表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

19/23

第19話 面倒くさい人は誉め言葉だった

 保護院の門をくぐった瞬間、空気が変わった。

 昼間の荘厳さとは違う、重く、湿った静けさ。

 シスターが、俺を小さな部屋まで案内する。


「ここが、あなたのお部屋です。

 明朝から、祈りと手伝いを始めていただきますわ」


 部屋は簡素だった。

 ベッド、机、二重円環の聖紋がひとつ。


 扉が閉まったあと、俺は深く息を吐いた。


(……入った)


 これで、内側から見られる。

 でも、すぐに動くわけにはいかない。

 まずは、様子見だ。


 夜の祈りの時間。

 保護院の娘たちが、礼拝堂に集められる。


 白いドレスを着た少女たち。

 膝を揃え、目を伏せ、祈りの言葉を繰り返す。


 ……整いすぎている。


 その中に、エルミーネの姿があった。

 列の端。

 俯いたまま、肩がわずかに震えている。


 俺は、遠くから見つめるしかなかった。


(……エルミーネ)


 目が合わないよう、視線を逸らす。

 それでも、胸が痛む。


 祈りが終わると、シスターが穏やかに言った。


「皆さん、神の御意志に従い、

 明日も穏やかな一日を」


 少女たちは、無言のまま部屋へ戻っていく。


 俺は自分の部屋に戻り、ベッドに腰を下ろした。


(……まだ、何も掴めていない)


 だが、やることは決まっている。


(証拠を探す)

(教会が、仲介料を受け取っているという証拠を)


 噂や感情では足りない。

 帳簿でも、記録でも、金の流れでもいい。

 否定できない「形」が必要だ。


(……どこかに、あるはずだ)


 この建物の中に。

 この教会の、どこかに。


 俺は、静かに息を整えた。


(まずは、様子を見るところから)


 扉が、かすかにノックされた。

 俺は、反射的に息を止めた。


 こんな時間に、誰が——


 ゆっくりと扉が開く。

 そこに立っていたのは、白い修道女服を着た若い女性だった。


 ……美人。


 一瞬で、そう思った。

 長い黒髪を後ろで束ね、伏せた睫毛は異様に長い。

 鼻筋は通り、唇は淡く紅を差したように赤い。


(ユリウスが言ってた、セイン・クローディア)

(……本当に、男なのか?)


 女装だと分かっているのに、そう疑いたくなるほど、仕草のすべてが洗練されていた。

 歩き方、立ち姿、視線の落とし方。

 すべてが女性として完璧すぎる。


 彼女は、静かに微笑んだ。


「……エリナさん」


 声は柔らかい。

 けれど、その奥に冷たい刃が潜んでいるのが、分かる。


 俺はすぐに扉を閉めた。


「……セイン」


 名前を呼ぶと、彼はわずかに口角を上げた。


「よく覚えてくれましたね、閣下の婚約者様」


 その呼び方が、胸の奥に小さく刺さる。

 セインは部屋の中を一瞥し、ふっと息を吐いた。


「……ここに潜り込むなんて。随分と暇なんですね、侯爵令嬢」


 第一声がこれか。

 皮肉の切れ味が、鋭すぎる。


「……暇じゃない」


「そうですか?」


 セインはゆっくりと近づいてくる。

 女装のままなのに、先ほどとは違い、歩き方にはどこか男性的な癖が戻っていて、そのギャップが妙に目を引いた。


「閣下を惑わす面倒な女が、今度は教会にまで手を出すなんて……本当に、面倒くさい」


 敵意は、隠す気もないらしい。

 俺は、静かに彼女を見据えた。


「……惑わしているつもりはありません」


「嘘ですね」


 即答だった。


「閣下が、あなたのせいで感情を抑えきれなくなっている。今頃、一人で歯ぎしりしていると思いますよ」


 その言葉に、胸の奥がきゅっと締めつけられる。

 セインは淡く笑った。


「……少し、気が晴れます」


「……は?」


 思わず、素の声が出た。


(なんでだ?

 この人、忠実な部下じゃなかったのか)


