表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/36

#028 スイスから来た居候

★★★★★


「パウリーネさん、所長何処に行ったか知らないか?」


 欧州バイオバレーの一角、生命科学研究の暗部とも呼ばれるエト・ディシット研究所では、研究企画マネージャのアレッシオが事後決済の説明をするために所長を探し回っていた。


 プルヴィーラに市川大地の身柄の確保を要請して発生した追加料金を話の流れで了承してしまったのだが、彼にはプルヴィーラが要求する金額を承認する権限がないのだ。


「所長はもう十日以上も前にふらりと出ていったきり帰ってきていません。先日電話があったときは日本にいるとおっしゃってましたが……」


 所長秘書のパウリーネが一応申し訳無さそうな顔で答えた。だが毎度のことなので答える方も聞く方もこれがポーズだということはよく分っている。


「ちっ、しょうがない。じゃあ事前確認をしようとしたけど所長がいなかったってことでいいか。いい加減、実態に沿わない承認ルートは廃して欲しいもんだがな」


「アレッシオさん、ぜひ次の所長になってそうなさるといいと思いますよ」


 パウリーネは動じない。彼女にとってアレッシオの不都合は完全に他人事だからだ。


 アレッシオは生真面目に所内のルールを守ろうとしているのが馬鹿らしくなった。ここは上から下までどいつもこいつも所内のルールどころか法律や倫理といったものすら軽く見ている連中ばかりだ。

 地下の実験室では研究者の趣味に走った実験が行われることなどはしょっちゅうで、彼は週に何度も実験の内容と研究企画書の乖離について喚き立てなければならなかった。こんな環境で自分だけがルールや法律を守ることに何の意味があるのか、と思う彼の思考はおそらく正常だ。彼自信も納品後に追加注文を出したりといろいろやらかしている自覚があればなお良かったのだが。


「ああまったくもう、畜生。他に仕事があればいつでも辞めてやるんだが、こんな仕事」


 彼がマネジメントするセクションは「パスター」の外郭団体時代に掲げられた研究課題を継承している。アレッシオはその十何代目かの研究企画マネージャだ。

 代を重ねる毎に研究の本来の目的は薄められて伝えられ、今ではおぼろげな到達目標が残っているに過ぎない。その現状に反してこの課題は、妙に潤沢な研究資金がてがわれていた。

 そこに疑問を抱かないアレッシオではなかったが、下手に騒ぎ立ててしまうとこの不況下に職を失ってしまう。それに比べれば個人的な疑問から目をそらすことなど彼にとってなんでもないことだ。


 だが、予算配分はともかく研究課題そのものについてはアレッシオと言えど疑問を隠せない。


 この100年ほどの間に人類史に突如現れ、何の後ろ盾もないまま大成功を収めた人物や大虐殺を繰り広げた人物達。その中の特定のグループには小脳に特徴的な腫瘍が見られるという。

 彼の仕事はその腫瘍の機能の検証だ。そのためには器官として動作する腫瘍そのものを手に入れないことには始まらない。彼に出来る手段の中で最も成功の確率が高いのは、該当者の腫瘍をクローン等で再現することだった。

 過去にも様々な方法でその再現が試みられたらしいが、その結果はどれも芳しくないものだったと彼には伝えられている。理由は簡単。試料の鮮度が悪すぎたからだ。


 アレッシオと、鮮度の高いサンプルを多数保有するプルヴィーラとの付き合いは必然的に始まった。彼の中に大きな葛藤と疑問を残しながら。


「成功者の脳に腫瘍があったからって、その腫瘍さえあれば逆に成功出来るって考えたのはどこのバカなのかねホントに……」


 アレッシオはMOT(*1)の称号持ちだ。ある程度の経営戦略論の知識もある。

 彼が疑ったのはこの研究課題が生存者バイアスのたぐいに侵されているのではないかと言う事だった。成功者の脳に腫瘍があったからと言って、脳に腫瘍があれば成功するとは限らない。この研究課題には、脳に腫瘍があっても人生に失敗した人間に関する考察がすっぽり抜け落ちているのである。


 同じ事が世に蔓延はびこる経営戦略論についても言える。成功しているA社、B社、C社に共通している因子はこれだったという報告だけで学者が何冊も本や論文を書いているのだ。もちろん、その学者達もやることは同じ。その成功の因子とやらを持っていても成功しなかった企業などについての考察は極稀だったりする。

 もっともらしい数理統計処理の数式を書いてはいるが、彼等は業界を挙げて一番の問題をすっとぼけているのだ。


「まあ……そのバカのおかげで今日のメシにありつけているんだから文句は言えないか」


 誰しも自分の生活基盤を崩してまで正論を吐いたりしない。それはアレッシオも同じである。彼はボヤくのをやめて、その日は一日、溜まりに溜まった支払い処理と交通費の精算のために所内の会計システムの画面とにらめっこする事に決めた。


