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#036 害毒の渦(前編)

★★★★★


「ちょっとディーデリヒ、聞いてた話と随分違うじゃない! 財布も荷物も取られたとか言ってたの、アレ全部ウソだったの?」


「おい瞳、一緒に話を聞いていたんだ。嘘かどうかはもう分かるだろう」


「だって影山さん! こいつ、お金も行き場所も無いからって衣食住から暇つぶしの娯楽まで全部私持ちで何週間もぐうたらしてたんですよ? それが今になって嘘でした? はあぁ?」


 腕を組み、脚を踏ん張るようにして立つ瞳の目には怒りが籠もっていた。それも当然。能力者かもしれないディーデリヒを家にかくまい、その行動を注視しつつ生活の面倒を見るのに費やした努力と費用、そしてストレスを丸かぶりした人間にとって、先程のディーデリヒの言葉は軽く聞き流せるものではなかったのだ。


「瞳、黙っていて申し訳なかった。私は自分の動きを出来るだけ誰にも悟られないようにしなければならなかったんだ」


「ということは、お前さんの研究所には制御不能アンコントローラブルなユニットがいて、そいつらはお前さんと敵対関係にある、ということか?」


「影山さん、今、私が怒ってんです! 勝手に話を進めないで下さい!」


「いや瞳、結構大事な話だぞこれ」


「私の話は大事じゃないって言うんですか?」


 瞳がこれほどゴネるのは珍しい。影山は貴子の方をちらりと見たが貴子は貴子でうつむいて何か考え事をしている。援軍は期待できそうになかった。

 瞳の右手中指が太腿をカリカリ掻いている。そこは普段串を入れたホルスターがある場所だ。

 瞳の苛立ちが相当なものだと理解した影山は眉をハの字に下げて小さくバンザイをして見せた。


「分かった。分かったよ。休暇とボーナスを出すからすまんが今はそれで手を打ってくれ。あと、これまでにかかった費用は会社に請求しても構わん。予算番号は後でメールしておく」


「……そこまでおっしゃるのなら」


 目を閉じながら鼻息を荒く吐き、大きく肩を落とすジェスチャーを取った後、瞳は掌を上に向けてディーデリヒを指した。


「さて瞳の許可も出た。ディーデリヒ、さっきの話の続きをしよう。お前さんは自らが治める組織の内部に敵を抱えていると考えていいのかな?」


「厳密には違う」


「と言うと?」


「向こうは私を敵だと思っていない。いつでも殺せる虫みたいなものだと思っているだろう。私が向こうを一方的に敵だと思っているということさ」


「だったら、どうして誰にも悟られないように行動する必要があるんだ?」


「私はこれから、連中がやろうとしていることを妨害するつもりだからだよ。その後私は連中に向けて明確に敵意を示し、喧嘩を売るのさ。それを準備の段階で勘付かれてしまったらつまらないじゃないか」


 一瞬だけディーデリヒが顔に浮かべた薄笑いを影山は見逃さなかった。自分の企みが成功し、相手が狼狽する姿でも思い浮かべているのか、それとも――


「喧嘩とは穏やかじゃないな。いったい『連中』とやらは何をしようとしているんだ?」


「ヘル影山、貴方は随分と気楽に踏み込んでくるが、これは聞くと後戻りできなくなる類の話だ。いいのか?」


 ディーデリヒの一段低い声。その真剣な目は、これが好奇心で踏み込むには重すぎる事案であることを物語っている。


 影山はごくりと喉を鳴らした。


こいつに出した有給休暇とボーナス分は取り戻したいところなんだが……聞くと後悔する話かな?」


「おそらくは」


 ディーデリヒが貴子をちらりと見ると、彼女もまたディーデリヒに視線を返した。その眼には悲哀と憐憫が合わさったような、なんとも言えない感情が籠もっているように見える。


