第6話 令嬢たちは、もう私を笑わない
「……自殺未遂、ですって」
「婚約破棄したくても、できなかっただけじゃない?」
「可哀想。
今度は宰相様に拾ってもらったのね」
「平民出身の変人宰相と勘違い令嬢、お似合いね」
その囁きが、夜会の空気をわずかに歪めた。
集められた令嬢たちは、最初、俺を囲むように立った。
誰も正面からは見ない。
扇子の陰。
肩越しの視線。
小声の笑い。
くすくす、と笑い声。
同情を装った、刃。
(ああ、これだ)
川に落ちた人間をつつく空気。
会社では、いつもの光景だ。
俺は、何も言わない。
ただ、鏡越しに全員の顔を見た。
家格。
年齢。
視線の向き。
(……なるほど)
「でも、運がよかったじゃない?」
誰かが言う。
「ハインリヒ様に捨てられただけで済んで」
その言葉に、別の令嬢が、ほんの一瞬だけ顔を強張らせた。
俺は、その瞬間を逃さなかった。
「……皆さま」
静かに声を出すと、笑い声が、すっと引く。
「一つだけ、伺っても?」
誰も答えない。
でも、全員がこちらを見る。
「ハインリヒ様から、
君だけだと言われたことのある方」
一拍。
沈黙。
――一人、戸惑いながら手が上がった。
「あ……私……」
次の瞬間。
「……え?」
別の令嬢が、目を見開く。
「それ、私も……」
さらに。
「私も……です」
「……私も、そう言われました」
次々と、声が重なる。
空気が、変わる。
さっきまで俺をつついていた令嬢たちが、互いの顔を見る。
笑みが消え、理解が、恐ろしい速さで広がっていく。
「……嘘」
「私だけだって……」
「そんな……」
誰かの扇子が、床に落ちた。
俺は、淡々と続ける。
「持参金。
贈り物。
援助という名目のお金」
視線が、俺に集まる。
「皆さま、同じ時期に、同じ言葉をかけられていません?」
否定の声は、出なかった。
代わりに、
誰かが、震える声で呟く。
「……私だけじゃ、なかったの?」
その瞬間。
いじめの空気は、一気に、崩れた。
俺は、そこで初めて、はっきり言う。
「皆さんは、被害者です」
責める声ではない。
判決でもない。
事実の提示。
「誰かを陥れるためじゃありません。
共犯にするためでもない」
一息つく。
「ただ――
一人じゃないと知るために、ここに集まっていただきました」
令嬢たちは、もう俺を見ていなかった。
互いを見ている。
そして、気づいたようだ。
川に落ちたのは自分かもしれないことに。
俺は、ドレスの裾を整えた。
「私からのお願いは一つだけ。
お話を聞かせてください」
誰も、笑わなかった。
誰も、つつかなかった。
その場にあったのは――
沈黙と、連帯だけだった。
***
夜会のホールは、燭台の炎が揺れるたびに金と宝石の光を散らし、まるで星の海のようにきらめいていた。
その中心に、俺――リーゼロッテ・フォン・グラーフェンが立っている。
誰もが息を潜め、視線を注ぐ。
さっきまで嘲笑と値踏みの目を向けていた令嬢たちは、今、互いの顔を見合わせ、言葉を失っていた。
そして――
ハインリヒ・フォン・クラウスが、遅れてホールに入ってくる。
いつもの甘い笑み。
いつもの余裕。
彼は何も疑わず、優雅に歩み寄り、声を低く響かせた。
「リーゼロッテ。
やっぱり君は、僕の元に戻ってくると思っていたよ。
僕の腕の中で、踊らない?
昔のように……」
その瞬間、空気がわずかにざわつく。
俺は、ゆっくりと顔を上げ、ほんの少しだけ目を伏せて、甘く、かすれた声で囁くように。
「……ハインリヒ様……。
そんな風におっしゃって頂けてうれしいですわ」
一瞬、ハインリヒの瞳が輝く。
勝利を確信したように。
そして。
俺は、視線を上げ、微笑みを消し、静かで冷たい声で、はっきりと告げた。
「……お断りしますわ、ハインリヒ様」
声は穏やかだった。
けれど、その響きには、揺らぎがない。
ハインリヒの笑みが、一瞬だけ固まる。
「は……?」
「……あなたに触れられるくらいなら、
あのとき、本当に死んだ方が百万倍もマシですわ」
俺は、一歩だけ距離を詰め、
彼の目をまっすぐに見据えた。
「もう、『君だけだ』なんて言葉は、誰にも言わせません。
ご用件が済みましたら、とっととお引き取りくださいませ。
これ以上、わたくしの視界を汚さないで」
沈黙。
それまで俺を測っていた周囲の視線が、ゆっくりと、別の意味を帯び始める。
「……自殺未遂なんて、冗談でしょう?」
どこからか、低い声が漏れた。
「顔色も姿勢も、あの噂の令嬢には見えない」
「むしろ……侯爵令嬢らしい気品だわ」
囁きが、波のように広がる。
嘲りではない。
評価だ。
ハインリヒの顔から、血の気が引いていく。
彼だけが、この場の空気に取り残されていた。
「な……何だ、これは……」
俺は答えない。
ただ、微笑みを崩さぬまま、ゆっくりと背を向ける。
その背に――
もはや、軽い笑いも、侮りの視線も向けられてはいなかった。
扇子を閉じる音が、静かに響く。
ヴァルデン伯爵夫人が、愉しげとも同情ともつかない目で俺を見つめていた。
「……今夜は、風向きが変わりましたわね。
リーゼロッテ嬢」
「風は……嵐になるかもしれませんわね」
「……ふふ」
ヴァルデン伯爵夫人の口元が、わずかに弧を描いた。
それは、少なくとも俺には、社交辞令には見えなかった。
むしろ、純粋な興味の色に思えた。
(そうだ、ハインリヒ)
(まだ、これは序盤だ)
普段はBLを書いていますが、今回はNL(TS要素あり)に挑戦しています。
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