2-18
「へえ、本当にこの世界には、女の子しかいないんだね、翼ちゃん」
生活に必要なお店とか、有名な観光名所とか簡単にこの街の案内をさせられた僕は、そのまま喫茶店のテラスへ連れられて、美砂様と一緒にお茶をさせられている。
窓の外を見れば、レンガ造りの建物が並び立ち、道には馬車が軽快な足音を響かせながら横切っている。
僕や美砂様が生まれ育った日本とは違う風景。
まるで中世の欧州にやって来たかのように思えるけど、違う。
ここは僕たちの世界とは違う、異世界。
女の子しか存在しない世界、オトメなんだ。
「それに、異世界だけど、コーヒーが完備されている所もポイント高いわね。コーヒーがあれば、美砂は何処へでも生きていけような気がするわ」
カップを傾けて、二杯目のコーヒーを満喫している美砂さん。
本当にコーヒー好きなんだろう。
コーヒーカップを傾ける彼女は、終始ニコニコ顔で上機嫌だった。
「不思議よね。異世界だけど、食べ物や飲み物は、美砂が暮らしていた世界と驚くぐらい同じでしょう。これって外国に行くよりも食に対する心配はないんじゃないの?」
その通りだった。
風景はまるで中世の欧州のようだというのに、この世界の主食にはご飯や納豆があったりするのだ。
ちぐはぐ。
まるで子供が知っている知識を無作為に寄せ集めて作ったかのような世界だった。
「あれ?」
彼女の脚元に小さなボールが転がってきて、こつりと当たった。
小首を傾げていると、幼い少女が駆け寄ってこようとしている。
「これ、あなたのなの?」
「うん」
「じゃあ、いくわよ~~」
拾い上げたボールを元気よく振りかぶって、少女に投げ返した。
一瞬遅れて、腰まで伸びている赤みがかった髪が膨れあがって元へと戻っていく。
ただボールを投げているだけなのに、その姿はとても絵になっていた。
「ありがとう、お姉ちゃん」
ボールを持って友達の元へにこやかに戻っていく少女に手を振って、再び席に着いた。
「でも、本当に女の子しかいないの? 今の少女もそうだし、向こうの席には妊婦さんが座っている。男がいなくて、どうやって子孫繁栄しているのかしら?」
「この世界の住民は自然妊娠するらしいよ」
「何よ、その言葉? アニメみたいでうけるんだけど」
そりゃ、僕だって最初にこの言葉を聞いたときは、リンジュの脳内設定じゃないかって勘ぐったぐらいだから、このが普通の反応だよね。
でも、僕たちの世界にとっては異質な出来事でも、この現状はオトメにとってごくありふれた常識でしかない。
僕は自分が知っている限りの情報を異世界からの来訪者に説明していった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「何というか、それは都合の良い世界ね。でも、男を知らずに一生を終えるなんて、女として8割以上を損しているとおもわないかしら、翼ちゃん?」
長いまつげの下の目元が全く笑っていなかった。
真実を探り出すような冷たい視線を向けながら、美砂様は僕に微笑みかけた。
その笑みは、少女にボールを投げ返した時のような温かなものなんかじゃなくて、まるで世界全部を相手取るかのような不敵な笑みだった。
「美砂さん………どっちが、あなたの本当の顔なの?」
にこやかに笑っている美砂さんに、冷たい視線を送ってくる美砂様。
瞬時に切り替わる二つの顔のどっちらを僕は信じればいいのだろうか?
「へえ、翼ちゃんは以外とストレートに聞いてくるのね。そう言う子は、美砂様好きだから、教えて上げるわ。良いこと、人間というのは本来、表と裏二つの顔を持っているものよ」
「表と裏?」
「めんどくさい生き物なのよ。美砂様の場合は、こっちが素だけど、世の中を渡り歩いていくためには、美砂を演じていた方が都合良いのよね。男なんてほら、愛想いい女の子に弱いしね」
瞬時に僕の目の前にあった冷めた視線が変わって、ニコニコ顔になった。
屈託のない、春に咲き誇る桜のようなこの笑顔は作り物だと聞かされても簡単には信じることが出来ない。
「だからこそ、美砂様は、この世界が反吐が出るぐらいに気にくわないわね」
にこやかな仮面は剥がれ落ち、鋭い視線がオトメに向けたられる。
「どうして、そんなことを思うの? ここは女の子しかいないけど、女の子同士、みんなが助け合って生きていく良い世界だと、僕は思うな」
「翼ちゃんはお気楽ね。そんな純粋な心は守ってあげたいなって思うけど、もっと正直に、この世界と向き合うべきね」
「どういう意味?」
美砂さんは表情を何一つ返ることなく、唐突にカップをひっくり返した。
黒々としたコーヒーを地面に零していく。
それは、まるでオトメという世界全体を汚していくかのようにも見えた。
「この世界は、綺麗すぎるって言っているのよ。みんながみんな、表も裏もない、まるでお人形のよう。正直言って、気持ち悪いわ。見所がありそうなのは、せいぜいあのお姫様ぐらいなもんね」
彼女が言いたいことが僕には分からない。
リンジュのいるこの世界の何がいけないと言うのだろうか?
