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第9話 抱き上げられただけで、すべてが狂い始めた

 数日後。

 夜も深いのに、ノックが響いた。


 コン、コン。


 心臓が、跳ねた。


(……こんな時間に?) 


 扉が開き、ユリウスが入ってくる。

 執務帰りの外套姿。疲れを隠しきれていない影。

 なのに、視線だけは真っ直ぐ、俺を捉える。


「……遅くなった」


 たったそれだけの言葉なのに、

 胸の奥が、甘く締めつけられた。


(……ほっとしている)

(……彼が来てくれたことに)


 気づいた瞬間、背中がひやりとする。


 ——ああ。


 もう、自分の感情をごまかせなくなってきている。


「……あ」


 ふと、自分の格好を思い出して、言い訳が先に出た。


「あの……こんな格好ですみません。

 もう来られないかと思って……」


 すでに簡素な室内着のままだ。

 髪もまとめただけ。


 ユリウスは一瞬だけ視線を止め、それから静かに言った。


「構わない」


 それだけ告げてから、ほんの間を置く。


「……君の父上と、少し話していた。

 遅くなったからどうしようかと思ったが、君の顔を見たかった」


 彼の視線が俺を捉えた瞬間――


 どくん。


 胸が、甘く疼いた。

 頰が熱くなり、息が浅くなる。


(……なんだこれ?)

(まるで恋だ)


 視線を逸らせない。

 もっと見ていたい。


「……どうした」


 ユリウスが近づき、俺のそばに立つ。

 距離が近い。


「顔が赤い」


 図星に言葉を失う。

 だけど、そういう彼の耳朶も薄く赤い。


「……あなたこそ」


 暖炉の火がぱちぱち鳴る中、俺たちはただ、互いの体温を感じて黙っていた。


 やがて、ユリウスが視線を逸らす。

 ふと、机の上の紙束に目を止めた。

 先ほどまで、俺が書いていた令嬢達からの証言だった。


 金額。日付。言葉の一致点。

 矛盾点。

 信頼度。


 ユリウスは、しばらく何も言わずに読んでいた。

 そして、短く一言。


「……うまいな」


 俺は思わず顔を上げた。


「事実と感情を分けている。

 証言の重複をまとめ、矛盾も明確だ。

 これなら、そのまま証拠資料として使える」


 淡々とした声。

 でも、それは明確な「評価」だった。


 胸の奥が、わずかに温かくなる。


(……誰も読まない議事録作成スキルが、こんなところで役に立つとは)


 前世では、誰にも読まれない会議のために延々とまとめていた。

 今は違う。

 これは、確実に「誰かを守るための記録」だ。


「……ありがとうございます」


 ユリウスは椅子の背に軽く手をかけたまま、しばらく沈黙する。


「無理はしていないか」


 問いは短い。


「……少し、集中しすぎていました」


 正直に言うと、眠気は限界だった。


「あまり無理をするな」


「大丈夫、あなたに比べたら」


「……買いかぶりだな」


 ユリウスは、わずかに口元を緩めた。


「ところで、君が言っていたメイドの件だ。

 金銭で買収されていた。

 ハインリヒの指示で、毒と媚薬を用意していた」


 俺は、静かに聞いていた。


「ただし……彼女自身も、拒めば職を失う立場だった。

 つまり、共犯であると同時に、被害者でもある」

 

 ユリウスは書類を閉じ、机上に置いた。

 そのまま、俺を見る。


「メイドの処置を決める。君の意見を聞く」


「……私?」


「被害者は君だ」


 一拍。


「法に基づく処罰。身柄を王国法務院に引き渡す。

 あるいは、俺の権限で――私的に処理する。

 ……そして、君が許すという選択も、理屈の上では存在する」


 俺は喉を鳴らした。


「……法に基づく処罰だとどうなるんです?」


 ユリウスの瞳が、ほんの僅かに細くなる。


「毒物準備。媚薬の使用。買収。偽証。

 貴族令嬢に対する加害行為の幇助」


 淡々と、感情を交えずに列挙される。


「死刑だ」


 胸の奥が、ひやりと冷えた。

 

 あのメイドの顔を思い出す。

 生き返ったと残念そうにした顔。

 ハインリヒに抱きしめられてくすくすと笑う様子。

 媚薬を飲まされてハインリヒに触られた屈辱。


 ――だけど。


(……彼女も、ただの道具だったのかもしれない)


