05、突撃、隣の芝を荒らし隊!
本日2本目です。
脱走がバレたらどうしようか、なんて危惧は城下の人々の喧騒に飲まれてしまえば実に小さな悩みであるような気がした。人、人、人の、頭ばかりが行けども行けども見えている賑やかな城下町。商業区に紛れ込んでしまったお陰か、市場や店先で交わされる人々の声や様々な匂いがメローダの鼻先と胃を刺激していた。
(お金持ってないしなあ…)
香ばしい肉の焼ける匂いにぐうぐうと腹の音が鳴うがここは白い塔の中ではない。こんな僅かな音など誰も気になどしない。それがメローダにとっては珍しく、嬉しいようだった。
(そう言えば…最近あんまり寝てないし食べてなかったからなあ…)
脱走する為に使った体力は、目まぐるしい人々の波に飲まれたお陰で回復する間もなく再びガリガリと消耗した。メローダが弱って気分を悪くしてしまうのも仕方無い。しかし、休む場所を探せど先立つ物が無ければカフェにも寄れない。いくつか見えた噴水を囲む広場のベンチはどこも人々で溢れている。
(ど、どこか人通りの少ないところ…)
段々と人々の賑やかで活気に満ち足りた気配にすら宛てられて、ヨロヨロと足を泳がせながら店と店の間の細い路地裏に逃げ込んだ。人が擦れ違うのがやっとな程の狭い路地裏は妙に安心感を得たし、何より日陰の空気はひんやりとしていて心地好かった。
振り向けば人々の海には違いないというのに、世界の隔たりを感じる。城下町初心者が飛び込むには商業区は高難度過ぎたのかもしれない。
冷たい石壁に手を着いて呼吸をしていると、突然路地裏の扉が開かれて快活そうなおばさんと目が合った。思わず、ひゅいっと短い声が出る。
「ちょっとアンタ、そんなところでどうしたんだい?」
「ひあ!あ、えっと…」
「嫌だよアンタ、酷い顔して!」
「え!?わた、ぶ、ブスです?」
「いいからこっち来な!」
「え、え?」
強引なおばさんに引っ張られて家の中に引きずり込まれた。なんという腕力だ、と肝心してしまう。扉の先は、台所だったようだ。嗅ぎ慣れない生活臭に居心地が悪く立っていると、おばさんは嫌だ嫌だとブツブツ呟きながら簡易井戸から水を引き上げて水差しに注いでいた。
「嫌だよアンタ、そんなとこに突っ立ってないで座んな!」
「いえ、あの…」
「顔色真っ青だって言ってんの!ほら、こっち!」
食卓の椅子まで引っ張られ、水差しとコップを乱暴に置かれる。座れ座れとぶっきらぼうに言うこのおばさんは、もしかしたらとても世話好きなのかもしれない。
「ちょっと!まだ座ってないの?」
「は、はい!失礼します!」
噛み付くように言われるままに椅子に座ると、またもや乱暴に水差しからコップに水が注がれた。
「飲みな」
「は、はい…」
「さっさと飲みな!こっちは忙しいんだよ!」
「はい!すみません、いただきます!」
慌てて口を付けると、染み渡るように水が体を潤わせていく。そうか、この身体は喉も渇いていたのか。一気に飲み干すと、おばさんは2杯目を注いでくれた。それだけではない、乾燥した果実の実のようなものをコップに一つ落としてスプーンでぐるぐるとかき混ぜてくれた。
「アニンの実だよ、ほら、飲みな!」
「い、いただきます!」
強迫的な促しは拒否し難い空気である。慌てて口に含むと、甘く独特な果実の香りが鼻を抜けていく。どこか杏に似た香りはとても美味しかった。
「美味しい…」
思わずほっと息を吐いていると、おばさんはさっさと部屋を出て行ってしまった。お礼を伝える隙もない慌ただしさである。お節介焼きな人柄の人はどの世界にも存在しているらしい。
