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第14話 あなたとならどこまでも行けると思ってしまったから

 裁判の翌朝。


 俺は、だんだんと理解していた。

 ――自分が「ただの令嬢」ではなくなってしまったことを。


 俺は、王都庁舎へ向かう支度をしていた。

 本来なら、馬車を出すところだ。

 侯爵家の娘が歩いて街に出るなんて、普通なら止められる。


 けれど。


「……今日は、歩いて行こう」


 そう言ったのは、ユリウスだった。

 俺は、思わず瞬きをした。


「歩いて……?」


「ああ」


 彼は、いつものように淡々と続ける。


「君の名は、もう街に出ている。

 なら……君自身の目で、この街がどうなっているのかを見ておいた方がいい」


 一瞬、胸の奥が、ひくりと鳴った。

 怖くないと言えば、嘘になる。

 でも。


 俺は、小さく頷いた。


「私も……見たい。

 自分が、何をしたのか」


 ユリウスは、それ以上何も言わなかった。

 ただ、わずかに目を細めた。


 それで十分だった。


 こうして俺は、馬車を断り、ユリウスと並んで、屋敷の門をくぐった。

 そして――門を出た瞬間だった。


 ――見られている。


 通りを歩く人々の視線が、ちらり、ちらりとこちらに向く。


「……あの人じゃない?」

「昨日の裁判の……」

「グラーフェン家の令嬢だろ?」


 ひそひそとした声が、風に乗って耳に届く。


 悪意ではない。

 でも、好意とも言い切れない。


 俺は、無意識に背筋を伸ばしていた。


(こんな変化が)

(もう、俺だけの話じゃないんだ……)


 昨日まで、俺はただの令嬢だった。

 多少の噂はあっても、それ以上でも以下でもない存在。


 でも今は違う。


 名前が、意味を持ってしまった。


 リーゼロッテ・フォン・グラーフェン。

 告発し、証言し、裁判を動かした女。

 良くも、悪くも。


「……怖いか?」


 隣を歩くユリウスが、低く問いかけてきた。

 俺は少しだけ考えてから、首を振る。


「怖い、というより……変な感じ」


「変?」


「昨日までは必死すぎて、何も考えられなかったから。

 今になって……実感する」


 ユリウスは、ほんのわずかに視線を細めた。


「……自分が、どこに立ってしまったのか、か」


「……うん」


 王都中央広場に差しかかると、人の流れがさらに増えていた。

 掲示板の前に、人だかりができている。


「ほら、これだよ!」

「昨日の裁判の記事!」


 誰かが紙を指さして、声を上げる。


「『特別法廷、クラウス子爵に有罪判決。証言が長年の搾取構造を明るみに』……だってさ!」


 ざわめきが広がる。


「女が声上げて、世の中が動いたってことか……」

「すげぇな……」

「でも、こういうのって……そのうち、反動くるんじゃねえか?」


 最後の言葉だけが、やけに現実的で、胸に引っかかった。


 称賛と、戸惑いと、不安。

 王都全体が、まだ整理のつかない感情を抱えたまま揺れている。


 ユリウスが、ぽつりと呟く。


「……これが、世論だ。

 これを使えば、貴族院を動かせる」


 俺は、思わず足を止めた。


「……動かす、って?」


 ユリウスは、こちらを見た。


「持参金制度そのものをだ」


(そうだった)

(こいつは、ずっと先を見てる)

(……そういうところが、どうしようもなく好きだと思ってしまう)


「……うん」


「世論は味方にもなる。

 だが……簡単に、敵にもなる」


 俺は、掲示板の前の人々を見つめながら、ゆっくりと息を吸った。


(……それでも)