 俺は、ゆっくりと息を吸った。


 ユリウスは淡々と続ける。


「情状酌量を考えるなら、君の口から許すと言うしかない。

 だが、その言葉が君を縛る。君が背負う必要はない」


 机の上の空気が、重く沈んだ。 


「君は、どうしたい」


 俺は、しばらく視線を落とした。


「……迷っています」


 正直な言葉だった。

 ユリウスは何も言わず、ただ待っていた。


「彼女と話をしても?」


 静かな問い。

 ユリウスは、小さくうなずいた。


***


 ユリウスの前に、メイドは跪いていた。


 暴れる様子はない。

 むしろ、驚くほど静かだった。


「……言い訳は、ありません」


 メイドの声はかすれていた。

 顔を上げないまま、ぽつりと続ける。


「お嬢様に毒を盛ったことも……媚薬をハインリヒ様に渡したことも……事実です」


 その言葉を、俺は黙って聞いていた。

 ユリウスが淡々と問う。


「動機は」


 一拍。


 メイドは、しばらく沈黙したあと、低く言った。


「……正直に申し上げますか」


「構わない」


 その声は、冷静だった。

 裁く者の声。


 メイドは、わずかに肩を震わせた。


「……お嬢様が、嫌いでした」


 空気が、ぴたりと止まる。


 ユリウスの気配が、一瞬だけ強まったのが分かった。

 でも、俺は動かなかった。


 メイドは続ける。


「……妬ましかった。

 家柄も、美しさも、部屋も、食事も……何もかも」


 震える声。


「それなのに……お嬢様は、ずっと不幸そうで。

 泣いてばかりで……満たされていなくて」


 その声に、俺の胸が、微かに軋んだ。


「……だったら、私たちは何なんだろうって。

 そう思って……」


 そこで、ようやくメイドは顔を上げた。

 涙で濡れた目が、真っ直ぐこちらを見た。


「壊れてくれればいいって……思ってしまったんです」


 言い切りだった。

 取り繕いのない、醜い感情。


 それを聞いて、胸の奥が、ひどく静かになった。


 怒りでも、憎しみでもなく、

 ただ、鈍い痛みだけが残る。


 俺は、しばらく言葉を探して――結局、言えなかった。


 代わりに、静かに言った。


「……もう少し、考えさせてください」


 ユリウスが、こちらを見た。


「結論は、今は出せません。

 だから……今日は、ここまでに」


 メイドが息を呑む。

 ユリウスは、一瞬だけ迷うように俺を見つめたあと、頷いた。


「……分かった」


 短い一言だったが、そこには明確な尊重があった。


***


(……考えても、答えは出ないままだ)


 気づけば、まぶたが重くなっていた。

 机に肘をつき、意識がふっと遠のしかけた、そのとき。


「……もう限界だな」


 低い声が、すぐ近くで響いた。


 はっと顔を上げると、ユリウスが立っていた。

 いつの間にそこまで来ていたのか分からない距離。


「……だ、大丈夫です」


 反射でそう言ったものの、言葉の最後がうまく閉じない。


 ユリウスは何も言わず、ただ俺を見ていた。

 責めるでもなく、困ったようでもなく――ただ、静かに。


「……立てるか」


「……はい……たぶん……」


 椅子から立ち上がろうとして、足に力が入らないことに気づく。

 一瞬、体が傾いた。


 次の瞬間、視界が揺れた。


 気づいたときには、背中にしっかりとした腕の感触があった。


 抱き留められている。

 というより――抱き上げられている。


「……っ……!?」


「暴れるな。落とす」


 淡々とした声だった。


 けれど、腕は驚くほど慎重だった。

 壊れ物でも扱うみたいに、力が強すぎない。


 顔が、やたらと近い。

 息遣いが、分かる距離。


 胸の奥が、うるさくなる。


(……まずい、これは)


 けれど、身体は動かない。

 動きたくない、とどこかで思ってしまっている。


 ユリウスは何も言わず、ただ静かに歩いて、ベッドまで運ぶ。

 音もなく、そっと、俺を寝かせた。


 マットが沈む感覚。


 それだけなのに、妙に現実感がない。


 視界の端に、彼がまだ立っているのが見えた。


 何か言われるのかと思った。

 何か、されるのかとも、一瞬だけ――思ってしまった。


 けれど、ユリウスは何もしなかった。


 ただ、しばらく、こちらを見下ろしている。

 その視線が、やけに静かで、やけに優しくて。

 まるで、「起こさないように」とでも思っているみたいだった。


「……無理をするな」


 それだけ言って、踵を返す。


 扉が閉まる直前、思わず口が動いた。


「……ユリウス」


 彼が、振り返る。


 言いたい言葉は、たくさんあったはずなのに。

 実際に出たのは、たった一言だった。


「……おやすみなさい」


 ほんの一瞬、驚いたような間。

 それから、ユリウスはごくわずかに目を細めた。


「……ああ。おやすみ」


 扉が、静かに閉まる。


 残された部屋の中で、胸の奥だけが、いつまでも熱を帯びていた。

 何もされていない。

 触れられたのは、抱き上げられた腕だけ。


 なのに。


(……なんで、こんなに……)


 答えは、分かっている気がして、考えるのをやめた。


 まぶたを閉じると、最後に思い浮かんだのは、

 ベッドのそばで、何もせずに立ち尽くしていた、あの表情だった。


(……男なのに)

(……あいつに、惚れてるのかもしれない)

普段はBLを書いていますが、今回はNL(TS要素あり)に挑戦しています。

少しでも楽しんでいただけたら、本作はネトコン14応募作品ですので、ブクマや★で応援していただけると励みになります!

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