2-17
窓の向こうから小鳥のさえずりが聞こえてくる。
カーテンの隙間から差し込んできた朝日が閉じた瞳の奥にも照りつけてくる。
誰かが階段を昇ってくる足音が響いてくる。
うっすらとした眠気が徐々に目覚めて、意識が覚醒していく。
今日も朝がやってきた。
そろそろ起きないと。
ゆっくりと目を開けた瞬間…………何も見えなくなった。
「うっぅ」
さらに柔らかい何かに顔を押しつけられていしまい、息が出来なくなっていく。
「ふぅ、ふぅ、ふぅ」
ちょっとこれは、一体何がどうなっているの?
じたばたと手足を動かすと、左手が何かを掴んだ。
え~と、これはなんだ。
むにむにと柔らかくて、つい何度も揉んでしまう。
「それはね、美砂様のお胸よ」
えっ。
冷え冷えとする声が一瞬で、ボクの眠気を吹き飛ばしてくれた。
手が硬直して、だらだらと汗が滴り落ちていく。
「おはよう、翼ちゃん。やっぱり、男の子は朝から元気ね」
がっしりと頭をホールドされて、柔らかい何かに顔を思いっ切り押しつけられる。
何かって言って誤魔化しているけど、これって多分、美砂様の………なんだよね。
駄目だ。
想像したら、沸き上がっちゃいけないものが沸き上がって来ちゃいそうだよ。
「むぐぅ。むぐぅ。むぐぅ」
これは一体どういう事なの?
何がどうなっているの?
訳が分からないけど、ちょっとだけ……ほんのちょっとだけだけど気持ちいいよ。
「あらあら、翼ちゃんの癖に、朝から本当に元気になっちゃって。この美砂様が楽にして上げようかしら? 手が良いかしら? それとも胸? 意表をついて足というのもありよ? ふぅぅぅ」
つむじの辺りに暖かな吐息を吹きかけられる。
リンジュのとは違う、薔薇のような刺激的な香りが鼻腔の奥まで入ってくる。
まずい、まずい、まずい、この状況は本当にまずいよ。
がむしゃらに動こうとするけど、頭をがっちりとホールドされているから動けない。
「ツバサぁ。もう朝ですよ。一体いつまで寝ている……のですかぁ?」
ドアが開く音と一緒にリンジュの甘いチョコレートのような声が聞こえてきた。
「むむむむむむ」
この状況に対する弁解の声を上げようとするけど、口を塞がれているから何も言えない。
「あの~~、ミサさんはツバサぁに何をしているのでしょうか?」
「女と男の朝の戯れ」
嘘だぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!
こんなの戯れじゃないからっ!!!!
信じちゃ駄目だ、リンジュゥゥゥゥ!!!!!!
「男と女………」
「そうそう。だからさ、女のお姫様は、はっきり言ってお邪魔虫なのよね。美砂様の翼ちゃんへの愛、邪魔しないでくれる?」
「え~~と、アタシは…………その………ツバサぁと………その………お邪魔して、すみませんでした」
扉が閉まる音が聞こえ、駆け足で彼女が遠ざかっていくのが分かる。
リンジュがどんな顔をしているか、僕は見ることが出来なかった。
でも、あんな声を聞かされたら、容易く想像することが出来る。
リンジュはきっともの凄く哀しんでいた。
「ぷはああああ、ちょっと、美砂さん。これはどういう事なの?」
やっと手が緩んだから、ボクは顔を上げて抗議の声を上げたけど、
「う~~ん、初な女の子を刺激するのも面白いわね」
美砂さんは何喰わぬ顔で笑っていた。
「ちょっと、本当に何を考えているの。リンジュが可愛そうだよっ! 後で、しっかりリンジュに謝ってよね!」
「美砂様の子猫の癖に、うるさいわね。黙りなさい」
また僕を見下してくる。
僕を悪くする分には耐えられるけど、リンジュにまで手を出すというのなら許さない。
「嫌だよ」
「ふん。格好いいナイト様だけど、そんな元気な息子の姿じゃ台無しよ」
そう言って美砂さんはボクの下側を指さした。
…………何も言い返せませんでした。
「それじゃあ、美砂様は先に行っているから、自分でそこをどうにかしてから降りてきなさいよ」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
朝食を終えて、僕はリンジュと談話室にあるテーブルを挟んで向かい合って座っている。
タロウさんとルルルちゃんは食堂で朝食を取っているから、談話室にいるのは僕たち二人だけだ。
今朝の一件をリンジュに勘違いだって弁明したかったけど、そろそも男の子って概念がないこの世界の住民から見て、僕と美砂さんが抱き合っている姿はどういう風に見ていたのだろうかな?
