表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

13/23

第13話 罪を裁き、恋が動き出した日

 今日、俺は――あの男を裁く。


 貴族院付属特別法廷は、息苦しいほどの静寂に包まれていた。


 天井から吊るされたシャンデリアの光が、床に冷たい影を落としている。

 傍聴席は満員だった。貴族、官僚、聖職者、そして――近頃になって急増した「市民」の姿。

 ユリウスが強引に通した公開審理の結果だ。


 法廷中央。

 ハインリヒ・フォン・クラウスは、まだ薄い笑みを貼りつけていた。

 だが、目は落ち着きなく揺れ、額の汗が照明を反射している。


 傍聴席の後方。

 俺――リーゼロッテ・フォン・グラーフェンは、静かに息を吐いた。


 隣に立つユリウスは、いつも通り氷のように表情を崩さない。

 ただ、法衣の袖口を握る指先だけが、わずかに白くなっていた。


 裁判長の声が、低く厳かに響く。


「被告、ハインリヒ・フォン・クラウスに対する審理を開始する。起訴事実を読み上げよ」


 書記官が淡々と読み上げる。


 詐欺的婚姻の誘引。

 金銭の不正取得。

 薬物使用による暴行未遂。

 名誉毀損。


 そして――


「組織的な女性搾取の疑い」


 最後の文言に、ハインリヒの口角がわずかに引きつった。


 弁護人が立ち上がる。


「被告は、すべての罪状を否認いたします。

 これらは令嬢たちの主観的な受け止めに過ぎず、客観的証拠に乏しい。

 証言者も欠席が相次ぎ、証拠能力には疑問が残ります」


 傍聴席がざわついた。

 ハインリヒはちらりとこちらを見て、薄く笑った。


(……まだ、余裕のつもりか)


