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第21話 無事か、その一言で全て伝わった

 鉄格子の向こうは、何もない石の廊下だった。

 灯りは遠く、足音もない。


 静かすぎて、自分の呼吸だけがやけに大きく聞こえる。


 俺は膝を抱えたまま、壁にもたれて座っていた。


(……考えろ)

(ここから、どうする)


 だが、考えがまとまりきる前に――


 廊下の奥で、微かな声がした。


 俺は、息を止めた。


「……あの娘、どうします?」


 シスターの声。

 低く、事務的な声だった。


「管理室と地下、両方に侵入。

 明らかな規律違反です」


「保護対象としては、問題が大きすぎますね」


 足音が、ゆっくりと近づいてくる。


 鉄格子の前で止まった気配。

 俺は、身じろぎもできなかった。


「身元は?」


「エリナ・ロッサ。

 親もなく、後ろ盾もないただの娘です」


 ――ただの、娘。


 その言葉が、胸に冷たく落ちた。


「……では、再教育では足りませんね」


「ええ。前例を作るわけにはいきません」


 ほんの一瞬の沈黙。

 それから、淡々とした声が続いた。


「祈りの事故にしましょう」


 ……事故。


 祈りの最中に倒れた。

 体が弱かった。

 神のお導きだった。


 そういう形で、今までにも何人も消えてきたのだろうと、俺は思い知らされた。


「明日の朝までに処理を?」


「ええ。夜明け前なら、誰にも気づかれません」


 足音が、再び動き出す。

 今度は、遠ざかっていく。


 俺は、その場に座ったまま、動けなかった。


 喉が乾いているのに、唾が飲み込めない。

 指先が、わずかに震えている。


(……処理)

(……消される)


 ここでは、誰にも知られないまま、ただいなかったことにされる。


 侯爵令嬢でもなく。

 宰相の婚約者でもなく。

 ただの「エリナ」として。


 俺は、ゆっくりと拳を握った。


 怖い。

 はっきりと、怖い。


 でも。


(……まだだ)


 まだ、終わっていない。

 セインは外にいる。

 証拠は、外へ出た。


 そして俺は――

 まだ、生きている。


 鉄格子の向こうの闇を見つめながら、

 俺は、小さく息を吐いた。


(……間に合え)


 誰に向けた祈りなのか、自分でも分からなかった。


 ただ、心の奥で、確かに誰かの名を呼んでいた。


***


 鉄の扉が、きい、と低く鳴った。


 俺は顔を上げた。


 入ってきたのは、昨夜のシスターではなかった。

 年嵩の修道女。

 目に感情のない、冷たい顔をした女だった。


 その後ろには、若いシスターが二人。


「……時間です」


 声は淡々としていた。


 俺は、ゆっくりと立ち上がる。


 鎖のついた手枷が、わずかに鳴った。


「どこへ、連れていくつもりですか」


 問うと、老いた修道女はただ答えた。


「祈りの間です」


 それが、何を意味するのか。

 もう分かっていた。


 俺は歩かされる。

 廊下を抜け、階段を上り、礼拝堂の奥へ。


 夜明け前。

 堂内には誰もいない。


 祭壇の前に、椅子がひとつ置かれていた。


「座りなさい」


 俺は、座らなかった。

 老いた修道女が、わずかに眉をひそめる。


「……最後に、祈りを捧げる時間を与えています」


「祈りません」


 俺は、はっきりと言った。


 空気が、わずかに張りつめた。


「……聞き分けのない娘ですね」


 鼻腔を突いたのは、妙に甘ったるい、不快な薬の匂い。


 視界が歪み、膝が笑う。

 老いた修道女が、勝利を確信した薄笑いを浮かべて布を広げた。


「……こうなるのです。いつものように」


 声には、ためらいも、怒りもない。

 ただ手順を説明するような調子だった。


「抵抗を奪い、声を封じ、首を絞め上げる。

 そうして息絶えた方を、階段の下へ」


 一瞬だけ、目を伏せる。


「祈りの最中に足を滑らせた、不慮の事故として、処理します」


 若いシスターが、小さく頷いた。


「教会を守るためですもの。

 ……ええ。神は、お赦しになります」


 祈るような声音。

 疑いの欠片もない。


(……ふざけんな。そんなブル・シットな死に方、二度もしてたまるか)