「それにしても所長、今日本に居るのか……例のサンプルも日本だって言ってたなあ。変な偶然もあるもんだ」


「どうしたんです?」


「いや、なんでもない。アシスタントが欲しいなーって言ってたんだよ」


 彼に笑顔が戻る日はまだ遠い。


★★★★★


「どういうことなんだろうね……ホント。ねえあんた、ホントに日本語話せないの?」


 瞳は自宅近くのファミレスで、二十歳そこそこの青年と昼食を摂っていた。その男は見た目はほぼ日本人だが日本語が話せない。英語は普通に話せるようなので瞳は彼と話す時は英語を使っていた。


「しつこいな。見てくれが日本人ぽいのは僕のせいじゃない。それよりこのビーフシチュー、もう一皿いいかな?」


「居候の分際で……多少は遠慮ってものを知りなさいよ」


「荷物が見つかったらちゃんと送金して返すからさ、ね? お願い」


 日本人が無理して話している英語ではない。かと言って母国語でもなさそうな英語を器用に操るその男に瞳が興味を持ったのは決して気まぐれなどではない。


 ある夜、瞳が鳥を焼く飲み屋に酔っ払った広島弁のキツい男が上機嫌でやって来た。もう何件か先に寄って来たのか、すっかり出来上がっていたその男はしきりに「宝の山を掘り当てた。これで本家に面子が立つ」と言っていたから暴力団関係者なのだろう。

 彼の話を隣でずっと聞きながら「良かったですねえ」「そうなんですか」と調子を合わせていた男は、閉店まで粘って酔いつぶれた男を店から連れ出して行った。


「ありがとうございました。またのお越しを~」


 愛想よく二人を見送った瞳だったが、その二人の男が程なく加害者と被害者に分かれるであろう事くらいは容易に想像がついた。人の殺意に敏感な瞳ならではだ。そして普段ならそこに彼女が介入する必然性はない。

 だが瞳はこの二人に無関心でいられなかった。酔いつぶれた方の男が「小脳に腫瘍のあるガキ」という言葉を口にしていたからだ。


 閉店作業に手間取りつつもなんとか終えた瞳は人気のない方向へと走った。事故を装うなら波止場か川岸だ。理由は簡単。そのあたりにはまだ防犯カメラが設置されていなかったからだ。


「あ~あ、間に合わなかったか」


 瞳がようやく二人を見つけた時、すでに片方は死体となっていた。もう片方は殺された方から情報を吸い上げ切ったのか、上機嫌の様子。

 瞳が残った方から事情を聞こうかと足を一歩踏み出した矢先、残った男からカエルを潰したような悲鳴が聞こえた。


「ぐぎゅるぇぇぇ……」


 残った方の男が燃え出したのだ。瞳が慌てて距離を取ると、その男は青白い光を放ちながら更に激しく燃え、最後にはチリ一つ残さずに消え去った。


「え……?」


 夢ではない。瞳は自分の頬を軽く叩いたが、その頬はついさっきまで男が燃えて出していた熱で火照っていた。


 瞳は知っている。こんな事が出来る人間のことを。


「影山さん? シャーロット? 近くに居るの?」


 瞳は決して大きくはない声で呼びかけ周りを見渡したが、彼女の知っている人影は現れなかった。その代わり現れたのがこの青年だ。


 その男は、目の前で人が二人死んだというのに特に慌てた様子もなかった。二人のうち一人は燃え上がる光の柱になって消えて行くという、その異常な光景を見てさえ平静を保っていたのである。


「誰?」


 瞳の指が腰の串に伸びた。瞳ならずともその異質さには身構えざるを得ないシチュエーションだ。だが彼は開口一番こう言ったのだ。


「腹が減った……もう動けない」


 その言葉を残して彼は河原に突っ伏してしまった。


 あっけにとられた瞳だったが、彼女は彼を拾い上げて自分の家に放り込み、しばらく面倒を見ることにした。放っておくと3つ目の死体にならないとも限らなかったし、何よりその男に何か只ならぬものと奇妙な親しみを感じてしまったのだ。


 目を醒した青年は、自分の名前をディーデリヒと名乗った。スイスから来たのだそうだ。


 聞けば気の毒なことに新幹線で居眠りしている間に荷物を洗いざらい盗まれたらしい。一応警察に届けは出しているものの、落とし物ならともかく盗まれたものとなると出てくる可能性は少ないと言われ、今は本国からの救済を待っている最中なのだという。それが意外に長引き、携帯電話にチャージしてあった電子マネーが尽きてしまったとかで食い詰めていたようだ。


「ま、ホントかどうかも怪しいけどね」


「ハハハ。瞳は疑い深いなあ。そんなんじゃ恋人出来ないぞ?」


「うるさいわ。それにしてもあんた誰かに似てるのよね……私の知ってる……」


 瞳は悪戯心を出して、その男を見つめた。ターゲットしようとしたのだ。

 だが次の瞬間、瞳の視界が軽く揺れた。次に軽い不安感が彼女を襲う。


「え……? 」


 それが大地や大河、しのぶをターゲットした時に起こる「安全装置の名残」(*2)であることは瞳にも理解できた。問題はなぜ、この青年にも「安全装置の名残」があるか、ということだ。


