表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

17/23

第17話 白いドレスは、血を隠すためにある

 教会の門は、名を告げた瞬間にすぐ開いた。


「リーゼロッテ・フォン・グラーフェン様ですね。

 本日はお越しいただき、誠に光栄に存じます」


 院長である年配の修道女が、深く頭を下げる。


「宰相殿下のご婚約者様をお迎えできるとは……」


 案内されたのは、明るい談話室だった。

 壁には花が飾られ、数人の少女が刺繍をしている。


 皆、笑顔。

 礼儀正しく、よく躾けられている。


 ……あまりに、整いすぎている。


「皆、事情のある娘たちですが、

 神の御許で穏やかに過ごしております」


 穏やかな声。

 非の打ち所のない光景。


 けれど、俺は確信していた。


(……ここじゃない)


 静かに顔を上げる。


「エルミーネ嬢に、お会いしたいのですが」


 その瞬間。

 シスターの表情が、ほんのわずかに止まった。


 視線が、俺ではなく、廊下の奥へと流れる。

 ほんの一瞬、誰かを探すような目。 


 ……確認している。


 次の瞬間、穏やかな微笑みが貼りついた。


「どうぞ、こちらへ」


 声だけが、変わらず柔らかかった。

 通されたのは、礼拝堂の奥ではなかった。


 中庭を抜けた先に建つ、別棟。

 外観は質素だが、窓は高く、格子がはめられている。


「こちらが、保護棟でございます」


 その言葉を、修道女はあまりにも穏やかに口にした。


 その瞬間、俺は違和感に気づいた。


 娘たちは皆、白いドレス。

 膝を揃え、背筋を伸ばし、視線を床に落としている。


「こちらが、現在保護されている娘たちです」


 シスターが、穏やかに微笑んだ。


「皆、神の御意志に従うことを学んでおりますの」


 俺は、列の端から端まで、静かに視線を走らせた。

 誰も、こちらを見ない。

 誰も、瞬きをしない。

 まるで――飾られた人形の列。


 ……いや。


 一人だけ、わずかに違った。


 列の一番端。

 俯いたまま、肩だけが、微かに震えている。


 胸の奥が、嫌な予感で締め付けられる。 


 俺は、一歩、近づいた。


「……」


 喉の奥が、ひどく乾いていた。


「……エルミーネ様?」


 名を呼んだ瞬間だった。

 その少女は、ほんのわずかに顔を上げた。


 青白い頬。

 やつれた目元。

 結いきれない髪。


 けれど、間違いない。


 エルミーネ嬢だった。


 数秒、彼女は俺を見つめていた。

 ……いや、正確には、見ていなかった。


 焦点が合っていない。

 まるで、誰かを見ること自体を、諦めている目。


 俺は、さらに一歩近づく。


「……エルミーネ嬢。私です。リーゼロッテです」


 次の瞬間。

 彼女の瞳に、かすかに生が戻った。


「……リー……ゼ……様?」


 掠れた声だった。

 声と呼ぶには、あまりに弱い。


 その瞬間だった。


 彼女の身体が、ふらりと前に傾いた。


「……っ!」


 俺は反射的に腕を伸ばした。

 そのまま受け止める。


 室内の空気が、凍りつく。


「……ごめ……なさい……」


 何に対する謝罪なのか分からない。

 ただ、彼女の唇は、震えながらそう形作っていた。


 俺は、息を忘れていた。


 そのとき。


 細い指が、俺のドレスの袖を掴んだ。


 弱々しく。

 けれど、必死に。


「……い……や……」


 かすれた声。


「……行きたく……ない……」


 背筋が、ぞっとするほど冷えた。


「……あの人の……ところに……行きたくない……」


 室内に、完全な沈黙が落ちた。

 次の瞬間、シスターが素早く動いた。


「まあまあ、エルミーネ。どうしましたの?」

 

 声はどこまでも優しい。

 けれど、その手は、彼女の肩を強く掴んでいた。


「お客様の前ですよ。落ち着きなさい」


 だが、エルミーネは離さなかった。

 

 俺の袖を。

 まるで、ここだけが命綱だと言うように。


 俺は、視線を落とした。


 彼女の指先。

 細い爪の間に――うっすらと、赤。


 ……血。


 心臓が、はっきりと音を立てた。


(……これが、保護?)

(これが、神の導き?)