「胸糞が悪くなるような話だ。それに、そこのご婦人をまた怒らせることになるかもしれない。それでもいいのか?」


 貴子を指し示すディーデリヒ。聞いて貴子が怒る話なら、聞かなければ後で気になって堪らなくなる話ということで間違いない。


「いいかな、貴子さん?」


「しょうがないんじゃありません? うまく片足を突っ込まされた感じはありますけど」


「く……しょうがないか。ディーデリヒ、話してくれ」


「焦って話を進めようとするから足元をすくわれるんですよ」


 瞳がポツリと呟いたのが聞こえたのか、影山は苦虫を噛み潰したような表情で瞳を睨み返す。ディーデリヒはそのやりとりが終わるのを待たず、コホンと咳払いをして話し始めた。


「ではまず、いくつか前提となる話を一つ二つ聞いて欲しい。まず一つ目。うちの研究所は壬生由武氏の体細胞を元にクローン体をいくつも作ったが、私以外の実験体は小脳に例の異常突起を発生させることが無かったんだ」


「ほう」


「この異常突起部が何を意味しているのか、ここでそれを説明する必要は無いね? 」


「ああ」


「当時の実験担当者は困っただろうね。同じDNAから違う形質を持つ生物が生まれたんだから。で、うちの親と先輩方は失敗を重ね、ついには私という成功例に辿り着いたわけだ」


 ニヒルに笑いながら話すディーデリヒの顔を、貴子は悲しい目で見ていた。まるでどこかの実験動物の話をするように自分の話をするこの男に同情をしているのだろうか。


「つまり今、お前さんの研究所には壬生爺みぶじいと同様の、小脳に突起のある人間を量産できる知見が整っているということか」


 影山は「能力者を量産できるのか」とは言わなかった。小脳に突起があるからといって即、能力が発現するわけではないからだ。貴子のような天然能力者になるには膨大な数の試行錯誤に裏打ちされた奇跡のような偶然を幾つも経なくてはならない。(注1)

 だがディーデリヒの製作者達は、小脳に突起が出来たディーデリヒが能力を発現したことで、小脳の突起と能力の発現はイコールだと勘違いしているフシがある。


 それを親切に正してやるほど影山は甘くない。


「そこで二つ目の話になる。連中は小脳の異常突起の発生には成長過程で特定の物質が必要になることを発見したんだ。私は母胎で成長したため、母体からその物質がうまい具合に出ていたらしいが、高速促成槽を使う最近のやり方だとそこが分からず随分時間がかかったらしい」


「なるほど」


 影山の頭は珍しく生化学方面の思考でフル回転し一つの仮説を構築した。もともと壬生由武の遺伝子は異常を起こしやすいのではないかと言うことだ。

 彼が患ったという脳腫瘍、そして死因となった晩年の多発性腫瘍もこの仮説を後押ししていた。


 能力の起点となる小脳の特殊な形質の発生は劣性遺伝になるようコーディングされている。なのに貴子にその形質が遺伝されているということは、壬生由武の遺伝子に何らかの異常が起こったに違いない。

 今回はその物質とやらが起こした異常により、この能力をコーディングした連中が施した形質の発生に関する何らかのプロテクトを外してしまったのだろう。



「特定の遺伝子を不安定にさせるとか、ゲノムを不安定にする遺伝子を賦活させるとか、そんなとこか……」(注2)


「ありえなくはないですわね。お父様が軽い遺伝子疾患だったとか、そういうお話は主治医の先生から聞いたことがあります」


「だが、言うほど胸糞が悪くはなくて助かったな。確かに、壬生爺のクローンが大量に作られては廃棄されてたって絵面は想像すると吐き気がしそうだが」


「ええ……」


「胸糞が悪くなるのはここからだよ、ヘル影山。その物質というのは人為的に合成できないものでね。特定の遺伝子疾患を有する人間のグリオーマ(注3)からしか採れない物質なんだそうだ。連中はその物質を大量に確保するために、西日本に拠点プラントを作ろうとしているらしい」


「随分と特殊な条件が重なった細胞由来物質だな。それに、どうしてまた西日本なんだ?」


(後編に続く)


(注1) PCにグラフィックボードを買ってきて挿したとして、デバイスドライバなしにそのボードの能力を使えるようになるくらいの偶然です。試行錯誤するのはこの場合、知能のある何かです。

(注2) 実際にゲノム分解を促進し、ゲノムを不安定化させる遺伝子はヒトDNAにもあります。

(注3) 神経膠腫。いわゆる脳腫瘍。

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