#004 それぞれの視点
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「さて、ここに来たからにはもう引き返せないわよ? 空間情報エディタの使い方、きっちりマスターして帰ってもらいますからね!」
志摩の壬生家別邸、その前に広がる砂浜で市川亜希はしのぶと対峙していた。亜希の顔にはこれからの艱難辛苦を予感させる厳しい表情が浮かんでいる。しのぶはこれまで、こんな鬼気迫る亜希の表情は見たことが無い。
「少し……早まっちゃったかな?」
波打ち際に置いた足の指の間に冷たい砂が出入りするのを感じながら、しのぶは思い出していた。普通の人生を捨てる決意をした時のことを――。
母・シャーロットを含めた年を取らない人達―― その特異性、さらに父・影山が進めている様々なプロジェクトの概要を知る中で気づいてしまったいくつかのこと。そして母達が自分に隠しているであろう秘密。
しのぶの、それらに関しての観察と思考は月日を追うごとに緻密になり、ついには彼女の中ではっきりとした輪郭を持つに至った。
しのぶはその常識はずれの思考の前に自分の正気を疑ったが、他に辻褄の合う仮説は出てこない。であれば後は答え合わせをするだけだ。
3月の終わり、しのぶが綺麗にまとめた自らの仮説を思い切って影山に伝えると彼は驚き、苦笑いを見せた。
「やれやれ、一体誰に似たんだか……俺の周りの女性は娘に至るまで鋭い人間ばかりだな。男の方はそうでもなさそうだが。で、しのぶ。お前はどうしたいんだ?」
「私も仲間に入れてほしい。このままこの件に関わらないで生きていって母さんより早く死ぬのは嫌だし、何より面白くないんだもの」
「しかしな……俺達と一緒に行動するというのはお前が思っているよりずっと不便なことになるかもしれんぞ? それに、秘密を守るため、身を守るためには汚いこともしなくちゃいかんこともある。命を狙われることだってあるかもしれない」
「それは……おいおい頑張るわ。母さんにやれたんなら、娘の私に出来ない筈ないもの」
「わかった。後はシャーロットと相談して決める」
影山の手によるテレポートで初めて自分の家の立入禁止部屋に送られた時のことをしのぶは昨日のことのように鮮明に思い出すことが出来た。あの驚き、そして万能感。あの力の一端にでも触れることが出来た人間が、それを自分の手にもと願わないことはまずないだろう。
幸い、母は意外にあっさりOKを出したらしい。なんでもこの道はリタイアしようと思えばそんなに難しくもないそうだ。だから飽きるまでは自分のやりたいようにやって良いとのことだった。
「ま、一つ不安があるとすれば動機かな。あんたはまだ人生経験が足りてないからねえ……」
母の言葉が脳裏をよぎる。どうも母達にはその覚悟を決めるための強烈な因縁があったようだ。それに比べて自分の覚悟はというと、自らの興味と好奇心の上にしか無いのではないか――。
この一点において、しのぶは自分の判断の正しかったのかどうかを何度も考え込むようになった。
「どこ見てるのよ。アホ面を続ける気なら目玉をえぐって頭蓋骨でマヨネーズ作ってあげるわよ?」
「アイアイ!マム!」
やれやれ、思い出にひたる暇はないらしい。少し気を抜くと亜希の怒号が飛んでくる。これがあと何日か続くのかと思うと、何か心の支えが欲しいしのぶであった。
◇◇◇◇◇
ゴールデンウィークは僕にとって憂鬱な季節の一つだ。
別に季節柄、自律神経がどうこうなっているってわけじゃない。理由は他にある。
毎年、この時期になると公共放送は「シンギュラリティはすぐそこまで来ている。その日、あなたの仕事は無くなる」という趣旨の番組をいくつも、しかも執拗に流すのだ。終戦の日前後になると朝の連ドラから夜の特番まで全部が反戦一色になるあのノリで。
その中でも看板と言われたスペシャル番組は高校生の僕が見ても内容の醜悪さが目立つ。人工知能と人類の未来についての明るい展望を当代一の天才棋士が語るはずだったシリーズ番組の当初の趣旨は失われ、ここ数年の内容は視聴者の絶望と不安を煽りたいだけ煽る胸糞の悪いだけのものになっているのだ。
それでもこれらの番組は、人工知能の最前線を把握できるという点ではなかなか良くまとまっていたので科学ファンを始めとしてそれなりの数の視聴者はいるらしい。
