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#008 蚊帳の外の大地

このお話には暴力的なシーンが含まれます。そのようなシーンが苦手な方は読むのを中止して下さい。

 平日昼下がりの予備校通り、雑居ビルの谷間でまるでゲームのような、しかし一方的なストリートファイトが始まっていた。


 眞浦まうらの丸太のような脚での蹴り、砲丸のような拳でのパンチがしのぶに何度と無く襲いかかる。クリーンヒットこそ無いもののしのぶはこれまでと1ランク違う相手に押され気味だ。しのぶの顔に僕が見たことのない余裕の無さが浮かぶ。


「ヤッチン、オドレェが見つけて来ょったにしてはええ女じゃのぅ」


 眞浦はそんな事を言いながら、大声で笑いながらしのぶを殴りつけ、蹴りつけた。身長168cmと女子にしてはそこそこの身長のしのぶも190cmオーバーの巨漢が相手ではあまりに不利だ。

 体重が倍ほども違うと、攻撃を受けることは出来てもその受けた腕や足のダメージが蓄積してだんだん使い物にならなくなっていく。


 しのぶはかなり善戦していた。しかし眞浦の実戦経験の豊かさと卑劣な戦略には敵わない。眞浦に追い詰められたところで周りを取り囲むヤッチンの仲間たちに髪の毛を掴まれたしのぶはついに押さえつけられ道路に引き倒されてしまった。


「いやぁッ! 離してよ! 離せ! は・な・せーーっ!」


「暴れても無駄じゃぁ」


 しのぶは足をバタつかせ、絶叫して抵抗した。しかし眞浦は容赦しない。後は戦利品を玩具オモちゃにして楽しむだけとでも思っているのだろうか、眞浦はしのぶのスカートを引きずり下ろし、そのスカートでばたつく足を縛ってしまった。しのぶの羞恥と苦悶の表情が眞浦とヤッチンの嗜虐心を更に煽ったのか、二人のボルテージはおかしなレベルに達しているように見えた。


「やばいってヤッチン。眞浦先輩は始めたら止まらんで? 頭に血が上がったらどないにもならん」


「なんやおどりゃビビってんのか?」


「ビビってるわけやない。せやけど眞浦先輩はこないだ出てきたっばあなんやで?」


「あぁせゃったな。せぇがどうした?」


「お…俺は知らんけぇな」


「おう、知らんでええわい。ビビリのツレはいらんけぇのぅ」


 ヤッチンの仲間の一人が自分達の行動の行き過ぎに気が付きその場の沈静化を試みたが、すでにヤッチンのテンションは他人の忠告を受け入れられるようなレベルをとうに越えていた。

 嗜虐心に酔って完全に出来上がっているヤッチンは結束バンドでしのぶの両手の親指を後ろ手にくくり、身をよじらせて抵抗するしのぶの身体を仲間と左右に挟むようにして持ち上げると眞浦の車の後部座席に押し込んだ。


「クソッ…… しのぶ!しのぶを返せ!」


「姉さんを返してほしかったらお前が持っとるちゅう大金のいくらかでもワシらに包んでもってこいや。ほぅしたら帰してやらんこともないで。まあ、全部が全部無事かどうかはわからんがのぅ」


 ヤッチンは車の窓を開けて僕にそう言い、奇声とも笑い声ともつかない大きな声を上げた。勝利の雄叫びだとしたら随分と下卑た雄叫びだ。しかし、勝者が尊敬に値しない事ほど敗者にとっては惨めな事はない。クソのような奴に負けた僕はクソ以下だ―― 敗者にそう思わせ、さらに苛むことを目的とした連中の流儀なのだろうか。


 ヤッチンの奇声を合図に眞浦の車が静かに出発すると、僕をいたぶっていた二人は僕を開放し、バイクに乗って眞浦の車を追いかけていった。


「しのぶ……しのぶ……しのぶ!」


 しのぶがただただ心配だった。この際自分の事は二の次だ。


 一刻も早くしのぶを救出しなくては―― 今からでも何か出来ないか? そうだ、警察! 眞浦の車のナンバーだけでも……


 僕はようやく押し寄せてきた痛みを振り切って立ち上がった。


 眞浦の車とバイクは近くの交差点にさしかかり、右折しようとしている。僕の視界から消えてしまう前にナンバーだけでも見ておかないと!


 僕が一歩を踏み出した、まさにその時だった。


 ドパァン!


