2-21
リンジュに完膚無きまでに拒絶され、僕はどうしたら良いのか分からなかった。
人目の少ない公園のベンチに座って、スカートの裾を指さしでいじりながら、ぼんやりと空を眺めていた。
オトメの空は地球と同じように青かった。
まるで悩みなんてないかってぐらい、憎たらしいほどに清々しい色をしていた。
「こんな時は、雨でも降って欲しい気分なのに、ね」
頭の中で何度も、ヒステリシスに叫ぶリンジュの声が木霊してくる。
ビタースイートな声が溶けたチョコレートのように僕の心を黒く塗り潰してくる。
「リンジュ………」
彼女が苦しんでいるのは痛いぐらいによく分かる。
今にも泣き出しそうだった彼女を助けてあげたい。
でも、僕はどうすればいいの?
リンジュを囚われのお城から救出する。迷子になったルルルちゃんを見つけ出す。
これまでは明確にやるべき事が分かっていたけど、今回、リンジュが僕に言った言葉は、
『出て行って下さい。ツバサぁ!』
拒絶だった。
リンジュの願いを聞き入れたとしても、彼女が笑顔にならないことだけは分かっている。
でも、どうすれば、リンジュがまた笑顔になってくれるか、僕には分からないでいる。
「やっと、自由になれたみたいデス」
振り向くと、ゴスロリ衣装に身を包んだタロウさんが買い物袋を下げながら、立っていた。
ウジウジ悩んでいても何にもならないことは分かっているつもりだ。
それに、タロウさんに余計な心配をさせたくはない。
きっとぎこちないだろうけど、無理矢理苦笑いを浮かべながら、なんとか平穏さを繕う。
「うん、やっとリンジュが手を離してくれたよ。タロウさんの方は、買い出しの帰り道?」
頷いたタロウさんは袋の中から、リンゴに似た果実を取り出すと僕に向かって投げてくれた。
「ツバサ君は、折角自由になれたのに、元気がないデスね。大丈夫デスか?」
空元気は容易く見透かされてしまっていた。
同じ異世界からやって来者同士、その上、美砂と違ってタロウさんと僕は世界で二人しかいない男の子同士だ。
否応なく親近感が込み上げてくるし、情けないことに今ばかりは同じ男の子が側にいてくれることに、安堵してしまう。
「ありがとう。でも、タロウさんの顔を見たら、少し元気になれたよ」
恥ずかしさから、今度は作り物じゃない苦笑いを浮かべ、リンゴに似た果実に齧り付いた。
甘さが口の中に拡がって、心がさらに落ち着いていく。
今さらながら、リンジュに束縛されていた三日間はまともに食事も喉を通っていなかった事を思いだして、空腹が蘇ってきた。
もう一口齧り付いた。
甘い果汁が乾ききっていた喉を潤して、体中に糖分を循環させる。
鈍っていた自分の心が、食することで少しだけ澄み渡っていく気がした。
タロウさんが、ゴスロリ衣装のスカートの縁を、脚の間に挟むようにしながら、隣に腰を下ろした。
「キミは、元の世界に戻りたいと思うデスか?」
「唐突に聞いてきますね」
「キミは辛そうデス。辛いのなら、オトメに無理矢理いる理由はないはずデス。ここはキミの世界ではないのデスから」
元の世界に帰る。
男の子がいて、女の子がいて、普通に恋愛があって、結婚して二人で子供を作っていく。
そんな、僕にとってごく当たり前の世界。
こんな女の子だらけの世界とは違う、僕の生まれた世界。
本来、僕がいるべき世界。
リンジュと一緒にいるって約束があったから、今までその選択肢を考えた事はなかった。
でも、リンジュに拒絶された、今なら、その選択肢もありなんじゃないのかな?
本来の世界に帰って、そして、リンジュとは違う、普通の女の子と普通の恋愛をして生きていく。
そんな未来を空想した瞬間、胸に薔薇の刺が刺さったような痛みが走り、自分に対して怒りが沸き上がってきた。
普通の女の子って何だよ!
