#030 交叉交錯
"Well, are you speakin' to me? (ええと、僕に話しかけてるんですか?)"
謎の大男が英語を話すのなら、と大河は毅然と英語で返した。
大河もこれで東京に帰れば国立大学の附属高校に通う偏差値エリートだ。中3で既に英検準一級をパスしている彼にとってこの程度の英会話は何でもない。
"Sure, this is you, right? (そうだ。これは君だよな?)"
マクシミリアンが見せた写真には大地が写っていた。CTの撮影台に乗せられて不安そうにしている顔だ。
"wow, I don't think that is me, though (えーと、違うと思うんですけど)"
"Oh, men, no kidding please (おいおい、大人をからかうもんじゃないぞ)"
確かにこの状況で違うと言ったところで信じてはもらえないかもしれない。学校をサボっているところを見つかった高校生が下手な嘘をついていると言われればそれまでだ。加えて、今日の大河は学生証を持ってきていない。
それに、190cmを超える大男の威圧感というのは普通の高校生にとっておよそ抗うことができない巨大な壁だ。気の良さそうな人なら話せば解ってくれるかと期待も出来るだろうが、マクシミリアンのビジュアルはそんな印象からは程遠い。
"I'm Maximilian, and I came from Sweden to see you. Why don't we have a talk somewhere else? (俺はマクシミリアンという。スウェーデンから君に会いにやって来た。どこかでゆっくり話をしたいんだが)"
"Whaaaat? (はあ?)"
ナニイッテンダコノオッサン……?
一瞬混乱する大河。当然だ。知らない男が北欧から自分に会いに来る理由がすぐに思い当たる高校生などいない。
自分が大地と間違われている事を思い出すまでにしばらくかかるくらい、マクシミリアンの話は大河にとって唐突だった。
また大地が何かやったのか。それにしても今回はスケールがでかい。しのぶからの話ではせいぜい周囲を引っ掻き回す程度だったのに、いきなり海外から強面のおっさんが来るとか一体何をやらかしたんだ大地――。
混乱を少しずつ収めながら、大河は今この場ではどうするのが最善かに思いを巡らせた。
マクシミリアンの圧倒的な威圧感とは真逆の柔らかい物腰から見るに話し合いは出来そうだ。高ストレス下では極端な行動は絶対に避けろという家訓もある。
"Okay, if you just wanna talk" (お話だけならかまいませんよ)
こんな時、テレポートが出来たらと思う大河ではあったが、彼にとって超能力によるこの場からの逃亡は無理筋だ。大河は自在にならない自らの超能力を少し恨めしく思いながら、マクシミリアンとの会話をまずは了承した。
== 以下、二人の会話は英語でされていると思って下さい ==
「そこがいいな。昼飯時というには少し早いがおかげで空いている」
マクシミリアンは大河が怯えないよう、明るく雰囲気のいいファミリーレストランを見つけ、可愛らしいフロア係に案内されるままに窓際に陣取った。
「ふぅ。大きな街の大きな街道沿いなのにカフェやレストランがあまり見当たらないのは日本の事情ってやつかな?」
マクシミリアンがファミレスのメニューを珍しそうに眺めながら大河に話かけても、肝心の大河はそれどころではない。そもそも福山に居ることそのものがイレギュラーな大河が、イレギュラーどころではないややこしそうな事態に巻き込まれているのだ。
状況は早めに整理し、いろいろ無かったことにしなくては何がどう転ぶか分ったものではない―― 大河の思考は早急に事態を収拾する手段を模索していた。
「で、北欧からわざわざ僕に用事って何なんですか?」
今、自分は大地の身代わりだ。大地が置かれている状況、そして大地が声をかけられた理由。対話という穏当な手段でそれらの情報が得られならそれに越したことはない。
大河は、片手ではいつでも母・亜希に電話できるように携帯デバイスの通話アプリを起ち上げ、発信直前の状態で留めながらも目はまっすぐにマクシミリアンに向けていた。
★★★★★
同じ時刻、国道2号線沿いのファミレスでは二十代のカップルと思しき二人組が朝昼兼用の食事を摂っていた。瞳とディーデリヒだ。
「それ、よく飽きないわね」
「飽きるもんか。ここのビーフシチューは芸術だ。何杯だって食べられるよ」
「そんな貴方に残念なお知らせ。ここのビーフシチューフェアは今月までよ」
「ええっ? だったらこのシチューを作ってるシェフをスイスに連れて帰れないかな? いや、マジで」
「ここのチェーンのセントラルキッチンが載るほど飛行機が大きいといいわね……で、心残りはビーフシチューだけ? だったら月末にはあんたもウチから出て行くのよね? どうせもう、とっくにお金や旅券の算段は出来てるんでしょうし」
それを聞いたディーデリヒはニヤリと笑った。
「鋭いな。何故判った?」
「鈍くても判るわよ。財布やパスポートを無くした人間ってのはもう少しオロオロしてるもんだわ。あんた、全然平気そうじゃない?」
「ははは。豪胆ってよく言われるよ。ところでさ瞳、こないだ言ってたじゃない。僕は誰かに似てるってさ。教えてくれよ。僕はいったい誰に似てるんだ?」
「そんなこと言ったかしらね。ああそう……貴子さん。貴子さんに似てるって言った気がするわ」