だが、情報の取捨選択ができる視聴者ばかりではないのもまた現実。番組に煽られたメディアリテラシの低い人々が人工知能開発を手掛けている会社に向けてデモ行進を行うのがここ数年のゴールデンウィーク前後の風物詩になっていたりする。
今や人工知能とロボットの台頭による単純労働者の労働市場からの排斥はメーデーの集会における大きな議題の一つにまでなっているのだ。
番組の非難の矛先の多くは海外の先進IT企業だったが、視聴者がそこまでデモに赴く筈もない。当然、デモ参加者本人達の思い込みと、それをうまく操る背後団体の都合だけでデモのターゲットは決められていた。
影山物産はここ数年、その槍玉に挙がっている会社の一つだ。海外の非深層学習系人工知能開発企業への投資や次々世代高速演算器等の技術開発などを手掛けていて「何をやっているのか難しすぎて実際のところ良くわからない」ことが槍玉に挙がっていた理由らしい。
「わけがわからない」ということは時に「何をやっていてもおかしくない」にすり替わる。そしてそれは民衆の畏怖の対象になる。デモ隊は毎年この時期になると自分達が作り上げた恐怖のレッテルを影山物産に貼り付けてヒステリックな声をキンキンと上げ続けていたのだ。
一応僕も影山の一族だ。それが愉快なはずがない。
だが実際、父がやっていることは一般の人からは理解されにくい。影山物産グループやその投資対象企業がおすそ分けするかのように市場にそっと投入する商品は、原理からして難解なものが多過ぎるのだ。使えば生活が一変するほど便利なのだが、どうしてそんなものを開発しようとしたのか、動機すら理解できないものがいくつもある。
このため、今や影山物産は20世紀後半のSF映画に出てくる米軍のように「何をやっているか解らないが、どうせろくでもないことをやっているに違いない」企業体だと世間では考えられているらしい。
そんなわけで、今年の5月も僕はテレビのニュース番組で父の会社のビルをデモ隊がぐるりと取り囲んでいる映像を見る羽目になっているのだ。
養父母もこれには閉口していた。僕が影山物産の社長の実子であることは周囲の人々に一応隠してはいたものの、支持者達には当たり前のように知られていたからだ。「次の選挙のためにもあんな養子縁組は解消しろ」なんて言って養父母に詰め寄ってくれるありがたい支持者もいるらしい。
結局ゴールデンウィークの間、僕は養父母の家の居心地の悪さに耐えられず、宿題を抱えて学校の図書室や教室、市立図書館を彷徨う羽目になっていた。
「どうした? えらく不機嫌じゃないか」
内海だ。なぜ学校にいるのかは敢えて問うまい。普通に話ができる相手がいることが今の僕には正直ありがたいのだ。
「家にいると気が滅入るんだ。かといってこちらにはまだ呼び出して気晴らしに遊びに行けるような気心の知れた友達も居ないしな」
「寂しいことを言うやつだな。俺ならいつでも呼び出してくれて良いんだぞ? でもお前、あんな美人の姉さんと過ごす楽しいゴールデンウィークに何の不満があるんだ?」
「美人の姉は合宿とかでどっか行っちまったよ。家にいてもつまんないしさあ……」
「そっか。部活でもやってりゃあ良かったのにな。俺なんか部活と体育祭の準備やら何やらで結局ほとんど休みなしだ。でも、アレだな。ここんところ、お前に限らず暗い顔をしている人を良く見かけるな」
「ああ……」
なんでも、港湾部に巨大な工場を持つ鉄鋼会社が大幅な人員削減に踏み切ったらしい。福山の巨大な雇用が失われたと地元ではかなり大きなニュースになっていた。
この学校にもその会社の社員の子弟が通っているだろうとの配慮から教室では誰もこのニュースについて話さなかったが、どうやらその配慮は的を射ていたようだ。なにせ教室の中だけでも急に暗い顔をしだしたクラスメイトが何人もいたのだから。
僕と内海は廊下に出て、周囲に誰も居ないことを確認しつつ小さな声で話を続けた。
「ここんところまたテレビでぎゃあぎゃあ言ってるが、AIが仕事を奪うってのは本当なんだな。身近にこんなことがあると実感せざるを得ないよ」
「それは違うぞ内海。仕事を奪うのはAIじゃない。AIやロボットを使って経費を浮かせようとする会社の経営者達だ」
