01、やらかしちゃった、お姫様
こちら単品でもお楽しみいただけますが、前3作品のネタバレも含みます。ご注意下さい。
俺の知っているメローダ・アリアンナ・セントラニクスというキャラクターは、高飛車で世間知らず。ご立派な宝石やら金箔やらでゴテゴテと装飾過多な額縁に飾られた可愛くて可哀想なお姫様。額縁に囚われ檻の中で空を焦がれる、孤独で寂しいお姫様。
だから俺は知らなんだ。
「ふふっ、ふふふ!嗚呼、可笑しいわ!こんな愉快なことが今まであったかしら!」
狂った悪役よろしくゲスい笑顔を振り撒くこんなメローダを、俺は知らない。見たことがない。本編の中の一枚絵で見せた微笑みは、高慢な殻で塗り固められた不器用で寂しがり屋の彼女の姿をよく表していた。素性で同情を誘い、守ってあげたいと男心を擽る為に用意されたキャラクター。それがメローダ・アリアンナ・セントラニクスという少女。
「姫…」
ルクス王国の白亜の城の敷地内にある、刑の定まらない罪人が囚われた牢塔のなんと陰気なことだろう。城の背後に聳えるオーバーヘイル山の山肌に半分埋まるように建つ、冷たい歪で不格好な石を積み上げてうず高く天を突き刺す哀れで愚かで、己の存在を主張する身の程を弁えぬ牢塔。湯浴みなど許されぬ数多の罪人達の体臭や垢や汚物の臭いの染み着いた岩肌、今にも消え入りそうな松明の炎は窓もない塔内の淀んだ空気を濃縮して醜悪に拍車を掛けている。
そんな塔の中、とある一人の罪人の牢の前で舞台女優のように大袈裟な身振りで笑い転げていたメローダの中。突如としてメローダに俺が交ざって溶けた。
(な…に…?)
両の手を広げたまま動かずに混乱する脳内を駆け巡るのはメローダと俺を照らし合わせ刷り込ませる光。ストンと腑に落ちる、己が何者かであるかの事実。
「姫?」
背後から心配するのはメローダが聞き慣れた声。そう、聞き慣れているはずの声の主を俺もたった今知った。
メローダの全身を巡る血液の流れに乗って染み込んだ、俺という存在に指先はピリピリと小さく痺れを覚える。進行形で大袈裟に振る舞っていたメローダが一体何をしていたのかを理解した俺は、鉄格子越しに岩肌に打ち込まれた杭に繋がれた太い鎖に思うように動けぬ一人の男を一瞥した。
不潔で、ツンと鼻を刺激する新鮮な臭さは繋がれた男がまだこの牢に入れられてから数日しか経っていないことをよく物語っている。
急に口を噤んだメローダに訝しげな視線を送るの頬の痩けた無精髭と、櫛を通さぬまま土埃に塗れた鳥の巣のような髪の毛の間から見える屁泥を想起させる下品な色の瞳。
(メローダ…余計なことを…)
メローダが、今や俺自身が犯した過ちに心の中で舌打ちを打つ。嗚呼、なんということをしたのだろう。悪戯な好奇心を持て余した行動力による失態は、姿形を与えてしまった。
それは、まるで魔法のように。
「姫様、メローダ姫」
先程から聞こえていたメローダを案じる声はパトリック・シュルツヘッジの低く甘い心地好いだけの声。メローダのお目付け役にして幼馴染み、そして婚約者である男の声だ。
出来ることなら数分前のメローダと交ざって溶けていたかった。そうすれば軽率を危惧して下手な手を打たなかったというのに。
「リック、気分が悪いわ」
震える喉を誤魔化す為に寒さを感じたと両腕で体を抱き込むと、軍の制服の上着を肩に掛けられた。メローダが嫌いな、甘ったるいこの男によく似合う香りが塔内の悪臭と混ざり醜悪の度合いが増す。
(嗚呼、どうしよう)
