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#029 車中無策

◇◇◇◇◇


「ごめん。ちょっと考え事をしてるうちに日が経ってた」


 真由美さんが乗る移動検診車はすでに僕の通う学校の近くの駐車場から移動して、福山駅の西側、国道2号線沿いの大店舗の駐車場の隅っこで稼働中だ。ここでもアイスクリーム一つで自分のCT画像を捧げる学生は後を絶たない。僕がようやく真由美さんの姿を見つけた時も10人以上が並んでいた。


「あー大地君。ごめん、ちょっと待ってて。今日は検診希望者が多くて」


「ははは。アイスクリーム希望者だろ。しばらく外してるから頑張って」


 この辺りには高校が多い。附属うち1校でもあれだけの自称欠食児童が列をなしたのだ。真由美さんがしばらくてんてこ舞いになるだろうことは想像に難くない。

 なにせ5、6校あるからな……。これに市立大や近辺の中学校の学生までが来ると考えると、アイスクリームが何本あっても足りないんじゃないか?


「はー、やっと人波が途切れた。おまたせ大地君」


「いやいや、真由美さんも頑張ってたね。無理してない?」


 ようやく真由美さんと話せたのは六時半を少し過ぎた頃だった。真由美さんのコスプレみたいなナース姿が汗でぐっしょり濡れているのがなんとも気の毒だ。


「はは、家にいても体調悪くて気分までおかしくなるからね。外でこうやって忙しく動いてると気が紛れていいのよ」


「そうか。そうだね……」


 僕はタイミングを見計らっていた。大見栄きって真由美さんの力になれるかもしれないと言ったくせに、大した事が出来そうにないと伝えるタイミングをだ。


「あのさ、真由美さ……」


「あのね大地君。私、貴方に大事な話があるの」


「へっ?」


 何だか知らないけどタイミングを見計らっていたのは真由美さんも同じだったらしい。


「どうしたの? 急に」


「大地君、以前ウチの車で検査受けたでしょ? その時はAIの診断には出なかったけど、頭にすごく悪い腫瘍があるってことがついこないだ判ったんだって」


「僕に?」


「うん。命に関わるくらいなんだって。ご家族に連絡まだ行ってなかった?」


 初耳だ、僕の身体に命に関わる腫瘍があるだなんて。


「いや、そもそもこの検診車って個人情報を取らないって話だったじゃないか。診断結果がどうあれ、僕の家に連絡が来る方がおかしいよ」


「あの……私が喋っちゃったの。ごめんなさい。会社に戻ったら『この男の子のこと知らないか?』って凄い剣幕で詰められちゃって。理由を聞いたら命に関わる腫瘍が脳にあるからなんとか連絡を取りたいって言われてね……」


 なるほど合点がいった。先日の検診で例の小脳にある器官を撮影されてしまったのか。何も知らない人が見れば脳腫瘍に見えなくもないんだろう。


「腫瘍って脳の? それなら知ってたよ。以前偉い先生に診てもらってて、心配ないって言われてるんだ」


「え、そうなの? 松下さんは命に関わるって言ってたからてっきり……」


 どうやら松下さんという人が真由美さんにこのことを知らせたらしい。


「大丈夫大丈夫! これまでに一度も問題なんか無かったし、これからもたぶん無いよ。その松下さんて人か、診断した人の勘違いだよきっと。実際連絡も来てないし、多分よく観たらなんでもなかったって話なんじゃないの?」


「良かった。それなら良いんだけど……」


 僕の説明で真由美さんが納得できたかどうかは分からないが、とりあえず彼女は僕に当面の命の危険がない、ということで安心したようだ。だが、彼女の表情にはまだ硬さが残っている。


「それで、その時聞いたんだけど、その……大地君のご親戚に歳をとらないって言われてる人がいるんだって?」


「えっ?」


 うぉい松下さんとやら! 真由美さんに何を吹き込んだんだ?


