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#033 見知らぬ知人

★★★★★


「そんな、なんだって所長がそんなことを。こっちにだって都合があるのに」


 エト・ディシットの研究企画マネージャ、アレッシオは自分がプルヴィーラに出した追加オーダーをディーデリヒが勝手にキャンセルしたと聞いて愕然としていた。


「マクシミリアンさん、あんたもあんただ。うちの所長がキャンセルだって言い出したんなら、その時点で俺に一言あっても良かったんじゃないのか?」


「アレッシオさん、ディーデリヒ所長は貴方の上司ですよね? その上司がキャンセルすると仰ったんです。貴方にもちゃんと説明すると言ってね。だったら私がそこで粘ってもしょうがない。業務範囲外ってヤツですよ」


 マクシミリアンは憮然とした表情を見せた。外販部長のオーラに言われて仕方なくアレッシオのオフィスまで事の経緯を説明しに出向いたのに、まるで自分の判断が悪かったかのように言われては気分も悪くなろうというものだ。


「確認はちゃんと取りました。本人からむしり取ったサンプルもほらこの通り。そちらの所長のお墨付きです」


 実を言うと本人のではなく双子の兄だか弟だかのモノなんだが、と言いかけてマクシミリアンはやめた。ここでアレッシオに正確な情報を渡したところで自分が得るものは何もない。むしろ、生身の人間を拐って来いなどという面倒な注文を出すような非常識な顧客(アレッシオ)が自分に懐くのはマイナスだ。


「そうか。確認が取れたんならいいが……」


「では、私はこれで」


 マクシミリアンは取り出した真空パックをアレッシオの目の前に置いて立ち上がった。もうここには用はないと言わんばかりだ。


「なあ、 前回納品された、あれは本当に本物だったんだろうか?」


「あのサンプルを採取してきた人達は嘘をつくような人達には見えませんでしたが、何か問題でも?」


 アレッシオの顔色が冴えない。


「いや、ちょっと……問題というか、少し予想と違う結果が出ているのが気になってね」


 彼の余裕のなさは所長による勝手なキャンセルに起因するものではなく、彼の配下による研究がうまくいってないせいか―― マクシミリアンはそう自分の中で結論づけた。


「そうですか。また他にも例の条件に該当するサンプルが手に入ったらご連絡しますよ。最初のサンプルの培養がうまくいってないんだったら、もう一つ二つサンプルご入用ですよね?」


「そうだな……よろしく頼む」


「今度はキャンセルはなしでお願いしますよ」


 形ばかりの握手を交わしてマクシミリアンを見送ったアレッシオのところに、所長秘書のパウリーネが入れ替わりでやって来た。


「アレッシオさん、お客さんもう帰られました?」


「ああ、つい今しがた逃げるように帰って行ったよ」


「逃げるように? どうしてまた?」


「案外、俺の運の悪さを伝染うつされるのはゴメンだとか、そんな理由じゃないかな? ハハハ」


「……なるほど」


「いやそこは否定してよ」


「残念ですが、否定できない理由があるんですよ。ほらこれ、アレッシオさんへのメッセージをお預かりして来ました」


 パウリーネはそう言うと、持っていたバインダーの中からピンク色のメモ用紙を取り出して見せた。何やら短い文が何行か走り書きされている。


「誰からだ? 今時、言伝ことづてなんて。連絡ならメールで事足りるだろうに」


「三研のナトルプ部長からですよ。メールじゃなくて本人に直接言ってくれって言われまして」


「三研? ここには第二研究部までしか無かった筈だが……」


「最近こちらに職を得たばかりのアレッシオさんがご存じないのも無理もありません。三研はバーゼル(ここ)ではなく、ドーバーの向こうにあるんですよ」


「まあ、資金が潤沢にある学術団体が研究内容に合わせて各地に拠点を持つのは珍しいことじゃない。……っと、もしかしたら四研、五研もあるのかい?」


「んーふふ。それは秘密です」


「あるのかよ!……って、それはいいとして、その三研の部長が何だって?」


「読みますよ。『今やってる細胞の培養、そのまま続けても無駄』『理由を知りたければ聞きに来い』『バーカバーカ』以上です」


「随分な言われようだな」


「言われてますね。向こうへ乗り込んでいって反撃します?」


「いや、バカ云々は置いておいて、最初の『そのまま続けても無駄』の下りは気になるな。こちらの研究内容をどうやって知ったのかも気になるが、どうして行き詰まっているのかまで知っているとなると放ってもおけん」


「じゃ、面会のアポとって、ホテルと航空券も予約しておきますね。出発は明後日でいいですか?」


「任せるよ。ところでその三研とやらはどこにあるんだ?」


「ケンブリッジですよ」


「秘密研究所にしては随分メジャーなところにあるもんだな」


 ケンブリッジといえばここ数年、大学生相手に世界各国のB級グルメがしのぎを削っている街だ。それ目当てというわけでもないだろうが、英国内や近隣国の国際学会はやたらケンブリッジで開かれているらしい。

