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2-19


「ねえねえ、ツバサお姉ちゃんは何をつけているの?」


 向日葵の髪飾りにで結ばれたポニーテールが、不思議そうに首を傾げる動作に合わせて揺れている。

 ルルルちゃんが興味津々といった純粋な瞳を向けている先は、僕の首もとだった。

 手を伸ばしていると、僕の首もとには最上級の牛皮にも似た感触があった。

 別に、首の肌質が変化した訳じゃなくて、僕の首には一生つけることなんてないと思ってた装飾具があるに過ぎない。


「……首輪らしいよ」

「なんで、そんなものをついているの、ルルル全く分からないよ」

「僕も分からないよ………」


 首輪から伸びる鎖は一人の少女に握り締められている。


「ねえねえ、リンジュお姉ちゃんは、どうして、ツバサお姉ちゃんに犬さんみたいな首輪をつけているの?」

「ツバサと一緒にいるためです!」


 甘いチョコレートのような声を張り上げながら、リンジュは僕へと繋がる鎖をギュッとに握り締めた。

 朝、僕と美砂さんを追って街に出てしまったため、王女としての仕事は停滞していて、机の上には書類が山積みになっている。

 両手を使えば、もっと早く処理出来るだろうに、リンジュは頑なに鎖を離そうとはしない。

 左手で僕をつなぎ止めて、右手だけで書類の山を崩し、判を押していく。


「……なんか、リンジュお姉ちゃん、怖いよぉ」


 ルルルちゃんが後ずさっていく。

 僕も首輪をリンジュから差し出されたときは、目を疑ったものだよ。

 まさか、美砂さんの冗談をこうも真に受けてしまうなんて。

 しっかりと説明して、リンジュを納得させて上げたかったんだけど、僕に首輪を迫るリンジュは、希望は捨てきれないけど、夢を諦めているかのような哀しげな瞳をしていたんだ。

 それはまるで、リンジュがお城の中に閉じこめられていたときのように見えて、僕の心はスコップで抉られたかのように苦しくなって、彼女をこれ以上苦しめる言葉を言えないでいた。

 言われるがまま、頼まれるがまま、僕は首輪を填めてしまったけど、果たしてこれで良かったのだろうか?


「はいはい、お姫さん。お仕事、お疲れ様。美砂さんが差し入れのコーヒーを持ってきたわよ………っぷ」


 ドアをノックすることなく、にこやかな笑顔で執務室に入ってきた美砂さんは、僕の姿を見るなり、小さく噴き出した。


「何しにいらしたのですか?」


 リンジュが作業する手を止めることなく、視線を向けることすらなく、チョコレートのような甘い声で精一杯の凄みを利かせて、問いかける。

 目に見えて明らかに邪険に扱われているというのに、美砂さんは気にしない。

 タロウさんのコレクションから借りてきたであろう、ちょっと胸元のサイズがあっていないメイド服のスカートをわざとらしく翻りながら、僕とリンジュの側へと軽快な足取りでやってくる。

 お盆に乗せられたマグカップからは湯気が立ち上っていて、コーヒー独特の香りがリンジュから香る柑橘系のような甘い匂いをかき消しながら鼻腔を付いてくる。


「さっきね、ツバサ君と一緒にお出かけした時に見つけたコーヒーが、予想以上に美味しくてね。是非にツバサ君達にも飲んで欲しくて、持ってきたのよ。安心して良いよ、ちゃんとお姫さんの分もあるから」


