#007 話が通じない相手
夏休みが近づく頃になると学校の宝くじブームもかなり落ち着いてきた。当選金目当てのゆすりたかりなどのネガティブ情報が駆け巡ったせいか、それとも皆が現実を認識し始めたからなのか。
諦めずにサマージャンボを狙う連中もいるが、これまでのように教室で声高く宝くじについて語る人の数はもう少ない。
何より期末考査の存在が夢の国を漂っていた皆の意識を現実に強く引き戻したのだろう。
「市川、お前夏休みどうするんだ?」
「予備校の夏期講習やら塾の個別指導やらでなんやかんやで福山通いだよ」
短縮授業でいつもより早い時間に放課後が訪れた教室では夏休みの予定の話題が行き交っている。クラブ活動をやってる連中はともかく、帰宅部生にとって互いの夏休みの予定を把握し、自分という存在をそこにねじ込むのは結構重要だ。夏休みをぼっちで過ごすかどうかがこの1,2週間で決まってしまうのだから。
「そうか……。ヤッチン達と鉢合わせしないといいけどな。気をつけてくれよ」
「まあ、夏休みにあのクソ暑い予備校の周りで僕を待ち伏せするほどの忍耐力はきっとヤッチンにはないと思うよ。てか、そう信じたい」
内海め、嫌な名前を思い出させてくれる。今日もこれから模擬試験の申込みをするために福山駅近くの書店に行くつもりだったのに……。起きないで欲しいと思っていることって結構な確率で起きたりするものなんだぞ。
「岡山で受けりゃいいじゃないか。模試くらい」
「そこはほら、いろいろあるんだよ」
僕が受験しようとしていた模擬試験は大学名を冠した受験生(3年生・浪人生)向けのものだ。岡山で受験して万が一科目別の成績上位者なんかに名前が載ったらカンニングなんかの不名誉な噂が立つかも知れない。それならいっそ、先輩方と一緒に受験したほうがマシなのだ。
「大地ー、いるー?」
その声とともに教室内に嬌声が上がった。しのぶが僕を迎えにやってきたのだ。前にヤッチンの話をしたのだが、それ以来しのぶは「大地が福山駅方面に行く際は必ず自分が同行する」と言い張り続けている。
張れる意地なら張りたかったが、ヤッチンの顔を思い出すだけで少々血の気が引く身としてはしのぶの申し出は有り難かった。
「あー、君が内海くんだね? ラーメンばっかり食べてちゃ駄目よ?」
「はっ……ははははい! 気を付けますっ!」
しのぶが意味ありげな上目遣いをして内海をからかうと、内海は顔を真っ赤にしてしどろもどろになっていた。
誰にでも鼻の下伸ばしやがって。週二で通ってる焼き鳥屋のお姉さんはどうしたんだ?
「それじゃ内海、僕ちょっとこれからしのぶと駅の方まで行ってくるから今日はここでな」
これ以上しのぶと教室にいると、他の連中に取り囲まれてにっちもさっちも行かなくなるだろう。さっさと下校してしまうに限る。
僕としのぶは例によって自動運転バスに乗って福山駅に向かった。短縮授業でいつもの下校時刻じゃないのに自動運転バスに乗れたのはオンデマンドサービスもあるからだ。僕達はちょうど誰かがリクエストを出した便に乗っかれたらしい。
「ところでさ、最近、美人女優の藤城舞香の若い頃にそっくりな子が母さんの病院に来たんだって。患者さんも受付のお姉さんもみんなソワソワしちゃってねぇ……」
「へえ」
さっき教室に入ってきただけで教室中が大騒ぎになっていた自分のことは棚に上げて、いかにも「身近なトピック」みたいに他人の美貌を話題にするなよ、と僕は心の中でツッコミを入れながらしのぶの話を聞いていた。