もしかして、僕の心配は杞憂で、ただ仲良くじゃれ合っていただけに見えていただけかもしれない。
「リンジュはこれからお仕事?」
どうやって今朝の事を切り出して良いのか分からず、何気ない世間話に逃げてしまった。
「はい、でも、今日は少なめですので、お昼前には終わると思いますよ」
「そっか、それじゃあ、お仕事終わったら、一緒に街でも行ってみる?」
「はい!」
バンとテーブルを叩きつけながら、リンジュが勢いよく立ち上がった。
愛らしい瞳が何時になく大きく見開かれて、期待に籠もった瞳で僕のことを見てくる。
その迫力に圧倒され、僅かばかりのけぞってしまったぐらいだよ。
「そうとなれば、今すぐにも仕事にとりかからないといけませんね」
拳を握り締め、リンジュは早速、実務室へ向かおうとしていたけど、入れ違いになるようにモデルのようなプロモーションに、布面積が極端に少ないレーザー生地のミニスカートとジャケット姿の三宅 美砂がニコニコとした笑顔で入ってきた。
「あ、ツバサ君、こんな所にいたのね。もう探したぞ」
ちょっと待って、このにこやかな美少女は誰ですか?
「あれれで、どうしたのかな。そんな狐につままれたような顔しちゃって?」
今朝僕の寝込みを襲ってきた女性が、今はまるでぶりっこアイドルのように可愛がっている。
「え~~と……美砂……さんだよね?」
「もちろん、美砂以外の誰に見えるっていうのかな?」
頬に人差し指を当てながら、小さく小首を傾げている。
美砂さんは、芸能人と言われても信じてしまいそうなぐらいの美人だ。
そんな彼女が少女らしい仕草をするだけで、男としてはついその仕草を目で追ってしまう。
美砂さんどうしたの? もしかして、こっちの世界の食事が体に合わずにおかしくなっちゃったとかなの。
「それよりも、ツバサ君。美砂さ、まだこの世界の事分からないから、案内してくれないかな? ねえ、良いわよね?」
見とれてしまった内に僕に近づいていた美砂さん。
自然な流れで僕の手を取って、立ち上がらせようとしてくる。
「ちょっと……美砂…さん、いきなり………」
「駄目です!」
がっしと反対側の手をリンジュに握られた。
「あら、お姫さん、どうかしました?」
「ツバサぁとの約束はアタシが先です。お仕事が終わったら、ツバサぁと一緒に、アタシが街に行くのです!」
たった今、リンジュと交わした約束を破るつもりは僕だってもちろんない。
「そうなんだよ。僕はリンジュとの約束があるんだ。だから、ごめんなさい。美砂さんを案内するのはまた今度で………」
「お姫さんの仕事が終わるのって、後どれくらいなの?」
彼女は引くつもりなんて最初から無かったのかもしれない。
答えを知っているいたずら猫のように眼を細めながら、問いかけてきた。
「え? それは、多分お昼過ぎには………」
僕を掴んでいたリンジュの手が離れていく。
「つまり、お昼まではツバサ君はフリーって事だから、美砂につき合ってもらっても問題ないわよね」
結論は出たとばかりに、僕を引き連れて談話室から出て行こうとする。
振り返れば、リンジュが胸元で両手を組みながら、今にも泣き出しそうな表情を浮かべていた。
「ちょっと待ってよ、美砂さん。僕の意見は?」
あんな悲痛な顔しているリンジュを置いてなんていけるわけがない。
僕は美砂さんに抗うように立ち止まろうとした。
だけど、そんな反逆はお見通しだとばかりに、美砂さんは、そっと僕の耳元に唇を寄せてきて、
「美砂様の裸を見た変態に、拒否権があるとか間抜けなこと考えなの……翼ちゃん?」
本能の奥底から冷え冷えとする声で囁かれた。
あああ、この人は全然調子が狂ってなんかいない。
猫を被って、僕やリンジュを偽っていたに過ぎないんだ。
「じゃあね、お姫様。お昼までは、ツバサ君を借りるから、お仕事頑張ってね~~」
「はい………。いってらっしゃいませ」
リンジュに手を振られ送り出された僕は、もう美砂様に従うように街へ繰り出されるしかなかった。




