3-11
光のない世界で、嫌な匂いがした。
ガソリンの匂いに混じって、鉄独特の鼻の奥に居座るような鋭い香りがする。
しかも、それだけじゃない。
ガソリンと鉄の匂いに消させることなく確固たる存在感を示しているものがある。
僕はこの匂いが大嫌いだった。
吐き気を催すようなこの血の臭いは何度嗅いでも、好きになるわけなんかない。
声が聞こえた。
泣き声と悲鳴とうめき声だ。
視界に光はない。
声だけが響き渡る。
何を言っているのだろうか?
耳を澄ました瞬間、
絶叫。
世界の終末を見てしまったかのような悲哀に塗り染まった声だった。
声に詰め込まれた感情に僕の感情が感化してしまったのか、止まることのない絶叫を聞いているだけで僕まで涙がこぼれてしまいそうだった。
これほどの絶望に満ちあふれた声を、僕は未だかつて聞いたことがなかった。
「いやぁ、いやよぉ、どうしてなの? どうして……私の子供が……いや、お願いよ。お腹を蹴ってよ。今までのように元気よく、私のお腹を蹴りなさいよ!!」
チョコレートのような甘い声が、今ばかりは泥のように濁っている。
この声はリンジュ………いや、違う。色音鈴寿さんの声だ。
遠くからサイレンが聞こえてくる。
救急車が来たのだろう。
でも、もう遅い。
手遅れだ。
救いたい命……いや、救わなければ為らなかった小さな命はすでに、彼女のお腹の中にはない。
手遅れだ。
小さな新たな息吹は、この世界を知ることなく消えてしまったんだ。
彼女の絶叫がその事実を雄弁に物語っている。
母親になるはずだった彼女の慟哭によって…………。
白になった。
前触れもなく、黒一色だった世界が白一色に染まった。
鼻が曲がるような血と鉄とガソリンに満ちた匂いもなくなり、彼女の声もサイレンも何も聞こえなくなった。
終わったのだろうか。
何がと言われると難しいと、一つの命が終わる瞬間はこんな風に突然と世界と切り離されたような感覚になるのかもしれない。
でも、終わっていなかった。
白一色だった世界は再び、黒一色となった。
でも、香りがした。
花でも生けてあるのだろうか、鼻腔をくぐり抜けるだけで安らかになる甘い香りが世界には満ちていた。
そして、声がした。
それはチョコレートのように甘い声だった。
「え~~と、これは一体どういう事なのでしょうか?」
黒一面だった視界の下から光が差し込んでくる。
目を射抜く、優しい光だった。
ずっと閉じらていた目がやっと開いたのだと、僕はやっと分かった。
光が差し込む優しい世界。
始める見る世界で、一番最初に目にしたのは………
「空から赤ちゃんが墜ちてくるなんて、これは自然妊娠ではありませんよね」
僕が知る彼女よりも、少しだけ幼い彼女だった。