 真由美さんは例のクローン達の間で囁かれているという都市伝説を信じている。「この世界の何処かに歳をとらない人達が居て、その人達ならクローンの抱える苦境もなんとかしてくれるだろう」って話だ。

 であれば、母は真由美さん達クローンにとって、手が届くかもしれない救世主ってことになる。

 

 さてどうするか。ここで事実を語るのも、その場しのぎの嘘をつくのもどちらも不味い気がする。今までの僕だったら情と流れに身を任せて知る限りの事を話していただろう。


 ――そんなことをしたらどうなるか、か……。


 それは僕の母だよと言えば、真由美さんは母を紹介してくれと言ってくるだろう。しかししのぶが言うには母の肉体年齢はテロメア以外の何かで若返っていて、それは父の能力以外の何かによるものだ。引き合わせたところで母には何も出来ない。

 父は父で真由美さんの件にはノータッチの態度を崩さないだろう。


 うん、事実を話しても状況は好転しない。


 かと言って嘘も駄目だ。すでに県知事の家の人間であることは伝えてあるから嘘は簡単にバレる。

 力になりたいとか言ってたくせに肝心要のところで嘘をついて誤魔化すチキン野郎と言われるだけだ。


 こういう時はどうするんだっけ……正面から受けずに斜めに躱すのがいいのかな。


「確かに、親戚にそういう風に言われている人はいるよ。だけど本人はマスコミにいじられて随分迷惑しているみたいで、会うといつも愚痴を吐いてる。だから親戚の中ではあの人に年齢の話をしちゃ駄目だって不文律が出来てるんだ。よく解んないけど」


 うん。否定はしないけど本人が嫌がってることにしてしまえば良いんだ。


「そうなの……お会いしてみたかったけど、それだと大地君には頼めないわね」


「ゴメン。だけど、歳をとらない人なんて他にもいるよね? 漫画家とか……焼き鳥屋のお姉さんとか」


「え? 焼き鳥屋のお姉さん?」


 金蝉脱殻、空蝉の術……じゃないけど。まずはターゲットを母から余所に変えよう。あとは瞳さんがなんとかしてくれるだろう。


「僕はこっちに来たばかりでよく知らないんだけど、福山駅の南側、盛り場の焼き鳥屋にずっと前から全然歳をとらない人がいるんだって。内海が言ってた」


「内海さんて人はその焼き鳥屋のお姉さんをずっと観てるの?」


「本人が言うにはどうもそうらしいんだけど……」


 すまん内海。お前の瞳さんへの想いを利用させてもらった。いずれこの恩は返すから……あ、いや、奢り続けたラーメンの借りをここで返してもらうぜ、の方がいいのかな。


「クローンが意外に身近にいるように、歳をとらない人ってのも案外身近にいるのかもしれないよ。僕は以前あの辺で不良に絡まれて警察沙汰になったことがあってさ、ご一緒できないんだけど気になるなら病院の帰りにでも行って見てくれば?」


