問い掛けるは未来
耳元でけたたましい音楽が聞こえて、目が覚めた。
腕だけで充電器と繋がった携帯を拾い上げ、その目覚ましの音を止めれば、自分でセットした最近ハマったアニメのオープニング曲が消える。
あー、なんだっけ。
寝起きの頭を回そうとするけれど、白いモヤが掛かっているみたいに思い出せない。
見えてこない。
「姉ちゃん、起きたの?」
「……ノックなしで入って来ないで」
ベッドの上で体を起こして、扉の方を見やれば、既に学生服に身を包んだ弟が立っていた。
不思議そうに私を見て首を傾げている。
「いいじゃん。今日休みだっけ?」
扉を開けっ放しにして、人の部屋にズカズカと踏み込んで来る弟。
無邪気な笑顔を浮かべているが、私はそんな風に育てた覚えはないぞ。
寝癖の付いた髪を撫で付けながらカレンダーを見る。
今日の日付を見れば普通の平日。
だがしかし、学校には年に一度だけ開校記念日なるものがあり、私の通っている学校は今日がその日だ。
そうだねぇ、なんて答えれば、じゃあ何で目覚ましなんて掛けてるのさ、と言われてしまう。
切るの忘れたんだよ。
「で、何の用」
私の机の上を眺めていた弟が振り向く。
それから、あぁ、と一つ頷いて「今日、母さん達も出掛けるから昼は適当に食べて、夕飯よろしくだってさ」と言った。
折角の休みに押し付けられた感があるのだが、いっそ昼は外で食べてやろうか。
ガシガシと頭を掻いていると、姉さん、と呼ばれる。
充電器と繋がったままの携帯を充電器のコードから引っこ抜き、視線を上げれば目の前に差し出された一枚の紙。
あぁ、そうだ、昨日出したままで……。
頭の中の白いモヤが晴れていく。
目の前の紙と一緒になって思い出すのは、目覚ましが聞こえる直前まで見ていた夢。
眠りが浅い時に見るあれ。
「専門にするの?」
「あー、いや……」
夢を思い出した私は、動きを完全に止めてしまい、弟が眉を上げてまた首を傾げる。
そんな弟の手の中にあるのは一枚の紙切れで、専門学校の見学会がうんたらという内容のものだ。
まぁ、来年受験生の高校二年生なら、誰しもがこういう情報を掻き集めるだろう。
ただ、私は違うわけで。
ベッドから浮かした腰を戻しては、また浮かして。
そんなことを繰り返して、金魚みたく口をぱくぱくと開閉させる私を見て、弟は溜息を吐き出した。
「まぁ、父さんも母さんも大学のがいい、みたいなこと言ってたしね」
とすん、浮かしかけた腰を落とす。
ベッドの軋む音を聞きながら、カラ笑いをする私の膝に、その紙がひらりと落ちてきた。
片付けて置かなかった私が悪いんだけどね。
膝の上の紙を持ち上げて、そのままの体勢で布団の上に倒れ込む。
ばさり、広がる髪を弟が撫でた。
触るな変態、変態じゃねぇし、そんな風に言い合いをして時計を見やる。
「泣いてたよ」
「誰が」
私の主語のない言葉に対しても、弟は反応をしてくれる。
そろそろ家を出ないといけない時間じゃないの。
手元の紙を丸めてぐしゃぐしゃにする。
ぽこん、私の髪を撫で続けるその手にぶつけて、なかった主語も一緒に投げた。
「私」
目を丸めて眉を寄せた弟。
何言ってんだコイツ、みたいな顔をされているけれど、私の思考は思い出せるだけの夢に飛ぶ。
高校は電車で二駅分の場所。
毎朝毎朝気だるい体を動かして駅まで向かい、登校出勤がモロかぶりな時間に、ギチギチの電車に乗り込んでゆらゆら揺られる。
使い慣れた駅に、私はいた――勿論夢の話だけれど。
電車を待っているはずなのに、誰もいない。
電車も来ない。
目の前の線路を挟んだホームを見れば、髪の長い女の人が立っていた。
こちらを見てゆったりと口を開く。
ほろり、落ちた雫にギクリ、肩を揺らした。
何でそんな目、するの。
何事かを言っていたけれど、聞き取れなかった。
何の放送もなしに電車が飛び込んで来て、通り過ぎた頃にはその人はいなくて目が覚めたのだ。
「多分、私なんだろうなぁ」
「……姉さんが何を言ってるのかサッパリ」
訝しむように私の顔を覗き込む弟の眉間には、なかなかに深いシワが刻まれている。
指先でそこをグリグリしてシワを伸ばす。
分からなくていいよ、そんな私の言葉のせいで、なかなか伸びてくれないけれど。
大学とか専門学校とか、私だけで決めていいものなのか。
いや、私の進路だから。
いやいや、でもお金とかは私のじゃないし。
グズグズした腐り掛けの思考は、答えを出してはくれない。
「結局、何言ってるのかも分からなかったし」
「だから、何が?」
シワの伸びない眉間から指を離して、私は弟の問い掛けに対する答えではないものを吐き出す。
行き場を失うことのなかった私の指先は、ベッドのサイドテーブルの上の時計へ。
遅刻じゃない?なんて言いながら。
弟の視線が時計に向かって、直ぐに私の方へ向き直る。
姉さん、チャリ鍵!なんて半ば叫ぶように言いながら。
あぁ、はいはい、私はもう一度体を起こして、コルクボードに突き刺さる画鋲に掛けっぱなしの、小さな鍵を一つ取り、投げ渡す。
行ってらっしゃい、行ってきます、見送りの言葉をかければ、ちゃんと返ってきて、バタバタと足音を立てて私の部屋を出て行った。
ただし、相変わらず扉は開けっ放しで。
もう少し気を使える男になれ、弟よ。
二度寝をしようか迷いながらも、自分の足で扉を閉めに行く。
自分で自転車買えばいいのになぁ。
ぱたん、と閉じた扉を見ながら慌てていた弟を思い出す。
あった方が絶対便利だろうに。
はぁ、溜息を吐きながら、二度寝のためにベッドへと体を投げる。
大きな音を立てるベッドのスプリングを聞きながら、静かに目を閉じた私。
瞼の裏に浮かんで見えたのは、夢の中の髪の長い女の人。
ぼんやりしてたけれど、多分、私。
何となく、顔立ちが。
夢だからいくらでも都合よく脚色出来てしまうし、夢から覚めたら溶けるように消えるものだけれど。
なんて、言ってたんだろうな。
目を閉じているのにも関わらず、瞼が重くなっているのを感じる。
色の薄い唇が動く瞬間を思い出す。
眠りに落ちるその瞬間、聞こえなかったはずのその声が聞こえた気がした。
「本当に、それで、いいの?」