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「ほらほら、早く行きましょうよ、ツバサぁ」


 見上げるほどに高い樹木のせいで道は薄暗い。

 けれど、萌葱色の木の葉の隙間から、暖かな陽射しが差し込んできて、まるで光のカーテンように僕たちの進む先を示してくれていた。

 立ち止まってずっと見つめていたい幻影的な景色だけど、彼女とって外の世界は、もう見るモノじゃなくて、感じるモノに変わっている。

 陶器のように白い肌に小さな汗を浮かび上がらせて、流麗な黒髪っを風に靡かせながら、リンジュは小兎のように嬉しそうに駆けていた。


「ちょっと、山道を走ると危ないよ、リンジュ」

「え、どうして……きゃああああ」


 ほら、後ろを振り向いたのに、走るスピードを全然落とさないから、地面に刺さっていた小枝で躓いちゃったよ。

 それも思わず目をつむりたくなるぐらい、漫画的な転け方で。

 僕は苦笑いを浮かべながら、お転婆お姫様の元へ駆け寄った。


「あ~~、これまた顔から綺麗にいちゃったね。リンジュ、大丈夫? 怪我とかしていない?」

「ぷははああ」


 怪我とか心配する必要なんてないぐらい勢いよくリンジュは起き上がった。


「あははは、やっぱり転ぶと痛いのは一緒なんですね」


 転ぶことすらも彼女にとっては嬉しい出来事みたい。

 泥まみれの顔だというのに、見ている僕の動悸が高鳴ってしうがないぐらいの笑顔を浮かべているんだから、なんだか卑怯だよ。

 僕がつい泥まみれな顔のリンジュに見とれてしまっていると、お姫様はなにか閃いたかのように一度目を大きく見開いて………


「うわああぁぁぁ、コレ苦いよ、ツバサぁ」


 顔についていた泥を指ですくい取ると、舌で舐めたんだ。


「なんで、泥を舐めちゃうの?」


 思わず頭を抱えそうになりながらも、スカートのポケットから取り出したハンカチでリンジュの顔を拭いて上げる。

 なんだか、幼稚園ぐらいの子供を初めて公園に連れてきたような気分だよ。

 でも、こんな間近でリンジュの顔を見れるのだから、全然悪い気分じゃないよね。

 顔を拭き終えたけど、リンジュはまだ手についた泥を興味津々と眺めていた。


「これが泥なのですね」

「もしかして泥を見るのって初めてなの?」

「はい。お城の中はメイドの皆様が塵一つ無いぐらいに綺麗にしてくれておりましたから」

「でも、珍しいからってもう舐めちゃりしたら駄目だからね」

「うぅぅぅ。それは今し方、身をもって体験しましたら、もうしませんよぉぉ」


 チョコレートのような甘い声を上げながら、ふくれっ面でそっぽを向いてしまう。

 たったそれだけのことなのに、僕は頭の中で何度も今のリンジュの声をリピートしてしてまう。

 これは本格的に、恋の病って奴だよね。

 心の奥から暖まってくるような心地よさと、心の奥底にちくりと針が突き刺さっているような痛みが同居して、僕を幸せに苦しめてくるんだ。


「もう、だめだぞリンジュお姉ちゃん、一番最初に頂上へ行くのはルルルなんだからね。先を越さないでよね」


 人知れず悶々としていると、向日葵色の髪飾りでツインテールを作っているルルルちゃんが、小さい体で一生懸命に僕やリンジュに追いついてきた。


「は~~い、ごめんなさいね、ルルルちゃん」


 リンジュはルルルちゃんと視線を合わせるようにかがみ込んで、手を額に当ててペロっと舌を出して謝った。


「では、アタシとルルルちゃんの一緒で、頂上へ行きましょう」


 そして、ルルルちゃんの手を取って、お城の中にいるときには見せることもなかった満面の笑みを浮かべながらまたしても走り出したんだ。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「わああああ」


 ルルルちゃんと手を繋いで頂上へ走っていたリンジュが歓喜の声を上げた。


「ほら、ツバサぁ、何しているのですか? 早く来て下さい。この景色を一緒に見ましょうよぉ」

「そおだよ、ツバサお姉ちゃん。早く来ないとルルル達がここをもらちゃうからね」


 手を繋ぎあっているリンジュとルルルちゃんが僕を手招いてくれる。

 オトメにやって来て、スカートを履く事への抵抗感は大分無くなってきたけど、股に隙間があって、足を一歩出す事に布が揺れるスカートで走るのはやっぱり苦手だよ。

 さっきのリンジュみたいに転ばないように注意しながら、僕は二人の元へ小走りで近寄っていく。


「へええ、本当にこれはすごいね」

「はいはい、凄すぎですよ、ツバサぁ」


 胸の前で手を組んで、兎のようにぴょんぴょんと跳ねているリンジュ。

 チョコレートのような甘い声も、今ばかりはマシュマロのようにふわふわだった。

 山道を昇ってくる時は樹木に覆われていた薄暗い道を進んできたけど、頂上に出た反対側が樹木が綺麗に伐採させていて、僕たちの視界を180度遮る物は何もなかった。


「あわあああ、わたし、本当に外に出ることができたんですね」


 自然な流れでギュッとリンジュが僕の手を握り締めてきた。

 彼女に手を握られると、リンジュをお城の外に連れ出し、自分の気持ちを自覚できたあの日の出来事を思い出してくる。


「ツバサぁ、一緒に走りましょう?」

「へ、何で?」


 でも、そんな僕の感傷的な気持ちはリンジュには感染しなかったみたいだ。


「だって、ここは外なんですよ!」


 理由になってないけど、その気持ちは何となく分かる。

 今のリンジュにとってはこうして、外に入れることが何よりも嬉しいことなんだよね。

 だったら、僕はキミが喜んで、その僕の心を何度も締め上げてくる笑顔のために全力で頑張りたいよ。


「むぅぅ、リンジュお姉ちゃんばかりずるいよ。ルルルもツバサお姉ちゃんと一緒に遊びたいんだからね」


 それに、外の世界にいるのは僕独りじゃないしね。

 こうして、リンジュが握っているのは反対側の手をふくれ面になりながら、握ってくるルルルちゃんだっている。


「じゃあ、ルルルちゃんも一緒に遊びましょうか?」

「うん。それじゃあ、行こうよ、リンジュお姉ちゃん、ルルルね、秘密の場所、いっぱいしているんだから、教えて上げるね。ツバサお姉ちゃんも覚悟しておいてよ」


 向日葵の髪留めでツインテールに編んでいる少女は、太陽のようなきらきらの笑顔でそう言って、


「はい。よろしくお願いしますね、ルルルちゃん、それに、ツバサぁも、これからもっと、もっとぉ、たくさんの所へアタシを連れて行って下さいねぇ」


 チョコレートのように甘い声の彼女は、太陽よりもさらに眩しい笑顔を僕に向けながら、


「ちょっと、二人ともそんなに手を引っ張らないでよ」


 僕を引き連れて、走り出した。


 リンジュと、ルルルちゃんの笑顔は、そっくりでまるで姉妹のようだった。


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