(なんか懐かしい感じだな…)
ガヤガヤとした喧騒と生活感溢れる年季の入った椅子やテーブル。きっと新品の頃は白かっただろう茶色く変色した壁紙。その隣の柱には子供の身長を測っていたようなナイフで削った跡。
生活感だ、と俺は思った。白い塔の中や城の中では感じられないこの空気。俺にとっては懐かしく、メローダにとっては心許なく感じる新鮮な空気だった。
コップの中のアニンの実をくるくると回しながら、開け放たれた窓のカーテンを揺らす風の流れをぼんやりと眺めていた。何度目かの甘い水を口に含んでいると、香ばしい肉を挟んだホットサンドをお皿に乗せたおばさんが戻って来た。厳しい視線をこちらに向けて、フンっと鼻息を荒くする。
「食べれるね?」
「え?いや、そこまでお世話になれません!」
「はん、言い返す元気がありゃいいね。ほら、さっさと食べな!」
台所のナイフで手早く食べやすいサイズに切り分けてくれたホットサンドが目の前に置かれて俺は慌てた。今の一文無しのメローダでは代金を払えない。
「お金持ってないので…」
と、断ろうとして腹の虫が鳴いた。ベタ過ぎて泣きたい気分である。
腰に手を当てて威嚇するような形相だったおばさんが、長く鳴る空腹音に豪快に笑い出した。
「別に金取ろうなんて思ってないさ!それ食べてさっさと出て行きな、そんでうちの店の味が気に入ったんならまた今度食いに来てくれればいいのさ。勿論、お次からはお代もちゃんといただくさ」
笑うだけ笑ったおばさんがまた出て行って、湯気の立ち上る出来立てのいい匂いには早々に白旗を上げた。こんなの、不味い訳がない。そして、出された料理を一番美味しくいただける瞬間に食べないなんて作ってくれた料理人に対して失礼だ。と、食べる為の言い訳を連々(つらつら)と重ねて俺は思った。俺だって、ヴィリネラの出すお茶を飲まなかったではないか。美味しく淹れてくれたお茶に見向きもせず引きこもり、何度も声を掛けてくれた彼女がメローダの心配をしていたことだって知っていた癖に、だ。
(帰ったら、ヴィリネラちゃんに謝ろう)
パクンと食べたホットサンドは美味しくて、ヴィリネラにも分けてあげたい気分になった。
*****
食べ終わった頃を見計らったようにおばさんがこちらの様子を見に来てくれたので、丁寧なお辞儀と言葉でお礼を述べたらまたもや豪快に笑われた。
「嫌だよ、そんなお上品な挨拶受けるような柄じゃないんだから止めとくれよ」
「でも…いえ、今度また、是非お伺いさせていただきます」
「ああ、待ってるよ!ルクス城下で一番の安くて美味い食堂、暁星亭と看板女将のエトラをご贔屓にね!」
おばさん改めエトラからの自己紹介を受けて、俺は咄嗟にアリアと名乗ってしまっていた。メローダ・アリアンナ・セントラニクスのアリア、である。
もう少し本名から離れた偽名にすれば良かっただろうかと思ったけれど、何てことはないようだった。エトラはカラカラと笑い、お貴族様に仕える侍女は名前までもお上品なのかと豪快にメローダの肩を叩いていた。これが城の者にバレたらエトラが首を跳ねられかねないが、親しい間柄になれたような錯覚はむず痒いものだった。
見送られて来た道を戻ると、あの人の海にまた捕まってしまった。しかし、気力も体力もエトラのお陰で回復した若い娘は頼もしい。速い人の流れにも負けず、興味の惹かれた様々な店先を覗き込んでいると、何やら女性ばかりが集まる広場が目に入った。
(何やってるんだ?)