纏わり付くのは牢に繋がれた男の下衆で己の欲望を絡めた粘度の高い視線。
黄ばんだ歯列をよく見せ付けるよう象られた笑みは、注がれ続ければ気が触れてしまいそうになる。
「また来てよ、ねえ」
媚びた猫撫で声は狙ったようにメローダの背筋に悪寒を走らせる。ドレスの下の、尻尾すら毛羽立ち今すぐ逃げてしまいたい。
「弁えろ罪人、誰が貴様に口を利いていいと許可した」
パトリックの唸る声は軽蔑を隠さず剣呑さの余韻をこの場に残す。投げナイフに手を掛けるパトリックを咄嗟に制してから、俺は一度深い瞬きをした。
メローダがいつもの暇潰しでたまたま訪れた牢塔の中で見付けたのは、世にも奇っ怪なかたちをした男の姿だった。メローダは知っていた。その男は、3年前の武道大会でとある女冒険者を一方的に襲っていたことを。若い娘を狙った暴漢事件が3年前から多発的に国中で起きていたことを。冒険者ギルドのマスターの屋敷の前で捕らえられたことを。
長い瞬きを終えた俺の目前の男は、もう奇っ怪なかたちをしていない。メローダの一言が男に人のかたちを与えてしまったのだ。
「ねえ、もう名前を呼んでくれないの?」
名乗れぬ男に、旺盛な興味でメローダは安易に名前を与えてしまった。それは、名は体を表すということである。朧気で世界に馴染めなかった余所者に、実体という居場所を与えてしまったということ。
「ねえ、呼んで?呼んでよ、メローダ姫」
余程嬉しかったのか単に狂っているだけなのか。棒人間だったはずの男の姿に俺は、メローダとしての矜持にしがみ付いて戦慄く唇から言葉を吐いた。
「狂ったポール・クラウン、お前が私を楽しませてくれるというならね」
ケタケタと反響するポールの掠れた笑い声を背中に受けながら、敗走するように塔から一目散に離れる俺を気遣うパトリックの甲斐甲斐しさは、とても鬱陶しいだけだった。
*****
足元を見下ろすとビール腹が邪魔をする、脂肪肝が気になるから水曜日は休肝日。最近電車でピンヒールに狙ったかのように足の指を踏まれる事が増えて来たことも重なって、自転車通勤を始めた40過ぎたおっさん。因みにママチャリ、競技用自転車に手を出せるような体型ではないのだ。趣味は年齢制限無しから有りまで多岐に渡るギャルゲープレイ、仕事もギャルゲーに携わる徹底っぷり。
跳ね上がる高い税金と世の中の流れに迫害を受けようとも止められない煙草は最早意地の域を出ず、携帯灰皿片手にオフィスの外で吸おうが通りすがる主婦とリードに引き摺られる犬にも吠えられる。悔しさは押し殺して愛想笑い。心の中ではお宅の息子さんにおかずを提供している者です、今後とも良しなに…なんてゴマをする。
(よくもまあ…)
そんな情けないおっさんが、どう間違えたらメローダになるのだろう。いや、既にもうメローダだった。すらりと伸びたしなやかな体躯と母親譲りの肉付きの薄い胸や尻。もしかしなくとも溜め息が出る。おっさんだった時は見下ろせなかった足先は、この体ならば可能になろう。ささやかな膨らみは可愛らしいからこれでいいのだ、そういうことにしておこう。
コツコツとピンヒールで一定のリズムを刻んで前だけを向いて優雅を纏ってドレスを風の精霊の舞のように揺らすメローダの中身がおっさんだなんて、後ろを歩くパトリックに告げたらどんな顔をするだろう。多分奴は、にこやかにメローダの冗談を面白いと一蹴して終わりだ。つまらないから止めておこう。
(うおお、転ぶだろ!これは転ぶ!)