 俺は、ゆっくりと立ち上がった。


「裁判長。

 原告側証人、リーゼロッテ・フォン・グラーフェン。証言を許可願います」


 法廷が一瞬、静まり返る。


 ハインリヒが、嘲るように目を細めた。


「……君が証言台に立つなんて、勇気があるね。

 でも、もう遅いよ。誰も信じない」


 俺は応えず、証言台に立った。


「私は、被害者です。

 しかし、それだけではありません」


 一呼吸おく。


「私は、証人です。

 そして、今日ここで、事実を述べます」


 ざわめきが広がる。


「ハインリヒ様は、私にこう言いました。

 『君だけだ』と。

 『僕が守る』と」


 声は、意識して平坦に保った。


「同じ言葉を、他の令嬢たちにも用いていたことが、複数の証言から確認されています」


 俺は机上の書類を示す。


「持参金の時期。

 言動の内容。

 接触の経緯。

 いずれも、驚くほど一致しています」


 静寂が落ちた。


「欠席した証言者についても、事前に署名付きの陳述書が提出されています。

 体調不良により出廷できなかっただけです」


 ハインリヒの顔色が、明らかに変わる。


「……嘘だ……そんなはず……」


 その声に、ユリウスが静かに続けた。


「さらに、被告による証言妨害の形跡についても、調査報告書を提出している」


 淡々とした声だった。


「証言者の周辺への不自然な接触。

 使用人への金銭提供。

 辞退に至る経緯の記録。

 いずれも、客観的に整理されている」


 書類が裁判長に提出される。


 法廷の空気が、確実に変わった。

 俺は視線をハインリヒに戻した。


「そして……あなたは、私にこう言いました」


 ゆっくり、はっきり。


「『君が騒がなければ、こんなことにはならなかった』

 『まだ取り返しはつく』と」


 沈黙。


「これはつまり、自身の行為を前提にした発言です」


 ハインリヒの唇が、震えた。


「ち、違う……あれは……」


「説得、ですか?」


 俺は、静かに言った。


「被害者を黙らせるための言葉ですね」


 ざわめきが、今度は抑えきれずに広がった。

 裁判長が槌を打つ。


「静粛に」


 そのとき、後方から落ち着いた声が響いた。


「……補足させていただきたい」


 振り返ると、父――

 アウグスト・フォン・グラーフェン侯爵が、ゆっくりと立ち上がっていた。


 傍聴席が、はっと息を呑む。


「私は、辞退した証言者および関係者への聞き取りを行い、その記録を保持している。

 すでに、原告側へ正式に提出済みだ」


 淡々とした声だった。


「中立を保ってきた立場から見ても、

 この件における圧力と不自然な誘導は、看過できるものではない」


 父は、ハインリヒを一瞥した。


「君は、選んだ。

 人を踏みつける側であることを」


 その一言に、ハインリヒの肩が目に見えて落ちた。

 ユリウスが続ける。


「なお、本件については別途、証言妨害および贈賄行為に関する調査も進行中だ。

 本審理とは別件として扱われることになるだろう」


 ハインリヒは、もはや言葉を発せず、ただ呆然と立ち尽くしていた。

 裁判長が、ゆっくりと口を開く。


「本件について、被告人に重大な疑義があることは明らかである。

 証拠関係を精査のうえ、被告人を有罪と認定する方向で審理を進める」


 どよめきが走る。


「量刑については、後日、改めて決定する」


 それでも――

 空気は、完全に変わっていた。


 ハインリヒの表情には、もう笑みはなかった。

 ただ、理解できないという顔で、自分の足元を見つめていた。


 俺は、証言台を降り、ユリウスの隣に戻る。


 彼は何も言わなかった。

 ただ、俺の手を、そっと握った。


 指先が、わずかに震えている。


「……終わりましたね」


 小さく言うと、「ああ」と短く、しかし確かな声が返ってきた。

 父が近づいてくる。


「……よくやった」


 たったそれだけの言葉だった。

 でも、その声には、今まで聞いたことのない温度があった。


 俺は、まっすぐに頷いた。

 法廷の外では、まだ人々の声が渦巻いている。


 今日ここで起きたのは、単なる一人の裁きではない。

 ――この国の「構造」が、確かに揺れ始めた瞬間だった。


(……これからだ)


 胸の奥で、静かな炎が、まだ燃えている。


***


 法廷の喧騒を抜け、控室へ続く長い回廊は、まるで世界から切り離された静寂に包まれていた。

 シャンデリアの柔らかな光が、床に淡い金色の模様を描く。


 俺はユリウスに導かれるまま、柱の陰で足を止めた。

 肩の力が抜け、膝がわずかに震える。


「……怖かったか」


 彼の声は、いつもより低く、静かだった。

 俺は少し考えてから、首を振る。


「……いいえ」


 それから、視線を逸らしたまま、付け足す。


「……あなたがいたから、平気でした」


 ユリウスは静かに息を吐き、ゆっくり手を伸ばす。

 額に触れる指先は、熱を帯びていた。


「今日の君は……完璧だった」


 彼は珍しく、言葉を重ねる。


「証言の構成、タイミング、すべて。

 君は正しかった。

 そして……俺は、君を誇りに思う」


 胸の奥が、静かに揺れた。

 頰が熱くなり、視線を落とす。


「……ありがとう。ユリウス」


 彼は控室の扉へ視線を移し、手を離そうとした。


 その瞬間――

 考える間もなく、俺の指が彼の指を掴んでいた。

 強く、離したくないとばかりに。


「……すみません」


 慌てて呟くのに、彼は動かなかった。

 代わりに、ゆっくりと指を絡め返してくる。


 ぴたりと重なる指先。

 息が、近い。


 ユリウスは俺を見つめたまま、静かに言った。


「リーゼロッテ」


 名を呼ぶ声が、ひどく近い。


「これから先、どんな嵐が来ても……

 俺は君の傍にいる。

 君を守り、君と共に戦い、君を愛する」


 心臓が、うるさいほどに鳴る。

 俺は目を閉じ、彼の胸にそっと額を預けた。


 彼の腕が、腰を確かに引き寄せる。

 冷たい回廊の中で、彼の体温だけが現実だった。


 しばらくの沈黙のあと、ユリウスが低く言った。


「……最近、自分が信用できない」


 視線が、静かにこちらを捉える。


「君の傍にいると、判断を誤りそうになる。

 ……感情で、動いてしまいそうになる」


 胸が、ひくりと鳴る。


「君が言った『恋愛はなし』という線は、守るべきだと思っていた。

 ……だが」


 わずかに、言葉が揺れた。


「正直に言えば、もう守れそうにない」


 空気が、張り詰める。


「……なぜ、拒む?」


 責める声ではない。

 けれど、逃げ場のない問いだった。


「君は俺を避けてはいない。

 それでも、恋愛だけは拒む」


 短い沈黙のあと、低く。


「……理由を、知りたい」


 俺は言葉を探して――見つからなかった。


「……だめ、なんです」


 自分でも驚くほど、弱い声だった。


「今は……まだ。

 うまく、言えなくて……」


 視線を落とす。

 胸の奥が、ひどくうるさい。


「……そのうち、話す。

 ちゃんと……話すから」


 ユリウスは、しばらく俺を見つめていた。

 やがて、静かに息を吐く。


「……わかった」


 それだけ言って、少しだけ距離を取る。


 けれど、その目は、さっきよりもずっと真剣だった。


「ただし」


 一言、置くように。


「……俺は、引かない」


 ユリウスが離れたあとも、俺は指先に残る感触を見つめたまま、動けなかった。

 胸の奥で、何かが絡まっている。


(……男のまま、なのに)


 鏡を見るたび、ドレスが重い。

 化粧が、仮面みたいに感じる日がある。


 この体は女なのに、心はまだ、あの頃のまま。


 ユリウスに触れられた瞬間、温かさが嬉しくて――

 同時に、怖かった。


「好き」という言葉が、喉で詰まる。


 男だった自分が、こんな気持ちを抱くなんて。

 それでも、彼を見るたび、心は勝手に動いてしまう。


 回廊の先に、光が差し込んでいる。

 まだ、長い道のりだ。


 胸の奥で、静かな嵐が、吹き続けていた。


(……これから、どうなるんだろう)

普段はBLを書いていますが、今回はNL(TS要素あり)に挑戦しています。

少しでも楽しんでいただけたら、本作はネトコン14応募作品ですので、ブクマや★で応援していただけると励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