 ブシュン パシュン ブシュン


 奇妙な破裂音が立て続けに起こったのだ。 


 次の瞬間、バイク2台は交差点に差し掛かったところでそのまま転倒し、眞浦の車もまた、交差点を曲がれずに雑居ビルの屋外階段に突っ込んで行った。


「きゃあーーーっ」


「危ない!」


 近くを通りかかった人達の上げた悲鳴とタイヤのスキール音が雑居ビル群の狭間にこだまする。


「しのぶ!」


 僕は眞浦の車がバランスを崩して雑居ビルに突っ込んでいく2秒弱の間が永遠に感じるほど、その車の挙動を、そしてかろうじて見えるしのぶの顔を目で追っていた。

 バイクで転倒した連中が赤いボロクズのようになっていたり、連中の手足が割れたざくろのようになっていたりしたがそんなことはどうでも良い。僕はしのぶを助け出すべく車に向けて駆け出した。


 ドンッ! ガシャン! ブワォォォォン!


 眞浦の車はその光景を見た全員が予想した通り、雑居ビルの屋外階段に突っ込んだ。車体は金属製の階段にぶつかって跳ね返り、横転して腹を見せながらも猛烈な勢いでタイヤを空転させている。制御機構をおかしなふうに改造しているのか、事故時でもモーターが停止していない。うかつにタイヤに触れると吹っ飛ばされそうな勢いだ。

 幸いにして液体らしきものが漏れている様子は見当たらない。全固体電池を使っているモデルなのか、火災の心配は無いようだ。それでもあのひっくり返りようだと中の人間はそれなりにダメージを負っているだろうが……。


 ――しのぶは無事か?


 僕の頭は半分がその状況を妙に冷静に分析していたが、もう半分はしのぶの事しかなかった。


「大地!」


「へ?」


 唐突なしのぶの声、そしてその声が聞こえてきた方向に僕は自分の耳を疑いその場に足を止めた。


 スカートを脱がされ、結束バンドで指を縛られて芋虫のようになっているしのぶが僕の後ろに転がっていたのだ。


「な…なんで?」


 僕は完全に混乱していた。


「いいからスカート! あとこれ外して!」


 呆然としていた僕にしのぶは次々注文を入れる。よかった、何がどうなったのか全く理解できないけどとにかくしのぶは無事のようだ。

 僕はしのぶにスカートを履かせ、次に結束バンドを外そうとした。しかし、これが外せそうでなかなか外せない。何度か挑戦したがそのたびにバンドは締まり、しのぶの親指は紫色に変わっていく。


「駄目だ、しのぶ。この結束バンド、きつすぎて取れないよ」


「ああんもう……」


 そうこうしている間にヤッチンが車から這い出し、奇声を上げてこちらに向かって来た。眞浦はヤッチンの仲間と一緒に車をなんとか起こそうとしているのに、ヤッチンはそれを手伝おうともしていない。完全に事故処理そっちのけで僕らを狙っているのだ。

 しのぶを取り戻そうとしているのか、僕を殴ろうとしているのか、それともその両方か。


 僕は焦りに焦っていた。

 一体何だこの状況は? しのぶが足元に転がる前から一瞬たりとも息をつく暇がない。

 僕の混乱は収まるどころか拡大するばかり。この状況で冷静になれという方が無理というものだ。


「あ、やっと見つけた。お二人さん、お困りですかぃ?」


「あ!」


 バンダナキャップ、黒地に赤く屋号がプリントされたTシャツを着た焼き鳥屋のお姉さんが僕のすぐ横に居た。いったいいつの間に? いや、そんなことを考えている暇はない。ヤッチンが来る前にこの結束バンドを外さないと!


「これ! これが!」


 僕はしのぶの親指を締め付ける結束バンドをお姉さんに指差すと、お姉さんは頷いた。

 しのぶはそのお姉さんの顔を見ると目を見開いて驚きの表情を見せたが、すぐに真面目な顔に戻ると縛られた自分の指をお姉さんの方に向けた。


「瞳さん! これ! これ取って!」


「へ?」


「承りました~ん」


 焼き鳥屋のお姉さんはポケットから小型のナイフを取り出し、慣れた手付きで結束バンドを切ってしまった。


「はい終わり!」


「ありがとう!」


 しのぶは拳を握ったり開いたりして自分の腕の無事を確認すると、はあっと大きな深呼吸をした。

 良かった。とりあえず無事なようだ。


 僕はただ呆然として焼き鳥屋のお姉さんの手に握られているナイフを見ていた。


「あーこれ? Tハンドルナイフって言うんですよ。坊っちゃんも一つ持っておくと良いですよ。便利ですから」


「瞳さん、おかしなことを大地に吹き込まないで」


 しのぶが苦笑しながらお姉さんにツッコむと、お姉さんはてへっと言って舌をぺろっと出していた。ネットで見たことがある。確か三十年くらい前に流行った「てへぺろ」というやつだ。


