表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/7

第五部:リベンジ 東京

  東京。眠らない巨大都市の光と影の中で、二ヶ月という時間が、砂時計の砂のように静かに流れ落ちていた。


 新道と智仁は、仲間が掴んだ僅かな情報を、血肉の通った確実な情報へと変えるため、東京の闇に深く潜っていた。滞在先は、都内の安価なビジネスホテルやウィークリーマンションを数日単位で転々と変え、決して一つの場所に長く留まることはない。

それは、玄武会という見えない敵の、恐るべき情報網を警戒してのことだった。


 彼らの調査は、地道で、緻密で、そして執拗だった。

ペーパーカンパニー周辺での張り込み、幹部たちのゴミの回収と分析、高度な盗聴器による会話の傍受、そして時には清掃員や業者を装っての潜入。新道の洞察力と計画性、そして智仁の危機察知能力と現場での対応力。二つの才能が組み合わさることで、彼らは徐々に、しかし確実に玄武会の実態を暴いていった。


 ちなみに、智仁が二ヶ月もの間、消防の仕事を休むために使った口実は「燃え尽き症候群」だった。

過酷な人命救助の現場でトラウマになったと、仲間が偽造した完璧な診断書とカウンセリング記録。心配する上司や同僚に「少し頭を冷やして、必ず戻ってきます」と人懐っこい笑顔で告げた彼は、その足で東京行きの飛行機に乗ったのだ。


 二ヶ月に及ぶ調査の末、彼らはついに一つの核心に辿り着く。玄武会の人間たちが頻繁に出入りする、西麻布の会員制高級クラブ。そのクラブが入るビルの上層階こそが、組織の頭脳が収まるアジトの一つであると確信した。


 並行して、智仁は仲間に、警察組織における玄武会の認知度を探らせていた。

警視庁の厳重なファイアウォールを、まるで存在しないかのようにすり抜け、内部データベースの深層を探索した。結果は、新道の予想通りだった。

「玄武会」に関する公式な捜査ファイルや報告書は一切存在しない。ただ、一部のベテラン刑事たちの間で、都市伝説のようにその名が囁かれているだけ。警察もまた、その実態を掴めずにいた。


 これで、動くための準備は整った。だが、その前に、新道にはどうしても会っておかなければならない男がいた。


 夜の帳が下りた頃、新道は一人、かつてさくらと共に過ごした思い出の病院の近くにある、小さな公園のベンチに座っていた。やがて、一人の男がゆっくりと近づいてくる。歳は三十七、着古したコートの襟を立て、その目には長年の刑事稼業で培われた鋭さと、隠しきれない疲労の色が浮かんでいた。


「久しぶりだな、新道」

豊水刑事は、神妙な顔で呟いた。

「ご無沙汰しています、豊水さん」

新道は静かに立ち上がった。


豊水は、四年前、病院への嫌がらせから身を挺して新道たちを守ろうとしてくれた、当時まだ若手だった刑事だ。そして、さくらが殺され、新道が報復のために組事務所を壊滅させたあの夜、全てを知りながら、彼は新道を見逃してくれた。「俺は何も見ていない。早く行け」と。


「生きていたのか…」

「ええ、なんとか」

短い沈黙が、二人の間に流れる。

「なぜ、今になって俺の前に現れた。まさか、また何か…」

豊水の言葉を、新道は静かに遮った。

「けじめを、つけに来ました。四年前の、本当のけじめを」

その瞳を見て、豊水は全てを察した。この男は、復讐を終えていない。そして、これからそれを成し遂げようとしている。

「やめろ、新道。もう十分だ。お前は法を犯した。だが、俺は…」

「分かっています。だから、お願いがあるんです」


新道は、豊水の目をまっすぐに見つめた。

「これから、事が起きます。俺は、俺のやり方で全てを終わらせる。その後、俺を捕まえに来てほしい。あなたに、この事件の幕を引いてもらいたいんです」

それは、逮捕の依頼だった。復讐の後の、後始末の懇願だった。

「馬鹿を言うな!俺は警察官だぞ!」

「だから、あなたに頼むんです。俺がこれからやることは、法では裁けないかもしれない。でも、罪は罪だ」


 新道は、一枚のmicroSDカードを豊水に手渡した。

「ここには、俺がこれまで掴んだ、奴らの悪事の証拠が一部入っています」

彼は静かに続けた。

「罪名は、いくらでもあるはずです。不法侵入、傷害、監禁…そして、殺人も」


 その言葉の重みに、豊水は息を呑んだ。目の前の男が、これから引き返せない道を進もうとしていることを、そしてその覚悟が揺るぎないものであることを、痛いほど理解した。


「…俺は、何も聞かなかった。お前にも会っていない」

豊水は、チップを強く握りしめ、そう吐き捨てるように言うと、背を向けて闇の中へと消えていった。

残された新道は、遠ざかっていく恩人の背中を、静かに見送っていた。これで、全ての準備は整った。


 決行の夜。西麻布の空には、薄い雲がかかり、月明かりさえも届かない。ターゲットのビルは、上流階級の人間たちを吸い込むブラックホールのように、静かに佇んでいた。


 新道と智仁は、清掃業者を装い、深夜、通用口から音もなくビル内部へと侵入した。彼らの手にはモップやバケツではなく、この日のためにカスタマイズされた特殊な装備が収められたバッグが握られていた。


