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殻裡  作者: 綾高 礼


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第14話


 30


 小学五年生なって私はまた、人を、殴った。

 六年生の男生徒Nが、「ここは俺たちの場所や。五年はどっかいけ」と私と数人の友人たちを脅してきた。友人たちは特に気にすることなく別の場所に行こうとドッチボールを投げ合いながら移動を開始したが、私は一人その場に留まっていた。


 正確には恐怖でその場から動けなかった。足が地面に縫われたかのようにぴくりとも動かなかった。或いは踵の部分にだけフィギュアのような支えが接着されていたのかもしれない。Nたちの勝ち誇った頬が、気味悪く緩んでいて更に私を恐怖に陥れた。


「おい」とNはいつまで経っても動かない私に近づいてきた。


「はよのかんかい」

「……」

「おい、聞いてんのかぼけ!」


 私はいつの間にかNの鼻頭を殴っていた。だがNの鼻からは血一つ出なかった。拳が妙に痛かった。次の瞬間には、私の鼻頭に重く鈍い鉛のような感触が押し寄せてきた。脳髄がグラグラと揺れ、数秒後には、Nの興奮した顔が私の視界にはいった。


「おいNやめとけって! 先生にチクられたらどうすんねん!」


 ポタ、ポタポタと地面に赤黒い液体が滲んだ。私は思わず鼻を抑えて、自分の鼻から噴出する生暖かい液体に驚愕した。その時もまた、サァット全身が冷えていく感覚に襲われた。


 キーンコーンカーンコーン


 休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。

 私は、Nたちに異常なほど優しく介抱されながら、一緒に保健室へ向かう。


「先生、大変です! 俺とこの子がぶつかってしもうて鼻血がこんなに……」


 Nは平気でそう言ってのけて保健室の先生に事情を説明した。そして私の耳元で囁くように「ほんまにごめんなぁ。痛かったやろ。大丈夫か」と言った。


 本当にこの時のNは、心底すまなそうな表情をしていた。だが瞳の底だけは黒くて黒くて、何も見えなかった。

 何故かこの時の私は却って安堵を覚えていた。「うん」と返事をしてその場をやり過ごすことにした。今になって思えば、Nは、誰かに怒られることを恐れていただけなのだろうと思う。

 私は私で、情けないことに矜持を壊されることに恐れていた。喧嘩両成敗とはこのことなのか。


 それから一週間が経った頃の休み時間。

 私は数人の友人たちを引き連れて、バスケットボールやバレーボールやサッカーボールやドッチボールなどが沢山入っているボール籠を体育倉庫から引っ張り出してきて、Nたちが遊んでいるグループに向かって一斉に投げつけていった。


「あいつらを殺せぇ!」


『おっしゃぁああああ‼』


 私の怒号令に友人たちも乗り気で次から次へとボールを彼らに投げつけていく。困惑したNたち上級生は、何とか仕返ししようとボールを拾って投げつけきた。

 私はボールが行き交う戦場から外れ、回り込むようにNの下まで走り抜けて行った。


「またお前かぁ⁉」


 私を見つけたNが素っ頓狂な声で言った。私は事前に用意していた砂場の砂をポケットから適当に放り投げ、目をくらました直後には懐に潜って、腹に拳を叩きこんだ。卑怯ものとNが言い切る前に素早く鼻頭を切るように殴りつけた。


 そして! ついに! なんと! あのインチキN某の! 鼻から赤黒い! とてもドロドロとした! 『液体』が噴出したのだ!


 キーンコーンカーンコーン


 チャイムが鳴って我々は、「逃げろぉおお‼」と一目散に逃げ出した。

 全て私の事前に練り上げた作戦通りだった。休み時間が終わる数分間を狙っての奇襲攻撃は、ものの見事に成功した。


 私はこの時、この上ない充実感に満たされていた。運動場を走り抜ける爽快感にヒャッホーと叫んでしまうほどに。それから暫くの授業は、興奮がすぎてとてもじゃないが集中することも出来ず、何度も戦争状況を思い出していた。


 放課後、我々は校内放送で呼びつけられ、学年主任の教員にしかられた。だが私には、Nが敗北を認めた証ととり、勝利に酔った。


 翌日以降、Nは復讐に出ることはおろか我々に関わってくる事すら無かった。運動場でも殆ど見かけることすらなくなって、見かけたとしても端っこの方にいるくらいで、次第に私の視界にもNの存在すら映らなくなっていった。


 私たちは、上級生に一泡吹かせたとして、校内でも一目置かれた存在になっていた。それからも私が暴力を行使する回数は、日に日に増して、ついに両親にもそのことが露見し始めた。


 母親は担任の先生からその事実を伝えられた時、とても驚いたようだったが、私は全ての暴力に正当防衛を謳った。友人が、仲間が危険だったとか何とか。


 とにかく自分からは何も仕掛けていない。全ての原因はまず相手から仕掛けてきた。仕方なくそうするしかなかったと。さも兵士のように謳った。それが絶対の正義であって、私は其の下で鉄拳制裁するしか余地がなかった。という風に悲劇を嘆いた。無意識にNの演技力を吸収していたのかもしれない。


 それに対し、父親は「男やったら喧嘩の一つや二つくらいするやろ」といったお気楽な反応で、特に私の正義を咎められることはなかった。

 この時の父親には酷く関心を覚えていた記憶がある。

 母親は「ケンジはおばあちゃんに似て優しい子やねんから喧嘩なんか似合わへんわ」と不満気に言った。

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