「最近、昔の芸能人にそっくりって患者さん多いの。みんな記憶が曖昧になって『そっくりさん』のハードルが下がってきてるのかしら?」
◇◇◇◇◇
7月の予備校通りの路地裏はエアコンの室外機ばかりがうるさく、日陰はそこかしこにあるのにただひたすらに蒸し暑い。書店で模擬試験の申込みをした後、僕はそのうだるような蒸し暑さの中でしのぶと歩いていた。
「おおぅ。市川くんじゃにぁあの。しょわしゅうにどこ行くんね?」
聞きたくなかった嗄声。振り返るとそこには小排気量で下品な改造二輪車に乗ったやっちんがいた。仲間と思しき連中も5,6人一緒だ。彼等の乾いた笑顔に張り付いた刺すような目が僕としのぶを凝視していた。獲物が逃げないよう、威嚇する目だ。
「あ……模試や夏期講習の申込みを……」
「ほおぅ模試? 市川クン、おみゃぁ大学行くんか。ええのぅ。へぇで、ワシとの約束はどうなるんじゃ? 」
できるだけヤッチンに絡まれた時間帯は避けていたのに、どうやらそうと悟られたのか、待ち伏せされていたらしい。蛇のようなしつこさだ。
「しょうがない、今日の昼飯はラーメンだな……」
「駄目よ大地。ラーメンだろうがたこ焼きだろうが一度奢ると際限なく付きまとわれるわ。あんたずっとこいつらの財布になっちゃうのよ?」
しのぶが毅然とした態度で既に諦めつつあった僕を諌めた。まあ、しのぶの性格だとそうなるよな。でも相手はこちらの3倍。しのぶの腕っぷしがいくら強くても安心できない。戦いは数だよ姉貴。普通はビビる戦力差だ。
「おどりゃなんじゃ? なんで口出しょうるんな?」
キレ芸芸人のようにヤッチンがしのぶに食って掛かった。なるほど、不良歴はそれほど長くないと内海が言っていたが、それなのにこの集団の中でそれなりの存在感を示しているのはこの狂犬のような危うさをずっと漂わせているからか。しかし、まだちょっとキレ方に演技臭さが見られる。
そのせいか、しのぶには通用していないようだ。
「あ、けぇつ知りよぅで。影山しのぶ言うてここらじゃ有名なやっちゃ。いつじゃったか澤をぶちぃしばきあげよったんじゃ」
「影山言うたらAIだのロボットだので儲けとるてTVで言うとぉ連中じゃにゃぁんか? お前、その影山か?」
「その理屈だと全国の福山さんは福山通運の関係者になるのかしら? それに、影山物産はただの投資会社よ。AIだのロボットだのを直接作ってるわけじゃないわ」
「なんじゃあおどりゃ、外人みたいな見た目のクセに日本の会社の身内みたいな言い方しょうるんか。ワシャAIだのロボットだのは許せんのじゃ。あんなもんは敵じゃ。あれで金儲けしょる奴等も全部シゴウせんといけんのじゃ」
「あなたのことは大地から聞いてるわ。ねえ、ヤッチンさん、あなたはあそこの鉄鋼会社を恨むべきでしょ? AIやロボットを恨んで、それを作ってる会社を恨んで、挙げ句にその会社と同じ名前の人間相手に絡むなんて、そんなに暇なの? 馬鹿なの? 死ぬの?」
「こいたしぃんじゃボケ。シゴウせにゃあ。やったれ!」
ヤッチンの合図で仲間達が動く。彼等は戦闘力が高いと評判のしのぶを避けて、まず僕を羽交い締めにして捕まえた。しのぶの注意をうまく誘導し、隙をついて僕を捕まえるその連携は阿吽の呼吸を思わせる。連中、こんなことをやり慣れているんじゃないか……?