分からず、ただぼんやりと美砂さんの顔を見るしか出来なかった。
「純粋な翼ちゃんはやっぱり、可愛いわね。そのまま食べちゃって、元に戻れないぐらいに汚してあげたいわ」
身を乗り出した美砂さんは、テーブル越しに手を伸ばし、僕のワンピースの上から、胸の辺りを撫でてくる。
刺激的な薔薇のような香りが僕の中に入ってきて、酔ってしまったかのように頭の中がくらくらとなっていく。
細くて長い手が、まるで猫をあやしていくかのように何度も僕の胸を往復していく。
「世界で偽りを抱いて生きているのは、美砂様とあいつぐらい。ねえ、翼ちゃんはお姫さんの事、好きなの?」
不意打ちのように放たれた言葉に頭が真っ赤に染まって、金魚のように口をパクパクとさせるしかできなかった。
「あら、分かりやすい反応ね。でも、ここはあなた達、男にとってはハーレムの世界よ。うかうかしていると取り返しのつかないことになるわよ」
それはどういう意味なのだろう。
女の子ばかりの世界が、男の僕にとってハーレムというのは理解出来るけど、でも、どうして………。
「どうして、ハーレムが取り返しのつかないことになるの?」
「それは、これから体に教えて上げるわよ」
僕の胸を撫でていた繊細な指先が、浸食を始めたかのように這い上がってきて僕の顎を掴んだ。
長いまつげの下の瞳をそっと閉じ、顔を……いや、うすらとルージュが引かれた唇を僕に近づけてくる。
仄かに紅い唇から漏れてくる熱い吐息が、顔全体に吹きかけられて、僕の体は金縛りにあったかのように硬直してしまう。
リンジュの甘い匂いを思い出そうにも、すぐに美砂さんの薔薇のような香りに上書きされてしまう。
眼を閉じることさえも忘れて、僕はただただ、美砂様の柔らかそうな唇に吸い寄せれていく。
「ツバサぁぁぁ、駄目ですぅぅぅぅ!!」
チョコレートのような甘い声が、体中を突き抜けた。
金縛りから、解き放された。
僕は今、何をしようとしたっ!?
咄嗟に目の前にある美砂さんの体を突き返した。
「あら、残念ね。折角翼ちゃんのファーストキスを頂けると思ったのに」
乗り出していた体を席に戻し、美砂さんは全然残念そうじゃなく、真っ赤な舌で唇を舐めていた。
「ツバサぁぁ、今何をしようとしていたのぉぉ?」
僕を美砂さんの呪縛から解き放ってくれた張本人であるリンジュが、涙を浮かべながら駆け寄ってきた。
僕に抱きつくなり、手を痛いぐらいギュッと握り締めた。
「あらあらお姫様は、国務のお仕事じゃなかったの? それがこんな所で何をしているのかしらね?」
「それは………」
「まあ、そうよね、美砂様と翼ちゃんの後をずっと付けていたのだから、お仕事なんて手についていないわよね」
リンジュの顔が真っ赤に染まっているが、否応なく分かった。
「僕達をずっとつけていたって、本当なの……リンジュ?」
思わず、彼女の顔を見入ってしまった。
悔しそうに奥歯を噛みしめながら、リンジュは小さく頷いた。
握り締められた手にさらに力がこもり、皮が裂けてしまいそうなぐらいだった。
「まあ、もうすぐお昼だし、約束通り、翼ちゃんは返して上げるわ」
肩をすくめながら、席を立ち上がった美砂さんは、僕らの元までやってくると、
「良いこと、お姫様。奪われたくなかったら、その翼ちゃんに首輪でもして、ずっと側に置いておく事ね。隙を見せるようだったら、今度こそ、美砂様が食べちゃうわよ」
そっとリンジュの首元を一撫でして立ち去っていた。
彼女がいなくなった後、僕らはすぐに動くことが出来ず、彼女が立ち去っていた方角をただ黙って見ていることしかできなかった。
どれだけの時間が過ぎたのだろうか。
美砂さんの姿が見えなくなった頃、甘いチョコレートのような声が静かな決意を秘めて僕の心を打ち抜いてきた。
「ねえ、ツバサぁ、首輪を買いに行きましょう」




