01.マザコンは異世界へ降り立つ
我が家は俺、母さん、父親の三人家族である。
父親は単身赴任で、年に二回。盆と正月以外は声も聞くことがない。
「とっても優しくて、とっても恥ずかしがりやなの!」
母さんはそう言うが余り実感はない。
俺が産まれた頃には既に父親は赴任先で生活を始めていた。
基本的に言葉数が少なく、家に帰って来た時もその巨躯をどっしり構えて新聞を読んでいる。
そんなんしか思い出せないレベルなのだ。
故に俺は毎日が母さんと一緒で、俺の世界は母さんを中心に回っていた。
よし、過去を振り返り現実から目を背けるのはそろそろやめにしよう。
どうしてこうなった。
目の前には俯き、涙を床に落としているお姫様。
その少し奥には、豪奢なお椅子に、お座りになられて、俯く王様。
王様を守護している近衛兵も気まずそうに、俺から視線を逸らしている。
敢えて口に出して言おうか。
「一番気まずいの、俺ですから!」
◆◇◆◇◆◇◆◇
俺は今ここで遺憾の意を表明する。
この…異世界召喚へ。
魔術式によるまばゆい閃光の目潰しから、視力が回復して辺りを窺う。
え、なに?ここ何神殿?
大理石のような光沢と気品を兼ね備えた太い柱が幾本と、細部に渡り拘りが垣間見える女神像が中央に鎮座している。
遠巻きに周りを囲んだ甲冑着込んだ兵隊さん。
目の前にはレイヤー顔負け…いや、どう見てもこちとら本業か。
コレでもかとフリフリの付いたピンクのドレスを着込んだ、金髪碧眼サラサラヘアーの世間一般で言う美少女さんが嬉しそうに俺を見ている。
俺はまったく嬉しくないのだが。
昔は夢にまで見た異世界。
今は俺と母さんを引き離した憎き異世界。
いや、マジ…本当マジガチで今すぐ還してください。
脳内は母さん成分を求め、頭の中でバーニングローリングシィンキング。
よし、いい子だから落ち着け俺。
俺が落ち着いたのを見計らった様に声が掛かる。
「ようこそ、おいで下さいました勇者様。私の言葉が分かりますか?」
「ア゛ァ?」
「ひっ!?」
お姫様は小さな肩を跳ね上げ、か細い声が小さな口から漏れる。
どうやら怯えさせてしまったようだ。
だが、よく分かった。俺は未だに平常ではない。
一度脳内を強制シャットダウンして、数秒間のインターバルを挟んだ後で再起ど…いや、無理だわ。
母さんに迷惑を掛けぬ為、近所でも評判の出来る息子を演じ続け早14年。幼稚園から小中高に至るまで、頭は良くないがあいさつの出来る明るい生徒を演じていた、俺、終了のお知らせ。
取りあえず、己の現存勢力を確認せねばならない。
一から十を母さんに手取足取り教えてもらっていた時間は、何よりの至福の時でした。
…違う。違うだろうよ俺。
今はそれは大事じゃ…いや、それも大事だが優先させることがあるだろうが。
天才魔術師の母さんから遺伝子を引き継ぎ、天才魔術師の教えを毎日賜った成果を、今こそ確認する時が来たのである。
魔力に乏しく、世界に干渉出来ない地球とは違うのだ。
魔力を代価とし現し世の理へと干渉、変格をもたらす魔術は大まかには二通りある。
一つは音響魔術。主に声、次点で楽器などを使い発っした音へと魔力を流し、その音階、リズム、響きで魔力を導き術式を構成、干渉現象を引き起こす方法。
二つ目は術字魔術。力を秘めた字を直接魔力を用意て書くか、触媒に魔力を流しながら書き、術字の配列や配置の組み合わせによって、その場所、空間、モノに干渉しうる方法。
そう言えば、日本の漢字や平仮名にも術字的要素を感じると、母さんはしゃいでたっけな。
いや、今は確認を急がねば。
ばれずにこの場で出来るのは音響魔術しかない。いきなり文字を書き出して、騒がれるのも面倒だ。
辺りに注意し、最小限の声で紡ぐ。
「…【風よ】」
ふわりと不自然な風が、髪を撫でる。
よし、魔術は使える。バレぬ様に極最小限の威力に抑えたため、そよ風以下の風だったが発動できる事はわかった。
そろそろお姫様には、現実逃避か戻って来て貰いたい。
遠くを見つめ、焦点を結んでいない目をしたお姫様にの肩を叩く。
「いつまで呆けてるんだ。起きろ」
叩いても反応がないので、がくがくと揺すると、
「………あ、は、はい!?」
お姫様は、突然目の前に俺が現れた様に思えたのだろう。またも肩を跳ね上げ、ぎこちなく固い笑顔で返事を返してくる。