少しでも重心の掛け方を誤れば細い足首が折れるんではなかろうか。そんな心配も何のその、メローダの身体は歩き方を覚えていたし、メローダという人物の人となりを忘れてはいなかった。
だから、メローダの足が無意識のままに城の一点を目指して歩みを進めることの意味に疑問が浮かぶのが遅れてしまった。そう、余りに自然体だったから。
(そうか、メローダは城の中に住んでいなかったのか)
俺が肉付けした設定にはこんな事実はなかったはずだ。メローダは高飛車で世間知らず、そんな浅いバックボーンしか考えていなかった。何せこちとら数十を越えるヒロインを考えていたのだ。個々の細やかな設定にまで手は届かなかった。それよりもヒロイン達の個性が被らないようぶっ飛んだ設定を捻り出すことに追われていたような気がしてならない。トイレの中は閃きに向いていると聞いて籠っていたら、痔になる程度には苦しんだ覚えがある。
(そうか、メローダは意外と苦労したんだな)
白亜の城には脇目も振らず見る一点は、城と比べればなんと小さい白い塔なのだろう。一応の装飾を施された歴史ある城と並べば浅い佇まい。その塔こそが、メローダの住む場所なのだった。
メローダを理解する為に白い塔を見上げて俺と擦り合わせをしていたら、お供をしていたパトリックが塔の入り口を開けてメローダの方を向いて待っていたらしい。腹の底に響く重低音に呼ばれて慌てて取り繕った。
「姫様」
「んあ?…いえ、何でもないわ。気にしないで」
ツンと澄ました冷たい視線をパトリックに送り、塔の中に入れば唯一の侍女であるヴィリネラが笑顔で主の帰りを喜んだ。
(あら可愛い)
あどけなさを残した少女であるヴィリネラ。身長の高いメローダと並べば頭二つ分は違う。メローダの名誉の為に言うと、ヴィリネラが小さ過ぎるのだ。しかしながらよく気が利いて働き者であるこの小さな侍女は、一瞬で赤く染めた頬でパトリックに頭を下げる。
(ふんふん、なるほど。ヴィリネラちゃんはパトリックに片想い…ね)
メローダの婚約者であるパトリックに横恋慕中らしいヴィリネラを、どうやら性根の曲がったお姫様はおもちゃにしていたようである。感情の伴わない戯れをわざと見せ付けてみたり、パトリックではない男を侍らせてみたり。
(うわ、メローダ根性悪ぅ!)
自分のことながら頭が痛い。これでは本当に性格の悪いただの我が儘姫ではないか。
さすがに突然性格を変化させれば要らぬ猜疑心を煽るだろうが、思い出しついでに沸き上がった罪悪感を水洗式のトイレの如くキレイサッパリ水に流して頂きたい。ここはヴィリネラにいい思いをさせるに限る。
「ヴィリネラ、お風呂に入りたいわ」
「え…?ひ、姫様が、ですか?」
「見なさい、罪人臭くて堪らないのよ」
「で、ですが…」
「準備してないの?」
「もちろん、すぐ入れます…けれど…」
「そう、なら今すぐ入るわ。手伝いは要らないから一人にして」
肩に掛けられていたパトリックの上着をヴィリネラに預けて浴室への階段を降りて行く。チラリと覗き見たメローダを見送る二人は、目を見開いて驚いて顔を見合わせていた。
「ふふ、ラブラブしたらいいのだよ!」
別に俺はヴィリネラがパトリックと恋仲になろうが構わないのだ。精々頑張って侍女と公爵家跡取りというロマンスを精々駆け抜けてくれるがいい。
半地下に増設された一人で入るには大きすぎる浴室に心が踊り、そそくさとドレスを脱いでシミのない滑らかな白い肌が露になる。補正下着も要らぬ佇まいは、努力の賜物で勝ち得た肢体だ。
「うへ、そういやメローダだったっけ」
姿見に映ったビール腹のない性別すら越えた姿には違和感しかないけれど、鼻を刺す悪臭は早いところ流してしまおう。
「昼間から風呂っていうと冷酒持ち込みたいよなー」
外からの採光に輪郭を暈された真っ白な浴室とメローダの為に用意された好みの香油。数滴垂らせば広がる柑橘類の爽やかな香りに頬が自然と緩んでしまう。尾てい骨から伸びる灰色の尻尾がゆらりと揺れる。
ここで気が付くべきだったのだ。
「ふひっ、お姫様最高だぜー!」
ポチャン、と差し入れた揺らめく浴槽の中の足が感じた熱さに絶叫してから気が付いた。
「ああっつあー!?」
そうだった。
猫獣人のメローダは、猫舌猫肌。
お湯が大の苦手だったっけ。
「姫様っ!?」
叫び声に慌てたヴィリネラの声がする。ごめんねヴィリネラ、せっかく二人きりにさせてあげたかったのに。不甲斐ない主人で、本当にごめん。