 アレッシオが知っているケンブリッジといえば、あの壮麗荘厳な大学を除けばこんなことくらいだ。


「お土産はイマガワヤキでお願いしますね。こしあんの」


「覚えていたら買ってこよう。それより、このことはディーデリヒ所長に伝えるべきだろうか?」


「伝えて良いことなら、わざわざ言伝にはしないでしょうね」


「だろうな……ああもう、面倒くせえなあ」


 アレッシオは頭を抱えた。昨今の自分のヒキの悪さを考えるに、絶対面倒な事情ってやつが待っているに決まっているのだ。

 パウリーネはそんなアレッシオに同情しているのかしていないのか、一人苦悶しているアレッシオの顔を面白そうに眺めていた。


◇◇◇◇◇


 中間考査がようやく終わり日常と言える学校生活が戻ってきた。情報オリンピックの一次予選の過去問に頭を捻る内海達を遠目でそっと応援しつつ、僕がやることは唯一つ。真由美さんの移動検診車を探して会いに行くことだけだ。


 幸いなことに地域の学生向けSNSのトピックをいくつか巡るだけで検診車の場所の特定はできる。情報提供者の皆さんには感謝しかない。


 真由美さんは連絡用のデバイスは持っているけど、そこに連絡するための手段を何一つ教えてもらっていないのはなんとももどかしい限りだ。

 突然チェックされた時のリスクが大きすぎるから、と真由美さんは言っていたが確かにその通り。僕がやっていることは人妻への横恋慕でありちょっかいに他ならない。


「解っちゃいるけどめられない、ってやつだな」


 いつか真由美さんの旦那が血相変えて僕を問い詰めに来たらどうしよう、なんて考えたこともあったけど、よくよく考えてみたら今のところ僕は真由美さんにただ付き纏っているだけ。手さえ握ったことがない。旦那にしてみたら嫁に付き纏っている男がいるってだけで相当に噴飯ものだとは思うけど、誓って咎められるようなことはしていないわけで……


 そんな妄想とも言い訳シミュレーションともつかない何かを頭の中でぐるぐる回しているうちに、おなじみの移動検診車が見えてきた。

 今日も今日とて欠食児童達が空腹を抱えて列をなしている。不憫よのう……。


「あれ?」


 変だ。車も、受付のマーガレットIIもいつもと同じ。だけど、列をさばきながら車の中に学生を誘導しているのは知らない女性だ。目つきの悪い男がその女性にあれこれ指示を出している。


 真由美さんがいない! 彼女に一体何があった?


 バクバクとビートを早める心臓を持て余しつつ、僕は考えた。こんな時こそ、直情的になってはならない。しのぶから教わった「何故だろう?」と「そんなことをしたらどうなるか」をちゃんと考えるべきなのだ。


 ええとまず、あの移動検診車が一台きりではなく何台かある可能性。真由美さんは実はあの車の中でオペレーション専任になっている可能性もあるぞ。他に、真由美さんの体調が悪くなって出勤日数を減らした可能性があるよな。

 あとは……真由美さんが家庭の事情であの仕事を辞めたとか、他の地域に配属になったとか、クビになったとか。


 駄目だ、選択肢が多すぎる。それに、働いたことがないから具体的な想像にも限界がある。

 そもそも、どんなケースを想定したとしてもそれを確認する手段があまりに乏しい。ヘラヘラ笑ってあそこの男に聞くしかないのか……?


 あまりの無力感に僕はその場から動くことも出来なくなっていた。


「ああ、自分、もしかして市川大地くんやろ?」


「あ、はい……あの……?」


 さっきまで移動検診車で女性を指導していた目つきの悪い男だ。気がつけばあれだけいた欠食児童達の姿は消え、夕焼けで赤かった空が群青色に変わっている。

 なんてことだ、日が暮れるまで立ち尽くしていたのか僕は。



「ああごめんごめん。俺が一方的に自分キミのこと知ってるだけやったな。俺は早川っちゅうねん」(注)


 この人、強面こわもてだけどヤッチンなんかと違ってちゃんと話が通じそうだ。だけど、知らない人が自分のこと割と知ってそうってのもあまり気持ちのいいもんじゃないな。


「この前はごめんな。ゴツいオッサンにいきなり話しかけられたらびっくりするやんなあ?」


 ゴツいオッサン? 一体何のことだ?


 僕はとりあえず、この早川って男の話を聞いてみることにした。


(注)大阪を中心とした一部の地域では「自分」を二人称あなたの意味で使います。

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