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第11話 宰相殿下は、婚約者を守るために世界を敵に回す

「ハインリヒ・フォン・クラウス子爵の裁判が決まった」


 そう言って、ユリウスは扉を閉めた。


 数日ぶりに見る彼は、いつもの黒い礼装ではなく、私服だった。

 銀のラインも控えめで、まるで執務を抜け出してきたばかりのような――珍しく、「人間らしい」姿。


 俺の前に立ち、無駄な前置きもなく、静かに続ける。


「貴族院付属の特別法廷だ。公開形式で行う」


「……裁判、できるんですね。

 よくあることなんですか?」


「ほとんどない」


 即答だった。


「持参金制度自体は合法だ。

 だが、複数人を同時並行。

 さらに、君を含む複数人への薬物使用と暴行未遂、そして暴行既遂」


 淡々とした声なのに、内容だけが重い。


「……うまくいきそうですか?」


「……抵抗はある」


 短い言葉だったが、それだけで十分だった。


「だけど、君が集めてくれた証言がある。

 君自身が証言すれば、おそらくは。

 公開だから、君には辛いこともあるかもしれないが」


「大丈夫ですよ。

 あいつを蹴落とすためなら、どんどん証言します」


「頼もしい。

 最初は個人だが。

 これを機に不平等が表に出れば、改革自体を進めやすくなる」


 ふと、ユリウスの目が陰る。


「どうしました?」


「既得権益を守ろうとする力は、強い」


 静かな声だった。

 俺は、少しだけ首を傾げた。


「……例えば?」


 ユリウスは、ほんの一瞬だけ考えるように視線を落とし、

 それから、淡々と答えた。


「縁組を道具に、家を大きくしてきた貴族。

 持参金を担保に、裏で資金を動かしてきた商人。

 伝統を盾に、女性を従わせることで秩序を保ってきた宗教者」


 言葉は静かだったのに、ひとつひとつが重い。


「そして……そうした構造に寄りかかって、安全な地位を守ってきた官僚たち」


 俺は、思わず息を止めていた。


「……多すぎません?」


「だからこそ、厄介だ」


 ユリウスは、静かに言った。


「誰か一人の悪意ではない。

 誰かが命じているわけでもない。

 ただ……それぞれが、自分の席を守ろうとしているだけだ」


 その言葉が、妙に現実的で。

 胸の奥が、ひやりと冷えた。


「みんな?」


「……そうではない。

 君の家は、中立を保ってきた。

 グラーフェン家が動けば、空気は変わる」


 静かな声だった。


(……そうだったのか)

(だから、こいつは、俺を結婚相手に選んだんだ)


 そう思った時。

 不意に、ユリウスの声が切実さを増した。


「……俺は、君を危険にさらしたくない」


 一瞬、部屋の空気が変わった気がした。

 それは殿下の言葉じゃなくて、ひとりの男の言葉だった。


「もし、君に何かあったら……」


 言葉の途中で、ユリウスは口を閉じた。

 まるで、それ以上言うのが怖いかのように。


 俺は、思わず立ち上がっていた。


「……ユリウス」


 名前を呼ぶと、彼の視線がゆっくりとこちらに向く。

 いつもは氷のように澄んでいる瞳が、今は少しだけ揺れている。


 俺は、ゆっくりと一歩近づいた。


「私に、何かあったら……どうするんですか?」


 ユリウスは、答えなかった。

 ただ、喉が小さく動くのが見えた。


 俺は、もう一歩。

 距離が、息がかかるほどに近くなる。


「……心配、してるんですか?」


 低く、からかうように言ったつもりだったのに、声が、少し震えてしまった。

 ユリウスは、ほんの一瞬だけ目を伏せた。

 それから、ゆっくりと顔を上げる。


「……ああ」


 短い肯定。


「君に、何かあったら……俺は」


 言葉を切って、息を吐く。


「きっと、壊れる」


 その言葉に、胸の奥が、熱くなった。


(……壊れる?)


 この冷徹な宰相が。

 この、感情を鉄の仮面で覆い隠してきた男が。

 俺のせいで、壊れる?


