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03、お伽噺の、尻拭い

…*…胸糞注意でございます。

 ぼんやりしていたと一言で言っても、メローダの耳は人間よりも敏感に音を拾う。ヴィリネラと、存在を大袈裟に主張する軍人用のブーツの足音がすればいつまでも黄昏てはいられない。


 「姫様、エルドゥード殿下がお見えになっております」


 「通してちょうだい」


 どうせ扉の外のヴィリネラの後ろで、メローダが降りて来るのは待ちきれんと厳つい表情で立っているのだ。薄いレースの透けた室内着のワンピースだろうが構うことはないだろう。同等の造りのケープに手を伸ばしたところで、ノックもないまま乱暴に扉が開かれた。


 「おはようございます、殿下。出来ればもう少し扉を労る余裕を心に持っていただけたら助かります」


 「久し振りに顔を合わせたと言うのに、開口一番に減らず口を叩くような淑女に対する相応しい扱いではないか。後、兄と呼べと何度言わせる」


 「…お久し振りですお兄様。無事の帰還のようで喜ばしいと取り繕えばよろしいですか?」


 「フン、相変わらず可愛いげの無い」


 ズカズカと大股で室内に入った大柄な体格の黒い軍服の威圧は、白ばかりの塔の中で一際異彩を放っている。慣れた流れでソファに腰を落としてふんぞり返るエルドゥードに溜め息を吐きながら、ヴィリネラにお茶の用意を頼んで下がらせる。


 「いつお戻りに?」


 「今朝早くだ。やっと帰って一息吐けるかと思ったら猫が一匹お転婆過ぎて手に余ると報告を受けてな」


 「まあ…それは大変でしたのね?」


 うふふおほほと愛想笑いを張り付けるメローダの面の皮は厚いらしい。ついでにエルドゥードに告げ口をしたパトリックに対しては、心の中で盛大なブーイングを送っておこう。

 暫く他愛ない核心を突かない言葉遊びで時間を潰し、ヴィリネラからワゴンに載せた茶器を預かってメローダに合わせて冷やされているハーブティーのポットを持ち上げていたら、不機嫌そうな声がした。


 「またその茶か」


 「あら、お嫌いでしたら飲まなくてもよろしいですのよ?それとも、気の利かない侍女の首を跳ねますか?」


 そうすればこのメローダよりも獣らしい風貌の男の相手も早々に切り上げられる。メローダはエルドゥードと比較的に良好な関係を築いていたようだが、5歳年上のこの長兄に甘えられるような間柄とはまた少しベクトルが違う。


 「いや、貰うさ」


 「そう、ですか」


 短いやり取りの中で心象を読み取るのは決して簡単ではないようで、メローダはこの長兄との突発的なお茶会に苦手意識を抱いていたようである。


 (まあ、このお茶会の後に何が起こるか知ってるからだろうな)


 慣れた手付きで2人分のお茶を用意したメローダがエルドゥードと対面するようにソファに座ると、一気にカップの中身を煽った長兄が苦々しい表情で咳払いをした。早々にお茶会はお開きらしい。まだこちらは一口も飲んでいないと言うのに。


 「お前が俺に言い含められたからと言ってしおらしくなるとは毛頭思ってはいない。いないが、敢えて言わせてもらうが罪人にちょっかいを出すのは流石に許してやれないぞ」


 「残念、いい暇潰しになると思いましたのに」


 「本なら取り寄せてやるし、望むなら宝石商やサーカスだって呼んでやる」


 「要りません、それはただの税金の無駄遣いです」


 「あの牢塔に捕らえている罪人の世話もその税金から賄われているんだぞ」


 「ならば早いところ強制労働させませんと。国民が暴動を起こしかねませんね」


 「メローダ」


 のらりくらりと(かわ)していたが、メローダとは違って軍部上層部に噛んでいるエルドゥードは多忙な身だ。遊んでいる暇などないと暗に言われてしまえば、黙っていい子にするだけの空気は読める。


 「分かりました、もう牢塔には近付きません。それでいいでしょう?」


 本当はあの元棒人間、ポール・クラウンとメローダが名を与えた男のことも気になるが、直接接触せずとも探る手段はまだ残されている。追々策を練ればいいだろう。


 「ああ、いい子だ」


 「また子供扱いですか」


 「お転婆だなんだと叱られている内は十分子供だろう」


 「まあ、確かに…」


 中の人は40過ぎてますけどな!

