第3話 リーゼロッテ。お前の仇は、俺が取ってやる
数日が経った。
この無駄に広い屋敷の中を歩き回り、すれ違うメイドに片っ端から話を聞き、寝室の奥に押し込まれていた日記を読み、最後に――父と、向き合って話した。
結果。
(……なるほど)
俺の名前は、リーゼロッテ・フォン・グラーフェン。
グラーフェン侯爵家の一人娘。
由緒はある。格式もある。
ただし、金は――潤沢とは言いがたい。
元の彼女、この身体の持ち主は、恋をした。
相手は子爵家の跡取り。
顔がよく、社交的で、言葉選びが上手い男だったらしい。
一目惚れ。
分かりやすい。
婚約の話も、すぐにまとまった――と、彼女は信じていた。
侯爵家と子爵家の釣り合い、持参金の問題、家同士の思惑。
大人たちの間では、いくつもの条件が天秤にかけられていたことを、
彼女は、最後まで知らなかった。
問題は、持参金だった。
侯爵家とはいえ、万能じゃない。
見栄と格式に縛られ、現金が足りなかった。
――そして、父は判断した。
より条件のいい縁談。
王家に近い立場。
宰相ユリウス・フォン・アイゼン。
平民出身だが、今やこの国の実務を回している男。
条件だけ見れば、完璧だ。
……本人の気持ちを、無視すれば。
(そりゃ、拗ねるわ)
日記は、分かりやすかった。
怒り。
悲しみ。
「裏切られた」という言葉。
悪意はない。
陰謀もない。
(悪役ってほどじゃないな)
感情的で、世間知らずで、自分が何を失うかを、深く考えていない。
(お気楽、ではある)
恋愛体質。
夢見がち。
イケメンに優しくされると、未来まで信じてしまう。
それ自体は、罪じゃない。
ただ。
(この立場でやると、致命的だ)
父は、苦い顔で言った。
「……お前は、感情で動けば、どう見られるかを分かっていなかった」
社交界では、すでに話が出来上がっている。
婚約破棄を拒んだ問題令嬢。
宰相に逆らい、自殺未遂まで起こした、厄介な女。
俺は日記を閉じた。
(同情はする)
(でも、同じ失敗はしない)
恋愛体質?
この身体が勝手にドキドキする?
それはそれで、管理すればいい。
重要なのは、理性だ、合理だ、判断だ。
(俺は、リーゼロッテ・フォン・グラーフェンを、完璧に演じきる)
流されて、拗ねて、破滅するのはごめんだ。
前世の二の舞はしない。
そう思った、そのときだった。
――コン、コン。
控えめなノック。
「お嬢様。
お客様がお見えです」
メイドの声が、少しだけ歯切れ悪い。
「……どなた?」
一瞬の間。
「子爵家当主代理、
ハインリヒ・フォン・クラウス様です」
……来たか。
日記に、何度も名前が出てきた男。
元婚約者。
持参金を搾り取り、煮え切らない態度を取り続け、
そして――リーゼロッテを捨てた男。
(まあ、リーゼロッテが捨てられていると気づいていたかは怪しいが)
(どんな顔をして来るんだ?
被害者面か?
それとも、懐かしさでも装うか)
心臓が、少しだけ早く打つ。
(……くそ)
(この身体、やっぱり反応するな)
でも、もう誤魔化さない。
感情はある。
身体は正直だ。
――それでも、決めるのは俺だ。
「少しお待ち頂いて」
そう告げた声は、
思ったより落ち着いていた。
そうして、俺は立ち上がった。
事前にその男を見てやろうと思ったのだ。
メイドたちの視線を避けつつ、この身体の「記憶」を確かめるために、わざと人の少ない裏側通路を選んだ。
(日記だけじゃ足りない。
現場の空気感とか、匂いとか……なんか、身体が覚えてるかも)
そう思って角を曲がった瞬間――
視界の端に、人影が二つ、重なっていた。
薄暗い階段の踊り場。
壁際に寄りかかるようにして、子爵ハインリヒが、メイドの一人を抱き寄せている。
メイドは頰を赤らめ、彼の胸に顔を埋めるようにして、小さく笑っている。
「……もう、こんなところで……。
お嬢様にバレたら、どうするんですか……」
ハインリヒは、くすくすと喉を鳴らしながら、メイドの腰を強く引き寄せる。
「バレるわけないだろ。リーゼロッテは今頃、あの平民上がりの宰相に震えてるさ。
……いや、ひょっとしたら、もう堕ちてるか?
――惚れっぽい女だからな」
声は、甘ったるく、同時に見下すような響きを帯びている。
その言葉を聞いた瞬間。
胸の奥が、きゅっと締めつけられた。
(これ……)
(……俺じゃない)
理由もなく、心臓のあたりが、鈍く痛む。
この身体が、感じている。
裏切られた痛みを。
「侯爵令嬢とか気取ってるくせに、持参金が意外とショボくてさ。
あっという間に底ついて、溶けるようになくなっちまった。
マジ笑えるよな。
気位だけは高くて貧乏とか」
男はゲラゲラと下品に笑う。
「抱いても反応薄いし、すぐ泣き出してうざいし、すぐ飽きた。
格式だけ高い気取った貴族女?
見るだけで吐き気すんだよ。
お前みたいな酸いも甘いも嚙み分けたのが本当の女だ」
その瞬間。胸の奥が、煮えたぎる溶岩をぶちまけられたみたいに灼熱くなった。
(……このクズが)
視界が、赤く染まる。
指が震え、爪が掌の肉を裂くほど食い込む。
この身体――リーゼロッテの身体が、屈辱と怒りで全身を震わせている。
メイドが、くすくすと笑い声を漏らす。
ハインリヒはさらに声を潜めて、
追い打ちをかけるように続ける。
「一目惚れとか言って必死に食いついてきたけど、本気で好きだなんて、笑えるよな。
あんな世間知らずの箱入り、落とすのなんて朝飯前だった」
そう言いながら、メイドの首筋に唇を当て、メイドが甘い声で身じろぎをする。
(元の身体、お前……本当に見る目ねぇな)
ハインリヒの笑顔は、日記に書かれていた「優しい笑顔」とは別物だった。
ただの、計算高い、甘い仮面。
メイドとの距離は親密すぎて、もう「浮気」ってレベルじゃなかった。
これは、最初から、並行して走ってた線路だ。
(一目惚れ? 言葉選びが上手い?
……全部、営業トークかよ)
俺は、静かに息を吐く。
胸はまだ痛い。
(……ふん)
俺は、ゆっくりと後ずさりした。
足音を立てないように。
子爵が来る前に、これを見たのは、むしろラッキーだった。
扉の向こうで、ハインリヒの声が、まだ甘く響いている。
俺は、小さく、本当に小さく、笑った。
(お前みたいなのに、この身体が落ちたなんて……笑えるわ)
そして、そのまま踵を返した。
(……さて)
俺は、階段を上りながら、静かに呟いた。
「リーゼロッテ。
お前の仇は、俺が取ってやる」
普段はBLを書いていますが、今回はNL(TS要素あり)に挑戦しています。
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※本作はネトコン14応募作品です。