瞳は、河川敷で男が青白い炎を上げて燃え尽きたことをディーデリヒに問い質したが、案の定彼は知らぬ存ぜぬの一点張りだった。というか、ディーデリヒの話す内容はどこからどこまでが本当なのかまるで分からない。
なので、瞳もまた、ディーデリヒに与える情報は絞っていた。ひとつ屋根の下に居ながらも出来るだけ慎重に距離を保っているのもそのためだ。うっかり情が移っておかしなことをしてしまっては元も子もない。
それに、瞳は彼が何故今福山に来ているのかを把握しておきたいのだ。彼と同じ質の能力を持つ者として、安全保障の意味からも。
「タカコさんか……その人はひょっとして、ミブの一族なのかな?」
「あら、よく知ってるわね。親戚か何かなの?」
「他の人にも言われたことがあるからだよ、一度ならずね。それより瞳、タカコって人のことを良く知ってるようだけど、ミブの家に知り合いでもいるのかい? 東京の大富豪に知り合いがいるなんて凄いじゃないか」
「それは大富豪を紹介して欲しいの? それとも女性の方かしら?」
「まあ、金持ちと美人、医者と弁護士の知り合いはたくさんいるに越したことはないからね」
「……欲張りなのね」
ディーデリヒは別に積極的に貴子を紹介して欲しいというわけでもなさそうだ。
瞳もここで貴子を是非紹介して欲しいと頼まれても困るしかない。いいとこお茶を濁すのが関の山だ。
「あ、そうだ。ちょっと電話しなきゃいけないの。ここで待ってて」
そう言うと瞳はそそくさと席を立ち、電話用の防音スペースへと入って行った。
瞳の職務上、能力持ちを見つけた場合、速やかに影山に報告を入れなければならない。そして影山からの指示次第ではここでディーデリヒの能力を消し去ることもあり得るのだ。
「瞳、電話長いな……」
瞳が電話をかけに行ってはや10分。お気に入りのビーフシチューをすっかりたいらげてもまだ瞳は電話すると言ったまま帰ってこない。
ディーデリヒは席を立った。隣の席で頭の悪そうな大学生達がやっている、ドリンクバーを妖しく混ぜる遊びを自分もやってみたくなったのだ。
そんな彼の目に飛び込んできたのは大男に詰め寄られている高校生の姿だった。見た目にいかにも窮屈そうだ。
「おや……?」
そう一言呟いたディーデリヒの口元は、新しい玩具を買ってもらった子供のように緩んでいた。
★★★★★
「ええと、こういうことですか? 冬休み中アルバイトで僕にその、スイスにあるナントカ研究所に来て欲しい、と」
「そうだ」
「そこで僕は何をやるんですか?」
「研究員がある実験をやる。君にはその被験者になって欲しい、と私の客は言っている。それ相応の報酬は出すからと。決して安い額じゃない。安く見積もっても1万ユーロは出るだろう」
大河にはそれは地雷にしか思えなかった。
高校生に1万ユーロを渡すことがどれほど日常からかけ離れているか、それをマクシミリアン自身が判っていない。それはすなわち、この話に乗れば非常識な目にあっても大したことは無いとあしらわれることを意味している。
この場をさっさと離れたい。できれば騒ぎを起こさずに―― 大河の額に汗が滲む。
「それって、もしかして人体実験じゃないんですか? だったらお断りですよ」
「いや、そんな物騒なモノじゃない。ちゃんと政府の許可を得て運営している生命科学の研究所だぞ」
「本当に?」
彼はカバンの中に入れてあったた情報端末を素早く取り出すと、エト・ディシット研究所を検索し、その画面をマクシミリアンに見せつけた。
驚くほど検索にかかる件数が少ない。
「恐ろしく研究実績に関する記事がないですね。軍事か何かに特化しているんでしょうか? 表に出せない研究の被験者なんて怖いですね」
「う……む」
「それに僕の学校はバイト禁止なんですよ。どうしてもって言うなら親に電話しますから、そっちを先に説得してくれませんか?」
大河は携帯デバイスの通話アプリの画面をマクシミリアンに見えるように前にずいと差し出した。
もちろん本気で電話をしようとしたわけではない。学校や親が駄目だと言っているというのは存外この手の常識人には効くのではないか―― 大河はそう考えたのだ。
だが、マクシミリアンが常識人だというのは大河の勝手な思い込みに過ぎない。事実、大河に脈なしと見たマクシミリアンは既に何パターンかの誘拐の手口を脳内で組み立てていた。
「よう、マックス。久しぶりだな」
この場の緊張感を台無しにするような素っ頓狂な声。それはテーブルの脇を通りかかった若い男から発せられた声だった。
「あ、あんたは……なんでここに? それにその姿はいったい……」
ディーデリヒだ。マクシミリアンは驚愕の表情を隠せない。自分のところに依頼を投げてきた研究所の親玉、所長が目の前にいるのだ。
「はは。こんなところで会うなんて、世間は狭いな」
マクシミリアンはディーデリヒの依頼を3度ばかり受けたことがある。うち2回は墓を掘り返すような嫌な仕事だった。ディーデリヒがIBI(*)から何年か連続して賞をもらった後、エト・ディシット研究所の所長になったと聞いた時は胸を撫で下ろしたものだ。
上客ではあるが困難な注文をしてくる厄介な客。それがマクシミリアンのディーデリヒに対する評価だった。
しかし今回のはち合わせはその評価や理解を遥かに越えている。ミュンヘンやコペンハーゲン、ウィーンで出会うなら判る。東京や大阪でもなんとか譲れなくはない。しかしここは福山だ。偶然出会うにしてはあまりにも互いの行動範囲から逸脱している。
……ということは、偶然ではないのか?