まぁ、いいや。
「ここの責任者、だれ?」
淡々とした口調で、もはや命令に近しい発言だが構わない。コイツらは俺と母さんを引き裂いた、誘拐犯達なのだから。
「そ、その前に自己紹介をさせてください!」
怯えを見せる瞳の中に、確固たる意思を感じしぶしぶ承諾する。
「ありがとうございます!私はサンガ王国第二王女、リナーユ・ド・サンガと申します。勇者様のお名前をお伺いしてもよろしいですか?」
深々と腰を折り、完璧な所作のお辞儀見せられた。
やはり最初に聴いた言葉は間違いじゃなかったか。
ことに及んで勇者と来たもんだ。
「そ。俺はハル。で、責任者は?」
胸くそ悪い。そのせいで更に素っ気なくなってしまう態度。
──勇者。
非常に便利な言葉だ。
勇気を胸に敵に立ち向かう者、勇猛果敢に戦う者。
そんな勇姿を見てるだけ。
それが大体の勇者召喚を行った世界の人々の在り方だろう。
本当に胸くそ悪い。
…百歩譲って世界を救ってやらなくはない、だが母さんと離したことは万死に値する。
どうせなら母さんも一緒に召喚していてくれれば、母さんと2人で楽しい異世界ライフが……………………。
そんか俺を見るお姫様の目には畏怖や猜疑の中に、期待が奥底にドロリと潜んでいる。
「ハル様ですね!父の…王のもとへご案内します。着いてきてください」
俺は何も言葉を返すことなく、その後に続いた。
───長い廊下を幾度も曲がり、階段を上り、たどり着いたのがこの謁見の間っぽいところ。
「よくおいでくださった。勇者様」
近衛兵を壁の両サイドに配置し、数名の大臣らしき人物達を侍らせるカイゼル髭の偉そうなオッサン。
何様だコイツは………なるほど、王様か。
ワシが王様だ!といわんばかりの王様スタイル。
王冠にマントを羽織り、ステッキなんか持っちゃって、豪奢なお椅子に座っている。
不躾に見詰める俺を大臣方は睨んでいるが、王様は素知らぬ顔で俺を見ている。
お姫様─リナーユが隣に立ったのを見計らい、王様が語り始めた。
「突然のことで驚かれていることでしょう。先ずはその事について謝罪させて頂く」
上からなのか下からなのか、イラつくカイゼルだ!
「ですが、事は急を要したのです!我が国にダンジョンが現れて五年、その活動がここ最近活発になり民にも被害が出ているのです」
その五年は何をしていたのか、小一時間問い詰めたい。どうせ都合のいい採掘所的に思ってたんだろうな。
で、手に負えなくなったから便利な勇者に頼もうだろうな。
「どうか、勇者様。お助け願えないでしょうか?」
カイゼル髭の上目使いほど、気持ち悪いものはない。
母さんのなら…いや、比べるのは失礼だ。
「その前に聞きたいのですが、俺はもとの世界に帰れるのですか?」
そう。カイゼル髭オッサンの話より、こっちが最重要項目だ。
自ずと手に力がこもる。
「ご安心ください勇者様。ダンジョン最奥の魔王さえ倒せれば─」
「はい、ダウト」
俺は王様の口上を遮った。
「魔王さえ倒せば?なぜ魔王を倒せば帰れる様になるんだ?異世界転移の為の膨大な魔力の用意は?その際に必要な触媒、術字魔術の術式の用意は?まさか魔王倒した瞬間に戻れるとか言っちゃうの?」
「そ、それは…」
絶句する王国側一同。
「ねぇねぇ、俺なんか間違ってた?」
これが決め手であった。
───そして、冒頭へと戻る。
「一番気まずいの、俺ですから!」
俺の心の叫びにも、誰一人言葉を返さない。返せない。
勇者召喚を甘く見ていたのだろう。
呼べば助けてくれるよね?くらいにしか考えてなかったのだろう。
こんなカイゼルがトップで大丈夫なのだろうかこの王国は。
いや、王国を心配しておる場合ではない。
このままでは母さんに会うことが出来なくなる。
「どうやって、俺を還すつもりだったんだ?」
もはや敬語など使う余地もない。
王様からも言葉は返ってこない。
「…何も考えてなかったのか?」
更に俯く面々。
もう、ここにいても意味はないようだ。
謁見の間に入室する時に潜った大扉へと向かう。
「ど、どこへ…」
縋るようなリナーユへ肩越しに振り返り、
「さぁ?」
言う必要もない。
ここにいたのはただの誘拐犯達だけなのだから。
そして俺は一息に駆け出し大扉を蹴り開け。
目の前に現れた窓に向かいなんの躊躇いもなく。
窓枠を踏み台に目の前に広がる街並みへと。
飛び出した。