「そっちの市川クンからじゃ。姉弟じゃ言うてから、けぇつも影山の一族なんじゃろぅ。ただで帰すわけにゃあいかんな。おい!」
「ぐぅ……」
鈍い衝撃が身体を走り、僕は熱いアスファルトに膝をついた。腹に何発かキツいのをくらったのだ。
東京ならこんな時、きっとガードがやってきてどうにかしてくれただろう。だがここは福山だ。ガードは来ない。
「しのぶは……大丈夫なのか?」
しのぶはヤッチンと3人の仲間に取り囲まれて、僕を助けようにも身動きが取れないようだ。
「おう、わかっとんの。顔はやめときゃあ。大事になったりゃぁけんけえな」
「わぁっとるわぃ」
ヤッチンの仲間達は楽しむように僕をいたぶり続けた。髪の毛をひっつかみ「止めてほしいか?」と聞いて僕がうなずいた瞬間「残念~!」と言って笑って腹を殴る。ワンパターンだがこれを繰り返されると精神的にも結構辛い。
「さて、次はおんどれじゃ。綺麗な顔しょうるのぅ。あっちのボンボンを返してほしかったらお姉ちゃん、あんたにゃあとことん付き合うてもらわにゃぁ。今晩は帰れんかも知れんで覚悟しにゃぁ」
「ゲスが……ニャーニャー言ってんじゃないわよ」
しのぶは嫌悪感を隠そうともしない。そしてヤッチンもまた、嗜虐心を隠そうとはしていなかった。
しのぶの退路を断つ囲みは徐々に小さくなっていく。囲んだ連中はしのぶの頭や肩を小突く程度に留まっているものの、囲まれたしのぶのフラストレーションは大きく溜まっていそうだ。
そしてヤッチンのいやらしい不敵な笑顔がしのぶのフラストレーションを増大させるのに一役も二役も買っている。
こんな状況ではしのぶがいくら強くてもまともな判断力は維持できないだろう。
「何ゅう勘違いしょうるんだ。わしらあんたを楽しいパーティにお誘いしょうるだけじゃないか」
「やっちん、眞浦先輩がそのパーティに来たい言うとるぞ」
さっきから携帯デバイスばかり弄っていたヤッチンの仲間の一人がこのリンチのさらなる参加者の到来を告げた。口ぶりからするとこの辺りでは有名なワルっぽい。
「ちょうどええがな。車で来てもらにゃあ」
「高うつくで?」
「金づるならそけえいるじゃろうが。それぇお楽しみもあるしな」
「眞浦先輩がおったらわしらにそのお楽しみが回って来んじゃろうが」
「車がないと、ここではおっぱじめられんじゃろうが!」
ヤッチンはブチ切れているようでどこか冷静だ。話の余地が全く無いほどの攻撃性に満ちているのに、どこか計画的なのだ。
「せ、せゃったな」
僕を押さえつけてる連中を含め、不良仲間どももヤッチンのブチ切れ様に多少困惑しているように見えるが、だからといって彼等が僕をいたぶるのを止めるかというとそうでもない。
ああもう、口の中で血の味がする。顔は避けるんじゃなかったのか。さっきから拳や肘がたびたび僕の顔にめり込んでるんだけど……。
「しのぶ! 僕はいいから逃げてくれ!」
「馬鹿言ってるんじゃないわよ大地! 逃げて帰るんなら最初からついて来たりしないわ!」
「ふん、威勢のええコッチャの。ええもん食うとるだけあってしぶといわ」
僕が何か言うと同じ数だけ腹にケリが入れられた。痛くはない、というか、興奮で痛みを感じていないのだろう。
数分もすると状況はさらに悪化した。下品な塗装と改造を施された電気自動車に乗って眞浦という男がやってきたのだ。
190センチ以上ある巨漢、そしてTシャツから覗く派手なタトゥーや意味不明な場所についているピアスが住む世界の違いを感じさせる。
「パーティのご馳走はそいつか。ぶち別嬪じゃにゃあか」
眞浦はニヤついた顔で首と指の関節をコキコキ鳴らしていた。暴力をふるう喜び、そんなものを感じているのかも知れない。
しのぶはそんな暴力の申し子のような男を見ても一歩も引かず、自分を囲む男達の顔を睨みつけていた。
今回は備後弁に苦労して、通常の5倍位の時間がかかりました。
それでも、本来の備後弁からは遠いと思います。
何卒ご容赦下さいますようお願い申し上げます。