リンジュの何処が普通じゃないって言うんだよ。
僕を拒絶したリンジュはまるで………。
「そっか、答えはもの凄く単純だったんだ………」
「どうしてデスか? 元の世界に帰る決心は出来たのデスか?」
即答しなかった。
深呼吸をして、目を閉じる。
僕がオトメにやって来てて、今日までの事を思いだしていく。
僕の心の中に何人ものリンジュが浮かび上がっている。
お城のテラスで僕の話を心地よさそうに耳を傾けてくれるリンジュ。
囚われのお城から抜け出そうとがむしゃらに抗っているリンジュ。
お風呂の中で男の子な僕の身体に興味津々なリンジュ。
お城を抜け出せて喜びみ溢れているリンジュ。
リンジュと過ごした思い出が蘇ってくるたびに、さっきまで見えなくなっていたモノが見えてくる。
初めて歩いた山道で泥を舐めて顔をしかめているリンジュ。
ルルルちゃんが失踪して焦燥に駆られているリンジュ。
お城へと繋がる橋の上に本心をさらけ出して泣きじゃくっているリンジュ。
胸に苦しいけど、温かな感情がまだある。
三宅美砂と出会い僕を独占しようとしだしたリンジュ。
僕を首輪で拘束しながらも常に寂しそうだったリンジュ。
自分を理解できないかのように喚き散らして泣き叫びながら僕を拒絶したリンジュ。
でも、蝋燭のように儚く、しかし、キャンドルのように美しい、この感情がある限り、僕はオトメを去るわけにはいかない。
「だめだよ、僕はまだ帰るわけにはいかないんだよ」
これまで僕は色んなリンジュの顔や感情を見てきた。
でも、やっぱり、その中で特段僕という男の子の心に消えることのない印象を与えたのは、
『アタシはいつしか、思うようになってしまっていたのです。やっぱり、外に出たいと。そして、出来ることならツバサと一緒にいたいってね」
リンジュが初めて正直な思いを打ち明けてくれた時に見せてくれた、恥ずかしそうにはにかんだ愛おしい笑顔だった。
そう、あの時から、僕の心はリンジュの事で一杯だったんだ。
「そうだったよね。僕は恋しているんだよね」
「恋………だと?」
「そうだよ。僕はリンジュのことが好きだ。彼女に笑顔になって欲しい。それに、すぐには無理かもしれないけど………オトメの住民である彼女にもこの気持ちを理解して欲しい」
勢いよくベンチから飛び上がる。
晴天から降り注ぐ太陽の陽射しを体中に浴びて、真紅色のドレスが、風にわなないている。
「無駄デス。ここは、男の存在しない世界なのデス。そんな世界の住人が、恋を知るなんて、あり得ないのデス。あってはならないのデス」
「本当にそうなのかな? リンジュはまだ理解できていなくても、僕はリンジュに恋している。それに、タロウさんから見て、最近のリンジュってどう見えていたのかな?」
「………最近の彼女は、少しずつ変わっている気がするデス。キミと過ごしている彼女は、まるで彼女じゃないみたいデス」
「僕もそう思う。今のリンジュは出会ったときから思いもしなかった顔を見えてくれる。きっとそれって、リンジュが変わっているからなんじゃないかなって、思うんだ。こんなドレスを着た僕だけど………男の子の僕と触れ合って、何かが変わろうとしているんじゃないのかな」
僕はゆっくり走り出した。
向かうべき先は、今もまだリンジュが泣いているであろうナロウ荘だ。
今、リンジュは泣いている。
大好きな人が涙を流しているっているのに、何もしないなんておかしい。
何が出来るのかはまだ分からないけど、何もしないと何も変えられないんだ。
「待っていてね、リンジュ。何度キミに拒絶されようと、僕は必ず、キミの涙を止めてみせるよ」
僕は、前を見ていた。前だけど見ていた。
大好きなリンジュのことばかりを見ていた。
だから、背後から聞こえてきたこの暗い感情に塗りつぶされた声に気づく事がなかったんだ。
「そっか、キミはリンジュに恋しているのデスか………それは残念だ。ならば、男のお前にはもう、この世界にいる資格はない。消え去れ」