広場の高い位置に陣取って演説中の女性へと賛同する、集まった大勢の女性達の黄色い声。その場に近付いて行くと、遠巻きに冷やかすお酒を片手に持つおじさん達の声が聞こえた。
「よーやるよ、全く」
「婚姻届けはもう出した後なんだろ?」
「今更ぶち壊せやしねえってのになあ…」
「俺もあんな風に乱入されるようないい男だったらなあ…」
「言うな、虚しいだけだ…」
「飲むか…」
「そうだな、飲むか…」
何の話だろうか、と聞き耳を立てていたお陰で、俺は知らず知らずの内にその女性達の集まりの輪の中に入っていた。しまった、と気付いた時には遅かった。次々と集結する女性達が押し寄せて来て、出るに出れない状態になっている。
「いいですか皆さま!あの、お馬鹿ですっとぼけるだけしか能のない女になど負けてはなりません!あの方はお優しい、きっと騙されているのです!」
「そうよ!」
「きっと間違いないないわ!」
熱気に負けて、ぎゅうぎゅうと押し詰める女性達が移動を始める。一体何処へ向かうと言うのだ。若い娘からいい歳したおばさんまで、多種多様な種族の女性達は、時折掛け声で一致団結しているように見える。
(デモ隊…何のデモ隊…?)
ぞろぞろと皆が向かう方向に何があるのかは未だに分からないが、掛け声が酷い。すごく酷い。
「ぶち壊せー!」
「死にさらせー!」
「不幸になれー!」
(やだ、女の人って怖い…)
右に倣えと言われれば倣います精神に溢れた日本人としてはパフォーマンスのみなら倣うのも手慣れている。しかし、不幸になれと行進する女性達の集まりの心象にはドン引きである。
とは言え、脱け出せない現実で彼女等と違うパフォーマンスをする程の肝の大きい俺でもない。握り拳を空に掲げる女性達に流されて、随分と長い距離を歩いた気がする。そろそろ太陽も傾いて来そうな気配を感じて城までの帰り道に不安を覚える。
(日没までに帰れるかなあ…)
ぼんやりと考えていると、女性達の行進が止まった。先頭はどうなっているのか分からないが、何やら物々しい雰囲気である。
「我々は、あの浅ましく愚かな雌犬にお灸を据えに来ました!」
「早急にこちらの要求を飲んでいただきます!」
「さあ、早く我々にあの雌犬を差し出していただきたいのです!」
(おーおー、始まった始まった…結局一体何のデモだったん…)
「さあ、ユール・キリグランルをこちらに!」
「ぶっ!」
聞こえて来た人物名に思わず吹き出してしまったけれど、周りから奇怪な視線が降り注げども笑わずには居られなかった。ユール、ユールだって?
「浅ましい雌犬ユール!頭もお股もゆるゆるな愚かなユール!誰がこんな結婚を認めるものですか!」
「そうだー!」
「ユールが相手なんて許さない!」
頭のネジもお股もゆるゆるユール…これはあのユールで間違いない。本編のヒロインで俺が一番最初に考えたユールのことで間違いないのだろう。それにしても酷い言われようである。ユールは確かにお馬鹿であるが、こんなにも女性受けの悪い頭の悪さではなかったはずだ。
どうしてここまで女性達から反感を受けているのかの原因は、次に聞こえて来た獰猛を隠さぬ男のドスの利いた声が教えてくれた。
「あー…そうは言っても2人はもう夫婦だぞ。婚姻届けはとっくの昔に出してある」
「そういう問題ではないのです!何を堂々と、教会でもないギルド地区で披露宴など開いているのかということを…」
「それは花婿でうちのギルマスのディアールの意向だ、ユールは口出ししてねえよ」
「は、は…花婿!?」
「ぶふっ!」
駄目だ、笑っちゃ駄目だ!