 気づけば、口が動いていた。


「……あなたとなら。

 どこまででも……行ける気がするんです」


 ユリウスが、わずかに目を見開く。


 言ってしまってから、胸の奥がひどく騒がしくなった。

 言葉が、空気の中に落ちたまま、消えない。


 沈黙。


 ユリウスは、しばらくこちらを見つめていた。

 いつものような冷静な目ではなかった。


 ほんの一瞬、迷うような気配のあと――

 彼の指先が、そっと俺の手首に触れた。


 掴むほど強くはない。

 ただ、確かめるように。


 その温度だけで、息が詰まる。


「……そんなふうに言われると」


 低い声だった。


「俺は……困る」


「……困る?」


 問い返した瞬間、指先が、わずかに強くなる。


「……抑えているものが、ある」


 視線が逸れない。

 胸の奥が、どくん、と鳴った。


 ユリウスは、ほんのわずかに距離を詰めた。

 吐息が、触れるほど近い。


 それでも、触れきらない。


「……そんなに可愛いことを言われると」


 声が、掠れていた。


「約束を……守れなくなる」


 心臓が、跳ね上がった。


「君が、自分の意思で選ぶまでは、触れないと……そう決めた」


 指先が、手首から、ゆっくりと指へと移る。

 絡める寸前で、止まる。


「……だが」


 ほんの一拍。


「……今の俺は、それを破りたいと思っている」


 空気が、張りつめる。


 それでも、最後の一線は越えない。

 その代わり、指先だけが、静かに触れ続けている。


「……だから」


 低く、静かに。


「そんな言葉は、覚悟ができてから言え。

 そうでないと……俺は、本当に止まれなくなる」


 その言葉が、胸の奥をじわりと痺れさせた。

 何もなかった顔を装いながら、息だけを整える。

 そして俺たちは、何事もなかったかのように歩き出した。


***


 しばらく歩いたあと、ユリウスが言った。


「……寄りたい場所がある」


 王都から少し離れた、小さな墓地だった。

 観光客も、祈りを捧げる人影もない、静かな場所。


「……ここに、誰が?」


 ユリウスは答えなかった。

 ただ、一つの墓石の前に立つ。


 刻まれている名を見て、息が止まった。


 ――エレオノーラ・フォン・アイゼン。


 俺は、墓石の前に並んで立った。

 言葉を探したが、何も浮かばない。

 ただユリウスと同じように、静かに墓を見つめることしかできなかった。


 風が、墓石の表面をなぞる音だけが響く。


「……彼女は、持参金で買われた」


 ユリウスが、ぽつりと続ける。

 視線は、墓石から動かない。


「甘い言葉に騙され、搾取され……最後には、窓から飛び降りた。

 最期の日記に、『君だけだと言われたのに』とだけ残されていた」


 沈黙が落ちる。

 重く、長い沈黙だった。


 俺は、ゆっくりと息を吐いた。


「……だから、私怨って言ったんだ」


 ユリウスは、わずかに目を細める。


「……そうだ」


 短い肯定。


「俺は、相手の男を追い詰めた。

 爵位を奪い、財を削り、社会から消した」


 そこまで言って、一拍。


「……だが、それで終わりではなかった」


 声が、ほんのわずかに低くなる。


「名前を変え、土地を変え、

 あの男は……また、同じことを繰り返していた」


 拳が、わずかに強く握られていた。


「そして……別の女が、壊れた」


 言葉が、そこで止まる。

 それだけで、十分だった。


 ――救えなかったのだ。

 断罪しても、何も終わらなかった。


「……俺は理解した」


 ユリウスは、低く言った。


「個人を罰しても、構造が変わらなければ、何も終わらない。

 姉を殺したのは、あの男だけではない。

 ……制度そのものだった」


 ようやく、彼は俺の方を見た。


 その瞳にあったのは、冷徹さではない。

 諦めと、後悔と、それでも進もうとする意志だった。


「だから俺は、これを変えると決めた。

 どれだけ時間がかかっても、どれだけ血を被っても」


 俺は、静かに彼を見返す。


「……どれだけ苦しくても?」


「構わない」

 即答だった。

 その声は、静かで、確かだった。


 胸の奥が、じんと熱くなる。

 俺は、小さく言った。


「私は……あなたのそういうところが」


 一度、息を吸う。

 逃げないと決めた。


「……好きです。

 それだけじゃないけど」


 言葉が、空気に落ちた。

 ユリウスの瞳が、わずかに揺れる。

 ほんの一瞬だけ、言葉を失ったような顔をしてから。


「……君は、残酷だな」


 そう言って、視線を逸らした。


「……そんなことを言われると」


 次の瞬間だった。

 背後から、温かい気配が近づく。

 ふわりと、背中に腕が回された。


 強くはない。

 けれど、確かに、逃がさない抱き方だった。


 息が、耳元にかかる。


「……本当に、止まれなくなる」


 低く、掠れた声。

 俺は驚いたまま、動けなかった。


「君は、俺がどれだけ自制してきたか……分かっていない」


 腕に、ほんのわずかに力がこもる。


「君のような人間を、奪う資格があるのかと。

 触れるたびに、考えていた」


 額が、俺の髪に触れる。


「……それでも」


 一拍。


「それでも、君が隣に立つと言うなら……俺は、もう、引けない」


 胸の奥が、じんわりと熱くなる。

 俺は、そっと彼の腕に手を重ねた。


「……それで、いいです」


 小さく、でも確かに。


「私は、自分で選んで、ここにいます」


 しばらく、二人とも何も言わなかった。

 ただ、墓前で、静かに抱き合っていた。

 風が、枯葉を舞わせる。


 墓石の前で、失われた命と、続いていく意志が、重なっていた。


(……この人となら)

(きっと、どこまでも行ける)

普段はBLを書いていますが、今回はNL(TS要素あり)に挑戦しています。

少しでも楽しんでいただけたら、本作はネトコン14応募作品ですので、ブクマや★で応援していただけると励みになります!

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