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2-20


 僕の自由が、リンジュの意志によって奪われて以降、彼女は一時たりとも僕を離してくれなかった。

 首輪から伸びる鎖を掴まれ、僕はまるでリンジュのペットか何かであるかのように、ずっと彼女の監視下に置かれている。

 お姫様として公務をこなしている時も、三度の食事の時も、お風呂に入っている時とも、お花をつんでいる時ですら、彼女は僕を放してはくれなかった。

 やりすぎだから止めて欲しいとお願いしたのだけど、リンジュは頑なに首を横に振り続けて、僕のお願いが聞き届けられることは無かった。

 そんな生活が三日続いた今日も、僕はいつものようにリンジュの側に立っていた。

 公務室に籠もり、左手は今日までがそうであったように僕の鎖を握り締めて、右手だけで机に山積みにされた書類に目を通し、判を押すか修正点を描き込んでいる。


「いつもこれだけの量を処理するなんて、リンジュも大変だね」


 僕の身長よりも積み上げられた書類を前にしてそんな事を思ってしまう。


「………」


 他愛のない雑談のつもりだったけど、彼女からは何の返事もない。

 美砂にけしかけられて、僕の鎖を握り締めてからリンジュは殆ど喋らなくなった。

 ずっと側にいる僕が聞いているのは、ラグナロさんと交わす必要最低限な言葉だけだった。

 僕に向かっては、おはようの挨拶すらなく、ただ時折哀しそうに緑色の瞳を震わせて僕の方を見て、僅かに目元を緩ませるだけだった。

 あんなに好きだったチョコレートのように甘い声や、可憐な笑顔が抜け落ちたリンジュを前にして、僕の心にもポツリと穴が開いてしまったかのように、埋まることのない喪失感がむしばんでいた。

 リンジュを救って上げたい。

 でも、お城から助け出すでもなく、迷子になったルルルちゃんを見つけ出すでもなく、僕はどうすればいいのだろうか?

 彼女が望むことをしているというのに、リンジュは全然嬉しそうじゃない。

 こんなの絶対に間違っているはずなのに、僕はまだ彼女を笑顔にする術をしらない。


「は~~い、ツバサ君、元気にやっているかしら? 不自由な生活してないかな?」


 僕らの沈黙を打ち砕くかのようにドアの向こうから聞こえてきた唐突な声に、リンジュの肩がぴくりと震えて、書類を処理していた手が止まった。

 馬の手綱を引くように、僕の鎖がより一層強く握り締められた。

 僕も無言で扉の向こう側にいるであろう彼女に身構えた。

 これだけリンジュの心を抉っておきながら、まるで友人のような気さくさで声をかけてくるその無神経さに怒りすら沸き上がってくる。

 またしてもノックすらなくされることなくドアが開き、メイド服姿の三宅美砂が平然と僕らの前にやって来た。


「うん。二人とも憎しみと怒りに満ちたいい目をしているね」


 何が満足なのだろうか?