漸く分かった。きっと彼等は、冷徹のディアールという中二病臭い二つ名持ちで冒険者ギルドのギルドマスターのディアール・キリグランルのファンクラブの女性達の集まりなのだ。そして、対峙し宥めているのは冒険者ギルドの冒険者達。
教会地区でこんな騒ぎを起こせば双方出入り禁止となるかもしれないと危惧したであろうディアールの采配が見事に的中したのだろう。そうでなければわざわざギルド地区で披露宴を行う道理はない。ここならば最悪、暴力沙汰や流血事件が起きようとも治外法権を行使し事件そのものを揉み消せる。
(ディアールってこんな切れ者だったのか、そうかー…)
本編との違いを噛み締めながら楽しんでいると、ファンクラブの代表が痺れを切らせたらしい。女性達を嗾ける作戦に切り替えたのか、女性達の群れが動き始めた。
(え、お、お?)
熱を帯びた奇声は本当に恐ろしいが、アイドル商売でもないディアールにとってこのように披露宴を荒らされるのは面白くはないはずだ。花嫁をこれだけ貶されて、あの腹黒が大人しく引き下がるとも思えない。
凶暴さを矢面に立って受け止めようとしている冒険者の彼等は最悪女性恐怖症にでもならなければ良いけれど。
なんて他人事のような余裕は今の俺にはない。揉みくちゃにされて押されて足を踏まれて、頭のホワイトブリムが外れないよう抑えるのが精一杯である。
(あー、これどうすんのー、もー)
ぎゃあぎゃあと喚く女性達の群れに押されて居たら、突然ポンっと群れから飛び出すことに成功した。
「おお、出れた!」
ヨロヨロとした足取りで群れから離れて振り返ると、戦いは熾烈を極めているようであった。迫る女性達も凄いが、それを抑える冒険者達も流石である。
揉みくちゃにされたお陰で草臥れた侍女のお仕着せは土埃にエプロンが汚れてしまっている。帰ったら綺麗に洗わねばならないと思って居ると、後ろから肩を叩かれた。
「はい、群れから飛び出ちゃったお姉さんはあっちで参加賞貰って今日は帰ってねー。またのデモをお待ちしておりまーす」
「はい?」
振り返った俺は驚いてしまった。
何故かって?
それはここがギルド地区であること、冒険者ギルドの会館前であること、冒険者ギルドとなれば居てもおかしくない人物達がこの場にいることを考慮し損ねていたからだ。
「あ、アンタ…」
だから、驚いてしまった訳である。勿論、目の前の人物だって俺の姿を見て目を見開いていたけれど。
「アンタも、うちのギルマスのファンだったの?」
「ち、違うわ…その、巻き込まれて…」
慌てて取り繕おうとする俺の姿に余裕の笑みを見せる向き合う女性は、筋肉質で肉感的で、誰彼構わずフェロモンを撒き散らすような下品さはないけれど構造的に唆られる。そんな大人の女性だった。
そして何より驚いたのは、彼女の足元に巻き付いている、彼女によく似た可愛いお子様がこちらを見上げていることだった。
短い髪を耳に掛けるだけで感じる色気にクラリと来るが、下に向けた視線のなんて優しいことだろう。
「まあ、何でもいいか。それにしても驚いたね、こんなところで会えるとは思ってなかったけど…ああ、自己紹介しといた方がいい?私は…」
「ち、ちょっと待って!ハロルドって子持ちなの、結婚してるの!?」
「あー…うん、結婚してるよ。子供も可愛いでしょ?」
「か、可愛い…けど…」
「それで?どうしてこんなところに居るのかは聞いてもいいの?お姫様」
背後で格闘ゲームよろしく投げ技飛び技が繰り出されているこの喧騒の中、俺はユール・キリグランルが花嫁である結婚披露宴場所で、ハロルド・ナルル・トリーシャに出会った。
「ちょうど良かった、これからリアリーが踊るところなのよ。何なら見てく?」
「え、リアリーまで居るの!?」
何だか、波乱の予感がしない、訳でもない。