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第4話 からかわないでください、宰相様

 応接間の扉が開いた瞬間、空気が、わずかに変わった。


 先に反応したのは、控えていたメイドたちだった。

 背筋を伸ばしたまま、視線だけが、自然と一箇所に吸い寄せられていく。


 長い金髪。

 柔らかな笑み。


 ――ハインリヒ・フォン・クラウス子爵。


 メイドの一人が、自分でも気づいていない顔で、うっとりと息を漏らす。


 女好き。

 それも、隠そうともしないタイプの。


 視線の運び方が、もう慣れている。

 女の表情、声色、立ち位置。

 どこまで踏み込めば許されるかを、

 身体で覚えてきた男の目だ。


(……顔だけで、ここまで渡ってきたんだろうな)

(男に嫌われる男だぞ、こいつ)

(リーゼロッテ、お前、本当に男見る目がねぇな(3回目))


 優雅に一礼し、俺――リーゼロッテの前に腰を下ろす。


 その視線は、心配する恋人のそれを装いながら、油断した獲物を測るように、ちらちらとこちらの表情を探っていた。


「リーゼロッテ……君が自殺未遂をしたと聞いて、心配で飛んできた」


 甘く、柔らかい声。

 けれど、口角の端が、ほんのわずかに上がっている。


「あの平民上がりの宰相に、無理強いされたんだろう?

 僕が守る。だから、もう怖がらなくていい」


 ――来た。


 俺は、わざと目を潤ませ、視線を伏せた。


「……ありがとうございます、ハインリヒ様……」


 声をかすれさせる。


「脅されて……署名を……。

 でも……私の心はまだ、ハインリヒ様のものです……」


 子爵の目が、一瞬だけ輝いた。

 隠しきれない安堵。

 計算が、うまく回り始めたときの目だ。


(さんざん持参金巻き上げて、まだ懐を狙うんだから、欲が深い)

(けど、それがお前の命取りだ、ハインリヒ)


「そうだよ、リーゼロッテ。君は美しくて一途だ。

 僕も君以外を愛することなどできない」


 彼は立ち上がり、距離を詰めてくる。


「僕がそばにいれば、きっと幸せになれる……」


 伸ばされた手が、俺の指先に触れかけた、その瞬間。


 ――どくん。


 心臓が、勝手に跳ねる。


(……くそ)

(この身体、まだ反応するか)


 条件反射。

 理屈じゃない。

 でも、もう誤魔化さない。


 俺は、そっと手を引いた。

 代わりに、顔を伏せる。

 泣いているように。


「……ハインリヒ様……父にもう一度頼んでみます

 ユリウス様との婚約を破棄して……ハインリヒ様と……」


 子爵は舌なめずりをするような笑みを浮かべる。


「もちろん。いつでも待っているよ

 ……君以外と結婚など考えられない」


 そう言って、彼は俺の手を軽く取り、親指でなぞる。


「安心して。

 次は、君に似合うドレスを買ってあげよう」

 

 一瞬、優しい声だった。


「……もちろん、君の持参金でね」


 その言葉を、冗談のように軽く添えて。

 満足げに微笑いながら、子爵は応接間を後にした。

 扉が閉まった。

 俺は、ゆっくりと息を吐き、表情を、完全に落とした。


(本当にむかつく野郎だ)

(まぁ……被害者ムーブ、完璧)

(後は泳がせる)


***


 その日、ユリウスは再び屋敷を訪れた。

 応接間での一幕を、事実だけ簡潔に伝える。

 感情は、添えない。


 ユリウスは黙って聞き終え、しばらくしてから、低く言った。


「……面白いことをしてくれたものだ」


 それは、皮肉でも称賛でもない。 

 ただの評価だった。

 

「この世界を、正すって言いましたよね」


「ああ」


「なら――」


 俺は、指先で机を軽く叩く。


「持参金制度を盾に女を食い物にしてきた男を、見せしめにするのはどうです?」


 ユリウスは、即答しなかった。

 だが、その沈黙は否定ではなさそうだった。


「……君は、復讐をしたいのか?」


 問われて、少し考え込む。


「私は……」


 言葉を探す。


「ハインリヒ個人は、どうでもいい」


 一拍。


「ただ――仇を、討ちたい」


(この身体の)

(リーゼロッテの)


 その続きを、声には出さなかった。

 ユリウスは、静かに息を吐く。


「俺が正したいのは、制度だ」


 視線が、鋭くなる。


「今の婚姻制度は、明らかに歪んでいる。

 持参金制度によって、女は家と一緒に切り売りされる。

 没落は、個人の失策ではない」


 一瞬、言葉が途切れた。

 何かを思い出すように、視線が空中を泳ぐ。


「……そこから始まる搾取がある。

 宗教と絡めば、家が潰れる例も珍しくない」


(……私怨って言ってたな)

(過去に何かあったのか?)


「……では、ハインリヒは?」


 ユリウスの口元が、ほんのわずかに歪む。

 いたずらっぽい笑みが浮かぶ。


「制度を是正する過程で。

 個人の因果応報が含まれるのは――悪いことではないと考える」


 その笑みは、冷静で、楽しげで、そして、危険だった。


「君の言う仇討ちは、結果として、付いてくるだけだ」


 俺は、小さく息を吐いた。


「……話が早い」


 ユリウスは、ほんの一瞬だけ考える素振りを見せてから、

 さらりと言った。


「では――」


 一歩、距離が詰まる。


「先に報酬をもらっても?」


「え?」


 体温が、急に近い。

 黒い礼装の胸元が視界を埋め、銀のラインが光る。

 息が、首筋にかかる。

 熱い。


 ユリウスの匂い――

 夜の奥に潜む獣みたいな熱を、

 静かなスパイスの香りの底に隠した匂いだった。


 腕が腰に回り、強く抱き寄せられる。

 布越しに伝わる体温で、息が詰まった。


(な、なに、何を……!)


 思考が完全に遅れる。

 前世の俺なら、こんな距離で男に抱き寄せられたら即座に突き飛ばしてた。


 なのに、この身体は、震えて、熱くなって、勝手に腰の力が抜ける。

 唇が、耳元に近づく。

 吐息が、肌を撫でる。


「……君の反応を、確認したかっただけだ」


 声は低く、抑揚がない。

 でも、耳朶を震わせるその響きが、背筋をビリビリと駆け上がる。


(くそ……! この身体、ほんとに……!)


 心臓が、うるさい。


「……からかわないでください」


 身体を離した俺が睨むと、ユリウスは、口元だけで笑った。


「安心しろ。

 俺が欲しいのは――」


 視線が、まっすぐ刺さる。


「結果だけだ」


 ……本当に、油断ならない男だ。


(心臓がばくばくしてる)

(……でも、嫌じゃないかも)

(いやいやいや、何を考えてる)

(この身体に引きずられすぎだ)

普段はBLを書いていますが、今回はNL(TS要素あり)に挑戦しています。

少しでも楽しんでいただけたら、本作はネトコン14応募作品ですので、ブクマや★で応援していただけると励みになります!

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