 それは置いておいて……瞳さん? この二十歳はたち行ってるかどうかも怪しいこのお姉さんがうちのナニーだったという瞳さん? そもそも僕に瞳さんの記憶がないんだけどなんで? あと、なんでしのぶここにいるの? 車の中に拉致されてたんじゃじゃないの?


「あ……あの」


「あ、ちょっと待って下さいね」


 僕がお姉さんに質問をしようとしたその時、ヤッチンが襲いかかってきた。見れば足を引きずっている。さっきの事故でどこかしら捻ったのに僕たちを殴るためだけにここまで走ってきたのだとしたら凄まじい執念だ。


「オドリャ何してくれたんじゃぁぁ!」


「はーい。おとなしくしてー」


 どこから出したのか……お姉さんはにこやかな笑顔をキープしたまま焼鳥の串をヤッチンの口の中に突っ込んだ。なんと、ちゃんと肉が刺さっている調理済みの焼き鳥をだ。


「ボク、おとなしくしてくれるかな? してくれるならこのままこの焼鳥をプレゼントするけど、もしおイタをするならこの串そのまま押し込んじゃうよ?」


 圧倒的だ。圧倒的な戦闘力の差。やっちんは口を開けたまま両手の掌を胸の前に掲げて降参した。


「はい、じゃ、ご褒美~。特製比内鶏とやぶしめじの串をプレゼント~」


 そう言ってお姉さんは串の中身をヤッチンの口の中に放り込んで無理やり飲み込ませた。ヤッチンの喉がゴクリと音を立て、比内鶏とやぶしめじが飲み込まれていく。それを確認したお姉さんはうん、と一度頷いてからヤッチンに問いかけた。


「警察はもう呼んでおいたけど、事故で取り調べてもらう? それとも傷害と誘拐、おまけに強制わいせつの現行犯、どっちがいい?」


「じ……事故で」


 まるで捕まえたネズミをいたぶる猫のようだ。震える声で答えるヤッチンの顔からさっきまでの狂気が消え失せていた。人間、死を垣間見るほどの圧倒的な力の前にはここまで抗えなくなるものなのか。


 狂った不良を一瞬で借りてきた猫のようにおとなしくさせてしまう力の持ち主、瞳さん。車から一瞬で僕の背後に移動してきたしのぶ。そして、瞳さんもしのぶも今起こったこの現象について何の疑問も持っていないらしい。僕だけが蚊帳の外だ。



 ヤッチンは足を引きずりながら事故現場へと戻ると、眞浦に派手に殴られていた。車を起こすのを手伝わなかったせいだろうか。パトカーが来ると眞浦もヤッチンを殴るのを止めだが、ヤッチンの様子を見た警察官は眞浦を拘束し、そのままパトカーに乗せて連れて行った。ヤッチン達も同様に別のパトカーで連れて行かれたようだ。


 僕としのぶはその様子を瞳さんと一緒に見ていたが、これがまずかった。

 僕たちが襲われていたのを通行人が警察に言ったらしく、僕達もまた事情聴取を受けるため警察署まで連れて行かれたのだ。こうなると保護者が引き取りに来てくれるまで家にも帰れない。


 その夜、そして次の日も僕は世間体が命の養父母にはかなり絞られたが、それは今の僕にはどうでも良いことだった。

 それよりも、事故車の中に居た筈のしのぶが突然背後に現れたこと、そしてバイクと車をクラッシュさせたアレはなんだったのか、なぜ僕には瞳さんの記憶がないのか、何一つ解らないこの状況をなんとかしなくては。


 困ったぞ。なんだか随分刺激的な高校生活じゃないか。


 僕は目の前で起きた映画のようなバイオレンスへのスリルや恐怖とは別な、なにかワクワクするものを感じていた。


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