 とは口が割けても言わないでおこう。それよりも会話に一区切りが着いてしまったことの方が重大な問題だ。エルドゥードに振れる話題のひとつでも捻り出さねば…と、考えたけれどそもそもメローダは話題に飢えている側だ。軍人として国内を飛び回っているエルドゥードに提供出来る面白い話など持ち合わせていない。

 これは詰んだと考えていたら、エルドゥードが決定打を打った。


 「母上がお前を呼んでいる」


 頭上の耳がピクリと動けば、表情に出さずとも動揺をエルドゥードに見られてしまう。張り付いた笑顔を崩さぬように慎重に、メローダは頷いた。


 「分かりました、準備をします」






*****






 ルクス王国の現国王は、御年72歳となる老王である。その王妃であるニーリレナ妃とは実に33歳差という驚愕の事実。つまり、14の少女が47のおっさんに嫁いだ訳である。


 (紳士の風上にも置けねえじゃねーか!)


 変態(しんし)とは遠くから愛でる者への敬称だと自負してならない()からすれば、邪道も邪道でしかない。

 16でエルドゥードを産んだ妃はまだ39歳という、メローダの中の()よりも年下という計算式に実に複雑な心境だ。


 「何を考えている」


 「いいえ、何も」


 メローダの住む白い塔の地下に掘られた地下道は、後宮に直接繋がる秘密の近道である。

 その薄暗い地下道をエルドゥードに先導されながら歩くメローダの格好は侍女のお仕着せに身を包んでいた。形式上の母に会う公式の場に出る分には侍女の変装など必要ない。獣人の耳や尻尾や髪色は念入りに隠さねばならないけれど。だけれど、今王妃はメローダを産んだ侍女、シュローナに会いたいと泣いているのだ。

 着慣れたお仕着せの膝下20センチのスカートに隠した尻尾は緊張でピクリと揺れる。特注で作られたシニヨン帽のようなホワイトブリムの中では猫の耳がシュンと項垂れている。


 (ばっくれたーい)


 沈黙に逃げ出そうかと妄想してみて、猫だろうがメローダはエルドゥードに脚力で完敗していた過去を思い出した。残念、これでは逃げ切れない。


 「頼む…」


 半ば意地になって逃げ道の確保を画策していたら、短くも長くもあった地下道の終点まで辿り着いていた。残念、腹を括るしかなさそうだ。

 エルドゥードが珍しく下手に出るから一瞬面食らうが、しかし普段から図体も態度も大きい男が実に殊勝な心掛けである。


 「お任せ下さい、エルドゥード殿下」


 期待に沿うようにシュローナの面を被って頭を恭しく下げて、()はその扉を開けた。


 (眩しい…)


 初めに眩んだ視界が真っ白な光に包まれる。数度の瞬きで戻る視界の中で、構えていた王妃の侍女がメローダの姿に硬い表情のまま頭を下げる。


 「王妃様はこちらでございます」


 ニーリレナ妃を愛する余り、現国王は彼女以外の姫を後宮から追放した。たった一人の為に運営されるこの後宮は静けさに支配されて閑散としている。日当たりを計算し尽された光のシャワーが注ぐ廊下を歩く姫君達は、もう居ないのだ。

 後宮の廊下に繋がる地下道はやはり秘匿とされていて、メローダ亡き後は潰される手筈になっていると聞く。可笑しなものだ、パトリックと形式上の婚約を結ばせた癖に城から出す可能性を微塵も考えていないのだから。