 作戦は、静かに、そして確実に遂行された。ビルの地下にある警備室。新道がセキュリティシステムの配線を、わずか数十秒で掌握し、全ての監視カメラに異常のないループ映像を流し始める。その間に、智仁が背後から二人の警備員の首筋に手刀を打ち込み、意識を刈り取った。


 彼らは、まるでビルの構造を知り尽くしているかのように、階段を使い、風のように上層階を目指した。目的のアジトがあるフロアに到着すると、そこには屈強な見張りが二人、通路を塞ぐように立っている。


「掃除です」

智仁が、人の好い笑顔を浮かべながら近づく。男たちが訝しげな表情を浮かべた瞬間、新道がその死角から、麻酔薬を染み込ませたハンカチを二人の口元に同時に押し当てた。男たちは抵抗する間もなく、その場に崩れ落ちる。


 一つ、また一つと、彼らはアジトの部屋を制圧していく。仮眠室で眠っていた組員たちを、音もなく拘束する。通信室では、外部との連絡手段を物理的に破壊し、情報を管理していた男を無力化する。その動きは、まるで精密機械のように無駄がなく、流れるようだった。


 だが、一つの部屋のドアを開けた時、中で書類を整理していた男と、目が合ってしまった。

「てめえら、何者だ!」

男が叫び、腰の拳銃に手をかける。その声に反応し、廊下の奥から複数の足音が響いた。バレた。


もはや隠密行動は終わりだ。ここからは、力でねじ伏せる。


 通路の角から飛び出してきた男たちの顔面に、智仁が消火器を噴射し、視界を奪う。その白い煙幕の中を、新道が駆け抜けた。急所を的確に突く打撃が、立て続けに三人の男たちを沈黙させる。


 銃声が響き渡る。だが、その銃弾が彼らを捉えることはない。新道が敵の射線を読み切り、智仁がその動きを完璧にサポートする。二人の連携は、長年のコンビネーションがなせる、もはや芸術の域に達していた。


 最後の部屋、玄武会のかしらがいるであろう部屋の前にたどり着いた時、新道は壁に仕掛けておいた小型のEMP(電磁パルス)装置のスイッチを押した。


 瞬間、フロア全体が完全な暗闇に包まれた。非常灯さえも点灯しない、絶対的な闇。敵の怒号と混乱の声が響き渡る中、混乱に乗じて屋上へ逃げる姿が何人かいた、暗視ゴーグルを装着した新道と智仁だけが、全てを明確に見ていた。


「ここは任された。行って」

智仁が、迫り来る敵の群れに向かって一人で立ちはだかる。

新道は頷くと、その後を静かに追った。


 ビルの屋上は、強風が吹き荒れていた。先に逃げ込んだ四人の男たちが、息を切らしながら新道を迎え撃つ。

だが、新道の敵ではなかった。風の音に紛れて、肉を打つ鈍い音と、骨が砕ける音が響く。一人、また一人と、男たちが闇の中に沈んでいく。


 最後に残ったのは、玄武会の頭だけだった。彼は腰を抜かし、後ずさりながら命乞いを始めた。

「ま、待て…!金か?女か?何でもやる!だから命だけは…!」

新道は、その男の前に静かに立つと、冷え切った声で、ただ一言だけ告げた。

「四年前。お前が殺させた女の名を言え」

その言葉に、男の顔が絶望に染まった。全てを理解したのだ。


新道が、その首に手をかけようとした、その時。


ビルの下から、無数のサイレンの音が急速に近づいてくるのが聞こえた。豊水が、動いたのだ。


 新道は、頭を殴打して気絶させると、その場に転がしておいた。そして、屋上の縁に立ち、眼下の光景を見下ろす。赤と青の回転灯が、ビルを完全に包囲していた。


 智仁と合流した新道は、事前に確保していた脱出経路を使い、ビルの闇へと姿を消した。彼らが完全に現場を離れたのと、豊水率いる突入部隊がビルになだれ込み、玄武会の残党を一斉検挙したのは、ほぼ同時だった。


 夜明け前の東京の空の下、二人の復讐者は、静かに街の雑踏へと紛れていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