「……馬鹿」


 思わず、笑いが漏れた。


「そんなこと、言わないで」


 俺は、そっと彼の胸に手を置いた。

 心臓の音が、掌に伝わってくる。

 いつもより、少し速い。


 ユリウスは、動かない。

 ただ、俺の手を覆い被さるように、自分の手を重ねてきた。


 指先が、絡む。

 強く、けれど優しく。


「……リーゼロッテ」


 初めて、名前を呼ぶ声が掠れている。


「君は、俺にとって……」


 言葉を飲み込むように、ユリウスは目を閉じた。


「もう、失いたくないんだ」


 その瞬間。

 この身体が、勝手に動いた。

 背伸びをして、彼の首に腕を回す。


 ユリウスは一瞬、固まった。

 けれど、次の瞬間には、強く、強く抱き締め返してきた。


 背中に回った腕の力が、震えている。


「危ないと、言ってるのに……」


 ユリウスの声が、耳元で低く響く。

 息が、熱い。


「君はいつも、そうやって俺を振り回す」


「それは、あなたのせいですわ」


 くすっと笑って、彼の胸に顔を埋めた。


「そんな可愛らしいことをおっしゃるから」


 ユリウスは、ほんの少しだけ力を緩めて、俺の顔を覗き込む。

 銀の瞳が、こんなに近くで見ると、氷なんかじゃなくて、静かに燃える炎みたいだ。


「……君は、ずるい」


「それは、そっくりそのままお返しします」


 俺は、目を細めて微笑んだ。

 ユリウスは、ため息のように息を吐いて、俺の額に、そっと唇を寄せる。

 触れるだけの、優しいキス。


「裁判が終わったら」


 低く、囁くように。


「もう、待たない」


 その言葉に、胸がどくんと鳴った。


「……恋愛は、なしと……約束したはずです」


 自分でも驚くほど、声が小さくなった。

 ユリウスは、俺の額に額を寄せたまま、わずかに息を止める。


「……破りたい」


 間を置いて、静かに続けた。


「だめか?」


 問いかけは、命令でも、脅しでもなかった。

 ただ、ひどく正直な声だった。

 俺は、すぐには答えられなかった。

 心臓の音が、うるさい。

 それでも、顔を上げる。


「……ずるいです」


 かすれた声でそう言うと、ユリウスの唇が、ほんのわずかに緩んだ。


「今さらだろう」


 低く、からかうような声だった。

 俺は、思わず彼の胸に顔を押しつけた。


(……やばい)

(この身体、ほんとに……)

(いや、身体なのか?)

(俺は……)


 心臓が、うるさくて、頬が熱くて、でも、すごく、幸せだ。

 頭がくらくらする。


「……裁判、絶対勝ちましょうね」


 俺は、小さく呟いた。

 ユリウスは、俺を抱き締めたまま、頷く。


「勝つ」


 短く、確信に満ちた声。


「そして、その後……」


 彼は、俺の耳元で、ゆっくりと続ける。


「……君を、俺のものにしたい」


 その言葉が、胸の奥に甘く溶けていく。

 俺は、ただ、彼の腕の中で、静かに目を閉じた。


(……どうしよう、こいつと?)

(でも、彼ならと思ってる自分がいる)


 部屋の中は、暖炉の火がぱちぱちと鳴るだけ。

 外の世界の嵐が、どれだけ近づいてきても、今、この瞬間だけは。

 二人だけの、静かで甘い時間だった。


***


 その夜の温もりが、嘘だったみたいに。

 数日が経つころには、空気が、少しずつおかしくなり始めていた。


 最初は、小さな違和感だった。


 証言を約束していた令嬢からの返事が、ひとり、届かなくなる。

 次に、もうひとり。

 そして――三人目。


「……体調不良、か」


 ユリウスから渡された書状には、どれも同じ文言が並んでいた。


 体調不良。

 やむを得ない事情。

 出廷は困難。


 偶然にしては、出来すぎている。


「……圧力?」


 俺の問いに、ユリウスは即答しなかった。

 それが、答えだった。


「……露骨ではない。

 だが、理解のある忠告という形で、家に話が入っている」


「……理解、ね」


 その言葉が、やけに苦い。


「『令嬢の名誉を守るために』

 『これ以上、傷を広げないために』

 『家の将来のために』……」


 どれも、善意の顔をしていた。


 結果だけが、はっきりしている。

 ――皆、口を閉ざした。


 さらに追い打ちをかけるように。


「裁判官の選任が、進んでいない」


 その報告を聞いたとき、俺は言葉を失った。


「辞退、が続いている。

 理由は様々だが……」


「……関わりたくない、ということ」


 ユリウスは、わずかに目を細めた。


「そういう空気が作られている」


 誰も直接止めていない。

 誰も命令していない。

 それでも、誰も動かない。


 これが、既得権益を守る力。


 静かで、見えなくて、

 でも、確実に効いてくるやり方。


(……前の会社でも、そうだった)


 頭のどこかで、冷たいほど静かな声がした。

 誰かが悪意を持っているかどうかなんて、実は関係ない。

 人はただ――自分が持っているものを、守りたいだけなのだ。


 地位。

 名誉。

 居場所。

 「今まで通り」の世界。


 それを失いそうになったとき、人は必死になる。

 正義かどうかなんて、二の次で。


(……だから、止めようとする)


 証言を潰す。

 裁判官を遠ざける。

 空気を曇らせる。


 やり方は違っても、根っこは同じだ。


 ――自分たちの都合のいい世界を守るため。


(……でも)


 俺は、ゆっくりと息を吸う。


(だからって、引く理由にはならない)

普段はBLを書いていますが、今回はNL(TS要素あり)に挑戦しています。

少しでも楽しんでいただけたら、本作はネトコン14応募作品ですので、ブクマや★で応援していただけると励みになります!

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