 「王妃様はどのようなご様子ですか」


 先導する侍女の後を追いながら振り返ると、エルドゥードが地下道の扉に鍵を掛けてこちらに向かっているところだった。


 「15、6の頃に戻られています。シュローナ…様を呼んで泣いておられます」


 「分かりました。温かいお茶の準備だけお願いします」


 「さっき俺が聞いたときは、カップを投げたと聞いたぞ」


 足の長さの違いとは腹立たしいものである。もう追い付いたエルドゥードが口を挟んで聞きたくなかった情報を提供してくれた。


 「王妃様はシュローナに怪我はさせませんよ。それに、貴方の口からそのような発言は褒められたものではありません。誰が聞いているか分からないのですから」


 「ああ、それもそうか。失言だった」


 短い情報交換の後、お茶の準備に向かった侍女は去り、王妃の部屋の扉の前にはエルドゥードとメローダの2人きりだ。


 「では、いつものように折りを見て陛下を呼んで下さい」


 「ああ、分かった」


 メローダはこの一連の流れを慣れていると感じている。心を殺しシュローナの仮面を被り、笑顔を張り付けて王妃を呼ぶのだ。


 「ニーリレナ様」


 ノックの音とメローダの声が静かな廊下に響いて溶けた。

 反応のない豪奢な装飾の掘られた白い扉に、再びノックをして声を掛ける。


 「ニーリレナ様、私です。開けて下さ…」


 「シュローナ!」


 一級品の杖のような佇まいで立っていたメローダの目前の扉が勢い良く開かれて、温もりが覆い被さって来た。

 豊満な肢体と年相応とは言えぬ幼さを残す顔立ち。目尻から大粒の涙を溢す、少女のような大人の女性。漆青の長い柔らかな髪は夜の闇を想起させ、蜜のような甘ったるい香りは香水ではなく彼女自身が放つ体臭なのだから驚きである。絶世の美女、というよりは完璧なパーツで仕立てた精巧な人形のようである。


 「ニーリレナ様、いかがされました」


 「もう、もう、もう!いかがされました、じゃないわ!貴方を探していたのよ、シュローナの馬鹿!」


 「まあ、いけませんよニーリレナ様。そんなはしたない言葉遣いでは陛下に呆れられてしまいます」


 「いいのよ、別に。私は祖国に帰りたいもの。こんな言葉遣いひとつでケチを付けられるなら、帰ってからみんなに言い()らせばいいんだわ!」


 「まあ、ニーリレナ様ったら」


 メローダよりも背の低い王妃が薄い胸板にグリグリと頭を押し付けて抱き締めがきつくなる。これは案外、しんどい務めになりそうだ。


 「帰りたいわ、帰りたい。今すぐ帰ってしまいたい!」


 「はい、ニーリレナ様」


 甘えてぐずる王妃を部屋の中に誘導しながら、()は扉を閉めた。部屋から少し離れた場所で、この言葉を聞いたエルドゥードは一体どう感じるのだろう。一体、どれだけ傷つくのだろう。


 (母親からは産んだことすら忘れられて、まるで存在すら全否定…ね)


 過去に戻るのは、今を生きたくない理由…つまり、シュローナの死を未だに乗り越えられていない証拠なのだろう。心が壊れてしまわぬように、王妃は過去に戻るのだ。今に残された人のことは、丸っと置いてきぼりにして。


 「シュローナだって、こんなお城に閉じ込められてる私を可哀想だと思うでしょう」


 ベッドに腰を下ろした王妃の隣に座って手を握ったメローダに、唇を尖らせた駄々を捏ねる子供は地雷を踏み抜く。どの口がそれをメローダに言うのだ。


 「…はい、ニーリレナ、様…」


 辛うじて震える喉から絞り出した言葉に、メローダの心が叫び出しそうになって必死に抑え込む。


 「もう、嫌なの。私はここから逃げ出したい。ここに私の居場所はないもの」


 王妃の言葉は、メローダに何度となく杭を打ち付ける。止めてくれ、()も痛くて堪らないのだ。

 今すぐこの務めを放棄して逃げてしまおうか。そう考えたけれどメローダは今までそうしなかった。耐え(しの)いで、己が逃げ出した後のリスクを思考し回避したのだ。なんて辛抱強い娘なのだろう。

 心からメローダに向けて賞賛を送っていたら、ぐずり疲れた王妃の体が船を漕ぎ出す。


 「ニーリレナ様、少し横になりましょう」


 「嫌よ、私が寝ちゃったらシュローナはどこかに行ってしまうのでしょう」


 「いいえ、シュローナはどこにも行きません。ニーリレナ様のお側にいます」


 「本当?」


 「はい、本当です」


 「手を繋いでてね?離しちゃ駄目よ」


 「はい、ニーリレナ様」


 彼女の為に特注で仕立てたもので溢れる部屋の大きなベッドの中で、丸くなって横たえた王妃がメローダを微睡みながら見上げる。


 「シュローナはいいわ。だってこんな(しろ)から逃げられたのだもの。私だって…いつか、逃げて…」


 今の言葉は、一体シュローナとメローダ、どちらに向けたものだろう。望まぬまま拐われて、王妃のご機嫌取りの為に生きたシュローナ。体の自由だけでは飽き足らず、心までもを蹂躙された挙げ句、愛の無い相手の子を産んで死んだシュローナ。

 寝息をたて始めた王妃と繋いだままの手をそっと引き抜いて、汗ばんだ手のひらの痺れを取るように振る。そして、細い首筋に手を宛がった。


 (ほんっと…胸糞悪い…!)