 俺は、静かにエルミーネの手を握り返した。

 驚くほど冷たい手だった。


 そして、顔を上げる。


 シスターの目を、まっすぐに見据える。


「……彼女は、嫌がっています」


 自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。


「それでも、導きと呼ぶんですか?」


 シスターの微笑みが、ほんの一瞬だけ――確かに、歪んだ。


「……縁組の日取りが近く、不安になっているだけですわ」


 シスターは、俺に向かって微笑った。 

 完璧な、聖職者の微笑みだった。


「どうか、驚かれませんように。

 このようなことは、よくあることですから」


 よくあること。

 それが、何よりも恐ろしかった。

 俺は、しばらく何も言えなかった。

 その沈黙を、「納得」と受け取ったのだろう。

 シスターは、穏やかに頭を下げた。


「……本日は、お引き取りくださいませ」


 その一言で、すべてが終わった。


 俺は、何もできないまま、大聖堂を出た。


 ——けれど。

 あの細い指の感触と、あの言葉を聞いてしまった以上。


 もう、俺は、見ないふりを選べなくなっていた。


***


 宰相府の執務室は、深夜になっても静まり返っていた。

 ユリウスが大きくため息をつく。


「……大きなため息ですね」


 背後から、静かな声が落ちた。

 ユリウスは顔を上げない。


「……セインか」


「はい。西部の三大諸侯の同意は取り付けました」


 背後から、静かな声が落ちた。

 振り返れば、そこに立つのは中性的な美貌を持つ青年――宰相の懐刀、セイン・クローディアだった。

 ユリウスは、顔を上げない。


「……予想より早いな」


「表向きは、家格維持のための現実的な調整という建前で通しています。

 これ以上の反発は、当面は出ないでしょう」


「持参金の制度改革はうまく進みそうだな」


「ええ」


 足音もなく、セインが机のそばに立つ。

 淡々と続ける。


「そして、今度は教会ですか。

 どうするんですか?」


「時期尚早だと思っていた。

 でもリーゼのことではじめて気が付いた」


 ユリウスの声は低く、淡々としていた。


 セインは、しばらく何も言わなかった。

 その沈黙は、考えているというより――測っているようだった。


 やがて、静かに口を開く。


「……気付いた、とは?」


 ユリウスは、しばらく答えなかった。

 机の上の書類に視線を落としたまま、指先が微かに動く。


「……俺は、冷静だと思っていた。

 証拠が足りない。

 時期が早い。

 今踏み込めば、改革派が潰れる」


 淡々と、言葉を並べる。


「そうやって、自分を納得させていた」


 セインは、静かに聞いていた。


「……だが違った」


 ユリウスの声が、ほんのわずかに低くなる。


「ただ、怖かっただけだ」


 その言葉が、夜の執務室に、静かに落ちた。

 セインは、目を細めた。


「……教会が、ですか」


「……ああ」


 ユリウスは、ようやく顔を上げた。

 その目には、疲労とも怒りともつかない、深い影があった。


「教会に近づくたび、姉の顔が浮かぶ。

 白いドレス。細い手。

 ……爪の間の、血」


 セインの視線が、わずかに鋭くなる。


「……やめてくれ、と。

 行きたくない、と。

 泣きながら、俺の袖を掴んでいた」


 言葉が、少しだけ詰まった。


「だが、俺は何もできなかった。

 ただ、見ていることしかできなかった」


 沈黙が落ちる。

 ユリウスは、低く息を吐いた。


「だから俺は、待っているという言葉で……ただ、逃げていた」


 しばらく、何も音がしなかった。

 やがて、セインが静かに言った。


「……そして今は?」


 ユリウスは、しばらく黙っていたが、やがて静かに言った。


「教会と戦うべきだ。

 だが……彼女を失うのは、怖い。

 危険な目に合わせたくない」


 ユリウスは視線を上げないまま、指先で机を軽く叩く。


「……彼女を、失うのが」


 セインの目が、わずかに細くなる。


「それだけですか?」


 沈黙。


 ユリウスは、ようやく顔を上げた。

 瞳に、氷が溶け始めていた。


「……それだけじゃない」


 声が、低く震える。


「彼女が教会に近づくたび、胸が締めつけられる。

 姉の最期を思い出す以上に……。

 彼女自身が、俺のものじゃなくなる気がする」


 セインは、わずかに口角を上げた。


「……ようやく、本音ですね」


 ユリウスは、息を詰めた。


「……ああ」


 彼は椅子から立ち上がり、窓辺へと歩く。

 闇を見つめながら、言葉を続けた。


「彼女の身体が震えるのを見ると、心臓が止まりそうになる。

 彼女の瞳が揺れると、理性が砕け散る。

 彼女が俺の名を呼ぶだけで……この胸が、熱くなる」


 ユリウスは机に手をつき、頭を垂れた。


「……俺は、彼女を愛している」


 その言葉が、静かに落ちる。

 セインは、穏やかに微笑んだ。


「……認めたんですね」


 ユリウスは、かすかに苦笑する。


「……認めたら、もう待てなくなる」


 セインは淡々と問い返す。


「では、どうするんですか?」


 ユリウスは、ゆっくりと顔を上げた。

 その瞳には、静かな熱が宿っていた。


「……彼女を守る。

 教会に潜入するなら、彼女の傍に、常に俺の目と手を置く」


 声が、低く、わずかに甘くなる。


「……そして、戻ってきたら、もう離さない。

 彼女の身体も、心も、すべてを俺のものにする」


 セインは、静かに目を伏せ、ぽつりと呟く。


「……恋愛って、面倒ですね」


 セインは、視線を上げて、静かに続ける。


「まぁ……行けというなら、彼女を守ります。

 これまでの御恩がありますからね」


 窓の外、夜は静かだった。

 ——だが、すでに歯車は、音を立てて回り始めていた。

普段はBLを書いていますが、今回はNL(TS要素あり)に挑戦しています。

少しでも楽しんでいただけたら、本作はネトコン14応募作品ですので、ブクマや★で応援していただけると励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