「そりゃまあそうなのかもしれんけど……そんな正論を話したところで勤め先が無くなった人達には解ってもらえないだろうな」
「……そうだな」
「お前の姉さん、しのぶさんだっけ。苗字が影山だったよな……まさかとは思うけど、あの槍玉に挙がってる影山物産と何か関係あるのか?」
「冗談はよせ。しのぶの母親が帰化した時に世話になった人の苗字をいただいたってだけだ。憶測で変なことを言うもんじゃないぞ」
無関係、というわけでもないが今の時期にしのぶが影山物産と何かしらの繋がりがあることを僕の口から言うわけにはいかない。内海も自分の軽口がどれだけ危険なことだったのかを少し理解したようで、しのぶの苗字についての話はそこで打ち切りになった。
「ああ、なんかパーッと面白いことないかな。と言っても俺たちはしがない高校生。金はないし暇もない。あるのは宿題ばかりなり、だ。いいのかね、こんなんで」
確かに、この暗い雰囲気や寂れた繁華街を日常的に目にしていると結構な閉塞感に囚われてしまっても無理はない。連休中に気晴らしに行ってみたゲームセンターも、置いてあるゲームはそこそこ楽しいが、そこに長く居てもあまり充実した時間を過ごせたという感じはしなかった。
なんとなくどんよりしたものが立ち込めている。それは帰宅部の人間だけが感じる閉塞感だと思っていたけど、そうでもないようだ。
「面白いことはないものか、ってのには僕も賛成したい」
「面白いことなあ……」
「勉強と暇つぶしの毎日じゃなあ……」
「そういやあ、最近変な噂を聞いたぞ。おかしな巡回医療車が走り回ってるって話、聞いたことないか?」
「おかしな?」
「ああ、福山じゃ巡回医療車なんて珍しくもないが、どうもおかしいのが居るらしい。どこの病院や企業が運営しているのかがはっきりしない車が無料で健康診断して回ってるんだそうだ。この間、北高の近くに来てたそうだが……」
「無料なら結構なことじゃないか」
「そうは言うが、医療情報なんて個人情報の塊だぞ? 悪用されたらたまったもんじゃないだろう?」
内海はコンピュータを日頃扱っているだけに、情報の取り扱いについてはそのへんの高校生とは意識が違うようだ。どう違うかはよく分からないけど。
「それって健康保険証のコピーを勝手に取られてどこかで勝手に借金されてるとかそういうやつか?」
「いや、その巡回車は健康保険証すら見せなくても良いらしい。ぱっと1~2分でCTを撮られて、それをAIで画像診断した所見がプリントアウトされて来るんだそうだ。あとは『これを持って主治医さんに診てもらって下さい』で終わり。変じゃないか? 」
「なんだそりゃ? いくら実証実験車だとしてもおかしいよな。だけどそれならお前の言う個人情報云々のリスクはなさそうだぞ。名前すら分からない人のCT画像を持っていても悪用しようがないだろ?」
「そういえばそうか……だったらより分からなくなるよ。一体その巡回車は何が目当てで無料の健康診断をやってるんだろうな」
前言撤回。内海のセキュリティ意識も僕とそんなには変わらないらしい。
「うーん……初期症状のある患者を相手にしている病院が憎くて仕事を奪おうとしているとか? それともCT画像の収集マニア……?」
「それだけのために車に乗っかるようなコンパクトで高性能なCTを買うかなあ?…… ってなわけで、実験都市を走る謎の巡回医療車。面白いだろ?」
「うん。面白い。少なくとも多少の気晴らしにはなった。ありがとう」
「感謝は形にしなくっちゃな、大地。今度何かおごれよ」
「ああ、ゴールデンウィーク前に買ったドリームジャンボが当たったらラーメンいくらでも奢ってやるよ」
そう言って僕は制服のポケットでしわくちゃになった宝くじの券を取り出し、ひらひらと内海の目の前で揺らしてみせた。この間しのぶの家に行った時に宝くじの話を聞いたので、僕もちょっと手を出してみたのだ。
「マジか! 約束だぞ?」
「ああ、当たったらな」
僕も内海もこの宝くじが当選するなんてこれっぽっちも考えていなかったのだが、こんな馬鹿話が妙に心地良いのもまた事実だった。それほど、僕たちには明るい話題が不足していたんだろう。
それからも内海は僕と顔を合わせるたびに僕が買った宝くじについての話をしては笑っていた。
――10日後、その宝くじの当選番号の発表を見るまでは。