 セインは、その反応が予想通りだったとでも言うように、わずかに目を細めた。

 俺は、思わず尋ねた。


「……あなたは、ユリウスをどう思っているんですか?」


 セインの瞳が、わずかに陰る。


「……恩人です。命を拾ってもらった。それだけ」


 短く、切るように。

 けれど、その言葉の重さは、十分すぎるほど伝わってきた。

 セインは続ける。


「だからこそ、あなたみたいな人が、閣下を壊すのは……許せない」


 空気が、わずかに張り詰めた。

 俺は、静かに言った。


「……壊すつもりはない」


 セインが、一瞬だけ目を細める。


「……本当ですか?」


「本当に」


 俺は、はっきりと言った。


「だから……一緒に名簿を探しましょう」


 セインはしばらく俺を見つめていた。

 探るように。試すように。


 やがて、ふっと息を吐く。


「……本当に、面倒くさい女ですね」


 でも、その声には、さっきまでの露骨な敵意はなかった。

 俺は、わずかに笑った。


「……よろしくお願いします」


 セインは肩をすくめ、元の冷たい微笑みに戻る。


「……仕方ありません」


 その夜から、俺たちの「潜入」は、本格的に始まった。


***


 深夜の廊下は、音がない。

 祈りの時間が終わってから一刻以上が経っている。


 蝋燭の火が、わずかに揺れる。


 俺はセインと並んで、管理室の扉の前に立っていた。


「……鍵は?」


 小声で尋ねると、セインは肩をすくめた。


「祈るより簡単ですよ」


 細い針金が、鍵穴に滑り込む。

 かすかな音。

 ほんの数秒。


 ――かちり。


 俺は思わず息を止めたまま、扉を押す。


 中には、棚。棚。棚。

 床から天井まで、帳簿の山だった。


「……うわ」


 思わず本音が漏れる。

 セインが低く笑った。


「でしょうね。

 俺がいくら鍵を開けられても、これじゃ探しようがない」


 数百冊はある。

 革表紙、紙表紙、色も厚さもばらばら。


 普通なら、ここで詰む。


 ――でも。


 俺は、棚の前に立ったまま、目だけを動かす。


 背表紙の色。

 紙の焼け方。

 角の擦れ具合。

 綴じ糸の緩み。

 インクの染み。


 ……見覚えがある。


 前世で、毎日見ていた。

 誰も読まない資料の束。

 締切前夜に積まれた、意味のない報告書。

 「重要そうに見せる」ためだけの装丁。


(……似てる)


 俺は、左から三段目の棚に手を伸ばした。


 一冊、抜き取る。


 薄い。

 新しい。

 でも、端だけが不自然に擦れている。


 ――頻繁に開かれている。


 ページをめくる。


「……あった」


 声が、思ったよりも静かだった。


 そこには、整った文字でこう書かれていた。


・保護対象者番号

・年齢

・家名

・「斡旋先」

・受領金額

・教会印


 ……斡旋先。

 ……金額。


 言い訳の余地もない。


「……これ」


 俺が帳簿を差し出すと、セインは眉をひそめたまま覗き込み、次の瞬間、わずかに目を見開いた。


「……本気かよ」


 ぽつり、と呟く。

 いつもの皮肉でも、軽口でもない。


「金額まで書いてある……」


「……ええ」


 俺はページをめくり続ける。


 日付。

 印章。

 受領確認の署名。


 そこには、制度ではなく、取引があった。


 セインが、しばらく無言のまま帳簿を見ていたが、やがて俺を見る。


「……どうして、これを最初に抜いた?」


 問いは、純粋な疑問だった。


「……勘ですか?」


「違う」


 即答だった。

 俺は、少しだけ苦笑した。


「……慣れてるだけ。

 こういう、本当に使われている資料を見るのに」


 セインは書類から視線を上げ、じっと俺を見る。


「……あなた、本当に侯爵令嬢ですか?」


 冗談めかした口調だったが、目は笑っていない。


「貴族というより……役人か、軍の実務官みたいだ」


 鋭い。

 思わず、口元が引きつる。


「褒め言葉として受け取っておきますわ」

 

 一瞬の沈黙。

 そして、セインはふっと息を吐いた。


「……なるほど」


 納得したような声だった。

 だが、俺は次のページを見て、胸の奥が冷たくなるのを感じた。


 ページ下部の注釈。


《写し用簡略帳簿》

《本帳は聖具庫下 保管》


「……っ」


 セインも、それを読んだらしい。


「……なるほど。

 これは見せてもいい帳簿ってわけか」


 つまり。


 これは証拠ではある。

 だが、決定打ではない。


「本当に必要なのは……」


「……下、ですね」


 セインの視線が、扉の向こう――地下へと落ちる。


 俺は、帳簿を閉じた。


 胸の奥で、静かに理解する。


(……ここは、まだ入口だ)


 それでも。


 この一冊を見つけたことで、確信だけは得られた。


 これは噂じゃない。

 想像でもない。

 比喩でもない。


 構造として、売られている。


 セインが、小さく笑った。


「……面倒な場所に来ましたね、私たち」


「……ええ」


 俺は、帳簿をそっと棚に戻した。


「でも、もう戻れません」


 セインは、俺をじっと見た。


 その目に、もう最初の敵意はない。

 代わりにあるのは、測るような静けさ。


「……あなた」


 ぽつりと、言う。


「本当に、面倒くさい人だ」


 それは悪口のはずなのに、

 なぜか、少しだけ――認められた気がした。

普段はBLを書いていますが、今回はNL(TS要素あり)に挑戦しています。

少しでも楽しんでいただけたら、本作はネトコン14応募作品ですので、ブクマや★で応援していただけると励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