 我ながら無責任だとは思うけれど、今はこうするのが一番良さそうな気がする。


「じゃあそのうち行ってみるわ。それより腫瘍の方、本当に大丈夫か出来ればもう一度お医者様に診てもらってね?」


「了解。ところでうちの学校、来週から中間テストが始まるんだ。しばらく顔見に来られないけれど元気でやってね」


「なにそれ? 人妻に向かって……やばいよ。誰かに見られたらどうするつもりなの?」


 そう言って僕を諌める真由美さんの顔がまんざらでもなさそうに見えたのは我田引水というやつだろうか。



★★★★★


「はじめまして、井原バイオジェンテックの松下です。長旅お疲れさまでした」


「出迎えありがとう。プルヴィーラのマクシミリアンだ。マックスと呼んでくれ」


 マクシミリアンと松下はJR福山駅の北口改札を出たところで握手を交わした。

 かたや捜し物の発見者、かたやその捜し物が本物かどうかを確認するために面倒な手段を押し付けてきた発注者。ゆえにこの握手はあくまで儀礼的なものだ。

 これからの二人の行動は双方にとって面倒でしかない。こじらせずに手早く終わらせるためにはまず、手元で波風を立てないことだ。


「では、行きましょうか」


「ああ、よろしく頼む」


 早川は松下とマクシミリアンを車に乗せると井原にある研究施設に向けて出発した。巨漢と大荷物を載せたため、車のサスペンションは今まで見たこともないほど沈み、バッテリーがぎゅんぎゅん減っていく。

 英語の会話に加われない早川はバッテリーインジケータばかりを見つめて冷や汗をかいていた。


「な、なんというか、随分と山深い所にあるんだな。君達の会社は……」


「ははは、確かに都会とは言えませんね。その分夜空は綺麗ですが、北欧から来たマックスさんから観たらどうなのかなあ」


 ナビが示す到着時間はまだまだ先だ。にこやかに打ち解けて行く二人をルームミラー越しに見ていた早川は自動運転に切り替えて自分も会話に入ってみることにした。


「マクシミリアンさん、事前にご連絡頂いていたとおり、ターゲットをあなたの目の前でCTに放り込むだけで今回の件は終わるんですよね? 」


 早川が話した内容は事前に翻訳ソフトで訳しておいた英文そのままだったが、上手く通じたようだ。だが、それを聞いたマクシミリアンが申し訳無さそうに頭を掻いた。


「すまん。それなんだが俺がこっちに飛んでる間に要求が一段跳ね上がったようだ。クライアントは本人の同行を希望していている」


「本人?」


「そうだ。そのイチカワダイチとか言うティーンエイジャーの同行をまずは交渉。駄目だったらひっ捕まえてでも連れて来いとクライアントが言って来たんだ」


 松下と早川、二人の顔面は蒼白となった。この時ばかりは自分達の言語能力が乏しく、何か聞き違いでもしたのだと思い込みたかったに違いない。だが、翻訳ソフトの画面には「次候補」の表示はなかった。


「松下さん、これ、断られたら誘拐せえいうことですか?」


「き……聞いてみる」


 こともあろうに目の前の大男は県知事の息子をかどわかすと言っている。それに協力しろと言っているのだ、こいつは。

 北欧あちらではどうなのか知らないが、日本では誘拐は社会を巻き込む一大事件だ。しかも誘拐されたのが県知事の息子ともなれば県警どころかその上までもが出てこないとも限らない。

 そうなったら松下達は終わりだ。上からも破門され、一生日の当たるところへ出ては来られないだろう。


「それはまずいな。あんたらはともかくウチはそういうことへの協力はごめん被る。何よりひっ捕まえる相手が悪すぎる」


 松下が毅然と答えた。当たり前だ。CTをもう一度撮るだけならその場の勢いでなんとか言いくるめることも出来るだろうが、本人を掻っ攫うというのはどう考えてもやりすぎだ。


「おいおい、誘拐すると決まったわけじゃないぞ。ワケを話して同行してもらうとか、いろいろ手はあるだろう。金を払ったっていい。最初から物騒な話をしないでくれ」


 マクシミリアンがそう言うのを聞いて一度はホッとした松下と早川だったが、この話のスジの悪さは依然として残ったままであることには変わりがない。

 真面目でそこそこ頭も家柄も良い高校生が、多少の金額を積んだところでホイホイ学校を休んで北欧までついて来るわけがないではないか。

 

