1年経過
第23話 1年経過
工場を立ち上げてから一年が過ぎた。
北地区に広がる敷地には、石鹸の甘い香りと、金属を削る乾いた音が絶えず漂っている。電球工場の煙突からは白い煙がゆらゆらと立ちのぼり、孤児院の畑では子供たちが土を耕している。
従業員はいつの間にか百人を超えた。
売り場、工場、警備、孤児院、炊き出し、研究室――。
自分一人では到底回せない規模になっていた。
夕方、帳簿を閉じたヤマタニは椅子に背を預けた。
「社長は一人でやり過ぎです」
向かいに立つ経理課長ケイトが、ため息まじりに言った。
真面目で厳格。数字の狂いを一銭も許さない女だ。
「浮浪者へのパンの支給が多すぎます。寮費も食費も、無駄が多い」
「無駄じゃない」
ヤマタニは静かに言い返す。
「投資だ。あいつらは将来、うちを支える」
「理想で会社は回りません」
ぴしゃりと言い切られる。
だが彼女は、帳簿を差し出す手を止めなかった。会社を守る気概は本物だ。
「それと」
彼女は視線を上げた。
「社長はもっと立派な服をお召しになるべきです。屋敷も購入してください。みすぼらしい姿では、貴族も大商人も本気で相手にしません」
なるほど、とヤマタニは思う。
技術だけでは足りない。
信用もまた商品なのだ。
数日後、ヤマタニは中古の屋敷を買った。広い庭、納屋、使用人部屋付き。
服も仕立て直した。
その姿を見て、経理課長は小さくうなずいた。
「これでようやく“社長”です」
そう言ったあと、不意に真顔になった。
「……それと奥様をお迎えください」
「は?」
「家格と後継のためです。必要なら、私が嫁ぎます」
さらりと言う。
冗談ではない。目が本気だ。
ヤマタニは言葉を失った。
五十を過ぎた身だ。前の世界には妻も子もいた。息子はもう自立している。
だが――。
胸の奥に、かすかな罪悪感がよぎる。
その矢先、別の話が舞い込んだ。
商人協会長の娘ヒラリーが、ヤマタニに興味を持っているというのだ。
政治的な後ろ盾。巨大な信用。だが同時に、自由の喪失。
屋敷の書斎で一人、ヤマタニは窓の外を見た。
孤児院の子供たちが笑いながら走り回っている。
あの子たちの未来を守りたい。
だが、自分の人生はどうする。
理想か、安定か。
情か、戦略か。
机の上には、新型モーターの設計図と、婚姻に関する招待状が並んでいる。
発明で世界を変えるつもりだった。
だが今、問われているのは――
自分の生き方そのものだった。
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使いかけの石鹸は小さくなって、使いにくいですよね。
誰が考えたのか、みかんの入ってた、あの網!!
あれに入れると大変使いやすく経済的。
素敵な発明です。