 激しく動揺する瞳と、きょとんとするディーデリヒ。そのイノセントな表情を見た瞳から思わぬ言葉が口を衝いて出た。


「ディーデリヒ……あなたその顔、貴子さんに似てるわ……」


★★★★★


 しのぶはアケビを使って影山とほぼ同等のことが出来るまでになっていた。テレポートもその一つだ。彼女にとって今や東京と倉敷の距離はゼロに等しい。そんな彼女がアケビを使ってやって来たのは幼い頃に住んでいた影山の家だった。


「……というわけなのよ。なんか、やっとお守りから解放されたって感じだわ」


「お疲れさん。まあ、僕も人のことを言えるほど出来た人間じゃないんだけどね」


 しのぶは大地の近況を兄の大河に語って聞かせていた。彼女は別に大地に含むところはない。ただ、脇が甘いのかなんなのか、普通に暮らしているだけでもトラブルを背負い込み、そのたびにハラハラさせられるというのもそれなりにストレスフルではある。


 ゆえに、しのぶの語る大地の近況は若干しのぶの主観が混じっていた。すなわち「弟だから見捨てるわけにも行かないけれどトラブル起こしすぎて私困っちゃう」という、軽い恨み言というか、言ってみれば愚痴だ。

 こんな愚痴を学校でクラスメイトに話そうものならその日のうちに大地はしのぶのファンに締め上げられてしまう。かといって父や亜希に苦情を言うわけにも行かない。畢竟、しのぶが大地に関する愚痴を言えるのは大河くらいしかいないのである。


「そうねえ。でも大河はまだ大地よりは人間出来てると思うわ。少なくとも大地みたいになにか起きるたびに騒ぎ立てたりしない分ね」


「いや、聞いてる話じゃ大地にだって多分に同情の余地はあると思うよ。あいつ岡山に行く前からずっと状況と他人の言動に引っ張り回されてるじゃん。そりゃ、トラブルに足を突っ込んでるって言われればそうかも知れないけど、トラブルって知って足を突っ込みに行ったわけでもなさそうじゃない?」


 言われてみればそうかもしれない。大河の指摘もあって、しのぶは心中で若干だが大地に対する評価に手心を加えた。大地がこれまでに自分で動こうとしたことにはことごとく邪魔が入っているのは確かだ。しかも大地では動かせないような面倒な邪魔が。


「まあ……そうかもしれないけどさ。天下の往来でスカート脱がされた身にもなってみなさいよ。そうそう収まるもんでもないから。亜希さんが商店街の防犯カメラ画像に手を回してくれなかったら今頃動画サイトの有名人だったのよ」


「ああ、それは災難だったね……ほんとに。母さんも大変だったって言ってたよ。しかし大地、そんなんでホントに市川のご本家で上手くやっていけてるのかな? 政治家ってスキャンダルが命取りになる職業だろ?」


 あくまで大河は穏やかに話す。これは誰に対してもだ。


 別に深い先読みをしているわけでもなければ、鋭い観察眼を持っているわけでもない。これもまた、絶対強者がひしめくヒエラルキーの最下層に大地とともに生きる彼が身につけた処世術だ。


「あ……そういえば私も、あんまり聞いちゃ悪いかなと思ってその辺はあまり立ち入って聞いてないのよね。大河、気になるならそのあたりの話聞いといてよ」


「僕かあいつか、どっちかが養子になるって話だったからな……僕が『どうだ調子は?』って言うのは何か違う気もするけど、確かに夏休みも結局会えなかったし気になるっちゃあ気になるね。今度、ちょっと岡山に顔でも出してみるか」


「あ、コレ使えばすぐだから、その気になったらいつでも言ってね」


 しのぶはアケビをポケットから出して大河に見せた。世界をひっくり返せるチートアイテムだが今のしのぶと大河にとっては往復3万円余の新幹線代を節約できる便利グッズくらいのものでしかないらしい。


「わかった。今度と言わず数日中に行くよ」


「うん。大地は今しょげてるからね。声かけてやってよ」


「ああ、ついでに大地が入れ込んでるっていう真由美さんだっけ? も遠くからでもいいから見てみたいな」


「茶化しちゃ駄目よ。あの人はあの人で深刻な問題を抱えてるんだから」


「そうだった……」


 と言う割には大河が未だ樋口真由美の姿を見に行く気満々なのをしのぶが見逃すことはなかった。



ここに来て新キャラがチョイチョイ出てますが、これで一旦落ち着きます。


(*1) Management of Technologies; 技術経営。日本でも専門職大学院を修了することで獲得できる称号。乱暴に言うと技術開発企業に特化したMBA。

(*2) 旧世代の運営が作った安全装置。人口管理担当者同士が能力を使って殺し合わないように互いをターゲット出来なくしている。小脳の器官を検知して動作するため、小脳の形質が遺伝した大地やしのぶをターゲットすると、ターゲットした本人は乗っている自転車が揺らされるような違和感に襲われる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