 このまま力を込めてしまおうか、と歯を食い縛る()をメローダの思考が制する。全くどこまでも辛抱強い。

 腹の底から煮え(たぎ)る怒りをここで解き放ってはいけない、何故ならここは後宮の中だからだ。周到なエルドゥードは、きっともう王を呼び付けている。扉の外では王妃が落ち着くのを今か今かと待つ老体だ。

 剥がれかけたシュローナの仮面を被り直して、震える手を顔の前で握る。大丈夫、メローダは何度も経験して乗り越えて来たことではないか。()だって伊達に歳を食っちゃいない。愛想笑いのひとつが何だ。さあ、扉の前に立って開けるのだ。


 (大丈夫、大丈夫…)


 寝室の隣の部屋の扉を音もなく開けたメローダの姿に、室内にいた人々の視線が一斉に集まる。王とエルドゥード、王妃付きの主治医である。

 後ろ手で音を立てぬよう慎重に扉を閉めてから、慣れた動作で侍女の礼を取った。


 「ニーリレナは」


 短く指示する(しわが)れた老いた声。実に数ヵ月振りの対話である。


 「今しがたお休みになられました」


 「そうか」


 メローダになど見向きもしないまま主治医を引き連れて寝室へと向かう王にもう一度頭を下げて見送る。パタンと閉められた扉の先の光景など、想像するだけ反吐が出る。


 「休んでいくか?」


 エルドゥードが硬い表情でメローダを気遣う不器用な姿に僅かに緊張の糸が緩む。しかし、首を振って申し出を断った。


 「いいえ、塔に帰ります」


 「分かった、行こう」


 「あ、でも…ちょっと待って下さい。先程侍女が淹れてくれたお茶を王妃様は飲まぬままお休みになられてしまいました。私が頼んだのですから、謝らないと…」


 「律儀な奴だな。いい、俺から伝えよう」


 「ありがとうございます」


 来た道を戻る頃の廊下は、黄昏色に染まって美しい様相を呈している。白亜の城が淡い橙に染まる中を、無言のまま歩く。

 王妃の首筋に宛がった手の感触が残っているお陰で、頭が沸騰しそうだ。


 「今日はゆっくり休め」


 「はい、エルドゥード殿下。殿下こそ、帰還したばかりでお疲れの中ありがとうございました」


 開け放たれた地下道の扉を背に頭を下げると、不機嫌そうな声が頭の上に振ってきた。


 「兄と呼べと言っているだろう」


 「…はい、お兄様。それでは失礼致します」


 エルドゥードから渡された松明を頼りに、じめじめとカビ臭い地下道を進む。

 すらりと姿勢良く前だけを向く後ろ姿を確認したエルドゥードが扉を閉めて、鍵を掛ける音を聞く。


 (まだ、駄目だ。エルドゥードは耳がいい、まだ我慢しなきゃ…)


 早足で折り返しを過ぎた辺りまで来て、()は振り返って暗闇の先の気配を探った。後宮の方角からや塔からの音も、人の気配もない。


 「っ、う…ふう…」


 もういいだろう、仮面を外そう。

 よく我慢した、メローダは強い娘だ。


 「あ、ああああ…!」


 力の抜けた体が崩れ落ち、四つん這いになった時に離した松明が地面に転がる。

 (せき)を切ったように溢れる大粒の涙はまるで雨のようで、食い縛ることも意味をなさない口からは悲鳴のような嗚咽が地下道に反響する。


 (魔物(モンスター)の雄叫びみたいだな)


 (むせ)び泣く口元を抑えるが、地面に爪を立てた時に手のひらに付いた砂利が当たって痛いだけで押し殺せない。

 そう、痛いのだ。心が裂けてしまったようだ。次から次へと打ち込まれた杭が広げた傷口は、せっかく治りかけた瘡蓋(かさぶた)を無理に剥がされ出血を繰り返す。どれだけ傷口を庇い、笑顔の仮面で守りを固めても瘡蓋は何度も剥がされるのだ。傷口は消えぬまま慢性化して痕を残す。心は穿(ほじ)くり荒らされ、傷痕ばかりが増えていく。


 「っ、たい…いた…い…!」


 泣き(わめ)くメローダの悲痛な叫びは、いつまでも地下道に響いて暗闇に消え失せた。





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