「ああ、これ誘拐一直線だ。もう終わりだ、俺達のベンチャー生活……」


 松下はこの数年間、自分がそれなりに積み上げてきたものがガラガラと音を立てて崩れ落ちていくような感覚に陥っていた。


「ん? 今、日本語で何か言ったか? 」


「いえ、何も」


 松下達にはもう、否も応もなかった。彼等は「プルヴィーラに逆らうと本家ですら危ういから絶対に機嫌を損ねるな」と上からきつく申し渡されているのだ。


 噂ではニカラグアのコカインマフィアがプルヴィーラと対立した際、マフィアのアジトが街ごと滅ぼされたとか。プルヴィーラならやりかねないと誰もが思っていたので、この噂は誰からも否定されること無く裏社会を独り歩きしていた。


「それで、ターゲットには何処に行けば会える? 今日・明日にでも会ってみたいんだが」


 マクシミリアンはただただ積極的で、松下達のネガティブな表情に共感する気配は毛ほども無かった。松下と早川は互いの顔を見つめて頷き、ため息をつくのが精一杯だ。


「確実なのは2箇所。岡山駅とターゲットのヤサの間か、もしくはウチの移動検診車の周りです」


「家は判るとして、なぜ検診車の周りなんだ? 何か理由があるのか?」


「ターゲットは、うちの移動検診車で働いているバイトの女性と親交が深いようでして」


「……なるほど、女のケツを追っかけてやがるのか。どこの国でも男子高校生はしょうがないな……」


「ほんとですねえ……ハハ……」


 マクシミリアンは力なく笑う早川の肩をポンと叩いて感謝の意を示すと、にっこり笑ってガッツポーズを取った。


「任せろ。俺だってお前達を好き好んで誘拐犯にしたいわけじゃない。要求が上方修正された分、納期の緩和もあったんだ。『学校が休みになった時にバイトでガッポリ稼ぐ気は無いか?』ってカネをちらつかせて、ビジネスクラスのチケットでも取ってやれば一発だろう」


「なるほど、それなら……」


 だが、それを聞いても早川は楽観する気にはなれない。駅で握手をしていたところは構内のカメラで撮られたであろうし、今だって道路沿いに設置されている警察の映像システムや街頭カメラに、三人一緒になっているところが撮られているに決まっている。

 マクシミリアンが何かやらかした時、自分達が無関係だと主張するのは既に不可能なのだ。


「できれば穏便にね……」


 早川と松下はこのまま車を電柱に突っ込ませるしか手はないと本気で考えていた。おそらくそれは最善手だ。彼等にそれを実行する度胸がないという事実を無視すれば、だが。


 それに、自動運転車には衝突回避システムが搭載されている。法規上切れなくなっているやつが。


★★★★★


 しのぶが大河のところへ愚痴りに来た翌週の月曜日、大河は学校に病欠の報告を入れると返す刀でリニア新幹線に飛び乗った。新大阪で乗り換え、目指すは福山だ。


「ふふ……大地が入れ込んでる女の子がどんな子か、気にならないわけないじゃん」


 大地に会いに行くなら岡山だし、休日の方が良いに決まっている。わざわざ平日に福山に向かうということは、つまりはそういうことだ。


「うう……暑い……」


 福山駅を南口から出て、昼間の国道2号線を西に向けて歩く大河。知らない土地だけに背中を丸め、ナビと首っ引きで歩くこと三十分、ようやく見つけた移動検診車は事前の入念な下調べと違わず大きな店の駐車場に停まっていた。


「よしビンゴ……ってここは備後か……そうですか」


 一人突っ込む大河が首を伸ばすと、受付ロボと何かを話しているナース姿の可愛らしい女性が大河の目に入った。言うまでもなく、樋口真由美である。


「へえ、大地もいい趣味してるな」


 独り呟いた直後、大河は他人の気配を感じて振り返った。学校をサボって弟のお気に入りの女性を盗み見ているのだ。そのやましさもあって彼も周囲に気を配ってはいたのだが、この時ばかりは油断していたとしか言いようがない。


「だ……誰?」


“Excuse me, you’re Ichikawa, right?” (すいません。市川君かな?)


 そこに居たのは身の丈190cmはあろうかという大男、マクシミリアンだった。


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