 三宅美砂は僕たちに向かって、合格とばかりにVサインを見せつけてくる。

 リンジュで鎖を握られていなかったら、今すぐにでも力尽くで彼女を公務室から追い出していたことだろう。


「所で、お姫ちゃん。ツバサちゃんと話があるんだけど、少し彼を貸してくれないかしら?」


 頬に小指を当てながら可愛らしく小首を傾げている。


「嫌です。ツバサぁは私と一緒にいるのです。邪魔ですから、早くここから出て行って下さい」

「あらそれは残念。じゃあ、仕方ないから、ここでツバサちゃんとお話させてもらうわ。あ、お姫様は気にしないでお仕事進めていて、あなたはには関係のない話だから」


 うっすらと口紅が引かれた唇が、つり上がりニコニコと笑顔を絶やすことなく僕に向かってくる。

 何処から見ても明らかな作り笑いの下で、この人は一体何を考えているのだろうか。

 こんなにもリンジュや僕を苦しめて、一体何が楽しいというのだろうか。


「ツバサに話しかけないで下さい」

「もう、固いこと言わないでよ。ねえ、ツバサちゃん、あのラグナロって女は一体なんなの?」


 リンジュが止めてと言っているにもかからず平然と話しかけてきた。


「元々お堅そうな人とは思っていたけど、今日は一段おかしかったわね。まさか死んだマグロのような目をしていきなり斬り掛かられるなんて、思ってもみなかったわよ」


 無視を決め込もうとしたいたのだけど、美砂の口から出てきた現象を僕も体験したことがあった。

 付け焼き刃のポーカーフェイスはいとも容易く崩れ落ち、驚きの顔を浮かべてしまった。


「お。その顔は、何か知っているって事ね。ねえねね、同じ地球人のよしみで教えてよ。じゃないと、美砂、何時襲われるか分からなくて、夜も眠れそうにないわ」


 どうするべきか分からずにリンジュの顔を見ると、感情の全く読めない冷めた瞳が僕のことを見ていた。

 三宅美砂と話すことをリンジュが良く思わない事は重々分かっている。

 でも、だからといって、三宅美砂が危険に曝されるのを黙って見過ごす訳にも行かない。

 三宅美砂のやっていることは絶対に許されるわけじゃないけど、だからといってここで美砂の危機を見過ごしたら、それこそ僕も美砂のような最低な人間になってしまう。

 言葉を交わすのは必要最低限分だけだって自分の中で誓いを立てる。


「それは、きっとこの世界の創造主だよ」

「はあぁ。世界の創造主、何その厨二病? ツバサちゃん、ここは異世界みたいだけど、その性で妄想癖が強くなったとかじゃないよね?」

「本当の事だよ。何でかは分からないけど、ラグナロは世界の創造主と名乗る存在に意識を奪われることが何回かあったんだ。それよりも、美砂さんは創造主と出会って大丈夫だったの?」

「無事よ。ただ、余計な事をするなとは怒られたけどね。しかし、なるほど、じゃあ、そいつがリンジュちゃんをお城に閉じこめていたって訳ね」

「そうだけど……どうしてそれを?」

「そんなのは、女が見れば、一目瞭然でしょう。ねえ、リンジュちゃんもそう思うっていうか、感じているんでしょう? だって、あいつと同じ事しているんだからね」


 明らかに挑発するような言葉だ。

 リンジュは何も言い返すこともなく、逃げるように美砂から視線を逸らしていく。

 そんな反応に満足したのか、三宅美砂は僕たちを小さく鼻で笑うと踵を返して、ドアに手をかけた。


「ねえねえ、リンジュ、どうかしら? 大好きなツバサぁを独り占め出来て…………幸せ?」


 背中越しに問いかけられたこの言葉が、ずっと僕たちの間で張りつめられていた何かを切断した。

 三宅美砂が公務室のドアを閉めるのと、この三日間、僕を縛り続けていた鎖が床に落ちるのはほぼ同時だった。


「………幸せであるわけ………ないじゃないですか?」


 またしても、涙がこぼれていた。

 でも、僕はやっぱり、彼女に何もしてあげれないでいる。


「リンジュ………どうしたの?」

「出て行って下さい。ツバサぁ!」

「だから、一体どうしたの?」

「早く出て行って!!」


 リンジュがヒステリックに叫びながら、僕の身体をドアに向かって突き飛ばした。

 簡単に言えば、僕は拒絶されたんだ。

 でも、そんな単純な事を信じたくない。

 僕は惚けたように、リンジュの顔を見返してしまった。

 リンジュも信じられないとばかりに自分の手をみている。

 その手は、自分の意志で制止できないぐらいに痙攣を起こしていた。


「リンジュ?」

「こないで、ツバサぁ!!」


 またしても、拒絶されてしまった。

 やっと現実を、リンジュの願いを受け入れた。

 受け入れてしまった。

 一度、拒絶された事実を受け入れてしまうと、もう起き上がる気力すら沸いてこない。


「分からないよぉ、ツバサぁ? 私、どうなっちゃの? ツバサと一緒にいたいよぉぉ、美砂さんとお話ししている、ツバサぁを見ると胸が締め付けらるようにギュッと痛むんだよ。

 ツバサぁと一緒にいたいよ。ずっと一緒にいたかったよ。

 でも、この三日間、ツバサぁとずっと一緒だったけど、全然楽しくなかった。楽しいどころか、辛いだけだった。

 もう、訳分からないよぉぉ。どうして、ツバサぁを見ているだけで、こんなにも苦しくなるのぉ?」


 くしゃくしゃと涙を流しながら、少女が泣いている。

 オトメの住民である彼女は、男を知らない。

 女しか存在しなかった世界で、恋愛なんて感情は不要だったはずだ。

 でも、今の彼女はまるで…………。


「リンジュ………」


 何かを言って上げたい。

 言わなくちゃいけない。

 でも、かけるべき言葉が僕には出てこない。

 拒絶されてしまった僕に僕に何が出来るというのだろうか?


「早く、出て行ってよ、ツバサぁ」

「でも………」


「早く行ってよぉ!

 じゃないと、アタシはまた、ツバサぁを独占したくなっちゃうんだよぉ!!

 もう、これ以上、アタシをおかしくしないでよぉぉぉぉぉ」


 チョコレートのような甘いはずの声が、今はほろ苦かった。

 僕には何も出来ない。

 出来ることは彼女が言うように、前から消えて、彼女の苦しみを和らげることぐらいかもしれない。

 ふらふらとした足取りで僕は立ち上がると、さよならすら言えずに、背を向けて大好きな彼女の前から消えていくしかなかった。


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