続いて言葉を切り出した。
「イ、イッキさんが――」
「知っておる」
マオは静かに言った。
「わらわとの関係に感づいてのことじゃろうな。本当に、ひどいことをするものじゃ」
マオの言葉には抑揚もなく、感情を感じられなかった。その顔は険しさのかけらもなく、むしろ微笑んでいるようにも見える。どこか諦めの表情にも思えた。
「マオ、このままじゃイッキさんは――」
今度はトモエが言った。マオはこくり、と頷く。
「そうじゃの。じゃから、わらわは決心したのじゃ」
「決心?」
マオは祈祷場の方を向くと、声を張り上げた。
「何をしておる。早う出てくるのじゃ」
すると、じきに祈祷場の扉がおそるおそる開いた。そこにはばつが悪そうに俯き加減でこちらを見るイッキの姿があった。
「イッキさん――」
「わらわはもう、このムラには愛想が尽きた。イッキとともにこのムラを出ていく」
「ええっ!?」
トモエとイチコはほぼ同時に声をあげた。
「マオさま、思い直しませんか」
イッキは不安そうな弱々しい目をマオに向けた。その様は普段の男らしく頼もしい姿とはまるで違っていた。マオは声をとがらせて言った。
「何を申すか。このムラの連中は、そなたを亡き者にしようとしておるのじゃぞ」
「しかし、ムラを治める人がいなくなります」
「はぁ――。そなたという者はとことん人がよいの」
イチコが続いて言った。
「でも、このムラにいるのは、悪い人たちばかりではありません。マオさまがいなくなると、みんなが困ることになります」
「イチコよ、手を出せ」
「……? はい」
イチコが両手を差し出すと、マオはその手のひらに自分の大幣を置いた。
「え、これってどういう――?」
「イチコ、わらわに成り代わって、このムラを治めよ」
「ええええっ!?」
イチコは驚いて、叫び声をあげた。
「大きな声を出すでない。ムラの者たちに気づかれたらどうする」
「で、でも――」
「イチコ、わらわのあとを継げ。そなたにはその素質がある」
「冗談――ですよね?」
「冗談でこんなことを言うか。そなたを長年付き人にしていたのはどうしてだと思う。そなたの生まれながらの才能を見抜いていたからじゃ。その力は、わらわと同等か、あるいはそれ以上かもしれぬ」
「私には無理です」
イチコは肩を落として言った。
「自信をもて。そなたならきっとできる」
マオはイチコの肩にぽんと手を置いた。そしてトモエを向き直る。
「トモエ、そなたが帰る日まで、イチコのそばにいてやってくれぬか」
「うん、いいけど」
「すまぬな。――ではイッキよ、わらわたちはそろそろ行くとしよう」
マオはイッキとともに、ムラの入り口とは逆の方向へと歩いていった。トモエもイチコもふたりの後ろ姿が見えなくなるまで、何も言えないままにその姿を眺めていた。
マオとイッキの失踪に、ムラは大騒ぎとなった。
ムラを治める祈祷師が去るのを止めなかったとして、トモエとイチコは住民たちからの避難を一斉に浴びることになった。
「マオさまはどこに行った。言え!」
首領のイゾウは声をいからせてすごんだが、イチコは口を真一文字にしめて、必死に耐えていた。
「もういい。このムラを離れるためには、裏の山を越えるしかないからな。その方に向かったに決まっている。皆の者、今すぐ追いかけて、マオさまを取り戻すぞ。そして、マオさまをたぶらかし、連れ去ったイッキを血祭りにあげてやる」
「やめて!」
イチコは声をあげた。
「マオさまを追いかけてはダメ。予感がするんです、このムラに災厄が訪れるって」
「何を根拠にそんなことを言う」
「これが証です」
イチコは大幣を差し出した。
「私はマオさまに後継者に選ばれました。その私の脳裏に浮かんだんです。このムラ押し寄せる悪いものが――」
「何を抜かす。お前のような汚れた捨て子に、神秘の力が宿っているはずはない」
イチコは俯き、肩を震わせた。押し殺した声で言った。
「たしかに、私はもともと、森に放置されていた親の顔も知らない捨て子でした」
それから、きっ、とした顔でイゾウをにらみつける。
「でも、そんな私を――マオさまは後継者に選んだんです。私はその意志を継ぎ、このムラを治めるんです。マオさまを追いかけてはいけません、これは命令です」
「黙れ、このガキが!」
イゾウが腕を薙ぎ払う、イチコはあっさりと倒された。
「かまうことはねえ、男ども、武具を持て! 今からマオさまを奪還に行く」
ムラの者たちは、武具庫へと去っていった。
「イチコ、大丈夫?」
トモエはイチコを抱きかかえた。イチコは顔をゆがめて、
「大変だ……!」
と震えた声で言った。