 そう言って、手慣れた作業でリンジュの横にマグカップを置いて、次に首輪で繋がれた僕を見て、瞳だけで小さく笑った。


「ねえ、どうかしら、お姫様。ツバサを拘束している気分は?」


 美砂さんは執務机の縁に腰掛けると、足を組み、笑顔のまま問いかけた。

 リンジュは無視を決め込んんだようで、お礼を言うこともなく、置かれたマグカップに手を伸ばした。


「とても安心しないかしら?」


 カップを口元に運ぼうとしていた動きがピタリと止まった。


「大好きな人の自由を奪って、自分につなぎ止めている。とても心安らかでしょう」


 リンジュの手がぷるぷると震え始め、カップの縁からコーヒーが零れていく。

 首輪から繋がる鎖を握っていた手も力を入れることが出来なくなったのか、白い手から鎖がするりと抜けておちて、地面へと垂れていく。


「あ、そう言えばラグナロに聞いたわ。お姫さんは、少し前まではあそこに見えるお城に、拘束、されていたらしいわね。ねえ、これってにてないかしら?」


 机に座ったまま上半身をリンジュの方へと寄せていく。

 美砂の顔から笑顔は抜け落ちていて、まるでピエロの仮面のように口元だけ微笑みの形を作りながら、震えるリンジュへと迫っていく。

 動けない蛙を丸飲みにする蛇であるかのごとく。


「美砂さん、止めてよ。それに、リンジュも安心してよ。僕はリンジュに拘束されたなんて思ってない。これは、リンジュにお願いされて、僕が自分で決め………」

「ツバサは黙っていなさい! これは女同士の話なのよ。男は不要なの、黙っていない!」


 拾い上げた首輪から伸びる鎖を美砂がいきなりたぐり寄せた。

 急に前にひっぱわれる形となった僕は、為す術なく床に這い蹲るしかなかった。

 床の味を味わう僕の横に、塩辛い水滴が零れ始めていた。


「あ、あ、あた、あたし……違う、違う、違う。そんなつもりじゃありません。だって、ツバサはアタシをお城から出してくれた……アタシを自由にしてくれた。なのに、今、アタシは………アタシが、ツバサを………」

「そう、あんたは、ツバサから自由を奪った! あんたをお城に閉じこめた誰かさんと同じようにね!」


 体全身で痙攣を起こしているリンジュの耳たぶをつまみながら、美砂は叫んだ。

 真実の言葉で僕の大切な人が打ち抜かれていく。


「違う!! リンジュ、駄目だ、耳を貸すな!!」


 助けたいと願った僕の言葉は、もう届いていない。


「あぁぁぁ、あぁぁぁ。あぁぁぁぁぁぁl!!」


 カップが床に落ち、コーヒーがカーペットを汚し、もう二度と戻ることのない破片が床に散らばり続ける。

 いつもはチョコレートのように甘い声が、今は言葉にならない苦悩を吠えている。


「でも、良いのよ、リンジュ。美砂は否定しないから、だって、それは誰しもが通る道だものね」


 首輪の先に付けがれた鎖が引っ張られて、僕の首が締め付けられる。

 そして、鎖は涙を零し続けているリンジュの前に差し出される。


「さあ、掴みなさい」


 甘い誘惑を耳元で悪魔が囁き続けている。

 リンジュは、眼をギュッと閉じて、何度も首を横に振っている。

 でも、三宅美砂は、優しさなんて持ち合わせていなかった。


「あら、お姫ちゃんは、ツバサ君をいらないの? だったら、この美砂様が……このままこの可愛らしい翼ちゃんを、元の世界を連れて帰るわよ」


 世界とのつながりを拒絶するように閉じられていた瞼が開き、震える瞳が、ボクの顔、美砂の顔、そして、鎖を見つめる。

 見る見るうちにリンジュの顔は青ざっめていき、瑞々しい唇から血の気が引けていく。


「それはぁ」


 美砂が甘い蜜のように差し出してる鎖にリンジュの視線が吸い寄せられていく。


「やぁですぅ」


 ゆっくりと躊躇いながら、でも止まることなく鎖に向かって、手が伸びていく。


「駄目だよ、リンジュ。そんな事しなくても、僕は何処にも行ったりしないから! ほら、僕たちは約束したじゃないか!!」


 叫び声は届かない。


「でも、でも、でも、アタシは、ツバサぁと一緒にいたいぃのぉぉぉぉ」


 震える手が鎖を掴んだ。

 何かがガチャリと音を立てて、僕の身体に巻き付いた気がした。


「あはははは、あはははは、良いわよ、リンジュ。あんたはやっぱり、見込みがあるわよ。

あはははははあああああははは」


 僕は喪失感にさいなまれながら、リンジュも生気を失ったような眼で鎖を見つめている。

 そして、美砂の笑い声だけ木霊していく。


「良いこと、よ~く覚えていなさい、お姫ちゃん。その鎖を離したら、その瞬間、美砂があなたのツバサを奪っちゃうかもしれないわよ。だから、くれぐれも、その鎖は離さないことね」


 ガチャリと、僕の自由を奪う鎖を、リンジュがさらに力強く握り締めた。

 もう僕を逃がさないと決意するように。僕の全てを奪い取るかのように。


「そんなのは駄目ぇです。ツバサぁは、アタシのなんです」



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