2話/だっせえ眼鏡って失礼だと思う
「だー……ねみぃ」
理事長の話が終わって、長い廊下をひたすら歩く。
理事長はなんかいかにも金持ちっぽい禿げたおっさんだった。
最初の一瞬、汚いものでも見るような目で見られたけど、すぐに面の皮をかぶったらしく笑顔で接してきた。
理事長に言われたのは、この学校の大体の校風と、学校が創立以来掲げる三訓(もう忘れたけど)と、とにかく問題を起こすなよ、ってことだけだったと思う。
思うってのは、理事長の話が長かったからだ。
中身は薄いのに無駄な言葉をつけたり同じことを何度も言ったりするから効率が悪くて、途中から聞くのがめんどくさくなったので必要そうなところだけ耳に収めて、あとは眼鏡のおかげで他人から視線が見えづらいのをいいことに理事長の後ろにある窓から風景とかを見てた。
とりあえず解ったのはこの学校は金持ちのボンボンが通うお坊ちゃま学校だってこと。
それなりの身分や財力を持った人間の子供に、俗世の輩から悪い影響を受けることなく大人たちの都合のいい綺麗なモンだけ見せて育てましょ、ってことで建てられた学校らしく、居る生徒は殆ど幼稚舎からの持ち上がり。
外部生は珍しく思われて色々ちょっかいを出されるかもしれないが、余裕を持った対処をするようにと何度も釘を刺された。
この無駄に金をかけた校舎からも解るように、山というほど援助をもらってるから余計なトラブルを起こすと後々大変なんだろうな、と納得してため息をつく。
「アレが誠二さんのオヤジだなんて信じらんねぇよ」
理事長室から出た後、まだ授業中で静かな建物を適当に歩いて見つけた敷地の外れにある木の側で、陰から外れないように座って寄りかかった。
少しずつ沈んできた太陽に比例して冷えてきた芝生は疲れを吸い取ってくれるみたいで気持ちよくて、全身の力を抜いてリラックスできる。
何故か一瞬懐かしい感じがしたが、その気配は夏樹の意識に触れることなく風に乗って流れていった。
誠二とは、夏樹の育ての親の知り合いで、この学園の創始者の孫だ。
つまりは、理事長の息子で、現在の学園長という地位に居る。
王城家はもともと江戸から続く伝統ある名家だったのだが、近年では主に製薬事業で一歩先を行く研究を示し世界からも注目されている大企業。
その他の事業にも手広く関わり、毎年日本のトップ企業として上から5位までには必ず入るような大企業だが、当の社長が常に学園に入り浸り理事長室から指示を出すだけになってしまった為、現在副社長職についている誠二さんが社長代わりに会社を背負って世界中を飛び回るハメになっている。
ほんの一ヶ月前まで普通の学校の高校生だった夏樹が紆余曲折を経てこの学園に入れたのは一重にこの次期学園長を約束された誠二さんの進言のおかげだった。
つい昨日、仕事が入ってしまって迎えに行けなくなった、と悲しそうに電話をよこした誠二さんの情けない声を思い出して自然と顔が笑顔になる。
絶対会いに行くから、と電話越しに(一方的に)約束してくれたが、仕事で世界中を飛びまわっている彼のこと、次に会えるのがいつになるか解らない。
心の中で誠二さんにエールを送りながら、情けない顔と一緒に、記憶に表れた細い影……
木に寄りかかって瞑った眼の奥、現われた懐かしい人の記憶に浸ろうとした時――
「……何してる」
夢は、突然現われた男の声によってさえぎられた。
「――……別に?座ってるだけですけど……なにか?」
眼鏡の奥、うつむいているせいで殆ど隠れた半眼の瞳が男に視線を投げる。
(あー、こりゃーまたモデルみたいな人が居るもんだ)
現れた男を一言で表すなら「いけめん」。
ボキャブラリーの貧困さを疑われそうな感想だが、本当にそれしか浮かんでこないのだから仕方がない。
180センチ後半はあるだろうすらっとした長身におそらく着やせするタイプだががっしりとした肩幅。
凝ったデザインの制服を崩してはいるが夏樹と違って完璧に着こなし、そこらの雑誌のモデルだったら逃げ出しそうな八頭身にバランスが完璧に整った野性味のある顔が乗っかっていた。
ベリーショートと言えるくらい短く切ってある髪は目を見張る銀色で、くっきりと切れ長の輪郭を描く目は純粋な漆黒だった。耳にジャラジャラついてるピアスも全然変じゃないし、カッコよすぎて立ってるだけで放ってる威圧感に、野生の獣と相対したかの様な感覚を覚えた。
(完全に人の上に立つ系統の人間だよ…俺の苦手なタイプだ)
淳志さんもかなりの美形だったが、種類が違う。
彼は大人の優しさがにじみ出ていたが今目の前に居る男は刺すような威圧感がする。
(下手すると食い殺されそう……なんて、な
ま、俺には関係ないこった)
「俺疲れてるんで……用がないなら、ほっといてもらえます……?」
片足だけ脱力して伸ばしたリラックス体制でめんどくさそうに片目で視線を送って言ってから、風を感じるんだーとばかりに完全に目を瞑って寝に入る。
言葉くらいなら返事してやってもいいが、どう見ても知り合いじゃないので気を向ける必要もないだろうと判断した。
さく、さく、と芝生を踏みしめる音が近づいてきて男が近づいてきたことを知る。
「そこは俺の場所だ。どけ」
足音がすぐ近くで止まった。
「アンタの場所なんて誰が決めたの?別に何処で寝ようが俺の勝手でしょ」
言った瞬間、ダン!と、顔のすぐ横の幹に手が叩きつけられた音がして、俺はようやく目を開いた。
半開きの視界のまま、いい気分のところをちょっかい入れられたせいで不機嫌になった眉間に自然とシワがよる。
顔を覆う髪の間から睨みつけると、男はそれを上回るようなきつい目で夏樹を睨んでいた。
「もう一度だけ言う…そのだっせえ眼鏡カチ割られたくなかったら、10秒以内に俺の視界から消えろ」
178センチある夏樹も決して背が低いほうではないが、座っているせいでどうしても見上げる形になってしまう男を睨みつけて吐き捨てる。
「なに?お前……いい加減、うるさいんだけど」
パンッ!
「……気が短い事で……」
ギリ、と鈍い音がするのは目の前に翳した夏樹の右手から。
狙い過たず夏樹の頬を狙ったそれは、彼の顔に届くことなくギリギリの位置で受け止められていた。
男がわずかに目を見開く気配を見せてから、少しだけ――これだけ顔が近くになければ気付かなかったと確信できるくらいに口角が上がった気が、した。
「お前……外部生か」
握った拳を離すことなく話しかけてくる。
「そーですけど。歓迎にしては荒いんじゃなくて?」
ニコっ、と笑って首をかしげて言葉を返せば、男は拳を下ろして静かに立ち上がった。
「……行くの?一緒に座ればいいのに」
そうだよ。最初っからそうすればいいんじゃん。
何も言わず背を向けて歩き出した男に、名案だと思って声をかける。
「…俺にそんなこと抜かした奴はお前が初めてだ。
気分じゃねぇ。じゃあな」
顔も向けずにそう言い残すと校舎の影に消えていった。
その威圧感は男が消えるまで相変わらず刺すように肌を刺激していたけど…でも。
「…あいつ別に悪いやつじゃなさそう」
呟いてから、すっかり休む気が失せてしまった体を起こして寮の場所を教えてもらうために事務室を目指した。