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第22話 合理主義者の、完敗

 ユリウスに問われ、俺は、何があったのかをすべて話した。


 「奉仕」という名目で、親に売られ、心を殺された女たちの末路。

 地下に隠されていた、寄進という名の「人身売買の取引記録」。


 閉ざされた部屋。

 そこで俺が突きつけられた、不快な甘い薬の匂い。


 そして—— 「穏便に済ませる」という言葉と共に、老いた修道女が取り出した一本の細い布。


 抵抗を奪い、声を封じ、首を絞め上げるためのもの。

 そうして息絶えた俺を階段の下へ転がし、「不慮の事故」として清算する筋書き。


 話し終えた瞬間、室内の空気が、わずかにきしんだ。

 俺は、少しだけ息を整えてから、静かに続けた。


「必要であれば、証言します」


 声は、驚くほど落ち着いていた。


「どこでも、何度でも」


 誰かが、息を呑む音がした。


 ——ああ。


(気づいたのだ)


 俺が、もう一度きりの被害者ではないことに。

 黙らせても、終わらない相手だということに。


 話し終えたあと、しばらく沈黙が落ちる。

 その沈黙を、破ったのは、老いた修道女だった。


「……ですが」


 声が、わずかに震えている。


「二人で乗り込むなどというのは、あまりに軽率ではありませんか」


 視線が、俺とユリウスを行き来する。


「危険だとは……思わなかったのでしょうか」


 ——違う。

 その言葉の奥にあるものを、俺は、はっきりと理解していた。


(二人なら、始末できる。

 片方を消して、もう片方も黙らせられる)


 そういう計算だ。


 ユリウスは、表情を変えなかった。

 ただ、ほんのわずかに、顎を引く。


「なるほど」


 静かな声。


「二人で来たから、処理できると思ったか」


 修道女の喉が、小さく鳴った。


「一人で乗り込むと、そう思われたのだな」


 ユリウスは、淡々と続ける。


「ならば——随分と、舐められたものだ」


 その一言で、空気が変わった。


「俺が、婚約者を救うため、何の備えもせず、証拠も残さず、命を預けると?」


 短く、息を吐く。


「——殺せば終わる。

 そう考えた時点で、お前たちの負けだ」


 修道女の誰かが、一歩、後ずさった。


 ユリウスは、もう彼女たちを見ていない。

 指先が、わずかに上がる。合図だった。


 次の瞬間、軍が、一斉に踏み込んでくる。

 扉の外で待機していたらしい。


 ブーツの音が、石床に響く。

 剣の鞘が鳴り、退路が、完全に断たれた。


「本件は、宰相府および王国軍の管轄下に移る」


 指揮官の声が、冷静に告げる。


「関係者は、その場から動くな。

 証拠物件はすべて保全する」


 修道女の一人が、理解できないという顔で呟いた。


「……神聖な教会に、踏み込もうなどと……」


 ユリウスは、視線も向けずに言った。


「教会ではない。犯罪現場だ」


 修道女たちの顔から、血の気が引いた。


 ユリウスは、俺の前に立つ。

 半歩だけ。


 守るというより、

 もう触れさせない位置だった。


 俺は、小さく頷く。


 ここまで来た。

 もう、戻らない。


「……ありがとうございます、閣下」


 彼は、ゆっくりと振り返ると、

 俺の肩を、壊れ物を扱うような、それでいて逃がさない強さで掴む。


「……リーゼロッテ」


 その名を呼ぶ声は、低く、掠れていた。


 視線が合った瞬間、心臓が跳ねる。

 そこにあるのは、冷徹な宰相の目ではない。


 俺を失いかけたという事実を、今さらになって咀嚼し、

 理性の裏側で暴れ続けていた感情を、必死に押さえ込んでいた男の目だ。


「同じところを見ていると思っていた、と言ったな」


 ユリウスの手が、俺の首筋に触れる。

 冷たいはずの指先が、火傷しそうなほど熱い。


「ああ、その通りだ」


 一瞬、視線が揺れる。


「ただ……怖かった」


 低く、吐き出すような声。


「君が、この薄汚い連中に囲まれていると想像しただけで、

 私の脳は、国一つを更地にする判断すら肯定しかねなかった」


「閣下……?」


 ユリウスは、ほんのわずかに首を振った。


「止めるな、とは言わない。

 やるな、と命じる気もない」


 一拍。


 そして、立場も合理も脱ぎ捨てるように、言った。


「だが——もうこれ以上、俺の心臓をつぶすようなことをしないでくれ」


 その声は、どこか苦し気だった。

 限界まで張り詰めていた心が、崩れ落ちた音だった。


 俺は――私は、何も言えず、ただ頷いた。


 合理主義という盾を捨て、ただ一人の男として私を乞う彼の腕は、ひどく震えている。その震えに触れた瞬間、前世から私を縛っていた冷徹な理性が、音を立てて砕け散った。

 失う恐怖に耐え抜いた末の温もりが、胸の奥から、熱い感情を溢れさせる。

 効率も、計算も、この愛おしさの前では、何の意味もなさない。


「……完敗です」


 私は小さく息を吐き、正直に言った。


「貴方の隣こそが、私の生きる場所なのだと、思い知らされました」


 彼の背に腕を回し、強く抱き締める。

 それは初めて、自分の意志で選んだ行為だった。


 もう逃げない。


 この命が尽きるまで、私はこの男と共に歩むと、静かに心に誓った。


 それで十分だった。


 彼は、周囲の兵士や、絶望する修道女たちの視線など、最初から存在しないかのように無視し、私を強く、その胸に引き寄せた。


 鉄と、かすかな香水の匂い。

 それは、どんな堅牢なシェルターよりも、私を安心させた。


「契約の更新だ、リーゼロッテ」


 耳元で囁かれる、絶対的な宣言。


「君の意思は尊重する。

 だが、君の行動も、身も心も……

 すべて俺のものにする。

 異論は、受け付けない」


 それは、彼にしか許さない、ひどく甘い独占の宣言だった。


 私は、誰の記憶にも残らない仕事の一部ではない。

 この男が守るべき、そして選び続けるべき、唯一の「合理」なのだ。


「……不平等条約ですね。

 ですが、私の隣に立つ権利もまた、貴方だけの独占事項です」


 彼の胸に顔を埋めたまま、私は小さく笑った。


 完敗だ。

 この男の愛しさに、私の合理主義は跡形もなく陥落した。


「——では、署名の代わりに、もっと確実な誓いを」


 顔を上げ、彼の首に腕を回して引き寄せる。


「……口づけで、契約完了としましょう」


 一瞬だけ、ユリウスが目を見開いた。


 それは計算外だった、という顔。


 だが、次の瞬間。

 彼は何も言わず、私の後頭部に手を添え、

 逃がさない距離で、静かに唇を重ねてきた。


 深くはない。

 けれど、確かめるような、拒絶の余地を与えない口づけだった。


 教会の冷たい空気の中で、

 私たちは誰よりも近く、対等な魂として、

 その契約を、言葉ではなく体温で結んだ。

普段はBLを書いていますが、今回はNL(TS要素あり)に挑戦しています。

少しでも楽しんでいただけたら、本作はネトコン14応募作品ですので、ブクマや★で応援していただけると励みになります!

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