 前世で、気休めに習っていた格闘技の型を脳内で呼び覚ます。

 女性に手を出すのは気が引けるが、今の俺も女だ。

 それに、殺されるよりは百倍マシだろう。


「……っ!」


 俺は一歩踏み込み、修道女の懐へ潜り込んだ。

 驚愕に目を見開く彼女の重心を崩し、そのまま石畳の床へ押し倒す。

 もつれ合うようにして、俺は老修道女に馬乗りになった。


「なっ、何を……ひっ、離しなさい!」 「きゃああっ! 誰か、誰か来てください!」


 背後の若いシスターたちが悲鳴を上げる。

 だが、俺は朦朧とする意識を気合で繋ぎ止め、修道女の腕を封じ込めた。


「離すわけないでしょう」


 毒を吸い込んだ肺が焼けるように熱い。

 馬乗りになったまま、俺は冷たく言い放った。


「――私は、エリナ・ロッサではありません」


 修道女の動きが、ぴたりと止まる。


 俺は、ゆっくりと続けた。


「リーゼロッテ・フォン・グラーフェン。

 王国侯爵家の娘。

 そして――」


 喉が、ひどく乾いている。

 それでも、言葉を選ぶ余地はなかった。


「宰相ユリウス・フォン・アイゼンの、婚約者です」


 沈黙。


 信じられない、という顔。

 嘘だ、と言いたげな顔。


 老いた修道女が、低く言った。


「……戯言を」


「戯言ではありません。

 ここで私が死ねば、この教会は終わります。

 証拠もすでに届いている」


 空気が、はっきりと変わった。


 若いシスターの一人が、わずかに顔色を変える。


「……報告は?」


「……い、いえ……そのような話は……」


 老いた修道女の目が、鋭く細まる。


「……嘘をつくな」


「……っ」


 その瞬間。


 礼拝堂の扉が、外側から、静かに開いた。


 きい……という、わずかな音。


 だが、それだけで、空気が凍りついた。


 足音が、ひとつ。


 こつ。

 こつ。

 こつ。


 一定の歩調。

 迷いのない足取り。


 俺は、振り返らなくても分かった。


 この空気を、知っている。


「……説明しろ」


 低い声だった。


 感情を抑えた、宰相の声。

 けれど、その底にあるものは、はっきりと伝わってくる。


 ――怒りだ。


 修道女たちが、一斉に振り返る。


 そこに立っていたのは、黒い外套の男だった。


 夜のように暗い衣。

 冷たい青灰の瞳。

 堂内の誰よりも、明らかに異質な存在。


 ユリウス。


 彼は俺を見なかった。

 最初から、修道女たちだけを見ていた。


「……私の婚約者を、ここに連行した理由を聞いている」


 声は静かだった。

 けれど、逃げ場のない静けさだった。


 老いた修道女が、わずかに言葉を失う。


「……宰相、閣下……?」


 ユリウスは、ゆっくりと一歩、前に出た。


「答えろ」


 たったそれだけの言葉で、その場の空気が、完全に支配された。


 俺は、気づいてしまう。


 ――ああ。

 この人は、最初から、間に合うつもりで来たのだと。


 それでも、胸の奥が、ひどく痛かった。


(……本当に、来たんだ)


 俺が、ここまで賭けたすべてが、

 今、目の前で形になっていた。


 ユリウスは、ようやく、こちらに視線を向けた。


 一瞬だけ。

 ほんの一瞬だけ。


 感情が、瞳に滲んだ。


「……無事か」


 それだけだった。


 たった一言。

 でも、それで十分だった。


 俺は、何も言えずに、ただ頷いた。

普段はBLを書いていますが、今回はNL(TS要素あり)に挑戦しています。

少しでも楽しんでいただけたら、本作はネトコン14応募作品ですので、ブクマや★で応援していただけると励みになります!

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