マクシミリアンはすぐに思考を取り戻し、ディーデリヒに自分の隣の席を勧めた。ディーデリヒは笑顔を崩さず、勧められるままに大地の斜向かいに座る。
ディーデリヒは大河を一度、じっと見つめると、マクシミリアンを斜め下から見上げるようにして声を発した。
「マックス、彼がそうなのか?」
あっけに取られている大河、そしてそれを意に介さないディーデリヒ。この場は完全にディーデリヒにコントロールされていた。
「……ああ、あんたのところのアレッシオの発注のことを言ってるならその通りだ」
「なるほど。うちの連中がどういう追加オーダーをプルヴィーラにしたのかは聞いてる。けど、悪いがマックス、この件はキャンセルだ」
「しかし……これは一応、うちの外販がそちらから正式な依頼を受けた仕事だ」
「言っただろう。キャンセルだ。ここまでかかった経費と迷惑料はきちんと払うから、アレッシオのバカが頼んだって言う追加のオーダーからは手を引いてくれ」
それまでの笑顔が嘘だったかのようにディーデリヒの声は低くなり、眼光はマクシミリアンを射殺さんばかりに鋭くなっていた。
マクシミリアンは、この得体の知れない科学者を敵に回すのは得策ではないと知っている。何よりディーデリヒは上客なのだ。今後のビジネスを考えればここで白旗を掲げることは悪い選択肢ではない。
「……わかった。だが一つ確認させてくれ。最初のオーダーはどうするんだ?」
「失礼」
ディーデリヒはそう言うとやおら立ち上がり、大河の髪の毛を10本あまり毟り取った。
「痛あ!」
大河は予告なく髪の毛を引きちぎられた痛みと驚きで思わず大声を挙げた。客席がざわつき、フロア係も何事かと駆け寄ってきたが、ディーデリヒはそんな周囲に目もくれない。
彼は毟り取った大河の髪の毛をテーブルナプキンでそっと挟むと、それをマクシミリアンに渡した。
「最初のオーダーの方はこれでクリアだ。確認作業は要らないからアレッシオに渡してやってくれ。カネはすぐに振り込ませる」
「納得の行く説明はしてくれるんだろうな。こっちも子供の使いでわざわざこんなところまで来たわけじゃないんだ」
「簡単だ。ここにいる彼の父親とその一味はウチのスポンサーを根こそぎ滅ぼしても何の刑事罰も受けないほどのヤバイ連中なんだよ。彼に手を出したり身柄を拐ったりしたら最後、ウチは吹き飛ぶ。物理的にな。そんなのは願い下げってことだ」
「何?」
「マックス、君達は知らず知らずの間に虎の尻尾を踏んでいたんだよ」
法律さえ意に介さないマッド・サイエンティストの吹き溜まり、エト・ディシット研究所。その所長が恐れる「一味」とは何者か?
マクシミリアンは詳しい説明を求めようとしたが思い留まった。自分が踏まずにすんだ虎の尾がどれほど大きな虎のものだったかを知ったところで、リスクは増えこそすれ減りはしないと考えたのだ。
「あ、大地君だ、今日は学校どうしたの?って ……あれ? 似てるけど違う。大地君じゃないね?」
マクシミリアンとディーデリヒが腹の探り合いをしながら百面相をしている間にこの場を去ろうとした大河だったが、その目論見は珍客の乱入によってあえなく失敗した。声の主は昼休憩をとってやって来た女性、大河がさっきまで遠目に覗き見ていた真由美その人である。
「え?」
「え?」
そこに居た者は皆、声を合わせ目を丸くした。鳩が豆鉄砲を食ったような顔、と形容するには最高の顔だ。彼等も多少は日本語が理解できたらしい。
「ごめんなさいね。人違いにしては私の知り合いに似すぎていたので…」
「はは……僕は今日、一度だって自分を大地と名乗ったことはないんだけどね……」
大河は今日一番の大きな溜息をついた。それは深い深い溜息だった。
(*) IBI … International Brain Initiative, 2020年現在、なんとかWebサイトを起ち上げるくらいになったブレイン-マシンインターフェイスの推進団体。トップを走る Brain Initiative の後塵を拝している。




